第66話 寒い日
HOPEsの一室、アレスの部屋にて小音のアラームが鳴り渡る。
「ーーんにゃ……あぁ、もう4時か」
スマホを確認したアレスはゆっくりと普段着に着替え、ストレッチをすると窓から飛び出し中庭へと降り立った。
外はまだ暗く山中の為、街の明かりも届かない。
「っし……始めるか」
アレスは全身に黄色い電流を纏うとその場でシャドーボクシングを始める。やがてその動きはどんどんと早く、どんどんと大きくなっていった。
(こんなんじゃダメだ……! もっと早く、もっと強く……)
だんだんと空が明るくなってきた午前6時頃。俺のトレーニングは区切りを迎え、縁側に座りタオルで汗を拭う。
「ふぅ……」
「今日も早いね。ホルスは一緒じゃないの?」
声と共に水の入ったコップが視界に映り込んできた。
「おぉアフロか。あいつは夜間パトロール帰りで寝てるよ。それよりどうした? こんな時間に」
「いやさ……今日のプランの確認をと思って」
「今日のプラン……?……あーっ! あれか」
すっかり忘れていた。アフロとの話し合いから迎えた2度目の朝、つまり今日は2月14日。バレンタインである。
「絶対成功させるぞ、バレンタインデート大作戦!」
「うんっ!」
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HOPEsメンバー各々が仕事に一段落つけ、リビングで佐竹さん達の料理完成を待つ午後8時。
とうとう俺たちの作戦は始まった。
「あ、痛み止め切れちまった」
俺はバックを漁りながら大きな声で言う。
「えーっ! それは大変だね!」
アフロはそれに対しわざとらしい大声で反応した。
「でも俺まだ仕事残ってるんだよな……」
「あ! じゃあ私が買ってくるよ!」
「本当か? でも最近ゼウスらの動きも活発化してるし……そうだ! ホルスも一緒について行ってやれないか!? この後休みだよな!?」
(まずい……アフロに釣られて俺までテンションが……!)
「……? まぁ、別に良いが……というかアレスお前、どこが痛むんだ? 怪我して無いだろ」
「え? あの……虫歯! そう虫歯なんだよ!」
「…………ちゃんと歯は磨けよ。行くぞアフロ」
「うん!」
2人は一緒に玄関へと向かって行く。
(よし! 第一段階クリア!)
俺達の作戦はこうだ。まずは俺がホルスとアフロを誘導し、二人で外出させるよう促す。そして途中、俺がちょっとしたハプニングを装い親睦を深め、最後にチョコを渡すと共に告白。多少ありきたりな気もするが悪くは無い作戦だろう。
2人の想いを知っている俺からすればとんでもない遠回りだが、こういうのは第三者が出しゃばるものじゃない。
ちなみにだが那由多は今日体調不良のため、明日渡してもらうことになった。子供な頃からずっと貰っているがやはりワクワクする。
「さてと、俺も準備しねーとな……」
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ー街中ー
私達はマスクで軽く変装をしてアジトを出た。私はお気に入りのワンピースの上にピンクのジャンパーを羽織る。ホルスはいつも通りの白いジャケットとジーパンの組み合わせだ。
「……」
「ね、ねぇホルス! あっちの道でイルミネーションやってるんだって! 観に行こうよ!」
「……あぁ」
「そういえばさ! この前那由多ちゃんと電話してたんだけどね」
「……」
「アレスって小学生の頃はよく泣かされてたんだって! 今だったら考えられないよね……ってホルス聞いてる?」
「……ん? あぁ、聞いてるぞ…………」
「ほんと? なんか考え事してたように見えたけど」
「そんな事無いさ。それより薬局にはまだ着かないのか?」
「後ちょっとで着くみたいだよ。どうする? イルミネーションは痛み止め買ってから見よっか」
「そうだな」
「……」
(この作戦の目的は私の告白以外にもう一つある。それはホルスに探りを入れる事。
最近のホルスは何か変だ。だから、その理由を探る。)
そこから歩く事約3分。私達は薬局へと辿り着き店内を散策する。
「ホルスはどこの痛み止め使ってるの?」
「僕は……コレだ」
そういったホルスの手には錠剤タイプの強い痛み止めが握られていた。
「ホルスは大怪我多いもんね」
「好きでしてる訳じゃ無いんだけどな。それよりアレスの痛み止めはどれだ?」
「えっとね……これだったかな?」
「結構強いな」
「まぁアレスも怪我多いからね」
「僕が買ってくるからアフロは外で待っててくれ」
「ありがと」
私はホルスの言ってくれた通りに外に出る。ふと携帯を見るとアレスからの連絡が届いていた。
『そろそろ行くけど大丈夫か?』
「えっと、『ホルスが出てきたらうまくタイミング見て』っと」
『おけ。任せとけ』
「……」
(ハプニングの内容に関しては特に話してなかったけど、どんな感じにするんだろう……?)
そうこう考えているうちに薬局の自動ドアが開いた。
「お待たせ」
「ううん、ありがとう。それじゃイルミネーション行こっか!」
私達はそう言ってイルミネーションが行われている川へと向かっていく。
「……」
「……なぁ」
「ん、どうしたのホルス?」
「アフロの弟ってどんな子だったんだ?」
「っ!」
突然のホルスからの質問に私は動揺する。別に今は引きずっている訳では無いが、皆が気を遣って触れてこなかったところへ踏み込んできた事に驚いてしまった。
その結果私は少しの間黙り込んでしまう。
「……」
「答えたくなければ大丈夫だ」
「あぁいや、大丈夫。大丈夫だよ」
軽く深呼吸をする。思えばしっかりと弟の話をするのは初めてか、面接の時以来だろう。
「弟はね、とっても元気な子だったの。私も施設に入ったばかりの頃はおてんば娘って呼ばれてたけど、それとは比にならないくらいに」
私が話し始めるとホルスは少しだけ私に近づいてくれた。
「でもバカって訳じゃなくてね。賢い子だったと思う。って、これじゃまるでお母さんみたいだね」
「そうだな」
「弟はまだ小さかったから良く分かって無かったんだろうけど、私達は互いにたった1人の家族として愛し合ってた…………あれ? ごめんね、ちょっと、あれ? なんでだろ……」
私の目から大粒の雫が溢れた。
「……羨ましいな」
「え?」
ホルスは今にも事切れてしまいそうな声でそう呟く。私は何が羨ましいのか理解ができなかった。
「…………僕には両親と姉が居た」
「ーー!」
(ホルスの家族の話……そういえば聞いた事無かったな……)
「いろいろな事業を成功させた裕福な家でな、両親は小さい僕になんでも買ってくれたし、なんでもやらせてくれた。姉はとても優秀で忙しいのにも関わらず僕の事をとても可愛がってくれた」
「……?」
「そして僕が6歳の頃、姉は事故で植物状態になった」
「っ!? 植物……?」
そう言ったホルスの顔はどこか達観しているように見えた。
「そうだ。家族旅行の帰り道、突っ込んできた車から僕を庇ってな」
「……辛かったね」
「いや、本当に辛かったのはそれからだよ。姉に事業を任せる気で居た両親は僕に事業を継がせる為、全てを叩き込み始めた」
「……っ!」
ホルスの手は震えていた。
その手を私は両手で包む。冷たい。本当に。
「ーー! アフロ……?」
「ホルス、言いたく無いなら言わなくても大丈夫なんだよ? 辛くなるなら思い出さなくても良いんだよ?」
溢れそうになる涙を必死に抑えて私はなんとか言い切った。
「いや、良いんだ……僕が言いたいんだ」
「ほんと……?」
「あぁ」
「……」
「ありがとう……それからの人生はクソだった」
「……」
「やりたく無いことを朝から晩までやらされ、少しでも逆らえば父親には手を上げられ、常に姉を殺した責任に押し殺されそうになる」
「……」
「まぁ、今は平気なんだけーー」
気が付いた時には、私はホルスを抱きしめていた。
「ちょっ……どうしたんだ?」
「どうじたじゃないっ!」
ボロボロと私の目からは涙が溢れる。涙を抑えている余裕なんて無い。
「待て待て、ほんとにおかしいぞ」
「おかじいのはホルスでしょ! だってホルス……ずっと泣いてるじゃん!」
「え……? これ、いつから……」
「お姉ちゃんが事故にあったって話じた辺りから……ずっと! ずっとだよ!」
「なんでだ……? おかしいな……」
「違うでしょ!?」
声を荒げる私達は街ゆく人々の注目を集める。私たちがHOPEsのアフロディーテとホルスだとバレてしまうだろうか?
どちらにせよ、今の私たちにはそんな事どうだって良い。
「分かってるでしょ!? なんで涙が溢れてくるのか!!」
「っ……! いや、僕は……」
「限界なんでしょ!? 今っ!…………ねぇホルス、なんで全部そうやって抱え込むの?……私ってそんなに弱いかな?」
「ーーっ! いや違う! そういう事では……」
「……」
「っおいアフロっ! ちょっと待て! おい!」
私はその場から走り去る。とにかく遠くへ、とにかく入り組んだところへと逃げる為に。
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しばらく背後から聞こえていた声も聞こえなくなった私は、そのまま営業終了間際の喫茶店へと入店した。
空っぽの店内。窓際の席に座って適当なコーヒーを注文する。
「ごめん……ごめんね」
(そりゃ頼れる訳無いよね……私はまだ弟の事を引きずってる……)
あれだけ走って汗もかいたというのに一向に涙が止まってくれる気配は無い。
ふと鞄の中に入った梱包に目が行く。昨日那由多ちゃんと一緒に作った、人生初の手作りチョコレート。
「お待たせ致しました。コーヒーでございます」
「……」
「お客様?」
「……! あ、すいません。このコーヒーあげます。ついでにチョコも」
「え? よろしいのですか?」
「……」
今の私に、これを渡す権利は無い。
「……お客様?」
「あ、はい。ちょっと……用事が出来ちゃって」
前々から感じていた事がある。HOPEsとして活動を始めてからもう8ヶ月以上経つけど、アレスやホルスはあの頃とは比べ物にならないくらい強くなった。
1人でハデスさんを倒したり、シンボルを解放したり。
でも私はあの頃と対して変わっていない。
出来る事は治療と弓矢、あとはちょっとしたワープ。でも役に立ってるのは治療だけ。
治療は大事な事だと思う。
でも今日、ホルスに自分の感情をぶつけるだけぶつけて終わった。昂った感情を止めようともせずに、そのまま涙を流すホルスへと放った。
そこらのメンヘラなんかよりよっぽどタチが悪い。
今の私はHOPEsに害を成している。
とは言え今HOPEsを抜ける訳にはいかない。余計に迷惑がかかる。
いや、違う。
私が皆と居たいだけだ。
ーアフロディーテは席を立ち、喫茶店から出てフラフラと歩く。ー
「……私は、どうしたら良いの?……ねぇ、ホルス……」
ー後に記録に残るほどの異例の寒さを観測した2月14日、東京の空には月明かりに照らされた雪が煌めいていた。ー




