43 あれから
天文20年1551年 1月 六角亀松丸
あの会議の後すぐに三好方との和睦は纏められた。結果として義藤の入京及び氏綱の家督継承と晴元の出家、六角定頼の管領代退任、隠居を条件に三好長慶を宥免して和解した。また、義藤は細川氏綱を細川氏の当主と認めて晴元と決別したため、晴元は見捨てられる形となり、若狭へと逃れた。
纏った後すぐに近衛稙家や久我晴通など連れて来ていた者たちを纏めて衣装や刀を美々しく飾り立てた数千の兵を率い、多くの見物人の前を堂々と進んだ。その銭も六角から出ているのだがまあ、和睦を銭で買ったのだと思えば安いものだ。
六角側の動きとしては、定頼が隠居し、義賢が家督を引き継ぐこととなったが特に大きな問題や影響が起きることはなく淡々と物事が進んでいった。前年も六角主水佑として朝廷に貢物を贈り近衛だけではなく、近衛縁戚になる者たちにも支援を行った。その影響か京では六角が年末に訪れる時期には近衛の周りで人が集まり近江へと連れてってもらおうとする列が出来ているようだ。
この件について近衛稙家殿を通じて帝に確認したところ、今の朕では子供らを救えない。彼らが幸せに過ごせるように六角で保護してもらいたいと涙の跡が見える文を貰った。俺はやはりこの時代の天皇に熱いものを感じてしまう。現代でも学んではいたが後奈良天皇や正親町天皇に忠誠を尽くしたい。本当に日本のものを憂う天皇家を守り立てることこそが大事だと思う。
また、稙家からとても気に入られたようで元服する際は是非とも烏帽子親となりたいと言われている。こちらとしても近衛との関係を構築していくのは悪くない。是非ともよろしくお願いしますと返しておいた。京での状況はこんなもので六角領内では着々と農地改革が進んでいた。既に六角が直轄地としている領内では新たな田畑の割り振りが終わり税も決まった。今は希望者に応じて開墾を始めている。道具も備中鍬や諸々の少し先取りした道具を使い黒鍬衆を総動員。増やしまくっている。
流石にここまで派手に動けば近隣諸国のものたちには六角が何かをしていると気づかれ何度か間諜がやってきているがそのほとんどを甲賀のもの達が排除して伊賀のもの達が外敵の情報収集をしている。
商業としては本格的に寺社に対して圧力をかけ始めようとしている。義藤からもらった大義名分がある以上こちらとしてはやり易くもなった。まずは領内全ての寺社に対して父が政教分離令を突きつける予定だ。従わぬ場合は焼く。そして最後に比叡山を黙らせる。




