グスタフ=ガルデナスの帰還
グスタフ=ガルデナスは領地経営をほぼ代官に任せて騎士団の仕事に邁進している。
北方戦役という大きな戦争が和睦で終わった後も隣国とは微妙な関係が続いており、いつまた戦争が起きるかはわからない。騎士団の質を維持することこそ国防の要であり王の望みであった。
だからグスタフに拉致られるがごとく騎士団の訓練を受けることになったケヴィンは、死ぬほどつらい目に遭っていた。
「しっ、死ぬ! 死ぬぅー! もう無理だあーっ! 助けてくれぇー!」
死ぬほど動き回り、転び、馬から落ち、泥にまみれ、木の棒で叩きのめされて戦死判定を受け、とうとうケヴィンの口から弱音が出た。
「がっはっはっは! この程度の模擬戦で人は死なん! 敵も魔物もこんなに優しく加減はしてくれんぞ! 今日のところは訓練終了だ! 負傷者を確認して帰還せよ!」
王都の北東に位置するバストランガ大草原。ここで行われた金獅子騎士団を二部隊に分けての大規模な模擬戦闘は、まさに本番さながらであった。馬は体力が尽き、負傷者も続出し、治癒魔法使いも魔力の使い過ぎで疲労困憊である。
ケヴィンは基礎体力を養うための訓練で走り回り、一対一の剣術訓練でいいように小突かれるまでは意地と根性で耐えていたが、本格的な模擬戦で泣きが入った。このまま訓練を続けたら脱走を図るかもしれないなとグスタフは思った。
だが、それならばそれでよいとグスタフは思っていた。ケヴィンは娘を助けてくれた男であると同時に、娘をかどわかした男であるともいえた。根性を見せて食らいつくならば娘の結婚相手として申し分なし。逃げるようであれば娘を誘惑した男として扱い、罰を与えればよし。グスタフにとってはどちらに転んでも面白い話だった。
だが少なくとも、マーガレットの前の婚約者のように騎士団に取り込まれることをぬるりと避ける男よりは可愛がる楽しみがある。前婚約者は家柄こそ申し分なかったが、やり手すぎて面倒事が多い。
ケヴィンはまだ現実を知らず、騎士というものに憧れる純朴さと青臭さがあるが、この訓練をやり遂げれば少しはマシになるだろう。さて、明日はどんなしごきをしてやろうか……とグスタフが野営の天幕内で考えていたとき、執事が声をかけた。
「旦那様、お耳に入れたいことがありまして……。マーガレット様とクライド様のことなのですが」
「あいつに様などいらん。何があった」
「マーガレット様がどうやら最近、聖地巡礼を始めたようで……。学校にも行かず山へ行っているのだとか」
「……うん? あやつが?」
怒りよりも先に困惑が来た。
マーガレットはグスタフの命令に逆らったことなどない。勉強をしろと言えば黙々と勉強し、たしなみを覚えろと言われたら剣の研ぎも靴の手入れも文句ひとつ言わずに取り組む一方で、詩学や舞踊にも取り組んだ。
爪の間に油汚れがこびりついたら入念に手を洗ってドレスに着替える。他の娘たちは道具の手入れなど程々にしか覚えず、こっそりとメイドや執事に任せるところ、マーガレットは愚直に、すべてに全力で取り組んだ。
それがわかっていたからグスタフはマーガレットの突然の婚約破棄も、新たな婚約も何も言わなかった。親の立場で子の不始末の面倒を見ることになったことの諧謔味さえ感じていたが、それを表に出さないようマーガレットの前では鉄面皮のままでいた。
だが、流石に巡礼者になっているのはまったく予想がつかなかった。
「で、クライドとどう関係がある?」
「巡礼者のための靴を作っているようです」
「ふん。クライドのやつめ、独身を気取っておる癖に妙な庇護欲を見せおって……」
「止めますか?」
「……巡礼は厳しい世界だ。マーガレットもすぐその危険さに気付くだろうよ」
グスタフの言葉に、執事が妙な顔をした。
「なんだその顔は」
「それがどうやら成功してるようで……。ムーア男爵、並びに『火守城』の城主、キオ=タタラ侯爵から、マーガレット様宛に感謝状が来ております」
「んんん!?」
「ムーア男爵からは、ご子息とご息女がタタラ山で訓練をなされていたときに水と食料を分けてくれたことへの感謝のお手紙でした。火守城からは、山頂の火口付近でゴミ拾いをなされていたとかで、直筆の署名付きです」
ムーア男爵家は質実剛健な家風で知られており、血を分けた息子や娘であっても冒険者として一旗揚げなければ跡継ぎは許さないと公言している。その当主から礼状が来るというのはちょっとした名誉だ。
一方、火守城の城主からの感謝状は、重い。
タタラ山はすでに聖地としての力が失われており、王都周辺の聖地の祈りによって噴火が抑えられてはいるが、いつまた火山活動が再開するかわかったものではない。タタラ山の監視活動は『国そのものを安堵する』という重要なものであり、王でさえその具体的な活動に口を出すことは憚られる。清貧な生活を送っており、分け隔てない人物ではあるが、王族や政治を担う貴族と同様、決して軽んじてはいけない存在だ。
その城主……というか山小屋の主からの感謝状は大きな価値がある。神官となって神殿務めをするならば配属先はより取り見取りだ。お見合いの釣り書きに記せば、王族からお声がかかることもありえる。
「訳がわからんぞ!?」
「他にも色々と書状が来ておりまして……こちらは感謝状ではなくお願いや取引の類なのでしょうが……」
「取引?」
「マーガレット様と、それと巡礼者オコジョとかいう者が履いていた靴を売ってほしいと」
ようやくグスタフの思考は繋がった。
この一連の奇妙な出来事を裏で操る存在に気付いた。
それは大いなる勘違いであったが、確固たる推理としてグスタフの脳を支配した。
「そうか。クライドめ……あいつ、この家を裏切るつもりだな」
「ええっ!? クライド様が!? 一体どういうことです……!?」
「あやつめ、一人だけ騎士の仕事から逃げるだけに飽き足らず、マーガレットを利用して独立するつもりなのだ! 恩知らずめ……!」
グスタフは、怒りに燃えていた。
真偽を確かめるよりも先に、自分の確信を証明するために立ち上がった。
「屋敷に戻るぞ! 訓練は副隊長に任せる!」
「ええっ、急にですか!? け、ケヴィン様はいかがいたしましょう……?」
「あやつも連れていく!」
恐らくこのときもっとも不幸な人物は、地獄の訓練が終わって疲れ果てて寝ていたというのに突然叩き起こされたケヴィンであった。
◆
「反論はあるか」
ガルデナス家の執務室に呼び出されたクライドは、まったくもって見当違いの妄想を元に罵声を浴びせられ、そして言い訳や弁解を求められた。
今まで受けた恩恵を忘れてガルデナス家を裏切り、独立しようとしている。そのためにマーガレットを騙し、「独立すれば人生は薔薇色だ」などと吹き込んでいるのだろうと。
懸念そのものはクライドにもわかる。
親方が弟子を独立させてそこから高額な指導料やみかじめ料を取ったり、あるいは金貸しに金を借りさせて高価な工具を買わせたり、賃貸物件を斡旋したりして、親方はこっそり金貸しから報酬を得る……というあくどい稼ぎ方をする職人がたまにいる。マーガレットが金づるにされているのではないかと心配するのも、一つの親心だろう。
しかしクライドは当然、そんなことは考えていなかった。
「私はマーガレット様を搾取しようなどと一切考えておりません」
「ふん、どうだかな」
だが、何を言おうが無駄だとわかっていた。
「お前は逃げ出したいのだろう、この家から。自分が死ぬべきところを我が父に救われて、そして父は死んだ。その罪からずっと逃げたかったのだろう」
グスタフの怨念も一つの事実だったからだ。
北方戦役という戦争で過去の金獅子騎士団が大きな損害を被ったとき、クライドの兄、そしてグスタフの父であるローランドは味方や騎士団を守るために倒れた。それをより詳細に記すならば、とっさに流れてきた矢をローランドが反射的にかばい、クライドの代わりに倒れた。
そのときすでにクライドの膝は傷を負っていて、庇われるしかなかった。
だが傷みを堪えてローランドを押しのけていれば助かったのではないかとクライドは思った。いや、そもそも本当に膝が痛かったのだろうか。痛かったはずだという思いにすがりついて、ローランドに守られていたことを肯定してはいないか。
クライドの罪悪感を知ったグスタフは、疑念を抱いた。クライドが思っているように、父を助ける能力がありながら、我が身可愛さに見捨てたのではないかと。そして父を失ったことの悲しさを怒りに変えた。
グスタフはその怒りで騎士として精力的に活動し、団長や多くの騎士を失った騎士団を立て直し、親の七光りではない実力で今の団長の座をもぎ取った。だがそうなったところで、愛する家族を失った心の痛みが癒えることはなく、ただ黙々と靴職人として奉仕するクライドに言い知れぬ怒りが積もっていった。
クライドはそれを受け入れ、許していた。この怒りの炎があればこそ今のガルデナス家の繁栄がある。押し付けられた仕事も、厭うことなく黙々とこなしてきた。
「逃げるつもりなどなかった……と言えば嘘になりますが、ご息女への教育は充実した仕事でした。特にマーガレット様は真面目で、仕事には嘘がなく、人へのいたわりがあります。ですから……」
「知った風なことを言うな! 儂の娘をよからぬ道に引き込みおって!」
「引き込んでなどおりません。ただ当人の話を聞いてあげてほしいのです」
「やかましい! マーガレットと話すことも、二度とこの家の敷居をまたぐことも許さん! すべてを置いて出ていけ!」
こうしてクライドは、唐突にガルデナス家との縁が切れることとなった。
クライドはガルデナス家からそれなりに給料をもらってはいたが、ここ最近、大きな出費があった。マーガレットたちのための登山用品のための工房だ。また北方戦役の戦没者協会への寄付もしていたため、清貧な生活をしていたのに文無しのような状態になってしまった。
この結末にクライドは開放感を覚えていた。クライドは文無しとはいえ、裸一貫の若者のときに戻ったような気持ちは清々しいものがあった。
それに今まで積もり積もったフラストレーションが爆発したことは、「いつ爆発するのか」という恐怖に怯える必要がないことでもある。ガルデナス家を出たクライドは、自由を満喫していた。
問題は、マーガレットにそんな男同士のじめじめとした因縁などは太陽の向こう側の星々の果てのことよりもどーでもよく、いきなり父親が乱心して親愛なる家族を追い出したようにしか見えなかったことである。
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