裏スライム山を駆け抜けよう 6
むくりと体を起こす。
一瞬、ここがどこで今がいつなのかわからずに周囲を見るがすぐにわかった。
スライム山の管理人室だ。
前にエールとソーセージを楽しみながら、裏スライム山の地図を見せてもらった記憶がある。
「あら、もう起きたの?」
そして管理人のおばあさんもいる。
ほっとした様子で私に声を掛けてきた。
「ちょっと寝てました」
「まだ30分も経ってないわよ。もう少し休んでたら?」
「お言葉に甘えます」
「何か飲む? それとも、まだ胃が受け付けないかしら」
「ええっと……牛乳、お願いします」
壁に掛けられたメニューを眺めて、丁度よさそうなものを選択する。
マラソンに近い激しい運動をした後だ。なるべく早く食事を取った方がよい。枯渇した糖質をすばやく補給できる消化によいものであり、なおかつビタミンやタンパク質もあると良い。そんなわけでツキノワの作った蜂蜜ゼリーを飲みつつ、牛乳も頂くことにする。
このタイミングでビールとかアルコールを飲みたい人もいるけど、なるべく我慢した方が良いと思う。体を動かすエネルギーである糖質は、肝臓に一時的に貯蔵される。つまり激しい運動をすることは、肝臓を酷使することに他ならない。肝臓を回復すべきタイミングで、肝臓に負荷を与えるビールを飲むと、当然体の回復が遅くなる。とはいえ好きな気持ちもわかるし、ほどほどにね。
「ピレーネさんを担ぎ込んだはずですけど、無事ですか?」
「大丈夫。奥の医務室に運んでいったわ。手当はちゃんと受けてるから安心してね」
「よかった」
「自分がやり遂げたことよりも、助けた人の方を心配するのね」
「無殺生攻略はあくまで私のやりたいことです。やりたいことやるっきゃないじゃんの精神。失敗したらまたやればいい。けど私も、遭難した人も、命は一つしかない」
「……優しいのね」
おばあさんが、まるで孫を褒めるような慈しみの表情を浮かべる。
少し気恥ずかしい。
「そんなことない。私は、私のワガママを貫きたい。でもそうすると、私のワガママを支えてくれる仲間が頑張ってくれるから……よい登山をしたって、一緒に来てよかったって思ってほしい」
誰かのために頑張っているわけじゃない。
もしかしたら、こんな無茶をしなくても無殺生攻略する冴えたやり方はあったかもしれない。
だけど私は走ることを選んだ。
そのために色んなことをみんなに手伝ってもらった。
その冒険を、「誰かを見捨てて成功しました」って終わりにするのも、「誰かを助けて失敗しました」になるのも、何だか嫌だった。
それに気付いたことを思えば、ブリッツとかいう阿呆には感謝するところもある。ありがとう。あなたの猪口才な悪事は、私に圧倒的な成長をもたらした。
そういえば他の仲間は大丈夫だろうか。顔が見えないとちょっと不安だ。
「ちょっとオコジョ! あんた無事!?」
「おおいオコジョ! 生きてるか!」
「生きてるに決まってるだろ! 不吉なこと言うんじゃないよ!」
と、思ったらドタドタと駆けこむように三人が入ってきた。
って、三人?
「カピバラがワープしてきた」
ツキノワとニッコウキスゲはともかく、カピバラもいる。
「何言ってんのよ! 迂回して下の道を馬で駆けて、表側から登ったの! 疲れたんだから!」
そういえば、裏スライム山を通らず、聖地の外を歩くルートもあった。
けっこう遠回りになるはずだがよくやったものだ。
「……みんな、お疲れ様。ありがとう。おかげで王冠八座のうち、無殺生攻略の最難関ルートを無事に攻略できた」
恐らく、根本的なフィジカルが試される場所としてはここがもっともつらい。
サイクロプス峠とスライム山以外の、残る6座については創意工夫やテクニックが試される。
だがどこの聖地も、やってやれないことはないだろう。
やるっきゃないじゃんと草葉の陰のオリーブ様も言っている。多分。
「まったく、大したもんだよお前は」
ツキノワが肩をすくめて笑う。
今回のMVPが何を笑っているのだ。
「何言ってるの。大したものなのはあなた」
「え、俺?」
「ツキノワは、自分のことを臆病だと思ってる。けどあなたはロッククライミングもトレイルランもやり遂げた。もう気に病む必要はない。そのへんにいるスカした冒険者なんかよりすごいことを私たちは知っている。あなた自身も理解しているはず」
「……オコジョ」
ツキノワの手は、クライミングしたときと同じく、ボロボロだった。
強く握りしめた手は血が滲んでいて、靴は泥まみれだ。
ていうか土足OKであっても屋内に入るときはちゃんと靴を洗いなさい。
「泣くんじゃないよツキノワ」
「泣いてねえよ、汗だ」
ニッコウキスゲが嬉しそうにばんばんとツキノワの肩を叩いた。
そういうニッコウキスゲだって、ちょっと泣いている。
美人が台無しだと言おうかと思ったが、土に汚れても汗まみれでも泣いていてもニッコウキスゲは綺麗だ。ワイルドな野生の美。タトゥーとか関係なく、彼女は大地に根を張り、誇り高く花を咲かせる一輪の山の百合だ。おおらかなツキノワの隣にいるのがよく似合う。
「ニッコウキスゲ。色々と助かった。この勢いで、地の果ての山も、面倒事も、サクっと攻略してみせる」
「頼んだよリーダー。あたしらは覚悟が決まってるんだ」
彼女の言葉はいつも心強い。
そして最後に私は、カピバラの方に向き直った。
ここまで目立った以上は、カピバラにも色々とトラブルが舞い込むことだろう。
「カピバラ」
「なによ」
「面白い話、聞かせてあげようか」
「その前に風呂入ってご飯食べて、ちゃんと休みなさい!」
怒られた。
確かにお風呂は入りたい。もう今すぐにでも。
「でも……本当にお疲れ様。よくやったわ」
「あなたの靴のおかげ。トレッキングポールも最高だった」
「褒めたって何も出ないわよ。……で、歩ける?」
「もうちょっと休めば問題ない」
そこでちらりと管理人のおばあさんの顔を見た。
ごめんもうちょっと休ませてと。
「もちろん。ゆっくり休んでいくといいわ。……それに今は、久々の無殺生攻略でお祭り騒ぎだから、もう少し時間が経ってからのほうがよいでしょうし」
あー、そうか。
サイクロプス峠のときと違って、現地で見た人がたくさんいるんだ。
この疲れた体がもみくちゃにされてはたまらない。
「じゃ、もうちょっとだらだらしてから下山して……そしたら温泉いこっか」
「いいねぇ! お風呂入って、ぱーっとやろうよ!」
ニッコウキスゲが嬉しそうに言った。
ツキノワもカピバラもやれやれと苦笑するが、今日ばかりは羽目を外したいのは皆、同じ思いだ。
こうして私たちの、スライム山トレイルランは終わりを告げたのだった。
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