第133話:プチ同棲 その5
「……どこまで進んだ?」
努めて冷静を装い、椅子に座って光に尋ねる。
動揺を悟られるわけにはいかない。
視線の先――ベッドの上に並べられた二つの枕の意味を俺はまだ測りかねていた。
「王都のボスを倒したところ!」
「もうそこまで? 流石に速いなぁ……」
「そりゃずっと我慢してたもん。今週中には絶対クリアする気だから」
コントローラーを握ったまま、画面に釘付けになっている光が笑う。
その無邪気な笑顔を見る限り、深い意味はないのかもしれない。
そう思う一方で、これは高度な心理戦の一環ではないのかという疑念も拭えない。
ここはまだ俺も“見”でいくべきだと椅子に座って画面を眺める。
そうして何かが起こるわけでもなく、時計の針が二十三時を指した頃――
「ん~……私もそろそろお風呂入ろうかな~」
コントローラーから手を離した光が、猫のように背筋を伸ばしながら言う。
画面の中では、光に圧殺されたボスが光の粒子となって消えている。
今日はここで切り上げるには、ちょうどよいタイミングだ。
「キリも良さそうだし入ってきたら?」
「うん、そうする~。じゃあ、今日はここまでっと……」
少し眠たげな口調の光がゲームをセーブし、本体の電源を落とす。
そのまま持ってきた荷物から着替えを取り出すと、風呂場へと歩いていった。
「これは……どういう意味なんだろう……」
一人になった部屋で、改めてベッドの上に並べられた枕を見て独り言つ。
普通に考えてみれば、『一緒に寝たい』ということだろう。
寝床を用意したと言って、こういう形を取ったのはそういうことだと分かる。
そして、男女が一緒の布団で寝るというのはつまり《《そういうこと》》でもある。
でも、《《そういうこと》》は俺の今作ってるゲームが成功して、将来のビジョンが見えるまでは待って欲しいと言って、光も納得してくれたはずだった。
「やっぱり……本心では納得しきれてないってことなのかな……」
だから、何とかして俺に前言を撤回させようとしているのかもしれない。
この一手もそのための攻撃の一つだと考えるべきだろう。
もちろん、俺だってしたい。
光となら今すぐにだってしたい。
けど、あの約束だけは絶対に破れない。
自己満足かもしれないけど、光との未来には万が一にも億が一にも『二人で笑っていられなくなるような未来の可能性』は作りたくない。
あの約束は俺も光を支えられるだけの男になりたいという覚悟そのものだ。
きっと、これから光は今までにない凄まじい攻撃を仕掛けてくるだろう。
それでも俺は、これからも光の側に堂々といるために耐えなければならない。
「……よし」
覚悟が決まったら、することはただ一つだった。
……今のうちに、俺の理性を飛ばす元凶を処理しておこう。
光がいる時に最悪だと思うけど、そうでもしないと正直絶対に無理だ。
だって、大好きな子と二人きりで一週間も同じ屋根の下で過ごすんだぞ!?
一日や二日ならともかく、一週間なんて健全な男子高校生が耐えられるわけないだろ!!
そんなのに耐えられるのは仏教の悟りを開いた人間か、少年誌のお色気漫画の主人公くらいだよ!!
だから、これは不可抗力であり、必要な防衛策だ!!
内心で言い訳をしながら間仕切りを開けて、トイレへと向かおうとした時だった。
「黎也くーん! 詰め替えのシャン――」
扉を開けて洗面所から半身を乗り出した光と至近で目が合う。
互いにとって、完璧な不意打ちだった。
本来なら間仕切りの向こうにいる俺に話しかけたつもりだったんだろう。
けれど俺は今、トイレに行こうと洗面所の扉の前を通り過ぎようしたところだった。
光の髪の毛は少し水で濡れている。
多分、髪を洗おうとしたところで俺が普段使っているシャンプーのボトルが空になりかけだったのに気づいたんだろう。
それで気を利かせて、中身を足しておこうと詰め替え用のパッケージがどこにあるのか聞こうとしたわけだ。
長々と心の声による御託は続いたが、つまるところ光は“裸”だった。
「プーって……どこに……~~~~ッ!!」
光が声にならない叫びを上げて、扉をものすごい勢いで閉める。
「ごめん!! ごめんごめんごめん!! ほんとにごめん!!」
同時に俺も、人間が出しうる最高速で扉に背を向けて謝罪の言葉を叫ぶ。
「わ、私こそごめん……まさかそこにいるとは思わなかったから……」
「い、いや俺の方こそ……光が入ってるのは知ってたのに……」
扉の向こうから聞こえてくる篭った声に返事をする。
互いの間に、気まずい静寂が流れる。
数秒か、あるいは数分か。
体感では永遠にも思える時間が過ぎた後、扉の向こうからまた聞こえてきたのは――
「……見た?」
核心を突く、あまりにもストレートな質問だった。
「み、見てない見てない! い、一瞬のことだったし! か、角度もほら……よ、横からだったし……」
即座に、全力で言い訳の言葉を述べる。
半分は本当だけど、半分は真っ赤な嘘だ。
網膜に焼き付いて剥がれない先刻の光の姿。
水滴が伝う鎖骨の窪みに、しっかりと濡れたうなじの艶やかさ。
そして、水着の時でも隠されていた女性らしさの象徴とも言える上下の双丘。
確かに大事な部分こそ見てないけど、光の“裸”は間違いなく見てしまっていた。
「ほんとにぃ……?」
「ほ、ほんとにほんとに! それとシャンプーの替えは洗面台の下にあるから! じゃ、俺は部屋に戻るからごゆっくり!!」
まくしたてるように告げて、逃げるように部屋へと戻る。
そのままベッドへと飛び込んで、頭から布団を被って枕に顔を埋める。
まずい、まずいまずいまずい。
最強の防御態勢に入るはずが、逆に大事故をおこしてしまった。
俺の内心で渦巻く煩悩は、人生で始めてエロに接した時よりも昂ってる。
理性を総動員させて冷静になろうと試みるが、焼き石に水で全く熱が冷めない。
流石に今からもうトイレにはいけない。
でも、どうする?
正直、今の状態で我慢できる気は微塵もしない。
いつもの寝る前のキス……いや、顔を見ただけで導火線を飛び越えて爆薬に火がつく。
仕方ない……こうなったら最終手段だ。
光には悪いけど、先に寝てしまうしかない。
バイトの疲れでウトウトしてたら眠ってしまった。
そう言い訳すれば、きっと許してくれるだろう。
先に寝てしまえば、流石の光も諦めてくれるはずだ。
そう思って、枕に顔を埋めて目を閉じるが――
全っ然、眠れる気がしない……!
目を閉じて意識をシャットダウンしようとすると、瞼の裏に先の光景が蘇る。
何度も想像したことはあるけど、本物の威力は絶大すぎた。
それでもどうにか意識をシャットダウンしようと懸命に頑張るが――
後ろからガタガタッと間仕切りが開く音が鳴ってしまった。
緊張で全身が強張る。
ゆっくりと近づいてきた足音が止まり、続けてギシッとベッドを揺らす。
そのまま何か躊躇するような様子もなく、俺の隣にバタッと倒れた。
布団の隙間から侵入してきたボディソープの甘い香りが、鼻腔を愛撫する。
自分の心臓の音と空調の音だけが聞こえる静寂の時間。
布団を被っているせいで、隣で光がどんな姿で何をしているのかは分からない。
ただ、今が本当に『その時』だとしたら覚悟を決めて俺の方から行くしかない。
そう思って生唾をゴクリと飲み込んだ瞬間――
「黎也くん、まだ起きてる?」
布団越しに光が話しかけてきた。
こっちを向いているのか、呼気が正面の布を微かに揺らす。
「お、起きてる……けど……」
狸寝入りを決め込むのも過ったが、どうせすぐにバレるだろうと素直に応える。
「じゃあさ……黎也くんに見て欲しいものがあるんだけど……」
「俺に、見て欲しいもの……?」
「うん、黎也くんに……黎也くんにだけ、見せていいもの……」
「俺にだけ……」
その響きに、再び生唾を飲み込む。
既に賽は投げられた。
この布団をめくれば、俺の知らない世界が待っている。
それが何であっても、もはや俺には受け入れるしか道はない。
布団を下ろしていくと、横たわった光の姿が頭から少しずつ見えていく。
絹のようにさらさらの髪の毛……次いで見慣れた最愛の顔。
至近で目と目が合う。
目は潤んでいて、ほのかに熱を帯びているように見える。
その柔らかい笑顔を通り過ぎて、更に視線を下へと落としていく。
室内灯の光を反射する艶やかな唇に、風呂上がりでほんのりと赤らんだ首元。
そして、更に視線を落として真っ白な胸元へと視線が吸い込まれる。
この先に、光が俺に見て欲しいもの……俺だけが見られ――
……ん? あれ?
想像していた光景はそこになく、光は普通にいつものパジャマを纏っていた。
おかしいな……と、目を擦ってもう一度見ても、やっぱり可愛い柄のパジャマだ。
「あの、光……見せたいものは……?」
あの流れからのこれは、間違いなくそれのはずだった。
でも、俺の思っていたそれは影も形もない。
いや、あるにはあるけどパジャマで隠れている。
困惑の渦に飲み込まれたまま、視線を一度光の顔の方へと戻すと――
「じゃーん! これ見て、これ! 本邦初公開! ワールドプレミアだよ!」
満面の笑みを浮かべた光が、仰々しい言葉と共にスマホの画面を見せてくる。
そこには、『世界が注目する次世代のスター! ライジングサン“朝日光”の本誌独占インタビュー!』と大袈裟な見出しが書かれていた。
新作を二作投稿したので良ければそちらも読んでみてください。
『Re:二度目の青春でやるべきたった一つのこと ~高校時代にタイムリープした俺は未来の知識で隠れた才能を持つ同級生たちをプロデュースする~』
https://book1.adouzi.eu.org/n2476lm/
『白河真白は清く気高く、そして淫らである』
https://book1.adouzi.eu.org/n2467lm/





