第89話 死後の世界に期待して
死後の世界。
どんな世界なのかと考えたことはある。天国なのか、地獄なのか。はたまた想像もできないような世界なのか。
いずれにせよ、もうすぐ経験することになるだろう。わたしからこんなことを願うのはおこがましいのだけど、どうかあまり苦しまなくてもいい世界でありますように。
「ん……」
映る世界は、なんだか見知った天井だった。
どこで見た天井だっけ? ああそうだ。屋根裏部屋だ。居候させてもらっているヨランダさんから借りている部屋の天井に似ているんだ。
死後の世界……。なんか思っていたのと違う。それともわたしの記憶から世界が構成されているとか? 正しく伝えられる人なんていやしないからどんな可能性もあり得た。
まさか、また転生したとかじゃないよね……? ゾッとする考えに青ざめる思いだ。
ぼーっとしていた頭が冴えてくるに比例して、現実感が戻ってくる。それを確かめようと慌てて飛び起きた。
「エル! 目が覚めたのか!?」
するとすぐ近くから男の子の大声が鼓膜を震わせる。起きたばかりだからか頭がクラクラした。
見れば傍にいたのはハドリーだった。この顔は見間違えようがない。すごく久しぶりに顔を見た気がする。
そんな見知った顔が、くしゃりと歪んだ。
「バカ野郎……心配させんなよな……」
ハドリーの目から大粒の涙が零れる。それを見られまいとしたのか、彼はわたしの胸へと顔を埋めた。
ど、どういうことだ? 困惑しながらも、嗚咽を漏らすハドリーの背中を摩った。
とにかく状況を整理しよう。
魔王が復活したからみんなで戦った。その魔王と相打ちする形でわたしは死んだ、はずだ……。
なのにわたしは生きている? ハドリーのぬくもりは夢でも幻でもない。これは現実なのだと突きつけられていた。わたしは生きていた。生きてしまっていた……。
なんで……!? わたしが作った剣には二年間コツコツと魔力を溜めていたっていうのに。あれだけ魔力を内包された剣、暴走させれば痛みすら感じられず周囲を塵に変えてしまえるほどの爆発を起こせるはずだった。そういう風に作り上げたはずだったのに……!
考えれば考えるほど、頭の中が混乱で埋めつくされる。
死ぬための希望は不発に終わった。あれですべてが終わったと思った。
終わらなかったという絶望が胸に広がろうとする。でも、胸に広がっているのは湿っぽい何かで……。その何かはずびびっと鼻をすすった。
「エル……。このバカ……、お前三日も目を覚まさなかったんだぞ」
「え、嘘」
「嘘じゃねえって。あれから大変だったんだからなっ」
むしろ眠っていたのは三日間だけだったのか。そのまま永眠すればよかったのにね。なんてことは、目の前の男の子の前では言えそうにない。
わたしは生きている。それが事実で、受け止めなければならないことだった。
そう思うのはハドリーの無事を確かめられた安ど感が大きい。彼のことだけは心残りだったから。
「ったく、心配かけさせやがって。俺はまだエルに魔法を教えてもらわなきゃいけないんだからな。早く元気になれよ。また魔法の特訓しなきゃいけないだろ」
うろたえる姿を目の前の男の子に見せてはならない。こんなわたしの意地が、動揺するなと訴えてきた。
子供の前でくらい、ちゃんとしなきゃだろ。
「ハドリー。わたしが眠っている間に何があったか教えてくれる?」
「……うん、わかった」
ハドリーはあの夜のことを教えてくれた。
自分が監禁されていたこと。脱出した時には町の人達は避難していたこと。わたしが知らない女の人に運ばれてきたこと。サイラス達が魔物の群れと戦っていたのを知ったこと。ヨランダさんといっしょにわたしを看病してくれていたこと。聖女様が町に訪れたこと。
その都度聞きたいことがあったけど、黙ってハドリーの言葉に耳を傾けた。
つっかえながら、ところどころ話が飛んでしまっていると感じた。でも、未だ涙を溜めたまま懸命に話をしてくれる彼を止めたくはなかった。
ようやく話が終わって、ハドリーはまたずびびと鼻をすすった。
「あっ! ヨランダさんにエルが目を覚ましたって伝えないと!」
これから質問タイムかと思いきや、そう大声で言ってハドリーは部屋を出て行ってしまった。
残ったのはぼけっと間抜け面をしているであろうわたしだけ。遠くからドタバタ聞こえるなぁなんて、まだ寝惚けているのかって感想を抱く。
気になることはたくさんある。聞かなきゃならないことがたくさんある。
それらを冷静に整理できるように。今はそういう時間だと思うことにした。
「おっ、眠り姫がお目覚めのようだ」
「は?」
ドアの先にいたのは、戻ってきたハドリーじゃなかった。
男の声。明らかにヨランダさんでもなく、ましてやサイラスやマーセルでもない。まったく知らない人物だ。
その男は無遠慮に部屋へと入ってきた。つかつかとわたしがいるベッドの傍まで近づく。
キラキラした銀髪が肩先まで流れている。誰もが目を見張るような美貌。顔だけなら女性と見間違えそうなほどだ。しかし、高い身長と服の上からでもわかる引き締まった体つきが男だと主張してくる。
「だ、誰!?」
男が目の前まできたところで、やっと声が出せた。いつもながら自分のとろさに舌打ちしたくなる。
「誰……か。話をするためにはまず名乗らなければならない、それは貴様が正しいと認めよう。ただし、耳に入れるからには逃げられると思うなよ?」
男は鬱陶しそうに、自分の綺麗な銀髪をぞんざいに手で払った。そんな仕草一つでも威圧感が込められている気がした。
「俺様の名はルーク・ウォーレン。当代の聖女、と言えばこの出会いの重大さがわかるかな?」




