裏スライム山を駆け抜けよう 5
「いっち、にー! いっち、にー!」
リズムを刻み、呼吸と歩幅を合わせる。
担架の後ろ側はツキノワが一人で持って、前は私とニッコウキスゲが持つ。
肘と肩が外れそうなくらい痛い。
私がこれだけ痛いということは、一人で後方を担当しているツキノワはもっとキツい。
「ツキノワ! 無理しないで!」
「どうせ、あと、2キロくらいだ! 根性のぉ……見せどころだぜ……!」
「よく言ったツキノワ! 絶対に落とすんじゃないよ!」
「へっ、任せとけ……!」
ニッコウキスゲはツキノワに対してやたらとスパルタだ。
ツキノワはそれに対して憎まれ口を返しつつも余裕でやり遂げる。
強気で頼もしい言葉を返すときは、ピンチのときだ。
「横の道からスライムが来る! ちょっとだけペース上げて!」
「わかった!」
「あの坂のところで引き離したらペースを落とせる! 大スライムは重い分、坂を上るのが苦手だから……!」
ド根性が試されている。
ピレーネという冒険者の体重は恐らく45キロくらいだろう。
一人当たり、15キロ……と言いたいところだが、私とニッコウキスゲはそこまでの負担ではない。キツいのはツキノワだ。
「も、もう大丈夫だって! 足も痛くないから! 置いていって!」
誰だってわかる嘘をついてまでピレーネは誤魔化そうとする。
そうは問屋が卸さない。
「こういう山でこそ事故や遭難は起きる。恥ずかしがる必要はない」
「そ、そうじゃなくて……!」
「遭難は避けるべきだけど、そうなったときに自分を見下す必要はない。成功とか失敗とかより、生きて帰ったことこそ本当の勲章。きっと、みんな、生きて帰りたかった。だけどできなかった」
低山の遭難は、意外なほどにパニックになる。
高山では心のどこかで「もしかしたら」があるが、低山だと「そんなわけがない」が頭になり、羞恥心を覚え、そして泥沼にはまる。恥ずかしながら私も遭難しそうになったのは低山だ。きっと彼女もそんな羞恥心を覚えているに違いない。だって私も、そうだったから。
「違うの……! 私、ブリッツから金もらったの……!」
あれ、なんか違った。
ピレーネは泣きじゃくりながら、唐突に真相を語り始めた。
「うん……うん?」
「あなたたちを、罠に嵌めようとしたの! 私なんて救う価値ないの!」
パニックになった彼女の話は時系列も感情もバラバラでわかりにくかったが、整理するとこういうことだ。
私たちを面白く思ってなかったピレーネと、ツキノワを逆恨みしたブリッツが手を組み、スライム山の攻略失敗させようとしていた。
私たちが怪我人を見捨てさせるか、あるいは救出させて失敗させるか、どちらにせよ評判を大きく落とせるというわけだ。
巡礼神子を目指す私にとっては、確かにそれはダメージだ。
「なるほど……いいこと聞いた……。聖者を目指すなら偉業をなせ。本当、その通り……ふふ……ははっ……」
「オコジョがおかしくなった」
「なってない」
ニッコウキスゲの失礼な言葉に即反論した。
まさか恨まれている相手から、こんなに大事な助言が与えられるとは思わなかっただけだ。
感謝したい気分になる。
私がアスリートならば一分一秒を競うことに魂を燃やすべきだと思う。
聖者オリーブの目指した姿はまさにアスリートであり、だが私はそうではない。
彼は自分の肉体を磨き上げ、過去の自分を超えていく美しさを世間に知らしめた。それこそ一つの偉業であり、彼と同じ道を往くのであれば記録にこだわるべきなのだろう。
だが私に与えられた「聖者オリーブを超えろ」というのはそういうことではない。クライドおじいさんも勘違いしていた。彼とは異なる偉業をなして、初めて人々に認められる。記録を超えるのは最低条件の一つに過ぎない。
「私たちはこの子を助ける。そして無殺生攻略を成功させる。そしてその先は……」
もうそろそろ坂を登り切る。
その先に見えるのは、この大陸においてもっとも高く、もっとも聖なる山。
天魔峰だ。
「オコジョ、あんた、天魔峰を目指すんだね」
ニッコウキスゲが問いかける。
それは正解であって正解ではない。
「私が目指しているのは、本当の山頂。誰も辿り着けなかった場所へ行って無殺生攻略を成功させて、生きて帰ってくること。足を折って死ぬしかない巡礼者が生きて帰るように、死の運命を覆す偉業を成し遂げること」
私の言葉に二人が、ついでにピレーネが度肝を抜かれた。
それは、過去の聖者でさえできなかった偉業であり難行だ。
自殺願望と受け取られてもやむを得ない。
挑戦するだけで、いや、挑戦すると宣言するだけで様々な問題が立ちはだかる。
「……天魔峰の神殿は、五合目にあるんだぞ。そこに行ってどうするっていうんだ……?」
ツキノワが、戦慄した声で尋ねた。
「違う……。山頂に誰も辿り着けないから……五合目に神殿ができた。山頂に何があるのか、誰も知らない」
「それを……解き明かすっていうのか……」
「まあ……何も無いなら無いでいい。ただ、そこの景色を見てみたい。誰も辿り着けない場所に……辿り着きたい……かな」
「ははっ……おまえ……すげえよ……」
「オコジョ……あんた、頭のネジ飛んでるよ……」
ツキノワも、ニッコウキスゲも、開き直ったように笑った。
「二人は、どうする?」
こんな会話せずに走ることに集中すべきだ。
だがそれでも、本当に苦しい今だからこそ、問わねばならないことだった。
「だったら……スライム山なんてさっさと攻略するしか、ねえじゃねえか……!」
「まったくだよ! キツいなんて言ってられないじゃん……!」
二人は、今まで以上に燃え上がった。
ペースを落としていいと言ってるのに落とさない。
大スライム峠を越して下り坂を駆けていく。
ここは他の峠よりも傾斜は緩いが、怪我人という荷物を持った状況でフルスピードで行くのは転倒のリスクがある。特に下り坂が上り坂へと変わる最後のポイントが問題だ。
「オコジョ! ヤバいときは担架から手を離してあんただけ突っ走れ!」
「そうはいかない!」
「だったら根性出して走るんだね! こんなところで転ぶやつが天魔峰を目指すなんて、夢のまた夢だよ!」
ニッコウキスゲが煽ってくると同時に、最後の上り坂が終わった。
凄まじい重さが肉体に襲い掛かってくるが、負けられないという思いが肉体を支える。
足を前に出せ。
靴を信じろ。
「もうちょっとだ……!」
ツキノワが叫ぶ。
だが山人の「もうちょっと」なんて一番信用できない。
確かにゴールは目に見えている。
見えているのにあんなにも遠い。
風の涼しさを楽しむ余裕もなく、ただひたすらに骨と筋肉を酷使する。
「がっ、がんばれ……! がんばって……! 私のことなんてどうでもいい! でも、攻略して……!」
ピレーネが叫ぶ。
うるさい黙れと言いたいところだが、声を張り上げて応援する人間がいるの、悪い気分ではない。足に力が宿る気がする。もうちょっとだけのはるか遠くの道のりを踏みしめることができる。
頭が真っ白になっていく。
酸素不足だ。
「うわっ! 来た……って、なんだありゃ……!?」
「怪我人だ! 怪我人を運んできたんだ!」
「いかん、あのままじゃ転ぶぞ! 怪我人はこっちであずかれ!」
誰かが私たちに並走し始めて、私を邪魔しないように担架の取っ手を掴んだ。
「オコジョ……! もう大丈夫だ……行け!」
「行って! 辿り着くんだよ……あんたの行きたいところに……!」
無我夢中で足を動かし、そして転ぶように女神像の前にひざまずいた。
「いと、高きに、おわします……太陽神ソルズロアよ……。寄る辺なき空の寒さに……その御心が凍てつくことの……なきよう……我らが、日々の歓喜と、哀切の薪を、捧げます」
言葉を紡ぐだけでも苦しい。
果たしてこれが声となっているのか自分でもわからない。
肺に空気を込めて、大きく吐き出す。
すべての思いが実るように、ただ祈る。
「そして神の愛が炎となり空と海と大地をあまねく照らし、我らの小さな営みをお守りくださるよう切にお祈り申し上げます」
祠が輝き始める。
サイクロプス峠のときのように、きらびやかな光が女神像の持つ太陽石に宿る。
「おお……」
「成功した……スライム山の、無殺生攻略が……」
どこかの誰かが呟く。
だが私は光が山頂に迸っていくのを見届けることなく、ばたりと倒れた。
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