第79話 魔王が現れた
ヒュン、と音が聞こえた気がした。
次の瞬間にはマーセルが大きく後ろへと飛びのいていた。そこでようやくわたしの頭は状況を認識しようと動く。遅すぎる。
「ぐあ……っ。この野郎っ」
怒号……にしては迫力不足だった。マーセルの方を思わず見てしまう。
「なっ!?」
マーセルの胸に穴が空いていた。体もわたしと同じようにやっと認識したのか、今になってごぷりと血が流れ始める。
マーセルが崩れ落ちる前にわたしは駆け寄っていた。考える前に体が動いていた。
「ちょっと痛いけど我慢しろよ!」
やられたのは今さっき。なら、まだ間に合う。
わたしの治癒魔法はかなりの腕だ。体の一部を失ったとしても、直後であればなんとかできる。できるようにこれまでがんばってきた。
体ってのは案外記憶力のいいものである。その記憶を再現するようにマーセルの空いた胸を埋めてやった。もってきたポーションをぶっかけてやれば治るだろう。あとは自然治癒力に任せた。
「す、すげぇ……。体に穴空けられたってのにすぐ治っちまった。なんて治癒魔法だ……」
『黒蠍』の一人から賞賛のお言葉。感心してくれるのはちょっとだけ嬉しいけれども。今はそれどころでもないはずだ。
棺桶の方、マーセルが近寄った魔王のいる棺桶に顔を向ける。まるで待ってくれていたみたいにゆらりと立ち上がる。
誰が立ち上がったかって? もちろん魔王だ。魔王以外にマーセルを攻撃した奴なんていやしない。
長い黒髪がだらりと垂れている。青白い肌に、脱力しているのか腕もだらりとしている。生気を感じさせないくせに髪の毛だけは艶々してやがる。
魔王は目だけを動かして辺りをうかがっているようだった。死んだような目をしている魔王がわたしを捉える。脅かされたわけでもないのに体が跳ねる。
ビビるなわたし! 自分に活を入れて睨み返す。
しかし魔王はわたしに構わずまた視線を動かした。見えていない……わけじゃないはずだ。敵意はないのか?
だけどマーセルは攻撃を受けている。それも胸に穴を空けられたのだ。とても敵意がないとは思えない。
「あ」
『黒蠍』の一人が音もなく魔王の背後を取った。
短剣を魔王の喉へと走らせる。まさに暗殺者のような早業であった。
しかし魔王には届かない。なぜなら背中に目がついているのかと疑いたくなるほど正確に自身に迫る短剣を掴んだのである。
そして、次の瞬間には攻撃した男は真っ二つにされ、その身を左右で分けられてしまったのだ。
「うあ、うわあああああああっ!!」
「なんだ今の!? 見えなかった……一体何をされちまったんだよぉぉぉぉ!?」
恐慌状態に陥る。不気味な存在。いや、魔王の強さに恐れないはずがない。それがBランク冒険者パーティーでも例外ではない。
血しぶきが上がり青白い顔に鮮血が降りかかる。凄絶な所業をしておきながら、魔王はなんの感情も表情に出さない。それがより一層恐怖心を煽り立てる。
「テメェら、落ち着きやがれ……」
リーダーのマーセルの言葉だろうが、こんな力のない声では届くはずもない。胸の穴を塞いだばかりだってのに、しゃべるだけでもつらいはずだ。それなのにみんなを冷静にさせようにと声を上げる。
だから、落ち着かなきゃいけないのはわたしだ。
もう現実から目を逸らすわけにはいかない。やらかしてしまったことから逃げ出してはいけない。
魔王が復活した。まずはその事実を受け入れなければならない。それを自分がやらかしてしまったことを受け止めなければならない。
なら、わたしはこれから何をすればいい? そんなことは決まり切っていた。
「うわあああああああああああああーーっ!!」
「待っ――」
わずかな思考、わたしの覚悟が決まる前に『黒蠍』の一人が恐慌状態のまま魔王に向かっていく。
剣を振り上げる。その動きは熟練の冒険者とは思えないほど単調に過ぎた。
何かが破裂したような音が響く。瞬きする間に、突っ込んだ男の背中から手が生えていた。その手に握られているもの……心臓だった。
「な、なんで……」
目の前で起った事態はわたしの理解の範疇を超えていた。
未だ拍動する剥き出しになった心臓が光を帯びる。何が起こったのかもわからず目を見開いてしまう。
心臓だけじゃない。男の体そのものも光に包まれる。徐々に肉体は光に溶けて消えていく。最後に魔王の手の中に残ったのは綺麗な結晶だった。
「ハッ……そういうことかよ……」
理解のできない事態に固まってしまう。ただ一人、マーセルだけは何が起こったのかわかったみたいに吐き捨てる。
このままここにいたら全員やられてしまうだけだ。だからって魔王を外に出すわけにはいかない。
とにかく、一刻も早くこのことを伝えなければならない。魔王が復活したと、誰かに伝えないと、きっと被害が広がる。
「マーセル、動けるか?」
「残念だが、戦力にはならねえぜ……」
「そこまでは期待してないよ。治療したわたしがわからないはずないでしょうが」
あくまで傷を埋めただけだ。元通りになるためには時間をかけなければならない。むしろ気を失っていないのが不思議なくらいである。熟練冒険者の意地ってやつか。
「……マーセル、お前らはここから脱出して町に帰れ。そしてこのことを伝えるんだ」
「ケケケ……それができりゃあ苦労しねえぜ」
「できるようにするんだよ」
わたしはマーセルを残った『黒蠍』のメンバーに預けた。フラフラしている時間はないぞ。町に帰るまでは倒れてくれるな。
背中は冷や汗でびっしょりだ。声は震えそうになるけど、今は気合を入れなければならない。不安なんか見せたくもない。
「魔王は、わたしが相手をする」
人を殺した魔王の表情は変わらない。そんな相手の前にいるのは怖くてしょうがなかった。
でも、そんな魔王を外に出してしまうのは世界の危機に他ならない。できればここで食い止めなければならなかった。
「……本当に悪い」
「今さらすぎるだろうがバカ野郎」
マーセル達はこの場から全力で立ち去った。奴らの背中を守るために、わたしは魔王に立ちはだかった。




