進路を考えよう 6
私はスライム山山頂の展望台の方に聴衆を誘導した。
ここはすり鉢状の舞台ホールのようになっており、スクリーンの代わりに天魔峰を始めとして様々な山を一望できる場所だ。
「まずスライム山を登るとき、皆さんは馬車で来ていると思う。硬い椅子に揺られて体がバッキバキになっている。そこから急に激しい運動をすると足腰に響いてよくない。そこでちょっとした柔軟体操をすることをおすすめ」
柔軟体操、あるいは動的ストレッチだ。
運動をする前に関節を伸ばして柔軟性を広げ、怪我を防ぐ。
これを言うと誰もが当たり前じゃんと言うが、けっこう忘れがちなポイントだ。登山中は膝や足首、股関節あたりに負荷がかかりやすいし、登山前の段階で足腰に違和感がないかも確かめられるのでオススメ。
「みんな、両手を広げられるくらい間隔を広げて。そうそう、ぶつからないように。それじゃあまず膝と足の腱を伸ばすところからやってみよう」
登山前にやるべき足腰の柔軟体操のやり方からレクチャーを始めた。
みな、半信半疑だが私の指示に従って動いている。
「そうそう。しっかり関節を伸ばしつつも、あんまり力強くやったり、無理に動かないところまで動かす必要はない。あくまで怪我を予防するためのならしのようなもの」
そして動的ストレッチを教えた後は、以前、タタラ山でカピバラに教えた基本動作をここにいる皆に説明していく。
つま先やかかとではなく、足の裏全体で着地するフラット歩行。
フラット歩行をしながらの上り坂の歩き方。
逆に、下り坂の歩き方。
杖やポール2本を使って歩くときの注意。
カピバラに教えたことを一つ一つを思い出しながら、ついでに前世の頃に山岳ガイドをやってた頃も思い出しながら、聴衆に伝えていく。
「大事なのは怪我をしないこと。簡単な山でこそ事故や遭難は起きる。『自分はそんなことありえない』っていう思い込みが一番危険。山は楽しいし、美しいものに出会える。やりたいことやるっきゃない。だからこそ、しっかり生きて帰って、帰りを待つ人を安心させよう。ご清聴、ありがとうございました」
オリーブ様の言葉を引用すると、聴衆の中のご老人が深々と頷く。
それにしても彼の語録は便利だな。
現代地球だったらバズってた。
鉄騎スライム峠のお姉さんから伝記を買っておこう。
気付けば、小一時間は経っていた。
山の朝は早いが終わるのも早い。
私の話を聞き終わって下山を始める人も多い。
ナイトハイクする物好きがいないわけではないが、流石に少数だし慣れた人ばかりだ。
カピバラの様子を見に行こうと思ったが、丁度やってきた。
「オコジョ。こっちは終わったわ」
「お疲れ様。意外に早かった」
「下山するまでの応急処置みたいなものだしね。そんなに大変じゃないわよ」
そう言いながらカピバラは、展望台の手すりに手を置いて景色を眺めた。
晴れ晴れとした空が広がっている。
秘剣山、天使回廊など名高い霊峰が見える。
だがやはり、もっとも目を引くのは天魔峰だ。
遥か遠く、うっすらとしか見えないのに、その美しさと高さは他の山々を寄せ付けない魔性の魅力がある。
「カピバラ? 大丈夫?」
カピバラはぼーっと景色を眺めていた。
そんなに忙しかったのかな。
あるいはクレーマーにどやされてショックを受けたとか?
「大丈夫よ」
「なんかぼーっとしてたけど、疲れた? 無茶ぶりするヤバい客いた?」
私の心配を余所に、ふふっとカピバラが微笑む。
心地よい疲労と達成感が産む、静かで自信に満ちた顔がある。
「決めた。わたし、独立するわ」
「……いいの?」
「いいのって、あんたこそわたしをこんなところまで連れてきて今更確認しないでよ。なんのために来たつもりなのよ」
カピバラが呆れきった目で私を見る。
別に考えなしに来たつもりではないし、誘導するつもりはない。
ただちょっと、励ましたかっただけで。
私が他人を励ますなんてこんな方法しか知らないから、誘導したのと同じかもしれないが。
「なんか気分転換になるかと思って」
「はぁ……。まあ、あんたは大事な話をするときになんでも山とか登山になぞらえたり、旅行=山って感覚が強すぎたりしてウザがられるタイプよね」
「そ、そそ、そんなことないし!」
山人に言ってはならないことを……!
いや、人生の話とか大事な話とかを山に例えたことはたくさんあったけど……!
「と、ともかく。私はどちらかの道を選べって押し付けるつもりはない。カピバラは、ケヴィンと結婚して主婦になったっていいし、独立したっていいと私は思う」
「……そうなの?」
カピバラが意外そうな表情を浮かべた。
「でも、どちらを選ぶにしても『私には無理だから』みたいな理由でやりたい方を捨てるのは……なんか、やだ。カピバラは素敵な奥さんにもなれるし、クライドおじいさんみたいな素敵な職人にもなれる。きっとそう」
「買いかぶりすぎよ。今更おだてなくったっていいわ」
「そんなことはない」
「……わたしは別に、貴族令嬢らしい生活が嫌いってわけじゃないわ。大叔父様みたいな仕事だけが唯一の道じゃないとも思う。だけど、だけどね。みんな言うのよ」
「何を?」
「この靴、欲しいってさ」
カピバラが、自分とこちらの足下を見た。
同じデザインで色違いの登山靴がそこに並んでいる。
私の靴は水色の生地に黒で縁取りをしたような、明るくスポーティーな雰囲気。カピバラの靴は薄紫に白と黒を組み合わせた、よりスニーカーらしい軽やかな色合いだ。
色合いもデザインも、他の登山者が履いているものとは一線を画している。
だがもっとも違うのは、その性能だ。
「みんな履いてる靴を見て、どう思った?」
「……もったいないって思った。みんながよい靴を履いてくれたらって大叔父様がグチグチ言う気持ちがよくわかったわ。ここだってちゃんとした山なんだから、足を大事にしてもらわなきゃ」
道を歩く人に向けられた、慈しみに満ちた箴言。
それを言うときのカピバラとクライドおじいさんの優しい顔を好きだと思った。
「もし私たちの靴を必要としている人に届けられたなら、素敵なことだと思うの」
「私も、そう思う」
「お父様が言うように誰かと結婚する人生を選んでも、独立する道を選んでも、どっちでも気楽に選んじゃえばいいやって感じるようになった。でもなんで気楽になったかはわからなかった。ついさっきまで」
「今は、わかった?」
「どっちの人生を選ぶかじゃなくて、どんな目的地を目指すかが本当の問題だった。私は道に迷っても目的地は最初からはっきりしてた。みんなで作った靴が必要とする人に届くなら、どういう形でも構わない」
カピバラは空を見ている。
その空にカピバラは、夢の形を見ている。
「独立が目的なんじゃなくて、この靴を……わたしと大叔父様とあんたで作った靴を、色んな人に届けられる形にしたい。そのためには独立した方が近道っぽいなって。目的地に近い方を選ぶだけだわ」
「バリエーションルートを行くのは、キツいけど面白い」
「言っとくけど、ちゃんと筋は通すわよ。あんたみたいに獣道は歩かないからね」
「失礼な。私はちゃんと道を歩いてる。筋を通してないところはあるかもだけど」
「そこが問題なのよ。まず家出したことは親に謝って……ちゃんとした形で独立する。まあダメって言われたらそれこそ本格的に家出ってことになるけど、なるべく邪魔されない形で靴を売り出したいわ」
「うん」
「それに勢いでケヴィンと別れるとか言ったけど、ちゃんと話し合いもしてない。やろうと思えば仕事と結婚だって両立できるかもしれないし」
「偉いと思う」
私はそういうの面倒くさがってしまった。
ケヴィンと話すべきことを話すのも面倒くさがって、さっさと巡礼者デビューしちゃったし。
「てかあんたこそ話し合いをしなさいよ。なんで婚約破棄の賠償をわたしだけに求めてるのよ。どっちかっていうとケヴィンの方が支払い義務って大きいんじゃないの?」
「忘れてた」
「わっ……忘れてたぁ!?」
こいつ信じらんない、みたいな目で見てくる。
「うそうそ。ケヴィンも自分の領地から王都に出てきてるから手続きに時間が掛かる。本人も騎士団に拉致られてたし」
「あ、そっか……。親が結んだ婚約なら親と話さなきゃだめよね」
セーフ。
本当は、本当に忘れてました。
「そういうことだから、オコジョも手伝いなさいよ。あと保護者にもちゃんと伝えないでしょうし、色々と片付けなきゃいけないのはあんたの方が多いんじゃないの?」
「めんどくさい……」
だが実際、カピバラの言う通りだ。
巡礼神子と認められたらソルズロア教の神殿にも顔を出さなきゃいけないだろう。
山を登りたいだけなのに社会的な振る舞いが求められるのは中々大変である。
「ちゃんとやっときなさい。あんたにはわたしの靴を履いて、どんどん巡礼してもららなきゃ困るんだから。頼んだわよ専属インストラクター」
「専属インストラクター?」
「あんたはわたしに靴を作らせてるつもりなんでしょうけど、これからは違うわよ。わたしたちの靴を広めるために活躍してよね」
カピバラがふふんと自信たっぷりに笑った。
カピバラは悪ぶっているが、それがたまらなく嬉しい。
今までずっと彼女に頼むばかりで、頼られることは全然なかった。
登山を指南したことはあってもそれは私の趣味に引き込むためのものだ。
彼女が、彼女のための行動をするこのとき、私が隣にいることを当たり前に捉えている。
「何よ、その顔。にやにやして」
「別にー?」
カピバラの相棒なのだと思うと、なんだってできる気がした。
この子の作ったものを身に着けて、誰も辿り着けない場所に行くことができる。
馬鹿げているとしか言えないような夢が、現実味を帯びていく。
「なんかムカつく」
「大丈夫。任せて。最高の登山、キメてくるから」
「あんたならそうするでしょうね。不安なのはちゃんと帰ってくるかどうかよ。活躍ってのは生きて帰ってくることなんだからね」
「わかってるって」
「そういう返事、わかってなさそうだから怖い」
じっとりとしたカピバラの視線に、思わず笑いがこみ上げてくる。
「あなたが待っているなら、絶対に帰ってくる」
「ならよし」
しばらく二人で、展望台から天魔峰を見つめ続けた。
高らかにそびえたち、人を寄せ付けない神聖な山に、不思議な温かみを感じた。
◆
ところで靴を修理してもらったり、登山レクチャーを聴いていた聴衆は、とある疑問を抱いた。
「そういえば、なんで聖女様とお友達はオコジョとカピバラって呼び合ってるんだ? 明らかに本名じゃないよな」
「さあ……?」
オコジョとカピバラが、なぜオコジョとカピバラなのかという疑問だ。
もちろん、温泉に打たれる姿をカピバラと呼んだとか、オコジョに行動食を盗まれたのを煽られたとか、そんな何気ない切っ掛けだったなどと、聴衆たちは気付くはずもない。
なんとなく、深い理由があるのだろうと想像した。
「冒険者にはたまにいるじゃないか。名前とは別のあだ名使ってるやつとか。騎士団の秘密部隊のコードネームみたいなのを意識してるとか」
「……屋号とかじゃないか?」
「屋号? なんで?」
「ほら、靴を売るとか独立するとか言ってたじゃないか。二人組の店舗とか冒険者だと、お互いの名前とかあだ名を並べたりするし」
「ってことは……オコジョ&カピバラって靴の店ができるのか?」
「知らんけど……」
「知らねえのかよ」
「でも、そんな店ができたら面白そうだよな。あの噂の靴とか売ってくれるなら俺もほしい」
「あたし、ちょっと試しに履かせてもらった。凄くいいわ……」
「お前ずるいぞ! あれ、メンズも作ってくれないかな……」
「清らかな聖女候補が親友と一緒に店を営むというだけで心が満たされる」
「お前何言ってんの?」
噂はコントロールできるはずもなく、「かもしれない」、「だったらいいなぁ」などという憶測と希望を織り込みながら拡大していく。
気付けば「オコジョ&カピバラという巡礼用品店ができるらしい」という噂が、登山者や巡礼者たちの間に流れ、それを聞いたオコジョが「店名はそれでいいじゃん」と気軽に言ってのけてカピバラに怒られた。
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