おうちに帰ろう 2
「あ、え、ちょ……!? お父様!?」
カピバラが目を白黒させつつも、父親の抱擁を受け入れていた。
赤面し、おろおろと救いを求めるようにこちらを見るが、私としてはどうしようもない。
私もカピバラと同様にどんなカミナリが落ちるのかと戦々恐々としていたが、よくよく考えたら不思議なことは何も無いのだから。
娘が死ぬような目に遭ったのだ。
親が、平静でいられるはずがない。
そんな気持ちが口元の緩みとなってしまったのか、カピバラは私の顔をきっと睨みつつ叫んだ。
「……人のご家庭の事情を見てんじゃないわよ!」
「それはごめん」
来いって言ったのカピバラじゃん、とは言わないでおくのが優しさだろう。
黙っていると、予想外のところから声を掛けられた。
「ええと、お友達のカプレーさん……かしら? 少し別のお部屋で、お茶でも飲んで待ってて頂けませんこと?」
「え? えっと、はい。カプレー=クイントゥスです」
部屋のすみっこ、私から見て死角の方に佇んでいた女性に声を掛けられた。
カピバラのパパの存在感を意識しすぎて気付くのが遅れてしまった。
青いワンピースドレスを着た金髪の貴族女性で、なんとなくカピバラをおっとりさせたような雰囲気がある。きっとママだろう。
「ベル。こちらのお嬢さんにお茶を淹れてあげて頂戴」
「承知いたしました、奥様」
何となく見覚えのある老婆のメイドがやってきて、私を別の部屋に連れ出した。
◆
執務室から下がって客間で老婆メイドに出された茶を堪能していたが、ものの十分程度でまた呼び出された。
今度はカピバラパパは執務室の自分の椅子に腰掛け、まさにご当主様といった風情で私を待ち構えていた。カピバラママはその横に控え、反対側にカピバラが控えている。親としての顔を存分に見せた後にとりすました顔をすぐに作れるのは、流石に大人だなと思う。
だがカピバラは、少し照れくさそうな、あるいは不満そうな顔をしている。
空気の変化に付いていけないのだろうか。
ただ、そこまで父を邪険にしている風でもないので安心する。
以前はすごい剣幕で父親をディスってたし。
「グスタフ=ガルデナス。この家の当主だ。娘が世話になっているようで、礼を言う」
「グスタフの妻のヒルダです」
と、ガルデナスご夫妻が挨拶をしてくれた。
「巡礼神子のカプレー=クイントゥスです。お初にお目にかかります」
「お前には言わねばならぬことが山ほどある」
厳しい眼光でこっちを睨む。
熊や虎でも殺せそうな人に睨まれるの怖いんだけど。
さっきは和解ムードじゃありませんでした?
カピバラさん、ちょっと話違くない?
「とりあえず、お父様の話を聞いて頂戴」
カピバラがやれやれと肩をすくめる。
そんな殺生な……と思っているところに、カピバラのパパ……グスタフ氏がやおら立ち上がって私の前に来た。デカい。
グスタフ氏は、片膝を突いて顔を伏せ、胸に手を当てる。
「すまなかった」
これは、正式な礼法に則った高位貴族の謝罪である。
裁判で負けて謝罪を命じられたときとか、宗教上の禁忌を犯したときとか、公的な場で求められるもので、正式な詫び状や賠償がセットで行われることが多い。
つまり、けっこう重いやつだ。
「えっと、あの……どちらかというと、そちらのお嬢様を危険に引きずり込んだ側ではあるんですけど」
「色々とあるはずだ。娘の婚約者のことも含めて。儂は娘に代わって詫びねばならん立場だ」
「そこから!?」
話が一気に巻き戻った。
いや、ここまで来るのに長く掛かったと言うべきか。
「え、ちょっとお父様、その話するの!?」
「しないでどうする」
「そ、それはそうなんだけど」
親としてお叱りモードになっていて、カピバラもやりにくそうだ。
私も、あんまりここを掘り下げる気はないので助け船を出す。
「当事者間で話は付いているので、大丈夫ではあるんですが……」
「お前たちを見ていれば確かに済んだ話なのだろうが、済んだ話として受け入れて仲良く雪山に行くものなのか? どうも若者の考えることはわからんな……」
若者とか世代の問題なのだろうか。
というか、こんなまっとうなツッコミが来るだなんて思ってもみなかった。
「……今まで彼女に助けられたことを思えば、むしろ借りの方が多いくらいです」
「それは……そうだな。記録を見ればわかることだ」
机の上には、私たちが氷菓峰の登山後に送った事故報告書の写しがあった。
騎士団のツテで手に入れたのだろうか。
「それに反省するべきはこの子とケヴィンだ。もし腹立たしいならば演習でも見に来い。泥に塗れている顔は見せてやる」
「いえ、結構です」
ケヴィンの苦労は十二分に聞いているのでもうお腹いっぱいです。
しかしこの口ぶりだと、今も騎士団で練習三昧の日々なのだろうな。
別れた今となってはただの幼馴染みだ。
彼が彼なりに頑張って生きてくれたなら私はそれでいい。
しかし、妙にフレンドリーだな……。
こんなに話せる人だとは思わなかった。
前から聞いていた人となりとはかなり違っている。
「お父様、なんかちょっと……変わった?」
家族視点でもなんか違ったらしい。
グスタフ氏は、顎に手を当てて「ふむ」と呟く。
「……マーガレット。お前の記録を読んで、胸のつかえが下りたような気がした」
「え、なんで?」
「お前の祖父、儂の父が死んだ話を覚えているか」
唐突な話に、カピバラがきょとんとする。
私も話が見えなくて黙るしかなかった。
「ええと……戦争で味方の軍を逃がすために殿を務めて、そのとき矢を受けて倒れたって」
カピバラの言葉に、グスタフ氏が重々しく頷いた。
「そうだ。北方戦役の最後のことだ……と言ってもお前たちが生まれる前のことだから、詳しくは知らんだろうが」
それは確か、30年以上昔の戦争だ。
兎国という北側の国との戦争で、多くの者が犠牲になった。
今の40代や50代の人の多くはその戦争で苦い経験をしているためか、あまり若い世代に語ろうとしない。戦没者追悼の儀式も、参加者の中に戦争を知らない世代がどんどん増えている。「体験した悲劇」から「歴史的な事件」に移行しつつある過渡期といったところだ。
何が言いたいかというと、私も表面的な知識はあるけど深いことは全然知らないのであんまり聞かないでください、ということだ。
「我が父だけではない。儂が一人の騎士だった頃の騎士団の友も、先輩も、大勢が死んだ。ヒルダも兄を亡くしている」
ヒルダさんが、神妙そうな顔をして頷いた。
「……儂は父の代わりに留守を預からなければならなかった。あの年は百年に一度という寒い年で……多くの者が凍え死んだ。戦争に行った者たちだけではない。周辺の農村でも大勢死んだし、王都にいてさえも凍え、あるいは飢えて死んだ者さえいたものだ」
終戦したときは、数十年に一度の大寒波が大陸全体を覆った年らしい。
普段は降らないような場所にも豪雪が降り注いだために野営地では凍死者が続出し、また戦争から遠く離れた場所でも都市機能や流通が麻痺して大惨事となった。これが、両国ともに疲弊して生まれた厭戦ムードのダメ押しとなった。これはもう戦争どころではないとなって、早急に和平の道筋が立った。
被害としては隣国の兎国よりもこちらの国の方が大きかった。こちらの内陸部はそこまで雪が降らないために、被害の度合いが拡大したのだろう。日本で言うならば東京や大阪辺りが1メートルの積雪になったときの大惨事を想像してもらえれば多分合っていると思う。
「寒さにも、敵にも負けたくはない。だが何より、故郷に訃報をもたらしたくはない。そう思って騎士団長となった。儂はそのためになんだってしてきたし、逃げる者は許さなかった。恨む者も多いだろう。後悔はしていなかった。今までは」
逃げる者、恨む者。
それが誰を想定した言葉なのか、なんとなくわかる。
この人が許さなかった人とは、きっとクライドおじいさんのことだ。
だがグスタフ氏の顔には、言葉ほどの負の感情は乗っていなかった。
「今までは?」
「……どんな精強な男でさえ震え上がるような危機を、家出した娘が何とかしてしまうとは夢にも思っていなかった」
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