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下山をしよう 1




 暖炉の火が爆ぜる。

 風はなく、あったとしても積もった雪が吸収するので火の音だけがやけに大きく響いた。

 山小屋は巨大な天然の防音室である。


「ん……むぅ……」


 カピバラが寝返りを打った。

 けっこう寝相が悪い。シュラフがぐちゃぐちゃだ。

 冷えないように直してあげようかと思ったあたりで、カピバラが目覚めた。


「あれ……? なんか、暖かい……?」

「起きた?」


 呼吸もしっかりしてて熱もないから大丈夫とニッコウキスゲが太鼓判を押してたけど、起きるまではちょっと不安だった。声を聞けてようやく安心した。眠さゆえの甘ったるい口調でこそあるが、病人のか細い声ではない。


「ここは……昨日泊まった避難小屋か。外が地獄ならこっちは天国ね……」


 カピバラが安堵の息を深く深く漏らす。


「お茶飲む?」

「あとお腹空いた。なんか頂戴」

「了解」


 ポットの湯で紅茶を淹れる。

 そしてカットした黒パンに、暖炉の火で炙ったチーズを載せてカピバラに渡した。


「はぁー……生き返るわ……」


 寒さと飢えから解放された瞬間の食事は、まさに死ぬほど美味しい。

 死ぬような目にあったのだからもはや比喩表現ではないのだ。


「ツキノワとニッコウキスゲは……まだ寝てるか。ていうか今って夜?」


 カピバラは変な時間に寝たから、何時なのかわからないようだ。


「四時前。もうちょっとで朝かな。二人が起きたら荷物を片付けて下山しよっか」

「あれからみんな、ずっとここで休んでたの?」

「ううん。色々とやることがあった。巡礼とか」

「巡礼……って、もしかして氷菓峰の山頂に登ったわけ!?」


 カピバラが大いに驚き、そして呆れている。

 それはそうだろう。本来ならば一旦下山した上で体制を整えたかったところだが、どうしてもタイムロスを避けて巡礼しなければならない事情があった。


「撤退したかったんだけどね……。放置したらかなりヤバいことになってたから」

「……とりあえず、最初から聞かせて。私と別れて山頂にいったとき、何があったの?」

「うん。私たちが出発して二十分くらい過ぎたときに……あいつが現れた」







 カピバラと別れて氷菓峰に向かう途中、私たちはある地点で歩みを止めた。


「……なんか、すごい、嫌な地形」

「嫌な地形?」

 唐突な私の言葉に、ツキノワがオウム返し気味に聞いてきた。

「傾斜が強い。そんなに大きくないけどカールっぽくなってる。色んな所で雪崩が起こりやすい」


 カールとは半円状の窪地のことだ。

 アイスクリームをスプーンでえぐり取ったような感じ、とも例えられる。

 日本で言うと唐沢カールや千畳敷カールなどが有名だが、ちっちゃいカールはそこかしこにある。

 ファンタジー小説やRPGの背景のごとき雄大な景色なのでオススメだが、ちょっと問題もある。上に行けば行くほど傾斜がキツくなってくるので、雪崩に注意しなければいけない。


「あー……ここが普通の山だったらな」


 聖地だから大丈夫だろ、というツキノワの言外の言葉を、私は無視した。


「ちょっとテストしたい。スコップで掘ってみる」

「おいおい、さっさと行こうぜ」

「そうそう。時間を掛けないのも大事だよ」


「ちょっとだけ。ちょっとだけだから」


「まあどうしてもって言うならいいんだけど。で、テストって何するの?」


「弱層テスト。雪をコの字の形に掘って、雪の柱みたいなのを作る」


 雪山に積もった雪はシンプルに雪がどんどん上から降って積もっていくだけではない。

 雪は降ったり止んだりを繰り返すし、重みによって固く締まるガチガチの雪になったりパウダースノーになったりする。更には気温や日照の変化などもある。


 例えば昼間の日照によって軽く溶け出した雪が、夜中の冷え込みによって凍結し、薄い膜のような氷になったりする。さらにその上に雪が積もれば、固くしまった雪、氷のように硬いようで脆い雪の層(弱層)、その上に積もった雪の層……という多層構造になる。


 弱層ができる原因は他にも色々とあるが、問題はその弱層がなにかの拍子にパキっと破断したときに雪崩が起きてしまうことだ。


「この雪の柱を、てっぺんからぺしぺし叩く。弱層があると、弱層より上のところがずるっと滑るように崩れる」

「へぇー。ちょっとやってみていい?」

「うん」


 ニッコウキスゲが興味深そうにしている。

 ぜひとも体験してもらおう。

 まあ聖地で雪崩リスクがないとなると弱層もないとは思うけど。


「雪の柱のてっぺんにスコップを当てて、その上から手で叩いてみて。まず手首の力だけで叩いて、それでも崩れなければ肘を支点にして強めに叩く。最後に、肩を使って強めに叩いてみる」


「わかった」


 ニッコウキスゲが軽く手で叩いても何も起きなかった。

 そして、肘から先を使って弧を描くように叩いたとき、それは起きた。

 雪の柱の上から15センチくらいのところに斜めの直線が入ったかと思うと、そこから雪の柱が割れてずるっと滑って落ちた。


「……ずるっと行ったね」

「……ずるっと行ったな」

「……うん。これ、間違いなく弱層がある」


 気まずい沈黙が流れる。

 なんか歯車がずれたような、嫌な予感をひしひしと感じる。


「えーと、聖地ってこういう弱層があっても雪崩が起きない……ってこと?」

「いや……そうだとしたら今のテストだって失敗するはずじゃねえか?」

「小さな雪崩を起こせるってことは、大きな雪崩も起きるってことじゃないの?」


 ……やはりツキノワやニッコウキスゲは頼りになる。


 こういうとき、「いや雪崩なんて起きるはずないじゃん大丈夫大丈夫」と嫌な予感を振り払ってしまう人は多く、私の中にだってそういう安心への誘惑がある。いや、本当、そうであってほしいって思った。


 だが二人は、「巡礼というのは思い通りにいかないものだ」という経験則が体に叩き込まれており、現実をちゃんと見据えてくれる。すっごい嫌そうな表情を浮かべて。


 つまり今、何か予定と違うことが起きている。


「オコジョ。精霊に聞いてみよう」

「うん。ていうか小屋を出る前にやるべきだった。失敗した」


 私は足元の雪を踏み固めてミニ祭壇を置いた。

 香を焚いて精霊を呼び出す。


「……旅人に加護をもたらす大地の精霊よ。祈り9日分を供物とする。どうかその尊き姿を現したまえ」


 通常であれば煙がもくもくと上がっていき、精霊が姿を現すはずである。


 だがいつもと様子が違う。

 つむじ風で雪が舞って、それが少しずつ形を作っていく。

 山の精霊、というよりも雪の精霊といった様子だ。


【……今、ここの精霊は姿を現せぬ。かわって我が話を聞こう】


 声に聞き覚えがある。

 いや、声だけではない。この寒気がする気配は間違いない。


「邪精霊さん……だったりします?」


【人の子らはそう呼ぶであろう】


 ……呼び出しに応じるものなんだ。

 邪精霊と契約するのって精霊魔法使いとしての高等スキルって聞いてたけど。


 って、いや、好奇心は尽きないけどそこを聞いている場合じゃない。

 一言一句無駄にはできない。

 本質に迫る質問をしなければいけない。


「精霊様、今ここで何が起きてるんですか……?」


【今、ここで、という意味では何も起きてはいない】


「じゃあどこで何が起きてるんですか」


【ここより遠く離れた地……鬼王岩城山(きおうがんじょうさん)に、鬼王ツチグモが誕生した。人の子らは討伐のために我の力を頼った……が、思ったよりも強くての】


 鬼王岩城山、ちょっと聞いたことがある。


 大鬼山の難易度ハードモードにしたような山で、ゴブリンやオーガの上位種がウヨウヨと出てくる山だ。確かその魔物を討伐するために鬼王砦とかいうのが造られてた。誰かそこに派遣されていた気がする。


【ツチグモがあまりに強く、山頂の祠さえも破壊される恐れがあった。そこで精霊魔法使いたちが我を頼り、そして我はこの聖地の力を借りたが……力を使いすぎた。恐らく昨日から10日ほどの間、ここは、聖地でなくなってしまう】


「……弱層ができて、雪崩が起きる」


【それだけではない。人の子が山頂で祈りを捧げるより先に魔物が来て聖地の祠を壊せば、ここは永劫に、聖地としての力を失うであろう】


「なんでそんなことになってるわけよ!?」


 ニッコウキスゲがキレ気味に聞いた。

 まったくそう、ほんとそうだと思いながら頷く。

 だがツキノワがこれまたエスプレッソ一気飲みしたような苦い顔で呟いた。


「いや……わからなくはない」

「どういうこと?」

「鬼王岩城山の魔物が強すぎて巡礼できなかったのは懸念事項だったな……鬼王砦も、札付きの悪だろうとなんだろうと冒険者を集めまくってたし。あそこが魔物に牛耳られたままだと大地震が起きて近くの都市が崩壊するとも言われる」

「大地震……」

「だがこっちの山が聖地でなくなったとしても被害は小さい。そうなる猶予がなくて騎士団や冒険者たちが大攻勢に出たんだとしたら……ここの聖地を潰す可能性があっても最終的な被害は小さくなる……って計算をしててもおかしくはない」

「いや、でも、問題あるって。めちゃめちゃある。ウチの実家あるって」


 焦りすぎて口調が変になっている。


 ただ言いたいことも確かにわかるのだ。この国は日本のような耐震住宅があるわけでもなく、あるいは救援体制や物資が備えているわけでもない。そんな状況で大地震に見舞われれば、何百万人という犠牲が出る。


 ひるがえって氷菓峰が聖地でなくなったとしても、周囲にあるのは小さな集落ばかりで避難は比較的楽だろう。単純な計算だ。被害を受ける方としてはたまったものではないが。


【だが、すぐにでも山頂で祈りをささげることができれば、この山に魔力が戻るのは早まるであろう。さて……ここから伝言を伝える】


「え、伝言?」


 精霊が伝言を伝えることはよくある。

 が、私たちに伝言を送る人などいるだろうか。


【鬼王砦隊長カーン=ディオルヘイム、ならびに聖者カルハイン=エストの連名にて伝え残す。今、氷菓峰に巡礼者がいるのであれば、山頂に到達し祈りをささげてほしい。巡礼者協会に『シュガートライデント巡礼』の特急依頼を出しているが、もしこれが遅れた場合、雪崩、そして急激な雪解け水による洪水、河川の氾濫等の被害が発生する可能性がある。報酬は約束するが聖地ではなくなっている以上、難易度は増すだろう。準備が不足している場合は、すぐにでも下山をして改めて再アタックを頼みたい。以上、幸運を祈る】


 あっ。


 そういうこと。




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オコジョたちや山々の美麗なイラストがあって見応えバツグンですので、
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おっとこれは完全にやらかしましたね… 元日本人的に万全を期してはいたものの、巡礼的には一番大事な事を忘れてた感
カルハインさん力を拝借する聖地の選定に私情挟んでないですよね? まぁ敵が強かったのは想定外っぽいしちゃんと伝言も残してるし悪意は無いような感じするけどあわよくばアローグスの地元消し去ってやるとか思って…
聖地を盲信ぜずに事故る可能性を考えれるのがスゴイ それはそれとして山の力使うのを領主に伝えてなかったのかな 誤字? ーこの国hあ日本のような耐震住宅がー オコジョちゃんが焦りすぎて地の文までw
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