下山をしよう 2
1巻好評発売中です。よろしくお願いします。
……と、雪崩に巻き込まれるまでの経緯を語ったわけだが、それを聞いたカピバラは呆気に取られていた。同時に、雪崩の原因について怒っている雰囲気だった。それもそうか。
「なんなのよそれは! こっちに尻拭い押し付けられたってことじゃない!」
「その通り。ただ、何が原因であれ放置しちゃ不味い事情があった。それをカピバラに伝えようと思って慌てて戻ろうとしたんだけど……」
「そのタイミングで雪崩に巻き込まれたってわけね……。こっちも死ぬかと思ったわよ」
まったくだ。
私も死ぬほど怖かったが、残された側の恐怖もまた察するに余りある。
あと一歩のところですべてが無に帰すところだった。
それでも、すべてが上手くいった。
「その後は知っての通り、あなたが掘り出してくれた……。ありがとう、なんて言葉じゃ足りない」
「別にいいわよ、とか言わないから。反省して。死ぬほど反省して。私抜きでこういうことになっても、ちゃんと帰ってきてくれなきゃ意味がないんだから」
カピバラが涙を滲ませながら怒る。
宥めるように私はカピバラを抱きしめて、背中をぽんぽんと叩いた。
こうして彼女が怒ってくれるからこそ、私は今も生きている。
「うん。反省してる」
「口から出任せじゃないでしょうね」
「対策も考えてる、ていうか考えたし、実践もしてみた」
「随分話が早いわね……って、それもそうか。氷菓峰を巡礼してきたんだものね」
「埋もれてるときやることなかったから、どうすればいいか考えてた」
私がそう言うとカピバラは私の手を振りほどき、じとーっとした目でこちらを見てくる。
「それ建設的なこと考えてました、的なことを言ってるんじゃなくて、あーすればよかった、こーすればよかったとか、堂々巡りな鬱状態だったんじゃないの?」
「そ、そうとも言う。でも、考えが実ったのは事実」
たまにカピバラは鋭くグサっと刺してくる。
「本当にぃ?」
「うん。というわけで、雪崩から助けてもらった後のことを説明する」
◆
逃げる暇もなく雪崩に襲われ、その後は一瞬気を失っていた。
息苦しさと寒さで、そのままあの世へ旅立っていた可能性も大きい。
カピバラがいなければ。
ある瞬間、自分の体に何かが触れた感覚があったと思うと、息苦しさから解放された。
死の前の安らぎとかではなく、肉体に活力が戻りつつある。
今まで麻痺して感じていなかった寒さや痛みも感じるようになったのだから。
寒い。
マジで死ぬ。
その危機感が復活しているということは生きているということだ。
回復魔法によるものだとピンと来た。
誰かがこちらを助けようと動いている。だから遠からず、掘り出されるはずだ。
とはいえ、待つ以外の何も出来なかった。
雪の重みで身動きがまったく取れなかったからだ。
だから私は助けを待ちながら、眠らないように、あるいは体温が失われないよう身じろぎしながら、「どうすればよかったか」を考え続けていた。
後悔の一つは、ここが異世界の山であることを失念していたことだ。
地球の雪山と同じアプローチをするべきではなかった。そこで思考が止まっていた。魔法がある世界である以上、魔法による警戒を怠ってはいけなかった。
まあ「油断していた」、「山を舐めていた」とも言えるのだが、あんまりそういう結論は好きじゃない。ていうか嫌いだ。
この言葉は何の具体性もなく、何事についても言える。「油断していた」の次に来るのは「次から油断しません」、「気を付けます」なわけで、いつの間にかノウハウや手順の問題ではなく個々人の心構えの問題にすり替わってしまう。広く警告を促してるように見えて、事故の話を聞いた第三者を安心させる効果がある。
だから、仮に私が自業自得で死ぬとしても、誰かに何かを残さなければならない。
この、魔法ありき、精霊ありきの世界で何が起こりうるのか。どうすべきなのかを。
(記録を残そう)
そう思って、身をよじってポケットの紙を取り出そうと思った。歯で指を切って血で書き残そう。少しずつ、ほんの少しずつ、腕の可動範囲を広げようと身をよじる。だが少し動いて空間が生まれると、上から雪が落ちてくる。苛立ちが募る。どうすればいい。
などと雪の中で思索をするうちに、二つ目の後悔に思い至った。
私は、私の秘密を、大事な仲間に打ち明けていない。
(言っときゃよかった)
とはいえこのまま紙に書いても死に瀕して妄想に取り付かれたと思われかねない。血で書いた妄想ノートを見せられる方もたまったものではないだろう。いや、そもそも書き残せるかどうかもわからないのだが。ほんの少しの動作さえもできない麻痺状態で、益体もない考えばかりが思い浮かぶ。
さてどうしたものか……と思っていたあたりで、助け出された。
いきなり現実に引き戻されて、色々と言った気がする。
だがカピバラの方もろくに聞こえてはいなかっただろう。私が抱きしめたあたりで体力の限界に来たのか、そのまま眠りこけてしまった。
逆に私はニッコウキスゲにお湯を飲ませてもらって体温が回復して、意識も体力も回復してきた。
「オコジョ、大丈夫? 歩ける?」
「うん。問題ない。ひとまず小屋に戻ろう」
こうして私たちはカピバラを運びながら小屋に戻った。
この時点でまだ午前7時。
そこから2時間ほど休憩を取った。
体を温め、食事を摂り、低体温症のような症状はほぼなくなった。
「ツキノワは休んでていいよ。疲れてるだろうし、カピバラを一人にしておくのも不安」
「そりゃ助かるが……大丈夫か?」
ツキノワが心配そうにしている。
そうは言ってもツキノワの消耗は激しく、私とニッコウキスゲはほぼ回復したがツキノワはいつものシャキっとした様子はない。昨日もラッセルを一番長く任せてしまったし、休んでいてほしい。
「大丈夫。ちょっと思いついたことがある」
この世界の雪山を攻略する上で、色々と考えたことがある。
「奇遇だね。あたしもだよ」
ニッコウキスゲが、妙に不敵に笑った。
こうして私とニッコウキスゲは、山頂を目指すために再び小屋の外に出た。
風は落ち着いていて、日差しが強い。
先程までの騒動が嘘のように静かだった。
「静かだね……」
「さっきあれだけ修羅場だったってのにね」
ニッコウキスゲがやれやれと肩をすくめる。
気持ちは同じようで、笑みがこぼれた。
「じゃあ、事情を知ってるやつに文句くらい言ってやろう」
そして私は、再び邪精霊を呼び出した。
雪が舞い、ミニ祭壇から立ち上る煙と一体になって美しい女性のようなシルエットを形作る。
【無事であったようだな】
「無事とは言えない。もうちょっと早く教えてほしかった」
【仕方あるまい。聖地そのものの力が薄まっている以上、そちらの祈りがなければ姿を現すことはできなかった。そもそも祈りは人から与えられるもの。こちらから収奪できるならばそれは祈りではない】
こういうところ妙に杓子定規なんだよなぁ。
仕方ないとは思うのだが。
それに、呼び出しをサボったのは自分なので反論しにくい。
「ともかく、これから氷菓峰を登頂して祈りを捧げる。ここを聖地に戻さなきゃいけない。あなたに伝言を頼んだ人たちにこちらの状況を伝えてほしい」
【承った】
確か向こうの相手は、鬼王砦の隊長と、聖者カルハインだった。
邪精霊を通して伝言をしたということは、これは一種の契約だ。偽りは許されない。約束を違えた場合、邪精霊がペナルティを与える。
つまり報酬がどうとか言ってたけど、ちゃんともらえるに違いない。
だから報酬をもらう側が誰なのかも、ここでしっかり明示しておこう。
「オコジョ。なんか要求を突きつけた方がいいんじゃないの? 高額報酬を約束するとかなんとか言ってたし、少しふっかけるくらいしといたら?」
「ま、そこは大丈夫と思う。どちらかというと……お金だけ渡しておしまいになる方が困る」
「どういうこと?」
「例えば……こちらの事故原因とその対策が書類に残らないとか。そっちの方が問題」
カピバラが何を思い、どう行動したのか。
予測不能の雪崩が起きて、どうして全員が生還できたのか。
だから今の状況は、偉業だ。
「鬼王砦の魔物は相当強いし、それを倒した彼らは英雄なんだと思う。だけど邪精霊の力を使って聖地の力を絞り尽くすのは禁呪や外法に近いし、すでに効果が証明されたやり方だと思う。こっちの英雄は、今まで誰も出来なかったことを成し遂げて命を救った。そして未来の巡礼者の多くを救う可能性がある」
【それを言われると耳が痛いのう。だがそなたらが偉業を成し遂げたのは事実であろうよ】
雪の精霊がくっくと笑う。
そこには皮肉はなく、純粋に人間が好きな精霊の姿がある。
「シュガー。あなたに伝言を頼んだ二人に伝えてほしい。この巡礼の報告書を正しく受理して、秘することなく扱ってほしいと」
【それも承った】
お願いとしてはこんなところかな。
じゃあニッコウキスゲに出発しようかと話そうと思ったところで、ニッコウキスゲが唐突な提案をした。
「思ったんだけどさ。オコジョはもうちょっと魔法に頼った方がいい。魔力が少ないからそう思うんだろうけど、それにしたって魔法に頼るのを警戒しすぎてる」
「……うん。それは自分も思い知った」
地球の知識ベースで物事を考えすぎてしまう。
これはちょっと悪い癖だ。
「だから、魔法でなんとかしてみない?」
「なんとかって?」
「粉雪が薄くて脆い層の上に乗っかってるから雪崩が起きるんだよね。じゃあ、あたしたちの進路を魔法で硬い雪にするのって、できるかな」
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