第34話 無能
-3ヶ月後-
波木の弾くピアノに合わせて皆んなが歌う。そんな中1人の少女がこちらへと走って来た。
「しゅう兄〜!」
「どうしたイフナ?」
「みてみて! へんな虫さんみっけた!」
「どれどれ……これは……?」
「私のつけまつげで何をしているんですか堀田秋斗さん?」
「いやっ! 待ってくれ、違う! ちが」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「なにも殴る事は無いじゃねぇか」
「殴られて当然です」
俺達は仕事終わりに倉庫脇の小屋で雑談しながら一服する。いつからか日課になっていた。
ここで働き始めてもう3ヶ月が経ったが、日に日にたんこぶは増えて行く。はじめの頃はあちらも遠慮していたが最近は遠慮のえの字も感じない。
「それじゃあ私は黒百合さんに今日の報告をして来ます。秋斗君は先に帰っていて下さい」
「あんがとさん。んじゃ、お言葉に甘えて〜」
波木とはかなり仲良くなった。気付けばタメ口も怒られなくなり、今では良い友達だ。
あれから仕事を教えてもらうついでに色々な事を話した。波木は俺の一個上で神奈川生まれな事、黒百合は大阪生まれな事、波木が親の借金を肩代わりした事、だから金払いの良い黒百合のもとについた事、でも子供のことを思うと辛い事、そして俺達がしている事は犯罪である事。
「3品合わせて450円です」
「500円で」
「50円のお返しです。ありがとうございました」
黒百合は日本の人身売買を統べる裏社会の人間であり、あの工場は商品である未就学児の世話と売買を行う施設だ。
しかし未就学児を買う者の目的は主に養子として迎え入れる事。その為、商品への対応や生活環境はかなり良い。
「あら堀君、おかえり。そうだ佃煮作りすぎたんやけどいる?」
「貰います大家さん。ありがとうございます」
何かしらの事情があって孤児院から子供を引き取る事が出来ないやつらは案外多い。そういう奴らがウチから買うらしい。それ以外の細かい事は知らないし知る気も無い。
俺は布団に入り、目を閉じる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「あ! 秋斗君、ディービー君の様子見てきてくれませんか? 私ご飯作っておきますから」
「あーそっか、分かった」
俺は部屋の中を一通り見渡すもディービー君の姿は見当たらない。そしていつものように机の下を覗き込む。そこには自分の親指をしゃぶる男の子、ディービー君がいた。
「ディービー君? 君はなーんで毎回そこにいるの?」
「んン」
「あ、そういや今日の昼飯は鯖だって言ってたぜ? 確か好きだったよな」
「あウぅ」
ディービー君は5歳だが会話をするのが苦手だ。元々軽度の発達障害をもっており、それが原因で親にこっ酷く虐待された後、ここに売り飛ばされたらしい。その経験がこの子の心を壊してしまったのだろう。
事情が事情なので腕のいい医者に見せる事は出来ないが、闇医者によれば回復の可能性は極めて低いらしい。
「昼飯食いに行こ? な」
「ウぅ」
「良いですよここで。持ってきましたから」
「おぉありがとう波木。ほら、ディービー君もお礼言って」
「ンン」
「……」
「何だ? 恥ずかしがってんのかー?」
「……ちょっと秋斗君、ちょっとこっちきて貰えますか?」
「?……いいけど」
俺は波木に連れられキッチンルームに入る。波木は何か言い淀んでいるようだった。
「……どうした? 何か問題でも起きたか」
「いや、そういうのでは無いんです。あの……
ディービー君の事で……」
「ディービー君がどうしたんだ?」
「……秋斗君が優しいのは知っています。でもディービー君との接し方は変です」
心臓が締め付けられる。
「何が変なんだ」
「別に説教しようなんてつもりはありませんよ? ただ何と言うか……胸が痛いんです」
波木が珍しく焦っている。かく言う俺も焦っていた。なぜ自分が今苦しいのか理解が出来なかったからだ。
「別にそんな事聞いてないだろ。どんな風に変だったんだよ」
「……何と言うか……気を使いすぎと言うか……構いすぎと言うか……」
「構いすぎ? そりゃあんな素性知ったら気くらい遣うし構いもするだろ、何が変なんだよ。なぁ、なぁ!」
「ひっ…………」
「…………!……すまん、熱くなりすぎた。……一服してくる」
(なぜ俺はこんなにも怒ってるんだ? なぜこんなにも落ち着かないんだ……)
俺は感情を落ち着かせる為、その場を離れる。外に出る扉の前まで行くと壁に落書きがされている事に気が付いた。それは何かの古代文字のようなもので、犯人はすぐに分かった。
「……ディービー君、その左手のクレヨンは何だい?」
「……」
「これ何書いてんの?」
「ンイぃ」
「たまに書くんですよ、この模様」
ふと背後から波木の声が聞こえた。
「……波木」
「ごめんなさい。さっきのは無かった事にしましょう。その方が良いですね」
「ンーんーんーあーウうアーウウーンー」
「……ははは、呑気な奴だな」
「……そうですね」
これ以降、波木が俺とディービー君の関係について言及する事は無かった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今日は俺がここで働き始めてから100日目だ。それを波木と子供達が祝ってくれた。ウチは人身売買を生業にしているがこの施設では未就学児を扱っている事もあり、その辺りは緩い。
俺がカレーを食べているとイフナがカレーに入っていた人参を持って走ってくる。
「しゅう兄〜! はい! これあげる!」
「イフナ! ありがとうな〜!」
「こら! イフナちゃん! 嫌いな物押し付けない!」
思えばイフナを始めイクエちゃんやニシエ、みんなに懐かれた。とは言っても今日までに買われた子達も多くおり、昨日も1人買われて行ったんだが。
殆どの子は2〜4ヶ月で買われるらしいが買われない子はとことん買われない。イフナもその1人だ。
「ほら! お口開けて」
「やーだー! しゅう兄たすけてー! なみきがいじめる〜!」
「いじめてません!」
「ははっ、イフナ〜もう諦めろ〜。波木はこうなったら引かないぞ」
「いやぁぁぁぁぁあ!」
平和だ。毎日朝から友達と共に子供と触れ合い、それなりの額を毎月貰う。ようやく手に入れた安寧と幸福の日々。
(ずっとこの暮らしが続いて欲しい)
心からそう思った。
「ンンンーんアーーアんんーあンンンーー」
視界の隅で紙に何かを書くディービー君が映る。近づいてみるとそれは、この前の模様と同じ物のようだった。
「……なぁディービー君、この模様って何なんだ?」
「んんアーーアンアー」
(ま、伝わるわけねえか)
「ンアあーンンンンんーー」
「……ん…………?」
「ンんアーアあンーン」
(……この模様……ここの模様と似ている……!……これも、これもだ!)
その時、ディービー君の時折書くこの模様が、幾つかの小さな模様の繰り返しで出来ている事に気が付いた。
「………………!!!」
それと同時に、ある一つの仮説を導き出してしまった。
「波木! ちょっとアレ持って来てくれないか?」
~ダメだ~
「アレ?」
「ほら、この前黒百合がくれたヤツだよ!」
~確かめてはいけない~
「あーアレですね、わかりました」
鼓動が早まる。感情が危険だと叫んでいる。
「はい、このおもちゃですよね? 全くそうやってすぐ使い走りにするんですから。……どうしたんですか? 顔色が悪いですよ?」
「……ディービー君、これ」
~渡してはならない~
「んンアーん」
俺はディービー君におもちゃのピアノを手渡す。
「んあ」
ディービー君はそれを床に置き鍵盤を一つ一つ叩いて行く。全ての鍵盤を叩き終わると、先程落書きしていた紙を凝視して放り捨てた。
「ン」
ディービー君が『ド』に人差し指を置く。そしてゆっくりと指を動かし始めると、美しい故郷が流れ始める。その音は最高級のグランドピアノでプロのピアニストが奏でる音のように綺麗で、どこまでも続くような深い音だった。
「ンアアッ!」
突如ディービー君が叫ぶ。そして曲は一気に転調し荒々しいものとなり、次から次へと台風のような音の塊が流れた。
「あアアあアアアーあああアー!!!」
その場にいる全員が息を呑む。音の度に心臓が揺れる。圧倒的な音による圧で指先すらも動かせない。
そんな中俺は、己の内に渦巻く感情が「驚き」ではなく「失望」だと気がついた。
(何だこの感情……俺は何に……)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……秋斗君が優しいのは知っています。でもディービー君との接し方は変です」
心臓が締め付けられる。
「……何と言うか……気を使いすぎと言うか……構いすぎと言うか……」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(何だこの感情……何だ…………何だ……)
(気づいてはいけない)
(……何故こんな気持ちに……)
(惨めになる)
(俺は……俺は……)
(醜い自分に気づいてしまう)
(そうか、俺は)
「……才能が無いんだ」
あぁそうか、そういうことか。俺は今、悔しいんだ。俺より圧倒的に劣ると思っていたゴミが自分よりもずっと大きな才能を持っていたから。
そしてその悔しさが俺の本心を照らしていく。
そうだ、俺のディービーへの気遣いは俺が自分の優しさに溺れるために、気持ちよくなる為だけにしていた。
未就学児を買う者の目的は主に養子として迎え入れる為じゃない、強姦されたりバラされるのが殆どだ。俺はその事実に気付かないフリをした。才能を忘れられるこの日々に納得して、幸せになりたかったから。
己の才能の弱さに打ちひしがれて、ここまで逃げてきて、ガキを騙して世話して売り払う。そんな人生を正当化する為にガキを使っていた俺に、気が付いてしまった。
(だから俺は……自分に……期待に応えなかったゴミに…………俺の才能に……)
失望しているんだ。
「何で……何で俺は…………俺は……あいつは…………あのゴミは………………」
その感情はやがて憤怒へと姿を変えてゆく。憤怒の炎は枯れ切った俺の善の心を焚き木にどんどん燃え盛っていった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「………………ん…………とくん……しゅうとくん…………秋斗君!」
-秋斗は波木の声で目を覚ます。と言うより理性を取り戻した。-
「ん……何が……」
「やめて! 早く手を離して!! 早く!」
「何が……どうした……」
視界が徐々に回復して来た。波木が俺の腕を叩いているのが分かる。
「何して……!」
その瞬間、俺の腕がディービーの首を絞めている事に気がついた。




