進路を考えよう 4
木の階段を登りながら、カピバラが誰にともなく語りかける。
自然への素朴な畏敬、あるいは自然を愛し、観察してきた人々への畏敬。
私も同じ想いを感じている。
「何にもない場所なんて、多分、ない。どこに行っても何かがある。誰かが何かを見て、名前を付けている」
木の階段は、大昔に誰かが作り上げた。
近くにはブナがあり、鳥や虫たちがいて、そして私たちがいる。
とても静かなのに、人々が暮らす町よりも濃密な世界を感じることができる。
「あんたは名付ける側よね。ネーミングセンスとか鍛えときなさいよ」
「来るといいな。色んな分岐点を超えて、初めて踏み入れる場所に行けるときが」
「来るわよ。きっと」
その力強い肯定が嬉しい。
ちょっと過信しすぎのような気もするけれど。
「カピバラにもそういうときが来る。自分の願う場所に辿りつくときが」
「……私は、今、人生の岐路に立ってるのかなって思ってた。自分で足を踏み入れたところのない場所に行こうとしてる瞬間っていうか」
「実際、立ってる」
「けど、思ったほど致命的なものでもないっていうか……気楽に選んじゃってもいいのかなって思うのよ。きっとそんな生き方をした人は過去にもいるし、未来にもいる。ほんのちょっと珍しいだけで。ここを歩いてると、そんな風に思えてくる」
「それも間違ってない。本当の意味でのバリエーションルートに直面することは、案外少ない」
「バリエーションルート?」
「一般の登山道ではない道。道から外れた道」
「あんたはそっちばっかりね」
カピバラが呆れと親しみを込めて笑う。
「例え道がないように見えたとしても、地図もない暗闇を歩いてるわけじゃない。目的地は見えてる。道しるべはある。そこを通りすがる人もいれば……一緒に歩いてくれる仲間もいる」
「あんたみたいに?」
その言葉に、虚を衝かれたような気がした。
「私も……なのかな?」
「当たり前でしょ」
今更何を言ってるんだという呆れが、後ろのカピバラから感じられる。
「あんたは別に孤独じゃないわよ。孤高の旅人を気取ってるなら笑っちゃうわ」
言われてみればその通りだ。
ひとりぼっちだと思うなんてのは高慢だ。
今でさえ、こうして語り合う人がいるのだから。
だというのにカピバラが言う通り、私はちょっと、孤高の旅人を気取ってるところがある。
素直に恥ずかしい。
「天魔峰を目指そうって思ったとき、私は一人だけで行くんだって思った。誰も理解なんてしないし、してくれなくていいって思ってた。でも気付いたら仲間が増えてた」
「気付いたら、じゃないわよ! あんたが巻き込んだのよ!」
まったくその通りだ。
でもカピバラは、着いてきてくれたのだ。
私を見放すことなんて、いつだってできたはずのに。
「それに……オコジョは誰もできなかったことをやろうとしてるかもしれないけど、誰かが夢を見て、挑戦した道ではあるんだと思う。あんたのおじいちゃん以外にもいるかもしれない」
「うん」
「あんた、実力あるからさ。誰も辿り着けない場所にいくときに誰も着いてこられなくて、あなた一人だけのときはあるかもしれない。でもそれを、孤独だとか、自分一人だけだとか、そういうことは……思わないでほしい。あんたの前を歩いた人もいるし、あんたを後ろから支える人がいる」
励ますつもりが、励まされている。
カピバラは珍しく雄弁であり、その雄弁な言葉を証明する何よりも確かなものがあった。
それは、私の靴だ。
そして靴とはカピバラの未来であった。
「ありがとう。でも、それはあなたも同じ」
「……うん」
「あなたは家に帰って親に謝ってもいいと思うし、親なんて気にせず独立したっていい。何かが終わるわけじゃない。幸せを手放すわけじゃない。それがあなたの意思で選ぶ道である限り」
私がそう言うと、カピバラはしばし沈黙した。
言葉を考え、紡ぎながら、一歩一歩階段を上っていく。
少し風が出てきた。
遮るものが少なくなってきたからだ。
頂上が近い。
「……わたし、お父様とケヴィンには怒ってるけど、嫌いになったわけじゃない。だからこれは、ケンカしたいとかじゃなくて純粋なワガママ」
「うん」
「わたし、もっと靴や服を作りたい。わたしたちが作ったもので、あんたがどこまで行けるのか見届けたい」
「そうしてくれると嬉しい」
「でも……大事なところは大叔父様任せだった。大叔父様だっていつまでも現役でいられるわけじゃない。私を守ってくれた人に迷惑が掛かるのが怖いって思った。けど本当に怖いのは、好きな人にガッカリされるのが嫌なだけだった。他人を言い訳に使って、実際は臆病なだけよ」
カピバラの抱える恐怖は、普遍的なものだ。
独立するとか大それたじゃなくても、就職するときや進学するとき、誰だって直面する。
本当に自分はやっていけるのだろうか。
自分に課したことが自分に務まるのだろうかと。
「レインウェアはカピバラが作った。靴も設計段階で話し合いをしてるし、ソールの交換も調整も、カピバラはやってきた。足りないことがあるとするなら、私以外の客と仕事をすること」
「え?」
「カピバラ。そろそろ着くよ」
振り返ってカピバラに手を伸ばした。
カピバラは私の手を取る。
登った先にあるのは、陽光に照らされ、家族連れやカップルで賑わっている幸福が満ちる明るい場所。
スライム山山頂であった。
◆
「あら、来てくれたのね!」
山頂の祠の行列近くに、管理人のおばあさんがいた。
彼女は私たちを見つけると嬉しそうに声を掛けてきて、そのまま管理人室に案内してくれた。
「体の方は大丈夫? 裏スライム山を走った後はかなり消耗してたと思うけど……」
おばあさんがお茶を淹れながら聞いてきた。
ありがたく頂戴する。
「バッチリ。体力も膝もしっかり回復しました。それとポール一対、確かにお持ちしました」
「ありがとう、助かるわ!」
おばあさんの顔が、ぱぁっと明るくなる。
そして自分の財布から金貨を取り出して私に渡してきた。
3万ディナ、きっちり頂きました。
「杖や棒ならウチにもたくさんあるんだけど、あなたの使ってたポールを使いたいって部下が何度も言ってくるものだから。実際、私もちょっと興味あったし……」
うふふ、とおばあさんが微笑む。
わかります。
仕事で備品を買うとき、自分好みのアイテムを選んだ瞬間の背徳感ってあるよね。
「担架として使うのは本当に緊急時だけにしておいてください。他にも使用上の注意とか紙にまとめておきました。それと……」
ちらりと管理人室の奥の方……休憩室に目を向ける。
人の気配がする。
「ああ、転んでしまったようなの。怪我は問題ないのだけど……」
おばあさんが、困った顔で頷く。
「足元のトラブルですね」
「そうなのよ。丁度、靴修理できる職人さんが今週来られなくなっちゃってねぇ」
がっしりした登山靴ばかりの地球の登山者ならばともかく、この世界の山を歩く人であれば頻発することが起きている。
実はこの話、前もって聞いていた。ギルド内で「山に常駐してる修理業者が腰を壊して休業中だから、道中で靴を壊さないように」という注意喚起がなされていたからだ。
「せっかくだし、私たちが手伝いましょうか?」
「え、いいの? あなたたちも忙しいと思うんだけど……」
管理人のおばあさんは遠慮しながらも「助かるぅ!」という気配を放っている。
提案した時点で決定したようなものだ。
「私も、この子も、今は暇です。……ってわけで、カピバラ。今日だけバイトしてこう」
「バイト?」
「管理人さんのいる部屋の奥、休憩室になってるのわかる? 私がこないだ寝てたところ」
「そりゃわかるけど」
「あそこにはいつも、一人か二人、多いときは四人か五人くらい寝てる。なんでだと思う?」
「医務室として使われてるわけだから、体調が悪くなったとかでしょ。……もしかして、怪我の治療させるとか言わないわよね?」
「そこは大丈夫。管理人のおばあさんが凄い使い手らしい。魔力もたっぷりある。だけど壊れた靴は専門外。最悪、裸足で降りる人も出てくる」
「裸足は無茶でしょ」
「そう。緊急用に安い靴もあるけど、あくまで怪我人のためのものであって普通の人には売れないから、修理には需要がある」
「え、でも、本当に応急処置するための道具を持ってきただけよ。直せるとは限らないわ」
カピバラが、私の言うことを察して怯えを見せた。
だが逃がさん。
「靴の縫製用の糸とか針金とか、消耗品の在庫はここに揃ってる。大丈夫」
この世界の木靴の多くは靴底が木製で、それ以外が革製である。
その故障の多くは靴底の剥がれ、ベルト部の故障、紐の摩耗や千切れだ。
本格的な修理はともかく、こういう場所であれば針金を巻いたりして応急修理をするのが常である。気の利いた登山者は針金、もしくは強度の高い紐を持ってきているので何とかなったりするが、スライム山のような観光地の山だと中々そうはいない。
「こういう特殊な場所で修理してあげたら、マネーになる」
親指をぐっと立てる。
儲かりまっせのサインだ。
「ほどほどにしておいてあげてね?」
おばあさんからちょっと注意された。
すみません。
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