第100話 HOPEs
ー3年後ー
映像広告や人々の話し声、車の排気音などが混じった喧騒の中に女は居た。
少し小柄だが服装やメイクから年齢は20歳を超えているように見える。
「四月だってのに今日も暑いね〜」
ポニーテールを振りながら歩くその後ろ姿には迷いは無く、何処かを目指しているようだった。
「……久しぶりだなぁ」
女がある小道に通りがかった時、小さくそう呟くとまるで吸い込まれるかのように小道へと入っていく。
そこはビルとビルの間にある小さな空き地で昼間とは思えない程に暗く、じめじめとした嫌な湿気があり生ゴミが腐ったような匂いがする。
けれど女は嫌な顔一つせずに、むしろ嬉しそうな表情で空き地の角へと歩みを進めていた。
「やっぱり、ここにして良かった」
二つのゴミ箱とその周りに乱雑に散らばる複数のゴミ、そして数本咲く花の前で女は立ち止まる。
そこには何か特別な物がある訳でも無く、ただ汚れたアスファルトが敷き詰められただけだった。
「沢山思い出はあるけどさ、僕にとってはやっぱりここが一番だから」
そう言うと女は少し俯き、しばらくの間黙り込む。胸に両手を当て静かに微笑むその姿には喜びや悲しみ、果ては小さな緊張すらも存在していた。
「……僕ね、二十歳になったんだ」
その間に暗かった空き地は徐々に日が差し込み始め色を取り戻し、数本生えていた小さな花も本来の美しい白に染まっていく。
「この三年間、本当に沢山の事があったんだ」
俯いたまま女は誰かに語りかける。当然、空き地には女の他に誰も居ない。
「孤児上がりの犯罪者が今となってはヒーローだよ? 相当だと思わない?」
しかし女は誰かへと話し続けた。その目からは小粒の涙が一滴零れ落ちる。
「……あ、挨拶もまだだったね。うっかりしてた」
髪を靡かせて顔を上げると、目に溜まった涙が光に照らされキラキラと輝く。
その表情は満面の笑みそのものだった。
「久しぶり、お父さん!」
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『海風市沿岸部にて大型神獣の発生が確認されました。海風市及び近隣の市町村にお住まいの方は、なるべく屋内に避難してください。繰り返します、海風市沿岸部にてーー』
「しっかしまぁ、良くも結婚式に両親呼ぶ気になったよな。お前も」
大音量で鳴り響く警報とは裏腹に静かで真っ青な海を前に二人は会話する。
「普通は呼ぶものだろう?」
「そうだけど、お前の場合事情が事情だろ」
「……確かに昔は怖かった。二度と会いたくもなかったし、見たくもなかった。でも感謝していない訳じゃない。父様が僕にした事は僕を心配してだったと今では分かる」
「……まぁお前が良いなら別に口出しはしねぇけどよ。ていうかさ、この後ラーメン食いに行かねぇか? 駅前に出来たニンニク超モリモリの奴!」
「僕は良いが……今日の夜は那由多ちゃんとデートじゃなかったか?」
「ッッ!!!」
「……さては忘れてたな?」
「絶対チクるなよ!?」
「チクらないさ……本人にはな」
「お前アフロに言うつもりだろ! アイツに言ったら絶対那由多まで届くじゃねぇか!」
冗談混じりに笑い合う二人と依然鳴り止まない警報は不自然な程にマッチしていない。
「冗談さ。それより、どうせご飯に行くなら他にも誰か誘わないか?」
「誘うって言ってもスサノヲは今日青森だろ? シシガミは有給だし」
「あぁ、シシガミは件のマッチョに会いに行く日か」
「おう。だから誘うならハデスさんかアフロ……ってそういや二人で九州のイベント出てんだっけ?」
「今頃は小学生と話してるだろうな。となると残りはガイアか」
「あぁいや、アイツは今日忙しいんだ」
「そう言えば昨日二人で何か話していたな」
アレスはホルスの言葉を聞き、どこか満足気な表情で空を見上げる。
「……そろそろ頃合いだと思ってな」
「…………浮気か?」
「ちげーよ! 何でお前はそうなるんだ!?」
「ははっ、まぁ那由多ちゃん一筋のお前に限って浮気は無いーーアレス」
「分かってる」
二人の視線の先では真っ平らな海原に渦巻く小さな渦潮が形成されていた。
やがてその渦潮は大きさを増していき、十秒も経たない内に数十mの大きな渦巻きへと姿を変える。
「ホルス、あの真上まで……」
アレスは自身の足元を見て硬直している。
「ん? どうした?」
そこにはまだ四、五歳と思われる小さな男の子が居た。
「ちょ!? 僕? こんな所で何やってんの!?」
「避難勧告は随分前に出ていた筈だが……お母さんかお父さんは?」
「…………分かんない……」
「そうか……アレス、アイツは頼めるか?」
「分かった、俺一人で何とかするよ」
すぐにホルスは少年を抱きかかえ空へ飛び立つ。
アレスはそれを地上から見送ると再び海へと向き合った。
「……さてと」
アレスが振り返ると渦潮は先程よりも更に巨大に、更に強くその存在感を増している。
巻き込まれた波が一際強く弾けると、渦の中心から何かが顔を覗かせた。
その瞬間目が合った"何か"とアレスは同時に空中へと跳び上がる。赤い電流を纏うアレスに対し、海から現れたのは藍色に輝く三十mは優にあるであろう巨大な龍だった。
「グルゥ゙ゥアァ!!!」
「リヴァイアサンってとこか……」
龍はその鋭い牙をアレスへと向け、一直線に飛び掛かる。
向かい撃つアレスは左腕を大きく振りかぶった。
「ぶっ飛べ蛇野郎がぁぁ!!!」
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「ふぅ……」
アレスは額に滴る汗を拭う。海は紅く染まっており、龍の姿は見えない。
「アレスーっ」
「ホルスか……って何でまだその子連れてんだよ!?」
ホルスの腕の中にはしっかりと抱きかかえられた少年の姿があった。
「どうやら両親共々避難し遅れたらしくてな、救助の為に案内してもらおうと」
「なるほど……なら早いとこ行こうぜ。
なぁ君、お家はどこなんだ?」
「……お兄さん達、誰?」
少年はハッとした後、少し警戒した様子で二人を見つめる。
「僕達は不審者じゃない。安全だ。だから早く君の家まで連れて行ってくれ」
「ホルスはちょっと黙ってろ」
そう言ってアレスは少年の肩に手を置く。少年にとってその手はあまりにも大きく力強かったが、不思議とそれを感じさせない。
むしろどこか安心するような、そんな温もりがあった。
「俺達はHOPEs。どんな奴でも、どんな強敵が相手でも、助けを求めるなら絶対に救う。
ヒーローだ」
第一部 完




