81 加賀一向一揆
81加賀一向一揆
天文25年1556年 2月 六角治頼
「半蔵、朝倉と加賀の戦いはどうなっている?」
「はっ、前年に朝倉氏の侵攻を受け、加賀衆に数千の死者を出し、さらには加賀四郡のうち江沼郡を奪われておりまする。しかし、朝倉氏もまた、大勝はしたものの、その後は加賀衆の抵抗を受けて攻めあぐねており、指揮官の朝倉教景が病没する事態に発生しているようにございまする。どちらも厭戦気分が広がり加賀一向衆は将軍殿に和睦の仲介を願おうとする動きがありまする。」
「そうか…。その仲介を頼む使者を絶対に生きて向かわせるな。全て握りつぶすのだ。それと、朝倉の一乗谷付近で朝倉が一向宗に勝ったことを喜んでいる様な噂を流布せよ。」
「はっ!」
俺は部屋を出ると、父へと手紙を認めすぐに送った。
「息の根を止められる時に止めなければな。」
冬の寒い風を感じながら外をゆっくりと見つめた。
〜〜〜
天文25年1556年 2月 六角義賢
近江の仕置きが粗方終わり、いくつかの城や砦を廃して必要な箇所の強化をしながら内務に精を出していると伊勢を任せた息子から急な連絡が来た。文を開いて読んでみると、朝倉と加賀の戦いが膠着して来たこと、長島の連中が騒ぎ出す余裕もなくなる様に加賀の連中を疲弊させたいこと。米の売り先として朝倉が適当なことなどつらつらと書いてあるが、要は朝倉と加賀を共倒れさせるのはどうかという意見具申だろう。
あいつは、京の戦いに対して全く興味を示していないからな。三好が崩れるまで待つべきだとも言っていた。時はこちらに味方をする、現に朝倉宗滴がいない朝倉はどうだとも。しかし、それでは父の生きている間に六角の栄華を見せることはできるのだろうか…とも考えてしまう。あいつの意見は正しいことが多い。なんやかんや、伊勢の支配も揺らぐことなく北畠の目は実際に新しい領地と大和へと向いている。
俺の分析も次は北を抑えるのがいいとも言っている。北の港を抑えれば伊勢の港と合わせて約半分の経路を抑えられる。残っているのは京と熱田くらいか。若狭も内側が纏まっておらずそこに越前も入るとなれば…いい。
「誰かいるか!父を呼べ!それと文を書く用意をしろ!」
方々に指示を出すために文を書いていると父が部屋にやって来た。
「どうしたのじゃ。」
「伊勢にいる息子からの献策が良かったからな実行しようと思っている。そのために手を貸して欲しいのだが?」
「勿論じゃ。今度は何をするつもりじゃ?」
隠居してから少し老けた様な気がする顔を楽しそうに歪ませてこちらをみる。




