第63話 怒り
「おうち大丈夫かなー?」
両親に抱かれた小さな男の子が避難所の窓から外を眺めてそう言う。
「きっと大丈夫さ」
「それにしても、本当に神力者なんて出たのかしらね? 誤報なんじゃないの? あーあ、せっかくの休日なのに」
「そんな事言って、セトの時みたいになったらどうするんだ?」
「なるわけ無いでしょ」
「だとしても、普通は警戒するもんだろう?」
「……なに? その言い方」
夫婦の会話は少しずつ熱を帯びていき、やがて口論へと発展していった。2人に抱かれた息子は少し戸惑いながらも、窓の外を眺めて気を紛らわす。
「……? お父さん、お母さん。あれなぁに?」
「ゆうた、今大事な話をしているんだ。だから後でーー」
「あなた……」
女は窓の外を見ながら男の袖を引っ張り呼びかけた。
「ん? どうし…………何だ……あれ……?」
家族の目線の先では、巨大な土や木の触手が踊り狂っていた。
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「あの子を返せ!!!」
ガイアの怒号に合わせて土木が暴れる。ホルスはその無数の攻撃を掻い潜って反撃の時を見計らっていた。
「……」
(こいつ、何か様子がおかしい。冷静さを欠いている。あの少女はガイアにとって何か特別な存在なのか? いや、今さっき誘拐したばかりの赤の他人では…………まぁ何にせよ、今はこの状況を何とかするのが先決か)
「このクソ鳥! ちょこまか逃げてんじゃねーよ! それでも男か!?」
「時代はジェンダーレスだ。それにお前だってずっと隠れているだろう?」
「うるさいっ!!」
土がうねりながらも天へと伸びていく。やがてその土は巨大な腕へと変容していった。
「……」
(こいつ、なんて操作量と範囲だ……!)
「……ふぅ、今はそんな話どうでも良いの。あの子はどこ、早く言わないと避難所ぐちゃぐちゃにしちゃうよ?」
「どうした急に? 先程までは酷く取り乱していたが」
「そうだね、冷静じゃなかった。でも僕にも僕の事情があるんだ」
声は聞こえるがいまだにガイアの姿は見えない。
「事情とは?」
「それは君には関係無いんじゃないかな」
「無いことはないだろ。理由があるなら教えてくれ」
ガイアはホルスの呼びかけに対し、数秒の沈黙の後に回答した。
「……言ったところで信じて貰えると思えない。やっぱり力づくで行く」
「僕を倒す、と」
「うん、ごめんね?」
大きな腕がメキメキと音を立てて膨らんでいく。今にも爆発しそうな程に。
「はぁ……殺すに至るまでが早すぎるな。お前ら犯罪者は」
「別に僕は心がない訳じゃないよ? ただそんなことよりも優先すべき事を知っているだけ」
「『優先すべき事』?」
膨らみ切った腕はその動きを完全に停止する。
「うん。もう2度と見たくない顔があるんだ」
「2度ーー」
その瞬間、膨張した腕が爆発する。ホルスは訳も分からぬまま吹き飛ばされた。
(何が起こった……!?)
「じゃあねーホルス君!」
「待っ…………」
ホルスが体勢を立て直し、周囲を見渡すも何も確認することは出来なかった。先程の爆発の影響で周囲の家や道路に大量の土が乗っている。
「……なぁガイア! いるんだろう?」
返答は無い。
「お前はあの子の正確な所在を知らない。それに、僕以外のHOPEsがここに来るのも時間の問題だ。お前は僕を尾行してあの子をまた攫うつもりだろう?」
ホルスの声だけが空っぽの街にこだまする。やはり返答は無い。
「……お前の様子からして、かなり重い事情があるんだろう? この状態で良い。一度話してくれないか?」
「……」
「……駄目か」
「ーーあの子は」
「っ!」
地中からガイアの声が響く。
「あの子は、虐待されてた」
「虐待……?」
(少女に外傷は見受けられなかったが……)
「気付かないのも仕方ないよ。あの子の親は上手にやってたみたいだからね。でもね、分かる人には分かっちゃうんだ」
「……何故?」
「顔だよ、顔。小さい子にとっては親は全てなんだ。
その親から見放された子供はね、すごく静かな顔をするの」
「そうじゃない。いや、そこも気になったが……何故お前がそれに気付けたのかを聞いたんだ」
「あぁそっち? ごめんね早とちりしちゃった」
一呼吸おいてガイアは震えた声で話し出した。
「僕もそうだったの」
「っ!…………」
「生まれた時は多分……可愛がってくれてたのかな? 昔の写真ではおかーさんも笑ってたし。
でも僕の記憶にあるおかーさんはずっと怒ってた。何でかは聞いたことないんだけど、嫌われてたみたい。
その頃に鏡で見た自分の顔が頭から離れないんだよね〜」
「……」
「でもね、一回だけ僕を遊園地に連れてってくれたことがあったの。とっても楽しかった。その日は夜ご飯もおかーさんが作ってくれて、おとーさんも優しかった。
そして朝起きたら、家には僕1人だった」
「……」
「酷い話だよね。5歳の女の子を1人残して2人で新生活! なんて」
「それじゃあ、これまでずっと1人で?」
「まさか。【神力】があれば話は別だったかもだけど、それまではある人に育ててもらってたよ」
「……」
「あんまり驚かないんだね」
「まぁ僕の家も色々複雑だったからな……………………」
「どうしたの? 黙り込んじゃって」
「あぁいや、最後に一つだけ聞いても良いか?」
「良いよ。長話も聴いてもらったしね」
「なら聞かせてもらう」
「……?」
(仮説はあった。ガイアは何故、ここにいたのか。純粋にここに住んでいた可能性もあるが、普通に考えればTOMORROWsの偵察だろう。
そしてこの戦闘スキル。素人のモノでは無い。誰かしらの指導を受けていると考えるのが妥当だろう。
そこから導き出される一つの答え)
「お前の義父は堀秋斗か?」
「…………頭良いね、ホルス君」
「やはり、そうか」
「両親に捨てられた僕は路頭に迷った。仕方ないよね、5歳だもん。雨水を飲んで生ゴミを食べて何とか生きてた。
そんな時、秋斗は現れた。秋斗は僕に可愛い服を着せてくれた。美味しいご飯を食べさせてくれた」
「……」
「あの子は、昔の僕と同じ顔をしていた。だから僕も秋斗がしてくれたように助けようと思ったんだ」
「……」
ガイアの話を聞き終えたホルスは黙り込んでしまう。
「だからさ、ホルス君。今回は僕に任せてくれない? 僕はあの子の救い方を知ってる。
君にわかる? あの子の救い方」
「……そうだな」
「それじゃあ、あのこを返してーー」
「ただ!」
ホルスが声を荒げて話を遮る。
「……ただ?」
「最後にもう一つだけ、聞きたいことがある」
「…………良いよ」
「……あの子を助けて、そしてどうするつもりなんだ?」
そう言ったホルスの唇は震えていた。
「どうって、普通に育てるけど? 今はもうお金もあるし」
「そうじゃない! 別に『犯罪で稼いだ金だから〜』なんて言うつもりは無いさ。僕が聞きたいのはそこじゃない!
あの子が過去を忘れて、幸せになって、それでお前らが捕まったら!……そしたら……どうするつもりだ?」
「…………」
「何故黙る……? それくらい考えていただろう? お前ら犯罪者が子を育てるという事の意味を! なぁ!? どうするつもりだったんだ!?」
「……」
押し黙るガイアに対し、ホルスは歯軋りを抑えきれずにいる。
「『考えていた』と言えッ!! そうでなきゃ僕は……お前達を許さないぞッ!!!」
その瞬間、ホルスの左頬が眩く光る。
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「…………ん? っ!」
(何だここは!? 暗い……何も見えない…………これ、【神力】を貰った時と同じ……)
「久しぶりだな、宮本颯真」
「ッ!」
背後からの声にホルスは驚き、すぐに振り向くとそこには大きな翼を持った男が立っていた。
「先代ホルスか。どうした? こんなタイミングで」
「どうもなにも、テメーのそのほっぺたについてる印の事だよ! たっく何で俺が説明しなくちゃならねぇんだ?」
「印……まさかシンボルか!?」
「そうに決まってんだろうが! どうやらお前の怒りの感情で発現したらしいな」
呆れた顔で男はそう言う。
「……早く説明したらどうだ? 時間の無駄だ」
「あ?……お前、何様のつもりだ?」
男はその太い腕でホルスの襟を掴み軽々と持ち上げてそう言った。
「……悪い。少し苛立ってた」
「…………そうか! 素直に謝れる奴は好きだ! それじゃあ教えてやろう、お前のシンボルについて!」
ゆっくりとホルスは地に足を付ける。
「颯真! お前が得たシンボルは『硬化』だ」
「硬化……」
「実にシンプルだろ? 全身をガッチガチに硬化させる力ーー」
「分かった」
「もうか!? さすがだな颯真!」
「良いから早く返してくれ」
「……どうしたんだ?」
「頼む」
「……あい分かった! そんじゃ、頑張れよ!!」
「あぁ」
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「………………戻ったか」
ホルスの頬のシンボルは、少しずつ薄れていく。
「ちょっと何なの!? 今の光!?」
「あぁ、大した事では無い。それより質問の答えをまだ聞いてなかったな」
「っ……」
ガイアが問いに答える事は無かった。
「……はぁ……本当に」
ホルスは羽ばたき、天高くまで飛び立つ。
「その無責任さに心底腹が立つ」
そう呟いてホルスは急降下を始める。その体は肌色から白銀色へと変わっていき、光沢を持ったその体はまるで本当の金属のようにガチガチに固まっていた。
道路が音を立てて崩壊する。度重なるガイアの攻撃による影響か、道路の下の土はほとんど無くなり空洞化していた。崩れたアスファルトの中心にホルスは立つ。
「なるほど……関節も動かせなくなるのか……さて、お縄についてもらう。ガイア」
ホルスの目線の先には後ずさる女の姿があった。恐らくホルスと同年代程のポニーテールの女が、マフラーをなびかせ立っていた。
「そんな事できるなんてね……知らなかったよ。でも良いの? ここは流石に僕の場だと思うけど?」
「問題無い。お前の速さじゃ僕に指一本触れられないさ」




