進路を考えよう 3
「ちょっと! ここ、スライム山なの!?」
「うん。スライム滝コース。表スライム山だと一番足場が悪いルート。スライムを踏むと転びやすいから気をつけて」
「なんで険しい方を選ぶのよ!」
私とカピバラは、再び表スライム山に来た。
スライム山の山頂に辿り着くルートは複数ある。ニッコウキスゲたちと登ったのは一番メジャーな表スライム山登山道と、そして反対側からひたすら登る裏スライム山登山道。
その2ルートとは別に、表通りと併走するような形のルートがある。
通称、スライム滝コース。
表スライム山登山道も裏スライム山登山道も、道としてしっかりと整地されているために足場の悪さはまったくない。
だが滝コースはゴツゴツとした岩肌が剥き出しのところもあれば、浅瀬を超える渡渉ポイントもある。水や森の清涼感を楽しむことができる素敵な登山道だ。ただし、当然の話として走る道としては適さないしそもそもラン禁止なので、トレイルランの選択肢にはまったく入れていなかった。
「こんにちはー」
「こんにちは」
登山客とすれ違い、挨拶を交わす。
道は背の高いブナに囲まれ、更にブナの周りには背の低い野草に覆われている。
歩いている砂利道以外は緑色が広がっていて、時折、淡く白い花が点在している。
砂利道を登山靴で踏みしめれば、小石が音を立てる。
軽やかな音の中に、少し湿り気がある。
昨晩、雨が降ったのかもしれない。
だがその水の気配は蒸し暑さではなく快適な涼しさとして肌に伝わってくる。
風が出ているからだ。
「カエル多くない?」
カピバラの言う通り、ゲコゲコという声がそこら中に響き割っている。
鳥の声なども響くが、カエルの方が遥かに声が大きい。純粋に数が多いのだ。
「田舎特有の音。慣れると気にならなくなる」
「別に嫌いじゃないけど、意外にいるものね……」
「自然観察するにはこの道は悪くない。ほら、あそこに」
カエルの声以上に響くのは、水そのものの音だ。
このルートは川や滝を追いかけるように走っているので、常にざあざあ、ごうごうという水音が響いてくる。
「……ここは初めて歩いたけど、嫌いじゃないかも。涼しいし」
「でしょ」
表スライム山のメジャールートは人がいっぱいで、食事もできるしトイレもあるし快適なのだが、山っぽさがちょっと足りない。こちらのスライム滝ルートは、山らしい山、自然らしい自然を味わうことができる。
「夜に歩けばムササビが見られるらしい」
「あ、それいいわね。ご来光登山とかやるなら見られるんじゃない?」
「夜歩くならこっちより表登山道の方がいいよ。要所要所で松明が灯ってるから安全。あと灯りを目当てに来たクワガタとかもいる」
「あんた本当に動物とか植物とか詳しいわね。普通は見過ごすようなものもすぐに気付くし」
和気藹々と雑談をしながら登っていく。
せせらぎの音とカピバラのコロコロとした声が心地よい。
「……こういうところは、なんだか感覚が鋭くなる気がする。ていうかカピバラも、最初に登ったときよりも鋭くなってると思う」
他人の鋭さに気付くということは、自分も鋭くなっているということだ。
最初の登山のとき疲労感と達成感に塗りつぶされて気付かなかったものに、今、気付いている。
「ほら、あそこがスライム滝」
「登山口からはけっこう近いのね」
「眺めるだけ。神官が修行してるから、邪魔しちゃいけない」
ここは、ソルズロア教の神官が修行に来ていたりする。
ていうかなぜか滝行がこの世界にもある。
見れば、祈りの言葉や聖句を唱えながら滝に打たれている修行中の神官がいる。
「うわっ、すご」
「この時期はまだ楽。冬もやってるらしい」
他にもスライム滝ルートを通って山頂に向かったり、魔法の特訓をしてたり、見習い神官たちは思い思いの修行をしている。ピレーネさんもこの中に混ざったりするのだろうか。
「……みんな、すごいな。あんな風に迷わずにつらいことやってるんだ」
カピバラは、妙に真面目な目で修行中の人々を眺めている。
「どうだろう。迷ってるからやってる人の方が多い気がする」
「え、そうなの? あの人たち、神官を目指して修行してるんじゃないの?」
「そういうの抜きにして滝に打たれる人もいる。人生に迷ったとか、煩悩を捨てたいとか。ていうかソルズロア教以外の人も実はいたりする」
「意外と寛容というかアバウトというか……」
カピバラが呆れと感嘆が混じり合った複雑な表情を浮かべた。
「カピバラもやってみる?」
「やんないわよ! 修行じみたことは登山で十分でしょ!」
ぷんすかと怒ったカピバラが先へ進み、私はその背中を追いかける。
修行している人に心の中で応援を送りながら、私たちは再び山頂を目指して歩き出す。
◆
マイナスイオンを浴びながら登っていくと、分かれ道に出た。
マイナスイオンってなんなんだろう。
あれが健康に良くなるという理屈がよくわからず、なんとなくの雰囲気で言葉を使っている。
イオンという概念自体がこの世界にないので物理化学の復習もできないし。
「ん? こっちじゃないの?」
カピバラがポールでスライムを倒しつつ、歩きやすい方を行こうとする。
だが残念。違います。
「そっちは巻き道。こっちが正規ルート」
「こっちって……水が流れてるんだけど……」
私たちの視線の先には、水が流れている砂利道がある。
深くなっているところはくるぶしくらいまで水が浸かりそうだが、露出した石も多い。
石の上をうまく歩けば濡れずに済む、くらいの感じだ。
「大丈夫。靴が浸るほどじゃないし、水流も穏やか。大きな石もあるし、そこを歩いてく」
「ええ……」
「注意して歩こう」
「大丈夫なのか注意が必要なのかどっちよ」
「どっちも。登山していればこのくらいの川には遭遇する。普段は乾いてて歩きやすい道でも、大雨の翌日とかこれより深い川になってるところとか珍しくない。靴作りに役立つし、一応経験しておこう」
「このくらいの深さならわたしの登山靴なら大丈夫と思うけどさぁ……」
「その通り。でも、どこを踏んでも靴が浸るくらい深くて、水流が激しいときもありえる。そのときは靴がどうこうって問題じゃない。別ルートを探すか、別の渡渉ポイントを探す。特に水流の激しさは事故の原因になる。気をつけて」
川を渡らなければいけないとき、初心者は水深だけで判断しがちだが、水流の激しさもまた問題になる。ていうかそっちの方が問題だ。
足を踏み入れるまで、動けないほどの圧力が掛かるかどうか素人目には判断できない。めちゃめちゃ激しくてすぐに足を取られるということが時折あり、事故や遭難の原因となる。
「で、今回みたいに水の流れが穏やかならどうするわけ? 普通に歩く?」
「歩き方自体は一緒。濡れないようにつま先だけで歩くとかは考えないで、フラット歩行。恐れずにしっかり体を支える。濡れないことより転ばないこと」
「うん」
「それと、トレッキングポールを活用する。少し長くして、2本とも川に突き刺す。歩く補助のためじゃなくて、しっかり体を支えるために使う」
実演しながらカピバラに説明する。
カピバラも真似して私の後ろを歩いていく。
「あそこ歩けるんじゃない?」
「うん」
カピバラが示したところには、大きめの石が連続して置かれている。
ここを歩けますよと言わんばかりだ。
「人為的に置かれた石なら多分大丈夫だけど、浮き石……体重を預けると転がっちゃうような石もたまにある。不安なときはトレッキングポールで軽く叩いたりして確かめてみるのも有効」
そう言いながら、私がポールで石を軽く小突く。
しっかりと固定されている。問題なさそうだ。
「よし、行こう」
靴底が濡れているが、靴の中に浸水はしてこない。
やっぱり、いい靴だなと感じる。
安心感を感じながら、一歩一歩慎重に進んでいく。
水の周囲には生物がいる。
カエルくんが私たちに気付いてジャンプして逃げていく。お昼寝中に悪いね。
そして鳥の姿も見えてきた。
「あれは何かしら」
「オオルリかキビタキのメス……かな? ちょっと自信がない」
鳥はだいたいオスがド派手なカラーリングをしてて、メスは落ち着いた色である。
バードウォッチャーの知り合いは「くちばしの形、体の丸さ、鳴き声でなんとなくわかる」と言いながら、いろんな山にミラーレス一眼を持ち込んで写真を取りまくっていたっけなぁ。
「鳥はのんきでいいわねぇ」
「そうでもないかも。子育て中っぽい」
ブナの上の方に、どうやらキビタキ家族の巣があるようだ。
目を凝らすとメスのキビタキの近くにはちっちゃい雛鳥がいる。
めちゃめちゃ可愛い。
そこに、黄色い眉毛のオスが飛んでやってきた。
パパが餌を持って帰投してきたようだ。
ご苦労さまです。
「格好いいカラーリングの鳥がパパをやっているの、ギャップに萌える」
「ちょっとわかるわ……」
見ているこちらまで穏やかな気分になる。
しばらく眺めてから山登りを再開する。
10分ほど歩けば沢が終わって、乾いた大地と露出した岩で作られた登山道が現れた。
ここから山頂まで、本格的な上りだ。
といっても、整備された木の階段があるので登りにくいということはない。
ただ純粋に疲れるだけだ。
「沢を登った後にこれはキッツいわね……」
「大丈夫、大丈夫。行ける行ける」
カピバラから反論が来るかと思いきや、来なかった。
キビタキのさえずりと風の音が響く。
水の音は遠くなった。
山頂が近付いて川からは次第に離れていった。
川と森を抜けて、山頂というほんの小さな異世界へと踏み入れる最後の道。
「……獣道みたいな場所と思っても、誰かが通った跡がある。ただの小鳥だと思ってたものにも、ちゃんと名前がある。不思議ね」
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