表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

68/118

約束をしよう




 カピバラは、ケヴィンを手紙で呼び出して事情を説明することにした。


 場所は登山用品を作るために借りている工房だ。


 カピバラファクトリーと勝手に名付けたが、今のところ「オコジョ&カピバラ」になりそうだ。ここならばお湯を沸かしてお茶を入れるくらいはできるので、人をこっそり招いて密談するには都合が良かった。


「えーと……なんでカプレーとマーガレットが一緒にいるんだい……?」


 そして説明のために私も同席している。


 本当はガルデナス家に行くべきなのだろうが、家出中の身のカピバラが顔を出すと当主が出てきて面倒なことになる。まずケヴィンと話し合うためにこうした状況を作ったのだった。


 が、当然ケヴィンは不思議に思ったであろう。

 私だって不思議だ。

 ケヴィンと婚約破棄の話をしたときと逆の状況なのだから。


「色々あった」


 何も答えてない私の答えに、ケヴィンは困惑を深めた。


「色々あったって……」


「それを説明するためにカピバラがあなたを呼び出した。というか、あなたがいきなり姿を消して騎士団の訓練に行かなければ、こうやって説明するまでもなかった」


 婚約者を放置するから私のような悪い虫が付くのである。

 別に奪ったとかではないけど。


「し、仕方ないだろ! 団長……グスタフ様が僕をいきなり訓練に連れてって……大変だったんだぞ! 剣術の稽古に放り込まれて、走らされて、馬術も模擬戦もやらされて……。死ぬほどへとへとになった状態でいきなりこの家に連れ戻されたんだ! 死ぬかと思ったよ!」


「あー……お父様、そういうところ強引だから……」


 カピバラが頭を抱える。

 まあ、こうなったきっかけはケヴィンが婚約者になったからだ。

 カピバラが関係あるといえば、ある。


「カピバラ。気にしない方がいい。あなたのパパの行動は、あなたのせいじゃない」


 ま、ケヴィンは大変だというのは本当だと思う。彼はいつも洒脱だった。髪は毎朝丁寧に整え、服も流行を追いかけ、貴族子女のみならず街を歩けば年頃の女性が振り返る美男子だ。


 それが今は、髪は伸びっぱなしで生傷が絶えず、まるで剣術道場に通う若者か、あるいは冒険者のようだ。貴公子のような格好良さはない。泥臭さを身に纏っている。


「……ケヴィン。あなたは、格好良くなったと思う」


「それ、皮肉かい?」


 ケヴィンが憮然として言葉を返した。


「半分は皮肉。半分は褒め言葉」


 ケヴィンは、何を言ってるかわからない、という表情を浮かべた。


「傷も多いし、なんだかくだびれてるし、カピバラのお義父さんに連れ回されて大変なのは見ててわかる。信じる」


「ああ、本当にそうだよまったく……」


「でも、楽しいでしょ」


「楽しいだって? バカ言わないでくれよ。僕はね……」


「じゃあ、匿ってあげようか? 元婚約者のよしみで」


 えっ、という驚きの声がケヴィンの口から漏れた。


「……カプレー。僕はマーガレットに全然連絡できなかったことを謝ろうと思ってマーガレットに会いに来たんだ。婚約破棄するって言ってたことも知ってる。だから、キミの話を聞きに来たんじゃなくてマーガレットと話そうと思ってここに来たんだ」


「もちろんその話は大事。だけどまず、私はあなたに言うべきことがある」


 カピバラからも、ちゃんと話しなさいよと怒られたところではあるし。


「……なんだい?」


「私も、あなたのことが苦手だった。友達としては嫌いじゃないけど、一緒に夫婦として生きていくのは……まあ、難しかったと思う」


 ケヴィンは陽気でスマートな振る舞いを心がけている青年だ。


 周囲や社会から求められる自分というものをよく理解して、期待通りに振る舞うことを苦としていなかった。世の中からの期待というものに無関心な私とは正反対だ。尊敬はしていた。ただ、着いてこうと心の底から思えなかった。


 私も、曲がりなりにも貴族令嬢である以上、私の生き方とケヴィンの生き方を比較するならばケヴィンの方がきっと正しい。


 だからこそ不思議ではあった。


 浮気をしたことを隠し通して婚約破棄をした方が断然よかったはずだ。


 もちろん長く隠せる話でもないだろうが、別れてから別の女性と婚約しました、という流れを作ることができなかったとは思えない。


 もしかしたら、馬鹿馬鹿しくて理屈に合わない恋愛に飛び込む自分に面白みを感じていたのは、彼なりの社会への反発や叛逆だったのではないだろうか。カピバラのように。


 いやそれで浮気していいものじゃないんだけどね。


「あなたが私のためにやったことも、私があなたのためにやったことも、行きたい場所、目指したい方向も、なんか、すれ違ってた。私の方から婚約破棄を切り出しててもおかしくはなかった」


 私の言葉に、ケヴィンの表情から険しさが消えた。

 その代わりに申し訳なさが滲み出る。


「……すまなかった。無理に付き合わせたし、乗ってこないキミが悪いとさえ思っていた。高慢だった」


「そういう風に素直に言えるってことは、今が充実している証拠」


「充実?」


「昔は、絶対にそんな顔しなかったし、そんな言葉を言わなかった。今のあなたはキラキラしてる。やりたいことをやってる人間が持っている輝きがある」


「……カプレーの、びっくりするぐらい割り切りがよくて言葉がハッキリし過ぎてるところ、正直苦手だった。なんだか教師に諭されてる気分になる」


 なんだか素直だ。

 カピバラのパパのしごきは、恐らくケヴィンによい効果をもたらしたのだろう。

 普通に婚約して彼氏彼女だったときには見ることのできなかった、彼の素の感情が伝わる。


「……キミの言った通り、今、充実してるんだと思う。倒されて、木剣で打たれて、この野郎って思いはしたけど、先輩や団長を憎いとは思わなかった。着いていけない自分が不甲斐ないと思った。死ぬかと思って馬を奪って逃げようと思ったのは四、五回あるけど」


「あるんだ」


 ケヴィンはそう言って、カピバラのパパに拉致されてからの顛末を語った。


 何となく自衛隊みたいな雰囲気なんだろうなとは思っていたがまさにその通りで、学校の中や市中のように貴族として尊重されることもなく、訓練という名のしごきにブチ込まれ、朝から晩まで訓練を繰り返し、横暴な命令を出され、必死に食らいつくしかなかったようだ。


 だが、貴族の嫡男というプレッシャーからは開放されていた。


 団長を頂点とする秩序の最底辺の新入りとなって、ただ自分が軟弱なひよっことしてしか扱われず、無我夢中で走ったりちゃんばらしたり体を酷使する日々は、ケヴィンを変えたようだ。虚勢を張る必要もなく自分を見つめられるようになった。


「だから……ごめん。今になってわかった。キミが妬ましかったし疎ましかった。やりたいことが何なのか迷ってなかったキミが眩しすぎた」


 うーん……人間変わるものだ。


 喜ばしいと思う一方、別れをきっかけに圧倒的成長されるのは若干ムカつくものがある。

 ま、その点についてはその生傷に免じて許してあげよう。


「……今のあなたがやりたいことって、騎士になること?」


「そうだ」


「とてつもなく無礼な質問だけど大事な話だから、聞いておく。カピバラを口説いたのは騎士になるため?」


「それは違う!」


 ケヴィンは即座に反論した。


「……マーガレットと付き合い始めたときは何も考えてなかったよ。ただ、マーガレットを慰められるのは僕だけだと思った」


 どうやらケヴィンは、マーガレットのことを元から注目していたようだ。

 そつなく振る舞う模範的な貴族令嬢。

 そして、婚約していながら、婚約者となにか楽しいことをしている様子はない。


 もしかして自分と同じように、婚約者であったり自分の人生に不満を持っているのではないだろうか。そういう共感めいた思いがやがて、突発的な事態によって恋へと変わった。


 カピバラの元婚約者が浮気しているのを発見して、ショックで街をさまよっているときに偶然ケヴィンと出会った。それが二人の馴れ初めであった。


「……その後でグスタフ様に騎士団に誘われて喜んだかと言われたら、実際喜んだ。でもそれが目的じゃない。そこは信じてほしい」


 ちらりとカピバラの様子を伺う。


 カピバラは静かに聞いていた。

 喜ぶでもなく疑うでもなく、ただ静かに話を受け入れている。


 私はこの質問に辿り着けたこと、そしてケヴィンの答えに、内心でホッとしていた。

 自分が浮気された顛末を聞かされて安堵するのも妙な話ではあるが、カピバラが利用されたわけではなく、純粋にその場の勢いだったのは悪い話ではなかった。


「……とりあえず、話はわかった。私が聞きたいことは聞いた」


 ってことで、カピバラにバトンタッチだ。

 ようやく本題……カピバラが婚約破棄と言い出した件や、独立することについての話し合いになる。


「ねえ、ケヴィン」


「なんだいマーガレット」


「私、怒ってる」


「本当ごめん。一ヶ月以上も音信不通だった上に、その、キミが大変なときに寝てたなんて……」


「そうじゃないわ。あ、そのせいでもあるけど」


「違うのかい?」


 困惑するケヴィンに向かって、カピバラが叫んだ。


「オコジョ……カプレーにちゃんと婚約破棄の賠償とか済ませてから旅立ちなさいよ! そのせいで死ぬほど大変だったんだから!」


 あ、そっちか。

 私のせいだった。


 確かに私はカピバラに手八丁口八丁で巻き込んだ。

 賠償金を払うよりも登山用品を作る方が安上がりだぞと言って。

 結果として、カピバラの人生はなんだか凄いことになってしまった。


 そんな顛末をカピバラはケヴィンに向かって説明した。


 最初ケヴィンは話の意味がわからず疑問符だらけの顔をしていたが、少しずつ理解していった。


「……カプレーが巡礼者になって、キミとキミの大叔父はその手伝いをしている。それでグスタフ様が激昂したってわけだ。ようやく話が飲み込めた」


「そーよ。大変だったんだから」


 えっへんと自慢げなカピバラに、微笑ましさを感じる。

 本当に頼りになる子です。


「私は、カピバラからもらうべきものをもらった。返しきれないくらいもらった。だからケヴィンが払うべきものをカピバラが肩代わりしてるのと同じ」


 実際はケヴィンのことなど関係なく、私がねだりにねだりまくっただけなのだが、ケヴィンにとっては冗談でもなんでもない。賠償金をバックれて騎士団に入ったも同じなのだ。


「その分の何かを用意しろって話かい?」


 私がケヴィンに要求するものはなんだろうか。


 今のところ、お金はそこまで必要としていない。約束を破ったことへの謝罪を示すには一番お金がはっきりしているから、世の中の相場通りの金銭は要求しておく。だが大事なのはそこじゃない。


「もらうものはもらう。ケリはつけたい。でもそういうのとは別に……今後どういう結果になるにしても、カピバラの意思を尊重してほしい」


「真面目な話をしてるんだしカピバラって呼ぶのやめないか?」


「おほん。マーガレットの意思を尊重してほしい。あなたにはあなたのやりたいことを見つけたように、マーガレットにはマーガレットのやりたいことを見つけた」


「それはもしかして……カプレーと山に行くことかい?」


 カピバラが静かに頷く。


「靴を作って、この子を天魔峰まで連れてってあげたい。それが今の、私のやりたいこと」


 その話を聞いたケヴィンが、俯いて自嘲めいた笑いをもらした。

 な、なんかショックだったのかな。


「……婚約者を取られた気分だ。そうか、僕は、こういうことをしたんだ」


「取ったとか取られたとかの話ではないと思うけど……」


 婚約破棄されたときと立ち位置や構図が逆なのはその通りだ。

 カピバラも一時の恋心の炎は落ち着いている。

 完全に冷え切ったわけではないが、お互いがお互いを絶対不可欠なものとみなしていないだろう。

 別の何かに心を奪われている。

 結婚を考える人々としては少しばかり不誠実かもしれない。


 でも私は、それでいいんじゃないかなと思う。


「世の中もう結婚して子供を作ってる人も少なくない。でも、私たちは、子供なんだと思う。やりたいことをやりきってない。道半ばで諦めて結婚できるほど悟ってもいない」


「……騎士団にもいるんだよな。やりたいことやるっきゃないって口癖みたいに言う人」


「婚約破棄とかなんとかって話も、結局は家同士、大人同士の都合。自分がどう生きるかをまず考えないと、また失敗する」


「でも悠長なこと言ってると行かず後家になるんじゃないのあんた」


「そこうるさい」


 いいこと言ったのにカピバラが茶々を入れてきた。

 そんな私たちを見て、ケヴィンが語りかける。


「なあ、マーガレット」


「なに、ケヴィン」


「元から僕がどうこう言えるものじゃないけど、キミは、キミのやりたいことをやればいいと思う。僕は止めない。グスタフ様にも許しをもらえるよう、働きかけてみる」


 意外な提案に、私もカピバラも目を丸くした。


「……できるの? ていうか、今マーガレットのことで怒ってたりしないの?」


「最初は護衛を引き連れて出ていく勢いだったそうだけど、マーガレットが知り合いの屋敷にいるって手紙が来て落ち着いたそうだよ。ええと、コルベット伯爵って言っていたような」


 コルベット伯爵、ナイスフォローだ。

 悪の首領みたいな雰囲気を漂わせて気遣い力が高い。


「団長は頑固だけど、その頑固なところを説得するために副団長や団員は色々と工夫してるのさ。機嫌が良いタイミングとか、説得しやすい状況とか、色々と教えてもらった。靴職人の人と和解させるとかは無理だろうけど……マーガレットのことを口添えするくらいなら、できなくはないと思う」


 そういえばケヴィンは陽キャであり、宴会隊長気質だ。

 率先して道化たふりをして場を盛り上げられる気質があり、女性にモテる以上に男にモテる。

 男性同士の集団で下っ端にいるときは可愛がられ、上にいるときは頼られる。

 そしてカピバラ父もそういう社会に馴染みきっていて、カピバラ父に通じるコミュニケーションはケヴィンの方が得意ということなのだろう。


「家族の言うことはどこ吹く風なのに、職場の人の言うことは聞くタイプ」


「そう言ってくれるなよ」


「ほんとそうなのよウチの父親は」


 ケヴィンとカピバラが対象的な表情を浮かべた。

 なんとも面白みを感じる。


「まあ……カピバラのパパは、ちょっと勝手だと思う。本人がどう思ってるのか聞きもしないで行動して、後から『お前のため』みたいなこと言っても押し付けがましい」


「男としては耳が痛いな」


「耳が痛いなら、こちらの話も、カピバラのパパの間に立つこともできるはず。だから……助けてあげてほしい」


「わかった。キミには僕のことを信頼してくれとはとても言えないが……任せてくれ」


 ケヴィンが、重々しく頷いた。

 彼と別れて初めて、信義ある会話ができた気がした。




ご覧いただきありがとうございます!

もし面白かったときは、下部の☆☆☆☆☆を★★★★★に押して

評価をして頂けると、とても励みになります。

また、ブックマーク登録もぜひお願いいたします。


他にも面白い作品を読んだときはぜひ評価を押してあげてくださると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/25にMFブックスにて書籍版1巻が発売します。
オコジョたちや山々の美麗なイラストがあって見応えバツグンですので、
ぜひ書店や電子書籍ストアにて購入してくれると嬉しいです。
html>
― 新着の感想 ―
[良い点] 正直ずっと気になっていた人間関係のひとつだった。 良い区切り、良い関係の再構築だった。 書くの難しい場面だったと思うけど、正面から書いてくれてうれしい
[良い点] うおー!めちゃ良い男子に進化してってる! これはオコジョさん彼にも仕事名前付けないと!
[良い点] >婚約者を取られた気分だ 秀逸すぎるセリフに草
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ