密談(3)
『オリヴェルト・ヴァイス・リードヴァルム』
それは亡霊の名だ。リードヴァルム王国は三十年も昔に滅びた。王族は全て殺され竜神の血統を守る者はヴェルヴァルム王国の王族だけになった……筈だった。
その功績を認められ現在のトシュタイン王国の国王は王太子になった筈だ。
「信じられない……生きて……おられたのですか……」
アルブレヒトの呟きと共にルードルフも言葉を発した。
「今までどうやって……ラーシュ殿に匿われていたのですか?」
その男、オリヴェルトと呼ぶべきかグラートと呼ぶべきか、は苦笑した。
「リードヴァルム王国を亡ぼされてからの私の半生を語ったらこの会談はそれだけで終わってしまう、それはまたの機会に。色々あってひょんなことからラーシュに助けられたのですよ。ラーシュの奥方はやはりラーシュの父上に助けられていた私の乳兄弟でね。トシュタイン王国の王族の非道さを間近に見て虐げられている人たちを見て、私は両親の仇を討つことを決心したというわけです」
髪色が黒から銀色になって眼鏡を外しただけでこうも雰囲気が違うものか……とルードルフは思った。
謁見室で見たグラート・カルドッチという人物は怜悧な刃物のような印象を受けた。ニコリともせず酷薄な印象だった。
でも今目の前にいる男はソフトな物言いと微笑のせいもあって酷薄な感じは受けない。非常に整った顔立ちは理知的な静謐な印象を与える。ただ纏うオーラは変わらない。いや増しただろうか?
だからこそ誰も彼がオリヴェルト・ヴァイス・リードヴァルムではないなどと疑う者はいなかった。
「あなたはリードヴァルム王国の再興を考えておられるのですか?」
ジークが掠れた声で聞いた。あまりの驚きで喉がカラカラらしくしきりに唾を飲み込んでいた。
店の者を呼んでお茶を入れ替えてもらおうかとルードルフは考えたがドアの外がどうなっているかわからない。先ほどの物が壊れるような音や何かがぶつかるような音は目の前の男のせいだろう。いったい何をしたのだろうか?
「とりあえず座りませんか?」
オリヴェルトの提案で一同は我に返り元の席に戻った。
呆気にとられていたので皆立ったままであったしフーベルトゥス騎士団長は抜刀したままであった。
「オリヴェルト……殿下」
「あ、私のことは暫くはグラートとお呼びください。咄嗟に呼び間違えられても困りますから。それから殿下ではありません。リードヴァルム王国は滅びました」
やんわりとオリヴェルトはルードルフの呼びかけを訂正した。
「先ほどのジークハルト殿下の問いかけですが……私は、私を支えてくれている人たちはそのつもりでいます。今私はグラート・カルドッチという人物に扮して王宮に出仕しています。国王の信頼を得て王宮内部を探っていますがクーデターの際には本当の名前で軍を起こすつもりです」
オリヴェルトに続きラーシュも口を開いた。
「もちろん人柄やカリスマ性もありますが彼が『オリヴェルト・ヴァイス・リードヴァルム』であるということも私たちにとっては大きいのですよ。私たちのように旧ゲレオン王国や旧ルセック王国、旧リードヴァルム王国の者たち、トシュタイン王国でも地方の人々には竜神信仰は根強く残っているのです。トシュタインという名前は私たちにとって忌むべき名前です。是非ともリードヴァルム王国を再興したいと考えています」
「ああ!私はこの会談に参加できたことを竜神様に感謝する!!」
アルブレヒトは感極まってオリヴェルトの手をがっしと握った。
「必ずや来る戦いに勝利しましょう!非道なトシュタイン王国などというものはこの大陸から抹殺しリードヴァルム王国とヴェルヴァルム王国、手を携えて民を幸福に導きましょう!」
アルブレヒト伯父上は大袈裟だと思ったがジークも同じ思いだったのでジークもオリヴェルトと固い握手を交わした。
その後はこれからどうやって連絡を取り合うかとかオリヴェルト陣営の規模や味方の名前等実質的な打ち合わせをし密談は終了となった。
「しかしオリヴェルト殿、いやグラート殿は国王か第一王子の陣営でエリオ殿下の見張り役だと思っていました」
最後にルードルフがそう告げるとオリヴェルトはしれっと言った。
「そうですよ。私は国王の手の者で今回の任務はエリオの監視です。……と思わせているだけですが。実は今回の訪問も私の進言によるものです。真の目的は私たちが貴方方と繋ぎを取りたかったからですが、国王には来年の戦に備えてヴェルヴァルム王国の貴族で寝返りそうな者を見繕うべきだと進言しました。なのでここにいる者以外のトシュタイン王国からの一行の者たちは必死にこの国の貴族に取り入ろうと動いているはずです。彼らにも監視はつけているのでしょう?」
「もちろんです」
ルードルフの返事を聞いてオリヴェルトはにっこり笑った。
そのまま部屋を出ようとしてラーシュに「髪の毛!」と言われ慌ててかつらを被る。上手く装着できなくてラーシュに手伝ってもらっていた。
かつらを被り眼鏡を掛けるとオリヴェルトはまた酷薄そうなグラート・カルドッチに戻った。
一歩部屋を出るとそこは惨憺たるありさまだった。
部屋の中を竜巻が吹き荒れたように様々な物が粉々になっている。騎士たちは部屋の隅に一塊になってグルグルに縛られていた。
部屋は凄い有様だが騎士たちは軽傷は負っているものの大きな傷は見当たらない。
「いったいどうやったんだ?」
フーベルトゥス騎士団長が呟くとオリヴェルトはすまなそうに言った。
「面倒だったんで竜巻を起こしたんだ。この部屋だけ……」
「「「竜巻を!?」」」
「私は魔術を習っていないので魔術は使えない。でも幸いなことに魔力量だけは多いので魔力を放出して風を起こしたり何かにぶつけたりすることはできるんだ」
「私が張った障壁も?」
ルードルフが訊ねる。
「ああ、魔力をぶつけて壊した」
どれだけ大きな魔力を持っているんだ……ヴェルヴァルム王国の者たちは度肝を抜かれていた。単純な魔力の放出でここまでのことができるとは……
ジークはヴィヴィのことを思い出していた。ここまでの規模ではないにしろ単純な魔力の放出で蜂を追い払ったヴィヴィ。そんなことができるのは彼女だけだと思っていたが……
「オリバー……お前無茶苦茶すぎるだろ」
ラーシュの呟きをルードルフの耳が捕えた。
オリバーというのはオリヴェルトの愛称だろうか。しかしそれは長年ルードルフが追っていた男の名だ。調査員を派遣し、足取りを追っていても謎が深まるばかりの男の名だ。
ルードルフは改めてオリヴェルトを見た。
彼は長年追っていた男なのだろうか?ヴィヴィは光の加減によっては銀に見えるようなプラチナブロンドだった。顔立ちは?ヴィヴィはマリアレーテ王女によく似ているがこの男とも似ているだろうか?
「グラート殿……」
呼びかけようとした時には彼は外へ出てしまっていた。
一歩外へ出たら彼とは敵対関係のふりをしなくてはならない。ここでの密談は極秘事項だ。話すのは国王陛下とゴルトベルグ公爵のみ。しばらくはマリアレーテ王女やヴィヴィにも秘密にすることになっている。
これから一年かけてトシュタイン王国の第一王子を迎え撃つ戦の準備をするので関係者には段階的に情報を開示していくことになるだろうがその見極めは慎重にしなくてはならない。
ヴィヴィやマリアレーテ王女に関しては戦などという血生臭いことからなるべく遠ざけておきたいという配慮だった。
しかし今ここで沸き上がった疑問はヴィヴィやマリアレーテ王女に直接関与する事柄だ。
ルードルフは珍しく迷った。
迷った末にもう少し様子を見ることに決めた。
夜会でマリアレーテ王女とオリヴェルトは顔を合わすだろう。その時の様子を見て態度を決めてもよいだろう。
ジークもルードルフと同じような疑問を抱いていた。
しかしそんな偶然があるだろうか?亡国とは言え一国の王子と攫われた王女が偶然出会って平民として夫婦になるなど……
でもヴィヴィのあの無茶苦茶ともいえる魔力量はそれなら納得がいくのだ。それにもう一つ。契約者でもないのに竜はヴィヴィを背に乗せる。
遠い昔、竜神がこの大陸を平定し国を築いた。その竜神の二人の息子、兄の血を引くリードヴァルム王国の王子と弟の血を引くヴェルヴァルム王国の王女、その二人の子供であるからこそヴィヴィは竜に受け入れられているのではないか?
帰りの馬車の中、ルードルフとジークは物思いに沈んでいた。




