122 若狭への準備2
122若狭への準備2
治頼の中では琵琶湖の水運を使った大規模奇襲が考えられていた。先遣隊として朽木に伏せていた兵1000と高島に用意した兵2000で若狭の小浜を抑え、若狭を刺激しない位置である今浜や観音寺に集めた兵合計3000を水軍で輸送して6000で若狭を制圧という計画だ。
この作戦は、若狭武田の内乱と朝倉の動きの鈍さを突いたものであり、奇襲と兵站の両面で優位に立つ構想だった。治頼は、戦を始める前に勝ち筋を整える主義を貫いていた。
「半蔵とも協力して若狭と朝倉に気づかれぬように動いてくれよ。必要なことがあればなんでも献策してくれ、頼りにしている。」
半蔵は、伊賀の忍び衆を使って若狭・朝倉の動向を探り、偽情報の流布や商人の往来を通じて敵の目を逸らす工作を進めていた。治頼は、戦を情報で制することを重視していた。
天文27年1558年 1月 近衛前久
「帝よ、六角からは京を実質支配しているのは三好、だからこちらに気にせず三好と話をして貰いたいと返事が来ておりまする。」
昨年の9月に後奈良天皇が崩御した。史実では御大葬、御大典の銭が用意できずに酷い有様だったが、この世界では治頼が支援をした事によりつつがなく御大葬から御大典までを終えることができた。
この戦乱の世の中においてここまで問題なく儀式が行えた事は奇跡に近く、現帝である正親町天皇(後年呼ばれる)は先の帝である後奈良天皇と同様に六角への信頼を非常に高く持っていた。
帝は、儀式の滞りなさだけでなく、六角が民の安寧を第一に考えていることに感銘を受けていた。戦乱の世にあって、民を守る武家こそが国を支える柱であると、帝は確信していた。
「だが、今の朕があるのは六角と民のおかげぞ。それなのに何もせぬというのは…。それに今の公方が騒ぐのではないでおじゃろうか?」
前久の内心には忸怩たる思いがあった。前久は、帝の信頼に応えたい一方で、三好・公方・朝廷の均衡を保つ必要があった。六角を前面に出しすぎれば、他勢力の反発を招く。彼は、政治の綱渡りを続けていた。
帝を悩ませているのは公方なのである。
「いえ、伊賀守殿曰く、武家の棟梁となるお方が泥水を啜らぬようでは天下を治める器が無いというもの、耐えて頂く必要があると申しておりまする。」
治頼の言葉は、単なる慰めではなく、武家の覚悟を示すものだった。天下を治める者は、泥水を啜ってでも秩序を守るべき――その思想は、帝の胸に深く刻まれた。
帝が何度も頷く。帝からしたら今の公方に対して悪い感情しかないのがありありと伝わる。
「分かった。其方に任せる。良きにはからえ。それと六角から何かあれば直ぐに知らせるのじゃぞ。」
「はっ」
前久は深く頭を下げて帝の前を辞すと邸宅へと戻っていった。
「はぁ、さて、まずは三好に書状を送るとするか。」




