第90話 絶対に
「土と木は知っていたが、岩までとは……」
岩で構成された触手はどんどんとその長さと数を増やしていく。一本の直径が10m程ある影響で空からは全く地面が見えなくなっていた。
「ねぇ……アレも砕ける?」
「一本や二本なら何とか。だがそれ以上は厳しいな」
『ごめんね。恨みは無いけど……ここで死んで!!』
大地から声が響き渡ると同時に触手が2人へ向けて伸びる。
ホルスは空中で身を躱しそれらを避けるが、うねる触手はその数を活かして徐々に2人へと迫っていく。
「……ホルス、私を降ろして」
「何を言っている? あの中に行けばどうなるか位……」
「分かってる。でも2人で固まってたらガイアを探す暇も無いし、ホルスも存分に飛べないでしょ?
大丈夫、私も瞬間移動出来るんだからそう簡単には潰されないよ」
「……」
「ホルス?」
「いや、分かった。現状それしか無いようだな」
その返答を聞いてアフロはすぐに弓を構え、岩の触手が生えている箇所から少し離れた場所に狙いを定める。
アフロが弦から指を離そうとした時、ホルスは口を開いた。
「約束しろ、絶対に無理はするな」
「分かってるよ。私はホルスとカフェ行きたいし」
そう言い残してホルスの背中からアフロは姿を消す。
「さて……」
(奴が隠れるとしたら地下だろう……が、岩や土の操作可能範囲があまりにも広すぎる。この様子じゃ400mはあるぞ?)
「ーーなら」
ホルスはくまなく地上を観察する。そしてアフロの姿を確認すると、その逆の方向へと進路を変えて飛行し始めた。
触手達もそれに着いていくように生え際から移動する。
『あれ? またアフロちゃんが消えたね。まぁいっか』
「アイツを舐めてると痛い目見るぞ」
『舐めてないよ、さっき脚撃ち抜かれたばっかりだし。
でもそれ以上にホルス君を脅威だと認めてるの』
だから、と言わんばかりの猛攻がホルスを襲う。
ある触手は上から、ある触手は下から。全方向から押し寄せる触手をホルスは何とか躱していた。
「……」
(今の内に頼むぞ……)
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アフロはゴツゴツとした触手の隙間を瞬間移動しながら進む。
「少しでも真ん中に……うっ」
絶えず暴れる触手の根元では激しい衝突が続いており、足元すらも安定しない状況だった。
「ホント何なのこの神力? 規模が大きいなんてレベルじゃ…………」
愚痴をこぼすアフロの目に一本の触手が留まる。
その触手は一見他の触手と同じだが、地上から50m程の部分だけ丸く膨れ上がっていた。
「……」
アフロは少し考えた後に、例の触手に向けて矢を射る。そして膨らみの上へと着地し空へ向かい叫んだ。
「ホルスーーッ!!」
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「…………あれか」
ホルスはアフロの姿を見つけ、膨らみに狙いを定める。
それを確認したアフロはすぐに触手から離れた。
『どうしたの? そんなに高度を上げて。もしかしてもう見つかっちゃった?』
「……」
(この態度、アレは罠だと捉えるべきか……それともブラフととるべきか……)
ホルスが思考する間にも岩による猛攻は続く。そして触手はぬらぬらと輝きを持ち始めた。
「雨……」
『ここで降るんだ、雨。楽しくなってきたね』
「生憎だが雨は嫌いでな」
『そうなんだ。僕は好きだよ。
だって便利だもん』
そうガイアが告げると共に、垂直に落ちる周囲の雨水がホルス一人へ向けて集合し始める。
「っ!?」
(まさか水まで……!)
ホルスはすぐにスピードを上げて纏わりつく水の塊を振り払おうとするも、次々と集まってくる水に少しずつ飲み込まれていった。
(まずい……息がっ…………ッッ!)
『駄目だよ。ちゃんと前見なきゃ』
ホルスはそのスピードのまま正面に現れた触手に激突する。 シンボルを使用していなかった為触手を貫く事が出来ずに、岩がホルスを包み込みその動きを封じた。
そして一秒も経たぬ間に触手に出来た窪みが完全に塞がりホルスは拘束され、体を締め付けられる。
「……場所は合っていた訳だ」
「こうなっちゃえばこっちの物だけどね」
触手の中は小さな空洞となっていた。
「ガイア……お前が操る事の出来る物は……」
「そう、自然。人間が手を加えていない形あるものなら全てを操る事が出来る」
「…………ぐっ……」
自身を拘束する岩の締め付けが強くなった事を感じたホルスはすぐにシンボルを発動する。
「大丈夫なの? シンボル使っちゃって。ホルス君はシンボル使うと動けなくなるんじゃない?」
「あぁ、そうだな…………っ……」
ホルスの体は少しづつ岩に押し潰されていく。しかし、ホルスは顔色一つ変えなかった。
「シンボルを解かなければ拘束は外せない。かと言ってシンボルを解けばその瞬間潰されてしまう。
この絶体絶命で良くもまぁそんなに落ち着いていられるよね」
「……絶体絶命?」
「アフロちゃんの助けもこの状況では期待できないよ。あの子に岩を砕く程の破壊力は無い」
「…………お前は何も分かってないな」
「?」
ホルスはうすら笑みを浮かべる。
「お前は僕の位置を把握していた。覗き穴のような物でも作っていたんだろう?」
「うん。でももう閉じたよ、必要無くなったから」
「という事は、今外を把握する手段がお前には無いという訳だ」
「まぁね。それが?」
「今に見てろ……」
その瞬間、ガイアの背後から大きな破壊音が響く。
「何が……ーーッ!」
そこに立っていたのは両手の拳を血に濡らしたアフロだった。
「何驚いてんの? 私だって毎日訓練してんのよッ!!」
ガイアが目の前の状況を整理する一瞬で、アフロはその手に弓を構える。
「ごめんね……僕は死ねないのッ!」
2人の間に分厚い壁が現れる。しかしアフロは構う事なく矢を放った。
そして、その矢がガイアに当たる事は無かった。その後すぐに壁がもの凄い勢いで触手の内壁に打ち付けられる。
「……っ」
その隙間からは血が垂れていた。
「成る程ね……確かに見くびってたよ、アフロちゃん」
「いや、違うな」
そう言ったのはしばらく黙っていたホルスだった。ガイアは思い出したかのようにホルスの方を向く。
「違うって何が? それともただの強がり?」
「お前は……まだアフロを見くびっている」
「いいや、それは無いね。僕は彼女の強さをーー」
「おり”やゃぁぁぁあっっ!!!」
ガイアの頭上から何かが落ちてくる。
それは弓の片側を両手で握りしめ、思い切り振りかぶったアフロだった。
ゴンッ、という音と共にガイアの後頭部には激痛が走る。またすぐに全身の力が抜け、その場に力無く倒れ込む。
「いつの……間に…………!」
薄れゆく意識の中、最後に見たのは粘土のように潰れたアフロの右足だった。
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「……ん、あれ?」
ガイアは大雨の中目を覚ます。そこは先程までいた島では無く、ビルが立ち並ぶ都会のようだった。
「僕確か……負けちゃったんだっけ。でもだとしてもここ……」
不思議そうに周囲を見渡すも自分以外には誰もいない。
少ししてからガイアは立ち上がり適当に歩き出した。
「誰もいない街ってのも悪くは無いね。それにしてもここどこなんだろ? もしかして地獄だったりするのかな?」
やがて大通りから小さな通りへと入り、ガイアは歩くスピードを緩める。小さな既視感を感じたからだ。
「…………あ……」
その路地裏に少女はいた。膝を抱えて丸くなる、まだ小学生にすらなっていないような少女。
雨に濡れてぐちゃぐちゃなおにぎりを頬張りながらガイアを見つめている。
「…………」
「……ねぇ、君ってさカスミちゃん?」
「……」
「あそっか、この時はまだカスミじゃないんだったね…………あれ? ていうかこれ僕……見えてない……?」
ガイアはしゃがみ込み少女と目線を合わせる。
「ねぇ、グズ?」
「……」
「おーい、君僕でしょー?」
「……」
「これ完全に見えてないやつだ。もしかして夢でも見てるのかな?」
「お前」
ガイアの後ろからから誰かが話しかける。
「っ……秋斗……」
ゼウスはガイアの体をすり抜け、幼いガイアに近づく。
「名前は?」
「…………グズ」
「『グズ』? 本当か」
「うん……ママが僕の事グズって」
「そうか。じゃあママは?」
「……分かんない。きのうからいない」
「なら俺と来るか?」
「…………おじさんと?」
「あぁ」
「………………いく」
「なら立て。まずは服を買いに行くぞ、グズ……いや人前でこの呼び方は出来んな」
ゼウスは周囲を見渡す。すると道端に咲く花が目に止まった。
「……お前は今日から『カスミ』だ。分かったなカスミ」
「…………うん」
路地裏から抜け出して大通りに出ていく2人の後ろ姿を、ガイアはただ眺めていた。
「秋斗の計画には……僕が必要。そうなんだよね、秋斗」
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「ホルス……大丈夫?」
アフロは右脚を引きずりながらホルスを拘束する岩を叩く。
「僕は良い! それよりまずはその脚を……」
「ガイアが気絶してる今、いつこの触手が崩れてもおかしくない……そうなる前にホルスを解放して逃げるのが優先、でしょ?」
そう2人が話していると岩は砕け、ホルスの体は解放される。
「これで……っ、ホルスも腕折れてるじゃん!」
「お前の傷に比べたら大した事無い! それより早くその脚をーー」
「こんな所で…………」
「「ッ!!」」
うつ伏せになったガイアから擦り切れたような声が発せられる。
「こんな所で……負けてられるか……っ!!」
触手を構成する岩が液体のように溶けだし、ホルスは外へと放り出された。
「くっ……っ! アフロッッ!!」
先程まで居た空間にアフロだけが取り残され、四肢を岩で引き伸ばされている。
「っ……あ"ぁ……!」
そこにガイアの姿はあったもののホルスは攻撃する事が出来ない。
何故なら意味深な表情でアフロの喉に人差し指を突き立てていたからだ。
「僕は死ねない……だから死んでよッッ!!!」
先程までとは違い、鋭利に尖った岩々がホルスへと向けられる。
「避けたらコイツを殺すッ! シンボルを使っても殺すッ!」
「っ……」
「ホルスッ……!!」
そう叫んだのはアフロだった。
「約束…………したでしょ……!!」
無慈悲にも触手は進み出す。滞空するホルス目掛けて真っ直ぐに。
「僕は絶対死ねないッ!! だから死ねッッ! ホルスッ!!」
「…………」
ホルスは避けなかった。4本の触手がホルスの体に突き刺さる。
「…………あぁ……あ"ぁぁ!!」
泣き叫ぶアフロには目もくれず、ガイアは自身の手を見つめて立ち尽くしていた。
「殺した……? 僕……初めて人をーー」
その瞬間、ガイアの体が宙へ投げ出される。
「っ!? 何で……」
「蜃気楼、って知ってるか?」
「ーーッッ!!!」
ガイアが地上へ目をやると、雨の中紅蓮に染まった炎が燃え盛っていた。
「離せっ! 離せよッ!!」
「お前にも色々あるんだろうが、それでもダメだ」
ホルスの身体が白銀色に染まっていく。
「お前は僕の家族に手を出した」
「っ……」
(ダメ……間に合わなーー)
2人は地面に激しく衝突する。周囲には大量の砂ぼこりが舞う。
しばらくするとアフロの拘束はガラガラと音を立て解けていった。
同時に周囲の触手や自身の居た空間も崩れ始める。
アフロはすぐに脱出しようとするも、気が付くとそこは既に空の上だった。
落ちたと錯覚したアフロは一瞬身を捩らせる。
「大丈夫、落ちてない」
「…………ホルス……」
「お前の脚の治療が終わったら僕の腕を……って、何でまだ泣いてるんだ」
「うぅ……良かったぁ……! ホルス死んじゃったかと思ったぁ……!」
「ははっ……安心しろ。アフロとの約束は絶対に守る」
2人の勝利を祝うかの如く、空には真っ青な晴天が戻ってきていた。




