56 その後の影響
56その後の影響
天文21年1552年 9月 六角亀松丸
比叡山を討ったことによってなんと仏敵六角に加えて父親が第六天魔王の称号を頂いていた。父親は顔を顰めていたが祖父と俺は大笑いだった。京や近江の人々は今回の行動に対して絶賛だ。流石は六角だ。我々を救うのは仏ではなく六角の施しだという噂を伊賀や甲賀を使って流させていた。それによって義輝が不満を持たないように実際自分のことを褒め称えている幕臣たちを見て満足しているようだ。
結果として近江に動揺はほとんどなく、むしろ高田派など他の六角に付いてくれた寺が積極的に抑えに掛かってくれた事で一向宗を領内から駆逐できる結果となった。竪田の水軍をそのまま解体するのは勿体無かったので政教分離令に従うことを前提として六角水軍として組み込んだ。彼らには基本的に銭の封禄を渡し、運輸業で得た利益の分、5分を竪田水軍に対して支給している。
それと後藤壱岐守以下将や兵に対して今回の戦について不満や辞めたいというものがいないか内政官達を使って面談したが一人として辞めるものは居なかった。これは大分嬉しい内容だった。六角に対する忠誠がしっかりと出来ていると言うことだ。
「亀松丸様、よろしいでしょうか。」
半蔵が影から声をかけてくる。
「どうした。」
「尾張の弾正忠家と大和守家が萱津で戦を起こしたようです。弾正忠家の織田信長がこれを撃破しました。」
「ほう、尾張も動き始めたか。目を離すなよ…下手をしたらこちらにも波及しかねん。」
「はっ!」
尾張もそろそろ争いが激しくなり始める頃だ。信長が終わりを統一するまでに介入したかったが桶狭間や美濃との戦いを終わらせた後の方が都合がいいだろう。今は両面作戦をできる体力が無い。
「それと、後藤壱岐守以下の働きはどうだった?」
「はっ、壱岐守殿はいうまでもなく十二分な働きを見せております。少し年配の藤堂虎高殿や滝川一益殿も才覚を見せるような差配でした。若い三人も学校で学んだことをしっかりと活かして無難にこなしておりましたし、明智殿に至っては献策をして採用されておりました。自分の意見を言える胆力や知謀など光るものがあるかと。」
しっかりとした戦闘をしていない蒲生兄弟はしょうがないが有名武将はやはり光るものを持っている。直臣とする為に声をかけるか。
「よし、彼らを呼び出すか。」




