139 若狭侵攻15
139若狭侵攻15
治頼は、戦後の統治を見据えていた。貧困は不満を生み、不満は反乱を呼ぶ。それを防ぐには、民の生活を立て直すしかない。近江から来た兵たちを民政部隊として再編し、村々に希望を届ける。一揆を未然に防ぐための「心を砕く接し方」は、治頼が六角家で学び、実践してきた統治哲学だった。
また、若狭の民に選択肢を与えることで、支配を強制ではなく希望に変えようとしていた。近江への移住は、生活再建の一手でもあり、六角の懐に民を迎え入れる策でもある。次男以降の者たちを選別することで、家族単位での再編も可能となり、若狭の人口構造を安定させる布石となる。
文官達が畏って頭を下げる。
「では、近江と同じ様に開墾した土地の3年間の免税と農耕具の格安提供を行うと言う事で募集しておきまする。」
文官の提案は、近江で成功した政策の再現だった。免税と農具の提供は、民にとっては再出発の希望であり、六角にとっては忠誠の種まきでもある。治頼は、経済と統治を結びつけることで、戦後の秩序を確実なものにしようとしていた。民が自ら六角の政を選ぶように仕向けるのだ。
「うむ、それに近江から出て来てもらうのだ。家を建てる際の補助金も出してやれ。」
「はっ!」
治頼は、移住者に対する支援を惜しまなかった。家を建てる補助金は、生活の安定を意味し、六角への感謝と忠誠を生む。近江からの移住者は、六角の価値観を持ち込む者たちでもあり、若狭の風土を六角色に染める役割を担う。治頼は、戦後の若狭を「第二の近江」として育てるつもりだった。
軍政と民政の両輪を整えた後、父義賢への報告をまとめた。若狭の統治は、六角家の威信をかけた事業であり、義賢の支援が不可欠だった。伝令には、農民募集の詳細と、道の整備計画も添えた。治頼は、戦の勝利だけでなく、戦後の繁栄までを見据えて動いていた。
〜〜〜〜
永禄1年1558年 5月 六角義賢 観音寺城
「義賢様!治頼様より文がありまする!確認をお願いいたしまする!」
伝令兵は、風雨を避けながらも急ぎ足で観音寺城へと向かった。治頼の文は、若狭の未来を左右する重要な内容であり、一刻も早く義賢に届ける必要があった。義賢は、伝令の疲れを労いながらも、文を受け取るとすぐに蝋燭の灯りの下で読み始めた。
「なるほど、余っている農民については優先的に若狭へと割り振れる様にすぐに告知を行うとするか。抑えの兵自体は治頼が用意している様だな、抜かりないと言うか、甘えないと言うか…まぁ良い。近江から若狭への道の整備も最優先で行う様にこちらの黒鍬にも声をかけておこう。」




