最終話 さようなら 神の世界への旅立ち
美容師さんをお母さんたちが玄関まで見送りに行った。そして、居間にいるのは家族だけになり、
「ああ、7時半だね」
とおじいちゃんが時計を見つめながら呟いた。
「そうですね。琥珀さん、そろそろですか?」
お父さんがそう言うと、琥珀は黙って突然正座をした。それも見て、家族のみんなもいきなり姿勢を正し正座をした。
私も椅子に座っていたのだが、立ち上がり琥珀の隣に正座をして並んだ。
「今まで俺の嫁が世話になった。ここまで育ててくれたこと礼を言う。みんなのおかげで美鈴はまっすぐに育った」
そう言って琥珀は頭を下げた。
みんなも慌てたように頭を下げ、
「こちらこそ、美鈴が生まれて来たことに感謝しているし、一緒に暮らしてきたことにも感謝しています」
と、おじいちゃんが頭を下げながらそう答えた。
「龍神の嫁と共に、この年になって暮らせたこと幸せだった。琥珀さん、ありがとう、美鈴もありがとう」
ひいおばあちゃんの言葉に、おじいちゃんが泣くのを必死になっているのがわかった。おばあちゃんも、お母さんも慌てたようにハンカチを出して目元を拭いた。
「さ、湿っぽくなるからこれぐらいにしない?私、笑顔で美鈴を嫁に出そうって決めてたのよ」
お母さんが頭をあげ、元気にそう言うと、
「朋子はさすがだな」
と琥珀がほほ笑んだ。
「朋子がいて、きっと明るい嫁も神門家に来るだろう。俺は安心して美鈴と神の世界に行ける」
「そうね。男どもは頼りにならない弱い人ばかりだから、女の私たちに任せてちょうだい」
「母さんはまたそんなことを言う」
お父さんが顔をしかめると、
「ははは。だが、当たっているぞ」
と琥珀が笑った。
「悠人、お前もきっと強い嫁をもらうだろう。だが、それでいい。悠人の優しさは大事にしてほしい」
琥珀が悠人お兄さんに向かってそう言うと、悠人お兄さんはきりっとした顔で頷いた。
「敬人、お前は世界を渡り歩く。それが敬人の宝となる。色々な体験を積むといい」
琥珀は敬人お兄さんに向かってそう話を続けた。敬人お兄さんも珍しく真面目な顔で頷いた。
「それから、清、腰の痛みのせいにして怠けるではない。まだまだお前は宮司としての務めを果たさねばならない。精進を怠るな」
「え?あ、はい」
おじいちゃんは自分に話を振るとは思わなかったのか、それとも怠けるなと言われ驚いたのか、目を丸くして頷いた。
「それから、直樹、これからも清を助け、宮司になるための学びを怠るな」
「はい」
お父さんは琥珀の目をしっかりと見つめ、そう答えた。
「うむ。女性陣はしっかりしているからなあ。ウメもまだまだ元気でやっていける。靖子も家族全員を見れる器がある。それから朋子は、今回のことで本当に成長したな」
「私が?」
「ああ。娘を遠い神の世界に嫁がせるのだ。並大抵の精神じゃやっていけなかっただろう。だが、さすが俺が龍神の嫁を産む女性として選んだだけのことはあった」
「え?琥珀さんに私が選ばれたんですか?」
「そうだ。もちろん、運命というのはおおいなるものが決めてはいるが、人と人の縁を結ぶのは龍神の仕事だからな」
「でも…。私が結婚をしたのはもう、26年も前のことですよ」
「そうだな。俺が人間で言えば、74歳の頃の話だ」
「……そうでしたね。琥珀さん、100歳なんでしたっけね。つい、見た目が悠人ぐらいだから、変な感じだわ」
そうお母さんが苦笑をすると、琥珀はハハハと笑った。
「さあ、美鈴、俺の話は済んだ。美鈴は?何か言っておきたいことはあるか?」
「はい」
私は三つ指をついた。そして、
「みなさん、今まで本当にありがとうございました」
と頭を下げた。
「嫌だ!美鈴、やめてよ。湿っぽいのは嫌だって言ったでしょ」
「いやいや、朋子さん、ちゃんと私らも答えなければ。見ろ。美鈴の成長ぶりを。こんな立派な挨拶ができるようになったのじゃぞ」
「おばあちゃん…」
お母さんは、ひいおばあちゃんの言葉に泣くのを堪えているのか声が震えた。でも、
「こっちこそ、ありがとうね、美鈴」
と頭を下げた。
他のみんなも静かに頭を下げ、おじいちゃんの泣き声が響いた。
「泣くなよ、じいちゃん、もらい泣きするだろ」
そう言ったのは敬人お兄さん。でも、
「父さんが泣くから、僕は泣かないで済む」
と笑ったのはお父さんだった。
琥珀が私の手を引き、私と琥珀は玄関を出た。
いつもは龍神の嫁の前を宮司が歩き、その後ろを龍神の嫁の父親が歩き、そして嫁が母親の手に引かれながら続くらしいが、
「今回は龍神は人間の姿でここにいるからな。俺が美鈴の手を引き先頭を歩く。もちろん、邪魔をするものはいない。前のように嫁を盗もうとするような輩もいないから安心しろ。龍神にたてつくようなバカな妖などいないからな」
と、家の前でそうみんなに言った。
みんな黙って頷いた。
それから、ゆっくりと琥珀は歩き出した。私も琥珀の隣で琥珀の手を取りゆっくりと歩いた。
神社の鳥居を抜けた。もう、ここに戻ってくることはない。もう、人間の姿でこの鳥居をくぐることも、家に帰ることもないのだ。
一瞬、寂しさなのか悲しさなのか、心に風が吹いた。それに気が付いたのか、琥珀が私の手をギュッと握った。
「琥珀?」
「大丈夫だ。いつでも、ここに還ってこれる。俺と一体になり、龍神のエネルギーで来れるのだ。安心しろ」
「うん」
琥珀の言葉に心が満たされた。
私たちの周りにはずっと精霊たちが舞っていた。それに、私の横にはあーちゃんもうんちゃんもいた。琥珀が前に、いつもは境内から出られない狛犬たちも、美鈴が嫁に行く日だけは祠まで見送りに来ると言っていたっけね。
そして山吹もいた。山吹は立派な尻尾が3つになっている。堂々と琥珀の隣を歩いている。山吹はすでに、彩音ちゃんの家の近くの神社で奉公をしているのだが、今日だけは私が神の世界に行くのを見届けたくて、神様に頼んでやってきたらしい。
15歳くらいの青年に見えていた山吹は、尻尾が一つ増えてから20歳くらいの青年へと成長をした。どこか幼さが残っていた顔も、すっかり大人びた。背も伸びて、今では私を追い越し、琥珀にも届きそうな身長になった。
祠までの道は、いつもは木々が鬱蒼と生えていて閉ざされている。でも、今日は木々が道を開けてくれている。緑は奇麗に輝き、鳥がさえずり、時々山の動物が祝福をしに来てくれている。そして、あの3匹の妖も、ひょっこりと顔を出しに来た。
「美鈴、行くんだな」
「うん。みんな、元気で仲良くね」
そう私が3匹に言うと、後ろにいるおじいちゃんとお父さんが、
「誰かいるのか?」
と聞いてきた。
「ふふ。私や琥珀を襲った妖だよ」
笑ってそう言うと、
「え?大丈夫なのか?!」
と二人して警戒をした。悠人お兄さんと敬人お兄さんは焦って私を守ろうと、後ろの方から走ってきた。
「大丈夫。3匹とも琥珀が邪気を抜いたから、すっごく可愛い妖たちになったの。私も琥珀も山で会って遊んであげたりしていたの」
「可愛い妖だと?」
「うん。悠人お兄さんも、敬人お兄さんも安心してね。妖は悪いものばかりじゃないの。邪気が抜けたら、全然怖くないんだから。人間に悪さもしないからね」
「…そ、そうか」
「美鈴が言うならそうなんだな」
「この山は俺と美鈴が護る。邪気のある妖がいないよう、今後も護っていくから大丈夫だ」
琥珀も家族みんなにそう言って、安心させた。お兄さんたちはまた、後ろに戻り、また琥珀はゆっくりと歩を進めた。
「ふさちゃんも、つるちゃんも、くまちゃんも祠まで見送ってくれるの?」
「うん!見送るぞ」
「ふさちゃん、つるちゃん?」
後ろからお父さんがぼそっと呟いた。
「みんなのあだ名なの。可愛いでしょ?」
「美鈴がつけたのか?」
「そうだよ」
「ははは。美鈴は本当に面白いだろ?妖たちに名前を付けるのだから。美鈴は神の世界でもみんなに可愛がられる。俺が保証する」
そう言ってから琥珀はくるりとお父さんの方を向き、
「だから、直樹、安心しろ」
と微笑んだ。
琥珀は何度みんなに「安心しろ」と言ったかな。琥珀の言葉で何度もみんなは安心したかな。
でも、隣で聞いている私もそのたびに安心していた。朝、緊張していたのが、今は緊張も薄れ、だんだんとワクワクすらしているもの。
琥珀は嬉しそうだった。この日をずっと待っていたのだと、そう朝言っていたっけ。紋付き袴で来てすぐに。待ち望んだ日がようやく来たと。
なのに、もう着替えたの?なんて、私ったら的外れなこと言っちゃったんだな。だから、琥珀はすねちゃったのね。
だけど、これからは琥珀とずうっとずうっと、ずうっと一緒にいる。それは私も嬉しくて、じわじわと喜びがこみ上げてきた。
祠に着いた。皆には見えているかわからないけれど、天狗の次郎坊までが見送りに来てくれていた。
「お前まで見送りに来たのか」
「ああ。今日で最後だ。俺は人間になるからな」
「そうか。太郎坊の許しが出たのか」
「ああ」
「ふ…。神の世界で太郎坊の嘆きを聞かされるかもなあ」
琥珀がそんな話をしていると、後ろにいた家族のみんなは不思議そうな顔をした。でも、誰ももう質問などしなかった。自分らには見えない何かがいるのだろうと感じていたんだろう。
「清、ウメはここまで来れなかったが、色々と本当に世話になったと礼を言っておいてくれ」
「はい」
ひいおばあちゃんは足が悪いから、山道を歩くのが無理で鳥居まで見送ってくれたのだ。私もしっかりとひいおばあちゃんに別れを言うことが出来なかったな。
「おじいちゃん、私からもひいおばあちゃんにお礼を言っておいて。色々と相談に乗ってくれてありがとうって」
「言っておくよ」
おじいちゃん、今にも泣きそう。でも堪えてる。これ以上何か言ったら確実に泣いちゃうだろうから、私は黙って頷くだけにした。
「阿吽、これからも山守神社を頼んだぞ」
「はい、琥珀様、美鈴様」
「まあ、エネルギー体では来るから、お前たちとはこれからも会えるけどな」
「はい」
「それから、山吹、しっかりと神使の仕事をするんだぞ」
「はい」
「ふ…。お前の成長ぶりには驚いている。その分なら大丈夫そうだな」
「ありがとうございます」
山吹はそう答え頭を下げた。
「山吹、また神の世界で会えるのを楽しみにしているね」
私がそう言うと、山吹は顔を一瞬緩ませたが、すぐに真面目な顔つきになった。だけど、3つの尾っぽがグルングルンと振りまわっているから相当嬉しいのかもしれない。
さあ、あとは祠に向かうだけだ。
「みんな、本当にありがとう!私、これからは琥珀と一緒にみんなのことも、神社も山も、ちゃんと見守るから。みんながずうっと幸せでいるよう、見守っているからね」
振り返り、そうみんなに告げた。一気にみんなが涙を浮かべ、
「美鈴、元気で」
「美鈴こそ、幸せになるのよ」
「琥珀さん、美鈴を頼んだぞ」
「美鈴ちゃん、幸せにね」
と私に声をかけてくれた。
「美鈴、ありがとうな」
「うん、悠人兄さんこそ、ありがとう。里奈と幸せにね」
「美鈴!立派な龍を産むんだぞ」
「わかってるよ、敬人お兄さん。敬人お兄さんがどこにいようと見守ってるから」
声を上げておじいちゃんが泣き出した。それと同時にお母さんもおばあちゃんも思い切り泣き出した。敬人お兄さんまでが嗚咽を上げて泣いている。静かに悠人お兄さんが涙を流した。
でも、お父さんは泣いていなかった。目を真っ赤にして私をしっかりと見てくれている。
「ありがとう。ありがとう」
私は祠に入ってからも振り返りそう叫んだ。琥珀はそんな私の手をしっかりと握りしめ、
「行くぞ、美鈴」
と私の手を引いた。
みんなの声も聞こえなくなった頃、祠の先が明るくなった。さっきまで暗い岩陰しか見えなかったのに、そこから明かりがもれ始め、今はしっかりと明るい道が見えた。
「美鈴、神の世界だ」
琥珀と共に神の世界に来た。
さようなら、私の家族。さようなら、人間の世界。さようなら、山守神社。さようなら、みんな…。
私の大事な人達。
だけど、これからもずうっと、つながっているよ。
ずうっと永遠に。




