ジークハルトの遠征と失踪(9)
「彼は王室を憎んでいると言ってもいいだろう」
ラーシュは衝撃的な言葉を口にした後お茶を一口飲んだ。
お茶を入れてくれたメイドはとっくの昔に退室している。室内にいるのはベッドで座っているジークとその傍らに座っているラーシュだけだ。
「この領地は第七王子の管轄になってからずいぶんと楽になった。彼は無理な徴税をしないし領地の発展も考えてくれる。徴兵も最低限だが……我々は総力を挙げて彼と共に戦う覚悟はできている。重税にあえぐ近隣の領主も……ね。それにね、御旗として掲げるべきお方がいるんだ」
ラーシュは楽しそうに言った。
「御旗として……?第七王子の事ではなく?」
ジークの問いにラーシュははぐらかすような笑みを浮かべる。
「今はまだ時期ではない、時期ではないのだよ。でもその時期は絶対にやってくる。近い将来、我らがもう少し力をつけたら……」
夢見るようにラーシュは言う。壮年の酸いも甘いも嚙み分けたような男が浮かべる夢見るような表情はなぜか彼の雰囲気とぴったり合っていた。
「少し話が長くなってしまったかな。この後は栄養を取ってゆっくり休んでくれ」
少し疲れを感じていたジークは頷いた。
「ご配慮、感謝いたします」
「いやいや、感謝するには及ばんよ。私は見返りを期待している。今ではない、その時に」
この男の目的がようやく見えて来たジークは頷いた。
「必ずご恩返しは致しましょう」
その返事を聞いてラーシュは腰を上げる。部屋を出ていきながら一言言った。
「近日中にお迎えが来るだろう。今餌を撒いているからね」
ジークが「それはどういう——」と言いかけたところでラーシュは部屋を出ていってしまった。
次の日には更にジークの体調は回復した。食事も普通になり体の痣も薄くなってきた。ただ右足はひびが入っているので添木をして包帯を巻いている。歩けるようになるのはもう少し先になりそうだった。
体力が回復するにつれここがどこなのかジークは気になってきた。今は部屋からでさえ出ることはできない。目にした人物は中年の素朴なメイドと領主のラーシュだけだ。
しかしなんとなくこの建物はあまり大きくないような感じがした。いかに田舎といえど領主の住む屋敷にしては小さいような気がする。
ずっと世話をしてくれているメイドに聞いてみた。
「ここはご領主様の別宅ですだ。ご領主様は『隠れ家』なんて呼んでおられますけんど」
あっさりと教えてくれた。ついでにラーシュの家族についても聞いてみる。
「奥様と二人のご子息様は本宅に住んでらっしゃいますだ。奥様はほんにお綺麗でお優しいいい方ですだ。ご子息様たちもご立派にお育ちになられましてなあ」
メイドの様子からラーシュとその妻が仲睦まじい様子がうかがえた。僕のことはラーシュの家族は知っているのだろうか?そしてラーシュが昨日言っていた目的については?
ジークが考え事をしているとドアがノックされた。
メイドがドアを開けるとラーシュが立っていた。
午前中に来たことは今までなかったので少々意外だったがラーシュはどことなく忙しく感じられる歩調で部屋に入ってきた。
「明日王宮から視察が来るらしい」
開口一番ラーシュはそう告げた。
「視察に来た官吏は本宅に迎えるつもりだがこの前の魔獣の大群に関する調査らしいからこの辺りにもやってくるだろう」
そこでラーシュは一息ついた。
「私としては調査の入る山にこの領地の人間ではない者たちが多数うろついているのは歓迎できない。そこで彼らには早急にお帰り願おうと思う」
ジークは身を固くした。山でうろついている者たちというのはジークを捜索している竜騎士団の者たちであろう。ラーシュは彼らと事を構えるのだろうか……
「山をうろついている者たちは目的を達成すればここから出ていくだろう……というわけで今日の午後にでもここに訪問者が訪れるだろう」
「訪問者?」
「行商のおっさんか一夜の宿を求める旅人か……はたまたお役人に化けた男たちか吟遊詩人とかだったら面白いな。そうだったら一曲歌ってもらおう」
さっきの焦る雰囲気はどこへやらラーシュはニヤニヤと想像し始めたが、ジークの視線に気づいて顔を引き締めた。
「私は訪問者が来たら金髪に青い瞳のとても美しい青年を拾ったことを自慢するつもりだ。きっと彼らは会ってみたいと言うだろう」
うんうんと頷きジークを見て言った。
「すぐに着替えを用意させよう。それからね、私は明日の予定で忙しい。この屋敷は使用人も少ないから裏口なんか全く人気が無いんだ。この部屋から出て右手の階段を降りて更に右に行った厨房の奥だな」
「これまでのご厚意感謝いたします」
やっとラーシュの言いたいことがわかってジークが頭を下げるとラーシュはわざとらしく言った。
「私はジャンとか言う青年を拾って介護しただけだ。まあ恩は必ず返してもらうつもりでいるが……これから私は忙しくなるのでしばらく会うこともないだろう」
そう言ってジークをじっと見つめた。
「お元気で。あなたとここで知り合えたことは天の采配です。またお会いできる未来を信じて」
そう言って差し出した手をジークは固く握った。
「あなたもお元気で。このご恩は決して忘れません。また会えるその時までご武運をお祈りします」
ドアにノックの音がした。
「旦那様、王都の商会の方が取引をしたいと訪ねてこられましたが」
「今行くよ」
ラーシュはジークに頷くと部屋を出ていった。
ラーシュが応接室に入っていくと中にいた二人の人物が立ち上がって礼をした。
ラーシュは少し戸惑った。むくつけき男がやってくるとばかり思っていたが二人のうちの一人は女性だった。それもまだ少女といって良いような年齢に見える。
「突然の訪問にも関わらず面会の許可をいただきありがとうございます」
二人はもう一度頭を下げた。
「私どもは王都のブルックナー商会と申しまして珍しい書物を扱っております。そこで王国中のご領主様のお屋敷をまわり珍しい書物があれば買い取らせていただこうとこちらのお屋敷にも参りました。いかがでございましょう、こちらのお屋敷にある書物を調べさせてはいただけないでしょうか?」
(うん、悪くない手だ)とラーシュは考えた。書物を調べるとなれば屋敷の中、書庫や書斎まで入り込むことができる。そこで隙をみて彼の部屋を探るつもりだろう。
そう思いながらもラーシュは目の前の少女に疑問を感じていた。彼は竜騎士団と共にこの国に来たはずだ。この少女は誰だろう?もう一人の男はいかにも騎士と言った体つきをしているので彼の仲間に間違いは無いと思うのだが……
「わかりました。この屋敷の書庫は二階にあるので案内しましょう。珍しい本があったら高く買い取ってくれるのですな?」
おどけたように言ってラーシュは二人を二階に案内した。
案内しながらヒントをばらまく。
「ああ、そうそう。先日我が家に見目麗しい青年が担ぎ込まれてきたのですよ。ここから東南の山中の河原で大怪我をして倒れていたようでね。その彼が養生しているのでお静かに願いますよ」
ラーシュの言葉に少女がピクリと反応した。壮年の男の方は見事に隠していたが。
「もちろん静かに作業させていただきます。ちなみに怪我をされた方のお部屋というのは?」
「突き当りの部屋です」
「わかりました。そちらには近づかないようにいたしましょう」
ラーシュは微笑んで「くれぐれもお願いしますよ」と言った。
心の中で(彼のことを)と付け加えながら。




