112 六角の一手
112六角の一手
「公方に頼み、六角・上杉から銭を負担して貰えばなんとか面目は立つか…。三好に行く前に治頼殿にも話を通しておくべきだな。」
治頼が元服の折、前久が烏帽子親を務められたのは、六角家が公家の信頼を得ていた証左であり、義賢・定頼の代から続く誠実な政務と、近江の安定がその背景にあったが、烏帽子親を務めたことをきっかけに治頼とも仲を深めていた。
六角は将軍家と朝廷の両方に顔が利く希少な存在。前久は、治頼ならば格式を守りつつ現実にも対応できると見ていた。彼の一手は、朝廷の命運を左右する可能性を秘めていた。
前久に思いつく一手はこれのみであった。自宅が近いこともあり一度戻ろうとしていると家人から文が届いていた。
「なんと!ここに書いていることは本当か?」
「はっ!六角治頼様が既に邸でお待ちにございまする!お早めにお戻り頂ければと…。」
治頼の訪問は偶然ではない。前久の動きを読んだ上での先手だった。前久は、政治の駆け引きにおいても治頼が一枚上手であることを改めて感じていた。
「分かった!すぐに出してくれ!」
前久は暗雲の中に一筋の光明を見つけた気持ちであった。家人に早く馬車を出す様に伝えると整備された道を選びすぐに自宅へと戻りはじめた。
車輪の音が石畳を叩く。前久の胸には、久々に希望が灯っていた。治頼との対話が、朝廷の再建への第一歩になるかもしれない。彼は、急ぎながらも心を整えていた。
天文26年1557年 8月 六角治頼
「父上、内密にご相談がありまする。少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
父が縁側で清酒を片手にゆっくりとしている横に俺も酒を持ってそばに座る。
縁側には蝉の声が響き、夏の風が酒の香りを運んでいた。だが、治頼の声には季節とは裏腹な緊張が滲んでいた。義賢もそれを感じ取り、杯を傾けながらも目は鋭くなっていた。
「なんだ、帰ってきて早々やはり厄介ごとか。お前はただ顔を見せにくると言うことができぬのか?」
父が俺が持ってきた杯に酒を注ぐ、それを一息で飲み干すと自分で入れ直し、父の杯にも注ぐ。
「まぁまぁ、その様な平和な時代を作るために私は頑張っているのですよ。父上もお手伝いくださいね。」
治頼の言葉には、冗談めいた軽さの中に本気があった。義賢はそれを見抜いていたが、あえて茶化すことで息子の真意を引き出そうとしていた。
「お前は全く…どこまで見据えているのやら。それで相談とはなんだ?」
「はっ、帝の崩御がもう目の前までやってきております。」
父の顔がキリッと切り替わった。義賢の目が細くなり、背筋が伸びる。纏うオーラが父親の顔から戦国大名の顔に変わった。帝の崩御は、国の秩序が揺らぐ瞬間。戦国大名にとっては、力を示す絶好の機会でもある。




