裏スライム山でトレーニングしよう 1
近頃、裏スライム山の登山口から峠のあたりまで、珍妙な集団が走っている。
急いで歩いているとかではない。
本気で走っている。
商人か旅人かというと、そういうわけでもない。
体力をつけるための冒険者かと言うと、少し似ている。
郵便配達人なのかというと、これも少し似ている。
だがどれも、言い当てているとは言い難い。
ローブやマントを羽織ることなく、体にフィットした半袖の上着を着て、その下には膝の見える丈のパンツを身に着けている。
また半袖の上着の上に小さいザックのような、あるいはベストのようなものをつけている。背中側の荷物入れは小さいがその分揺れない構造になっていて、走っていても揺さぶられることがない。
胸元には水筒を入れるポケットと、折りたたんだ杖を固定する紐が付けられていて、ちょっとした徒歩の旅ではいかにも便利そうだ。
通りすがった旅商人は「便利そうだな。どこで売ってるんだ?」と尋ねた。
走っている人々のうち、黒髪の少女が答えた。
「カピバラストアの新商品」と。
旅商人は、へぇーそんな道具店が新たにできたのかと思ったが、金髪の少女に「よくわかんない名前付けてんじゃないわよ!」と怒られていた。
実際には商品のテストのようなものらしく、旅商人は「もし売り出すときは教えてくれ」と名刺を差し出した。
だがこのとき、旅商人は大きな見落としをした。
目をつけて予約しておくべき商品は、このベストとザックが合体したトレランザックではない。
彼らが履いている、トレイルランニングシューズであった。
◆
前世の私はスニーカーとランニングシューズの違いを理解していなかった。
ジョギングしている人々は膝や足の裏が強くて、普通の人間とは違うのだと思っていた。
走るのはそこまで苦ではない方だったが、それを日常としたときの自分の足腰には自信がなかったし、ダイエットをするなら関節に負担が掛からない水泳とか水中ウォーキングが一番だろうと思っていた。
だが登山を始めて、自分に合った靴を履いたときの負荷の少なさに理解したとき、ようやく気付いた。
もしかして陸上とかランニングやってる人が履くような靴を買えば、膝の負担とか格段に減るんじゃないか?
そこで私が最初に選んだ靴は、白字にオレンジのラインが入ったア〇ックスのランニングシューズ。初心者向けでクッション性が高く、老若男女問わず履ける優しい靴だった。
で、走ることに体が慣れたあたりで靴を履き替えてトレランにも挑戦するようになったが、硬いコンクリートの上を走っても足を柔らかく包んで守ってくれたときの初めての感覚はいまだに忘れがたい。みんなにもその気持ちを味わってほしい。
「もー無理。死ぬ」
だがカピバラはそれどころではなかった。
いや、最初にできあがった靴を履いて走ったときはひどく感動していたが、10分ほどで肩で息をし始めて、30分ほど経った現状、へとへとな状態だった。
「がんばれカピバラ。もうちょっと我慢すれば温泉」
「うう……温泉……入りたい……」
「お風呂上がりの牛乳。温泉卵。プリン」
「が、がんばるぅ……」
私たちは今、裏スライム山の登山口の宿場町の宿、「スライム温泉」に長期滞在している。
目的はただ一つ。トレイルランニングシューズのならしを兼ねたトレーニングだ。
靴職人のおじいさんがソールを作るのは大して時間は掛からなかった。それどころかクッション性の高いソールや、やや硬めのソールなど、道の状態や各人の好みに併せて3種類の靴を用意する充実ぶりである。おじいさんの知り合いの錬金術師はよほど腕が立つようだ。
恐らくではあるが、おじいさんはこうした靴を作ることを考えていたのではなかろうか。
履く人の負担を減らしてくれるような靴を。
彼はカピバラには口酸っぱく「よい靴を履いて足を大事にするように」と言っていた。
彼自身も若い頃の怪我のせいで膝を壊していて、走ったり長時間を歩いたりは困難だ。
この素材がおじいさんの目的やテーマが叶うのであれば嬉しいし、結果を出してあげたいなと思う。
「ツキノワは……ちょっと苦しい感じ?」
「平地はともかくアップダウンはキツいぜ……俺みたいな重量級は不利だ。あ、けどポール2本あると思った以上に楽だな」
ツキノワが汗を拭きながら答えた。
トレイルランニングにおいて、トレッキングポールはけっこう使える。というかトレランしやすい低山の方こそトレッキングポールを使いやすい。
もっとも、ポールを使って走ると他人にぶつかる可能性が高くなるのでマナー的にあまり使えない状況も多いが、トレイルランニング用のポールも開発されているくらいだ。また、体のバランスを取って負荷を抑えるのではなく、平地でのスピードアップを目的としたノルディックポールというものもある。
「ニッコウキスゲはどう?」
「問題なし。トレッキングポール、あたしは別にいいかな。出し入れの面倒くささを考えると荷を減らして身軽になる方がいいや」
「了解。流石は二人とも冒険者。カピバラもかなり体力ついてきたし順調。みんなえらい」
「こっちとしては冒険者でもないのに余裕なオコジョが怖い。なんだその体力は」
私たちは今、宿場町を出て裏スライム山で練習をしている。
登山口から鉄騎スライム峠の山頂を往復するというコースだ。
アップダウンが激しいものの、実際は石畳やコンクリの上を走るより膝の負担は少ない。
まあ下り坂で急な動きをすると危ないので、傾斜のきつい下りでは鉄騎スライムを避けることなくポールで払い除けつつ下山している。慣れないと転ぶし。そして傾斜のきついところを抜けたらしっかり走ってスライムから逃げ切る練習をしている。
ちなみに、スライムを避けて走ること自体はそこまで難しくはない。
スライムが密集しやすい平地でスピードを落とさないことが大事だ。体力が尽きて追いつかれたときは潔く諦めてスライムを倒してしまった方が良い。そこの見極めが中途半端になって変な動きでスライムを避ける方が怪我のリスクが上がり攻略は遠ざかる。
走りきるか、諦めるかの二択だ。
そして走るという技術、持久力、そして装備が整えば十分に攻略は可能だ。
……そのはずである。
「ともかく、みんなお疲れさま。軽くストレッチしたら温泉入って汗を流そう」
疲労度合いはそれぞれ違うが、全員、温泉という言葉に喜色を浮かべた。
「で……みんな……靴は……どんな感じ……?」
「カピバラ。休んでからにしよう」
相変わらずカピバラは真面目だ。
彼女に肩を貸して、私たちは温泉宿へ向かった。
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