156 これからの展望
156これからの展望
永禄2年1559年 3月 六角治頼
義賢の言葉には、治頼への信頼と義定への期待が混じっていた。治頼は、父の言葉を謙虚に受け止めながらも、義定が丹波方面の国人衆と良好な関係を築けるよう、事前に赤井・波多野へと文を送っていた。政治とは、現地に人を送るだけではなく、周囲の環境を整えることでもある。治頼は、義定の成功を裏から支えていた。
「孫犬丸は、観音寺に住まわせ当主教育と我々への忠誠を誓うように上手く教育しておる。後の2人は飼い殺しだな。」
「はっ、そちらはお任せいたしまする。」
義賢は、孫犬丸を観音寺に住まわせ、当主教育を施していた。忠誠を誓わせることで、若狭武田の名を六角の秩序に組み込む。治頼は、義輝の前で「孫犬丸を育て上げる」と宣言した以上、飼い殺しにはせず、実際に政務を学ばせていた。だが、信豊と信由は別だった。彼らは真実を知る者であり、六角の支配にとって危険な存在だった。
今義輝に彼らが真実を話したとて信じてもらえるわけがないが、あのイカれ将軍だ。それを理由に六角をも潰し始めては堪らん。あの激情型の将軍が何かをきっかけに六角を疑い始めれば、全てが崩れる可能性もある。治頼は、彼らを飼い殺しにすることで、火種を封じ込めていた。
「お前はこれからどう動くつもりだ?若狭を義定に任せたという事は敦賀への侵攻は考えてはおらぬのか?」
義賢としては小浜に加えて敦賀も取れればと思っていた。義賢の問いは、単なる確認ではなく、次なる戦略への期待が込められていた。小浜を押さえた今、敦賀を取ることで若狭の海路を完全に掌握できる。
「いえ、敦賀も取りまするが今の時期はまだ難しいかと若狭が完璧に六角家のものとなった訳ではございませぬ。もう1、2年程は戦とは関係なく安定した統治を民に享受してもらう必要がございまする。」
治頼は、敦賀への侵攻を否定せず、時期尚早であることを強調した。若狭の民が六角の統治に慣れ、安定した生活を享受するまで、戦火を広げるべきではない。彼は、戦の勝利よりも統治の完成を優先する姿勢を貫いていた。義賢もその言葉に納得しつつ、治頼の慎重さが六角の強さであることを再認識していた。
「ふむ、つまりは2.3年後には仕掛けると?」
「いえ、なんとも言いづらいですな。そうなるように策は色々と巡らせてはおりまする。ただ、尾張や美濃の方が面白い事になりそうなので伊勢に戻りそちらに備えようかと思っておりまする。」




