第41話:普通のデート
――二泊三日お泊りコースの二日目。
日頃は部屋でダラダラ過ごす俺たちだが、その日は久しぶりに外出していた。
それも訪れたのは――
――パオーン!!
「見て見て!! 象がいる!! 象!!」
柵に両手を置いて、象を見上げる光が興奮した様子で言う。
そう、今日やってきたのは動物園。
これまでの外出は大体、PCショップに行ったり、ゲーセンに行ったり、PCショップに行ったりとオタク傾向が強かった。
どうして今日は急にそんな普通な選択をしたのかと問われれば、それは昨日の就寝前にまで遡る。
光とのコミュニケーションで新たなインスピレーションを得た俺は、多数の新イベントを生み出すことができた。
それでも、ノルマの百個にはまだまだ遠く及んでいない。
そこで、久しぶりにネット友達の樹木さんに助言を求めたところ――
『そういうアイディアは、普段見過ごしてきた日常に転がっているもんだ』
……と、ありがたいアドバイスを頂戴した。
そこで光に、『明日は普通にデートしてみないか』と提案した。
二つ返事で了承してくれた彼女が、『だったら、動物園に行きたい!』と言って今に至る。
「うわぁ……! おっきぃ……!」
まるで子供のようにキラキラとした憧憬の眼差しで、象を見上げている光。
確かにこういう巨大生物にはロマンがある。
騎乗してオープンワールドを駆け巡り、敵の拠点を蹂躙したくなるようなロマンが。
「象、好きなんだ」
「うん、背中に乗ってフィールドを大暴れしたくなるよね」
光も随分と染まってきたなと感慨深い気持ちになる。
「じゃあ、乗れはしないけどツーショット写真撮ってあげようか?」
「いいの?」
「もちろん、ほらそこに立って」
スマホを構えて、画面の中に笑顔でピースしている光と象を捉える。
本当に穏やかで普通なデート。
土曜日ということもあって、周囲は家族連れとカップルでいっぱいだ。
俺達もきっと、そんな日常の一部に溶け込んでいるんだろう……と考えるのは、“朝日光“の影響力を過小評価しすぎてしまっていた。
「あ、あの……! 朝日光さんですよね……!?」
象との写真を取り終えた直後に、女性の二人組がそう言って声をかけてきた。
年齢は同年代くらいで、友達同士で遊びに来ているような雰囲気。
そういえば何かイベントがあると入口で告知されていたなと思い出す。
「はい、そうですけど」
「ほら、絶対そうだって言ったじゃん!」
「うそっ! 本物!? 顔もスタイル良すぎ! めっちゃかわいい~!」
目の前にいるのが本物の朝日光だと分かると、彼女たちが俄に騒ぎ始めた。
「あの~? 私に何かご用ですか?」
「あっ、ごめんなさい! 私たち、朝日さんのファンなんです!」
「えっ? 本当ですか!?」
「はい! Tiktakもミンスタもフォローしてます! 後、この前の表紙になったナナティーンと庭球マガジンも買いました!」
「私は三冊! 三冊買いました! 読む用と保存用と布教用に!」
「わぁ~! ありがとうございます! すっごいうれし~!」
いきなり現れたファンとの交流を綽々とこなしていく光。
ただ、二人の興奮に釣られて周囲の人達も何かあるのかと気にし始めている。
あまり騒ぎが波及するようだと、他のお客さんや園の迷惑にもなりかねない。
もしそうなれば、少し無理やりでもこの場から連れ出さないといけなくなるかもしれないと事態を見守る。
「あの、良かったら一緒に写真とってもらってもいいですか?」
「あっ、私も! お願いします!」
「はい、もちろん!」
そんな流れで、各々のスマホを使ってツーショットの写真が撮られていく。
SNSに上げても大丈夫ですかと問われたのにも、二つ返事でOKしていた。
プライベートだというのに、嫌そうなところを一切見せない神ファンサ。
最後には握手もして、彼女たちは何度も感謝の言葉を述べながら去っていった。
「驚いたぁ……まさか、あんな風に声かけられるなんて思ってなかった……」
口に手を当てて、光が素直な驚きを口にする。
「その割には結構冷静な対処が出来てたように見えたけど」
「うん、いつ声をかけられてもいいように予行練習はしといたから」
冗談なのか本気なのか分からない言葉に、笑って返答する。
「でも、ごめんね。デート中なのに」
「俺はいいけど……目立たないように、変装とかしてきた方が良かったんじゃない?」
「まさか~……そこまではしなくても大丈夫でしょ。すごい人だかりが出来て、一歩も動けなくなるくらいになったら流石に考えるけど」
「でも、すっかり忘れてたけど光って有名人だし……こう、男と居るところを見られたりするのも、本当はあんまりよくないんじゃないの?」
「別にアイドルでもないんだから大丈夫大丈夫! さっきの子たちも全然気にしてなかったし」
それは多分、まさか俺が彼氏だなんて思わなかっただけじゃないかな……。
と、自分の口から自分を卑下するようなことは言えなかった。
そして、光の楽観的な言動とは裏腹に、これがほんの序の口だったことも思い知らされる。
「あの……朝日光さんですよね!? 私もテニスやってるんですけど、ジュニアの時からファンでした!! 握手してください!!」
「わぁ~! 本物の光ちゃんだ~!!」
「親子揃ってファンなんです! 良かったらサイン貰えますか!?」
「え? 何? 有名人いるの? どこどこ?」
あの二人を皮切りに、次々と声をかけられはじめた。
入園してから二時間も経たない内に、その数は何と十組にまで至る。
普通のデートのはずが、一転して大イベントに……。
「業界最大手誌の表紙はやっぱりすごいんだな~……」
一通りのファン対応を終えた光が感慨深げに言う。
確かに、半数以上が表紙を担当したナナティーンの話をしていた。
「すごいね……確か、反響も良かったんだっけ?」
「うん、出版社の人からは是非またやって欲しいって言われたし……SNSのフォロワーも一週間で倍くらいに増えたみたい」
「倍ってことは……今、60万人くらい?」
「確か、そのくらいだったかなー……普段あんまり気にしてないからしばらく見てないけど、もしかしたら今はもっと増えてるかも」
何気なく言ってるけれど、久しぶりにその凄さを思い知らされた。
これからプロデビューして、更に多くのメディアに取り上げられるようにもなれば、その数字は加速度的に増えて行くんだろう。
『でも、君が本当に大変なのはここからよ?』
あの時、光のお母さんから言われた言葉を改めて強く実感する。
朝日光の側にいるだけのことの難しさ。
彼女が彼女である限りは、普通のデートなんて今後はもっと難しくなっていく。
「ところで……そんな人気者の隣にいる俺は、一体何者だと思われてたんだろう」
そんな弱気が、つい言葉になって漏れ出てしまう。
「ん~……普通に彼氏じゃないの? 男女二人で動物園だし」
「にしては反応が薄くなかった?」
「そりゃあ私のファンだからね。みんな、マナーが良いからプライベートには触れないでくれたんでしょ」
光としてはフォローしているつもりもなく、事実としてそう思ってるんだろう。
だからこそ、久しぶりに少し効いてしまった……。
外形的には、俺達の間には依然として大きな隔たりがあるのだと。
「それより向こうで動物ふれあい体験できるんだって! 行こ行こ! 私、カピバラにエサあげてみたい!!」
そんな俺の感情を知ってか知らずか、手を強く握って引っ張られる。
まあ、分かりきっていたことを今更気にしすぎても仕方ないよな……。
気を取り直して、今日を楽しむことだけを考えようとしたところで――
「……ん?」
少し離れた自販機の陰に、あるものを見つけて足が止まる。
「どうしたの?」
「いや、あそこにいる子……どうしたんだろうって……」
植え込みの縁に座り込んで、一人でしょんぼりとしている子供がいた。
よそ行きの小洒落た服に身を包んだ、小学校低学年くらいの女の子。
「ほんとだ……迷子かな……?」
「もしくは一緒に来た友達と喧嘩したとか……?」
「どっちにしても放ってはおけないよね。私、ちょっと声かけてくる」
光が手を離して、迷いもせずに女の子の方へと駆け寄っていく。
「ねぇ、どうしたの? お父さんかお母さんとはぐれちゃった?」
そのまましゃがんで、女の子に目線を合わせて優しく話しかけた。
どんな人間にだって心を開かせるような慈愛に満ちた柔らかい笑顔。
しかし、女の子は目線を上げて光の顔を一瞥すると、すぐにまた顔を伏せてしまった。
それからも光が何度も話しかけてみたが、心を閉ざしているのか全く反応がない。
困ったように、『どうしよう』とこっちを見られる。
見た感じ、迷子であるのはほぼ間違いない。
ただ係の人のところに連れていこうにも、とりあえず最低限のコミュニケーションを取れないことには難しい。
どうしたもんかと、とりあえず光に倣って優しめに声をかけてみる。
「君、ここには一人で来たの?」
女の子がさっきと同じように顔を上げ、俺の顔を一瞥すると――
「んーん……」
と、喉を鳴らすような声を出しながらふるふると首を左右に振ってくれた。
「じゃあ、お母さんかお父さんと来たの? それともお友達? どこにいるか分かる?」
一転して素直に応じてくれた女の子に、また光が声をかける。
今すぐ保母さんになっても通じそうな優しい問いかけ。
しかし、彼女は光をまたチラ見しただけですぐに俺の方へと向き直った。
今度は少し戸惑うような溜めの後に、『黎也くんの番』と目配せしてくる。
「い、一緒に来た人が今どこにいるか分かる……?」
試しに同じことを、もう一度俺の口から尋ねてみると――
「……わかんない」
彼女はこれまた素直に答えてくれる。
でも隣では光が、この世で最も腑に落ちない表情を浮かべていた。
次回は水曜日の18時に更新予定です。





