15.臆病な剣
「門弟の方たちと親睦を深めたほうがいいのではありませんか?」
そろそろ西の都を発って北へ向かおうとしていた時、紫苑がそのようなことを提案したので、一行は上げかけていた腰をいったん下ろした。実之とて考えなかったわけではないが、紫苑の旅が一番の目的であるかぎり優先するわけにはいかない。そう思って黙っていたので、意外そうにしながらも喜んだ。
「よろしいのですか」
「もちろんです。旅はいつでもできますけど、慎太郎様にとって大事なこの時期は、過ぎてしまえば戻りません」
そんなわけで、さっそく明日から門弟らに混じり修繕作業を手伝うことになった慎太郎であるが、心の準備もないままに事が進むのを良く思わなかった。面識がない相手に対し、一般に青二才と言われる年齢で師範として紹介されるのだ。門弟らの反応は、おおいに気になるところだった。
そのせいか、床についた慎太郎はつい昔の夢を見た。
***
十七の春。保倉道場へ入門するため出立の準備をしている朝だ。
「わかっているとは思うけど、人並みにしているんだよ?」
心配する母に向かい、慎太郎は無言でうなずいた。
まわりの子供らより少し強くて足が速いという程度の普通の少年だった慎太郎が遠方まで噂を広げるに至ったのは、十一の時。内からみなぎってくる力に気づきはじめた頃だった。
慎太郎は、なにげなく見上げた崖に惹きつけられた。所々に飛び出ている岩を眺め、並びにそって順に蹴ってゆけば天高く舞えそうな気がしたのだ。
「あの崖の上まで……」
言い切る前に、身体が勝手に動いていた。
以来、強く意識していなければ力を抑えていられなくなった。もののけに憑かれていると言われたのはこの頃だ。木刀を握れば獅子のごとき眼差しで龍のように舞うと噂されたのも同時期である。
いらぬ噂を聞きつけて、あちらこちらから道場への誘いが来た。だが慎太郎はどれも断り続けた。せっかく得た力なら、親の役に立ちたいと思っていたからだ。農作業は重労働である。働き手は一人でも多いほうがいい。
しかし両親は言った。
「こんなところで一生を終えるより、外に出てみるのも悪くないよ? その力だって、きっと神様がオマエを立派な剣士にしようと思って与えてくださったんだ」
説得された慎太郎は入門先を決めるため、やむなく道場を見学してまわった。だが、どこも代わり映えはせず、有名無名だけを判断材料にして入門するのも気が引けると思った。そんなおりに目をとめたのが、保倉道場である。道場主と並んで歩く少女にひと目惚れしたのだ。
剣の道を志す動機としては不純だが、恋心は純粋だった。
***
夢から覚めた慎太郎は、身を起こして肩で息をついた。辺りには見慣れない天井と土間と木の戸がある。ゆうべ急きょ移り住んだ棟割り長屋だ。なぜこのようなところに一人でいるのかというと、昨夜、実之に塔主の跡取りであることを告げられたからである。
「ともに旅などして人となりは分かっているし、町の者からもいろいろ聞いた。そちらに対しての不信感は抱いていない」
そう慎太郎が答えると、実之らは安堵したように笑った。結局のところ彼らが危惧していたのは、慎太郎の傷心だったのだ。
慎太郎は苦笑した。用心棒に雇った男の身の上など気にしなくてもよいのに、お人好しにも程がある、と。そして、鍵崎羅山に少しでも彼らと同じ感情があったなら、すでに相手の決まった女を見初めるような真似はしなかっただろうと思った。女が自分を選べば、どれだけ相手の男を不幸にするのか、容易に想像できたはずだ。それを平然とやってのけた羅山は、人として何か欠落しているのだと。
その後、実之らは紫苑を連れて早々に塔へ引き上げていった。しばらくと言わず西に滞在するのなら宿代などを節約せねばならないし、人の出入りが多い場所に目の不自由な紫苑をいつまでも泊めていられないという理由からだ。だが慎太郎は「一時的だろうと塔で暮らすなんてとんでもない」と踏ん張り、長屋の空き部屋を探してもらった次第である。
慎太郎はもう一度ため息ついて、ふと懐の銭を数え、両親への仕送りを算段した。旅の用心棒として毎日もらっていた給料を落ち着き先から送ろうと、まめに貯めていたのだ。
そこで、適当に身支度を整えたあとは、さっそく町へ出て土産物などを買い、一緒に包んで飛脚へ渡した。
何の知らせもせずじまいだったが、マナとの縁談が破談になったことは耳に届いていることだろう。もとより、結納を交わしたきりで音沙汰ないのだから、心配をかけているに違いない。これで少しは安心させることができれば良いのだが——と願いながら。
***
このあと慎太郎が向かう道場には、すでに門弟らが集まっていた。十代の少年が二名。二十代の若者が十四名。三十代、四十代の男が合わせて三十一名である。本日は手始めに除草や庭木の剪定などするわけだが、話題はもっぱら新しい師範となる慎太郎のことだった。
「若旦那が推薦するなら仕方ないが、噂ではかなり若い男らしいじゃないか。ちゃんと務まるのか?」
与助という三十男が言うと、八神という年長の男が唸った。年は四十五。一応、師範代を務めている身分である。
「ものは試しだ。やらせてみれば良いではないか」
そうこうしていると慎太郎が門をくぐって来た。若いだけでなく立派な姿に、門弟らは気圧された。存在感は半端ない男である。「町の娘たちが騒ぐはずだ」と門弟の一人が呟くと、「騒いでいるのか?」と聞く者があり、羨ましがる者もあった。
「庭の手入れなど後回しだ。ひとつ手合わせ願おう」
一人が進み出ると、一人、また一人と慎太郎に歩み寄った。彼らは除草作業そっちのけで、舞台を稽古場へと移したのである。
***
慎太郎は決して負けなかった。が、動きはどこか、ぎこちなかった。
基本を忠実に守りながら、隙を見せぬ完璧な太刀筋であるが、やたら足下を気にしているふうである。
八神は「ふむ」と顎をつまみ、訝しげに慎太郎を眺めた。それからやおら立ち上がった。
「慎太郎殿。次は私が相手だ」
慎太郎は八神という男を見た。八神も慎太郎を見据えた。もう十数名と立ち合ったはずだが、息は乱れていない。そんな慎太郎に八神は笑いかけた。
「気もそぞろという感じだな。連中は真剣に臨んでいるというのに、失礼ではないか」
慎太郎は軽く目を伏せた。
「……申し訳ない」
「申し訳ないと思うなら手を抜くな。ま、手を抜いているおぬしに負ける連中も情けないかぎりだが」
慎太郎にも門弟にも厳しい言葉を吐いた八神は、そのまま木刀を構えた。
「私には通用せぬぞ」
ダン、と床を踏みしめて鋭いひと振りを浴びせる。とっさに受け止めた慎太郎は八神の力量を計り、確かにほかの門弟のようにはいかぬと思った。しかし「人並みにしていろ」と言う母の顔が脳裏をよぎると、どうも具合が悪かった。稽古場であることも分が悪い。
相手が実之なら事情を知ったうえでのことであるし、そもそも彼の道場だ。挑むからには損失覚悟であろう。だが八神は違う。しかも、どうにか引き分けに持っていけそうな気がするあたりも、本気を出せない要因となった。とはいえ真面目に取り組んでいる者に対しては、やはり無礼きわまりない。
慎太郎は悩みつつも何合か打ち合い続けた。そうしてつらつら考えるうち、師範として立ち合うには、どうしても型を崩せないのではないか、という結論に達した。心の片隅で、保倉の道場にいた時のことを思い出しもした。普通に強いということが時と場合よっては必要なのだ、と。
八神は、急に逃げとも捉えられる受けに徹した慎太郎を見て、「この程度が実力なのか」と唸った。
将来を見込まれたのであろうが、この私に押されている程度で師範とは。
そう腹の中で舌打ちしながら、攻撃の手を強めた。打ち負かして身の程を分からせてやろうというくらいの気持ちだったのだ。
刀身がぶつかり合い、激しい音を立てながら弾き合う。その反動で間合いを取った二人は、しばらく睨み合った。試合を見守る門弟らは固唾をのんだ。
「おぬし、そこまでか」
八神が問えば、慎太郎はわずかに視線をそらす。八神は眉根を寄せた。
そこへ、いつのまにかフラリとやって来て、頑として基本の型を崩さぬ慎太郎を呆気に取られながら見ている人物がいた。実之である。
「慎太郎殿!」
実之はたまりかねて声を上げた。一同はいっせいに実之へ向いた。
「表へ出られよ!」




