第135話:プチ同棲 その8
「……するの?」
その言葉に頭の中で――
理性と本能。
するとしない。
――が、超高速で交錯を繰り返す。
「で、でも……約束が……」
微かに残った理性が何とかその言葉を紡ぐ。
そう、あの時に約束したはずだ。
そういうことは、俺の準備がちゃんと終わってからするんだって。
けど、自分から押し倒しておいて今更何を言ってるんだと本能が訴えてくる。
「だって……黎也くん、つらそうだし……」
そう言いながら、光が俺の下半身の方をチラッと見る。
「それは……」
つらいかつらくないかで言えば、確かに辛い。
俺は悟りの境地に達した聖人でもなければ、やたら自制心の強いラブコメ主人公でもない。
脱童貞、恋人との初体験に対する欲求は健全な男子高校生相応にある。
でも、だからこそ自分で決めた約束の一つくらいは守らないといけないじゃないか。
「いいよ、私は……。約束も大事だけど、黎也くんがつらそうなのを見たくないもん……。それに……もう裸も見られちゃったし……」
その言葉に、あの時の光景が頭の中で蘇る。
脱衣所に立つ、何も纏わない光の肢体。
目の前にあるいくつかのボタンを解けば、この向こう側にそれがある。
それに触れられる。自分のものだけにできる。
残されたか細い理性を溶かすには、あまりにも魅力的な誘惑だった。
光の手が、下から俺の胸を支えるように添えられる。
その熱が、シャツ越しに心臓を直接鷲掴みするみたいに伝わってきた。
「本当に私は大丈夫だよ? 黎也くんがしたいなら……私も、したいし……」
潤んだ瞳が、俺の理性の防壁を次々と破壊していく。
手が意識とは関係なく、パジャマの第一ボタンへと伸びる。
いや、ダメだダメだ。
脳内に警鐘が鳴り響く。
ここで流されたら俺は、一生自分を許せないかもしれない。
あんなにかっこつけて、『待ってて欲しい』なんて言ったのに欲望に負けるのか。
でも、目の前の光はこんなにも愛おしい。
無防備に、俺を受け入れようとしてくれている。
その誘惑は、死にゲーの初見ボスよりも抗い難い。
指がボタンにかかる。
ほんの少し力を込めれば、もう引き返せなくなる。
「んっ……」
光が覚悟を決めたように、ギュッと目を瞑る。
いや、ダメだ。こんなのは単なる性欲の処理じゃないか。
俺は光を幸せにするために、かっこいい男になりたいんじゃなかったのか。
ここで約束を破ったら、俺は一生胸を張って光の隣にいられなくなる。
言え。言うんだ、俺。
今はまだ、その時じゃないって。
したい。しない。したい。しない。
相反する二つの感情が脳内で何度も衝突する。
「す……」
「……す?」
全身全霊の意志力を総動員して、喉の奥から絞り出したのは――
「す、すにゃい……!」
どちらつかずの謎の言葉だった。
しばしの沈黙が室内を包み込む。
「も~……雰囲気台無し~……!」
光がけらけらと声を上げて笑い出す。
「すにゃいって、何? するのかしないのか。それとも猫のモノマネ?」
「ご、ごめん……なんか、もういっぱいいっぱいで……」
「じゃあ、やっぱり今日は無しってことで」
「えっ!?」
「だって、もうそんなムードじゃないもん。私、ムードは大事にするタイプだから」
そう言って、光はベッドにゴロンと横になって背中を向けた。
そりゃそうだよな……。
初めてなら、女子的にはムードが何よりも大事だよな……。
でも、こっちは完全に臨戦態勢になってるんだけど。
ここでお預けは正直かなりつらい。
そんな感じで様々な情動が頭の中で激しくぶつかり合うが……。
「はい……わかりました……」
最終的には、素直に受け入れるしかなかった。
彼女に多い被さるようにしていた身体を退けて、元の位置へと戻る。
「うむ、素直でよろしい」
光は笑ってそう言うと、再び寝返りを打って俺の方へと向き直った。
「惜しいことしたって思ってる?」
「正直、かなり。せめて、ちょっと触るくらいはしとけばよかったって」
「あはは、素直だね~。でも、今から言ってもダメなものはダメだから。次のチャンスはちゃんと約束を果たしてくれた時! それまでエッチはお預けで~す。でも、ちゃんと約束を守れて偉いからそこは褒めてあげる。いい子いい子」
そう言って、光が右手で俺の頭をよしよしと軽く撫でてくれる。
そのさっきまでとは明らかに違うムードに、臨戦態勢だったモノも萎んでいく。
「でも、なんか改めて言われると動機が不純だなぁ……」
「あはは。そう言われたらそうかも。ゲームが成功したら初エッチなんてちょっと変だよね」
「変だけど……俺ららしいと言えばらしいのかも。初めて会った時からずっとゲームのことばっかりだったし」
「そうだね。バスで会って、ゲームの話で意気投合して……私がいきなり遊びに行きたいって。今思えばすごく強引な始まり方だったよね」
隣で光が遠い昔を懐かしむような声色で言う。
その言葉に、俺の脳裏にもあの時の光景が蘇る。
「うん、しかもゲーマーなら絶対に断れない頼み方をされてさ」
「あれ? あの時、私どんな言い方したっけ?」
「『恐縮だが君の家に~……』って」
「あー、そうだそうだ! そんなこと言った! 覚えてる!」
「で、初めて来たときに座ったこのベッドが今やもう定位置に」
「あはは。こうして、そこで寝ちゃってるもんね。不思議だよね~」
「ほんとに、あの時は光とこんな関係になるなんて思ってもなかった」
首を動かして横を見ると、目線と目線が1mmのズレもなくぴったり一致した。
思えば最初から光とは、こうして色んなタイミングが合うことが多かった。
だとしたら、こういう関係になるのも運命だったんじゃないだろうか。
そんな乙女チックな考えが少しだけ浮かぶ。
「んっ! 今、『良いムードだからこれはいけんじゃね?』って思ったでしょ!?」
「お、思ってない思ってない! 全く思ってないから!」
見透かされた思考を誤魔化すために首を素早く振る。
「も~……今日はダメって言ったらダメなんだからね!」
「だから、思ってな――」
「ところで、黎也くんのゲームって今はどのくらいまで完成してるの?」
「え?」
急な話題の方向転換に少し驚く。
「だから、黎也くんがお兄ちゃんたちと作ってるゲーム。後どのくらいで完成しそうなの?」
今はこれで我慢……とでも言うように身体を寄せて、半ば抱きつくようにお腹の上に手を置かれながら言われる。
もしや、俺よりも光の方がその時が来るのをよほど待ちわびてるんじゃ……なんて、考えが頭を過ぎった。
「どのくらい……元から基本的な部分は出来てたから今は肉付けしてる段階なんだけど70~80%くらいってところかな」
「へぇ~……じゃあ、もうほとんど出来てるんだ」
「まあ、ここからが大変なところも多いからもうすぐってわけじゃないけどね。バグ取りとか実際に通してプレイしてみて、しっくり来なかったらまた全体的に見直すからもしれにないって大樹さんも言ってたし」
「そうなんだ……」
その近いとも遠いとも言えない答えに、光が露骨にしょんぼりとする。
やっぱり、その時を待ちわびているのは俺だけじゃないらしい。
「あっ、でも販売サイトのページはそろそろ公開するって言ってたかな」
「それってStreamとかの?」
「そうそう。それに合わせてPVとかも公開するんだって。大樹さんたちの前作が人気だったからゲームメディアでも取り上げてくれるところは多いみたい」
「そうなんだぁ……それだけ盛り上げてくれると楽しみだね」
「うん、心配もあるけどやっぱり楽しみの方が大きいね」
最初は自分の作ったゲームが世に出るなんて不安で不安でしかたなかった。
けど、大樹さんたちと作り続けて、少しずつ自信も生まれてきた。
光との約束を置いても、今はそれを世の中に送り出す日が来るのが楽しみでしかたない。
「私も楽しみが一つ増えちゃった。ふぁ……いっぱい話してたら眠くなってきちゃった……」
言葉通りの眠気に襲われたのか、光が隣であくびをする。
「そろそろ寝ようか。明日も学校だし」
「うん……おやすみぃ……」
「おやすみ」
応えてから少しすると、光が安らかな寝息を立て始めた。
俺は彼女が眠りについたのを確認してから寝返りをうち、壁の方を向くと……。
ちゃんとしたいって言えばよかったぁぁぁ……!!
頭を抱えて、行き場を失ったリビドーを発散するように頭皮を掻き毟る。
悶々としてなかなか寝付けなかった俺は、まだ知る由もなかった。
光との約束が、自分が思っているよりも早く果たされることを。
新作を二作投稿したので良ければそちらも読んでみてください。
『Re:二度目の青春でやるべきたった一つのこと ~高校時代にタイムリープした俺は未来の知識で隠れた才能を持つ同級生たちをプロデュースする~』
https://book1.adouzi.eu.org/n2476lm/
『白河真白は清く気高く、そして淫らである』
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