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第90話 いよいよ、別れの日がやってきた

 とうとう、今日がやってきた。私が龍神の嫁となり、祠へと入って行く日が…。


 思えば琥珀が山守神社に来てから色々とあったけれど、あっという間だったなあ。半年前、誕生日を迎える前までは、まさか私がこんなにも早くにお嫁にいくことになるとは思いもしなかったし、それも、龍神の子を身籠るとは夢にも思わなかった。


 龍神の許嫁だとはわかってからは、あんなにも嫌がったのになあ。


 琥珀だって、最初に会った印象は最悪だったよね。まあ、すっかり子どもの頃に会った時の記憶が抜け落ちていたんだけどね。


 昨晩、山に雨が降った。その雨は今朝止んだ。木の葉っぱが雨に濡れ、キラキラと輝き、山全体が潤っていた。


「晴れたわね…」

 私の花嫁衣裳を着せに来てくれたお母さんが、ガラッと窓を開けそう言った。すると、気持ちのいい風が吹き込んだ。


「やっぱり龍神が晴れにしてくれたのねえ。その龍神さん、すでに紋付き袴で居間に来たわよ」

 お母さんと一緒に来たおばあちゃんがそう言うと、お母さんが笑いながら、

「なんだかそわそわしていたわよ。まあ、うちの男性陣全員がそわそわしているけれど、まさか、龍神までがソワソワするなんておかしいわね」

とそう言った。


 確かに。明け方山を見回ってから琥珀が部屋に戻ってきた。そして、まだ日が昇るか昇らないかのうちに着替えをしてしまったのだ。


「え?もう着替えたの?」

「紋付き袴ぐらい、自分であっという間に着れる」

「そうじゃなくて。まだ、こんなに早いうちから着替えたの?確か祠に向かうのは、朝8時ぐらいじゃなかった?まだ5時だけど…」

「いいんだ」


 ちょこっとへそを曲げたらしい。琥珀はそう言うと、すうっとどこかに行ってしまった。


 6時になり早めに朝ご飯をみんなで食べだした。琥珀は紋付き袴で居間に来てその姿で朝食を食べたらしい。私は最後の朝食を一人だけ先に食べた。お母さん、おばあちゃん、そしてひいおばあちゃんとだけの時間だった。


 みんなに今までずっとご飯を作ってくれたことにお礼を言った。おばあちゃんは泣きそうになったけれど、持ちこたえて笑ってくれた。お母さんも笑っていてくれた。ひいおばあちゃんにいたっては、ずっとひゃっひゃっひゃっと嬉しそうだった。


 そして、男性陣が集まる前に1階にあるお母さんの部屋に移動し、お母さんたちも来てくれて花嫁衣裳に着替えるところだ。琥珀が阿吽や精霊たちに頼めばあっという間だと言ったけれど、私はお母さんとおばあちゃんに着付けをしてもらいたかった。


 着替える前に、ひいおばあちゃんが先に来てくれて化粧をしてくれた。ひいおばあちゃんは神楽の時も奇麗に化粧をしてくれるけれど、それとはまた違う化粧をした。白粉で首も顔も白くなり、唇を赤くした。頬もいつもより赤い頬紅で、なんだか、鏡を見ても私じゃないような変な気持ちになった。


 でも、ひいおばあちゃんのしてくれる化粧はいつもすごい。私を奇麗にしてくれる魔法使いのようだ。今日は赤い着物に似合うように化粧をしてくれた。


 そして赤の花嫁衣裳に袖を通した。お母さんの娘でいるのもあとわずかなんだなとしみじみと感じた。お母さんも、おばあちゃんも私が花嫁衣裳を着ると、

「ああ、とっても奇麗よ。似合っているわ」

と目を潤ませながら喜んでくれた。


「ありがとう、お母さん、おばあちゃん」

「……さ!早いとこ髪も結っちゃいましょう。ちょうど美容師さん来たようだから」

 お母さんは、流れ落ちそうになった涙を指で押さえ、元気にそう言った。

「うん」


 さっき、着替えをしている時に玄関の戸をノックして、

「おはようございます」

という声が聞こえていた。お父さんが玄関まで迎えに行ってくれたようだった。


「美鈴ちゃん、おはよう」

 美容師さんはおばあちゃんとお母さんがずっと行っている美容院の店長さん。多分、この界隈で日本髪を結わせたら右に出るものはいないという、美容師さんだ。


 私は日本髪なんて結ったこともないし、普通の美容院にしか行かないけれど、何度かお母さんに連れられ子どもの頃に髪を切りに行ったことがある。


「美鈴ちゃん、大きくなって!でも、18でまさか結婚するとは思ってもみなかったわ!」

 もう70を過ぎているだろう美容師さんだけど、声もでかいし、とても元気だ。

「今日はよろしくお願いします」

「任せて。この美しい花嫁衣裳に負けないように結うからね。それにしても、旦那さんは噂のイケメン神主なんでしょ?」


「噂の?」

 お母さんもおばあちゃんも、きょとんとした。私も首をひねると、

「うちのお客さんが言ってたのよ。山守神社にお守りを買いに行ったら、今までにはいないすんごいハンサムな神主がいたって!今はハンサムじゃなくって、イケメンって言うのよ!なんて、ほかのお客さんと笑っていたの」


「……はあ」

 私はなんと返事をしていいかもわからず、苦笑した。

「そんな噂になっているの?やだわ~~」

 お母さんは大笑いをした。


「それで、その神主さんは婿養子ってわけ?でも、ここには二人も息子がいるじゃない?どうするの?誰が山守神社を継ぐの?」

「悠人ですよ。美鈴の旦那さんになる人は、別に婿に入るわけじゃないですから」

「じゃ、美鈴ちゃん、ここを出て行ってしまうの?」

「はい。琥珀…、えっと旦那さんの実家に行きます」


「そうなの?寂しいじゃないよ。どこなの?遠いの?」

「えっと、はい…」

 よく喋る人だな。お母さんよりも強烈かも。

「朋子ちゃん、寂しいわねえ」

「でも、美鈴が嫁に行けて良かったですよ」


「そうは言っても、まだ18なのにねえ。それで、美鈴ちゃんは旦那さんの両親と同居するの?」

「いいえ。多分、別になると思います」

「まあ、良かったわね。同居は大変よ。あ、神門家のみんなは同居しても仲いいわよねえ」

 ほほほほと、美容師さんは笑って、やっと髪を結いだした。


「じゃあ、お願いします。私たちも着物に着替えてきます」

「わかりました。任せてちょうだい」

 お母さんとおばあちゃんは部屋を出て行った。おばあちゃんの部屋で二人で、着物に着替えるようだ。二人はすでに昨日美容院に行き、髪は整っていた。着物を着るのも慣れているから、あっというまに着付け終わるだろう。


 私の髪を黙って真剣に美容師さんは結っている。さっきまでうるさかったから、いきなり部屋が静まり返った。外から鳥のさえずりが聞こえてくるくらいだ。


 山守神社の社務所を開ける時間までに終わるよう、8時には祠に行く予定だ。でも、まだ7時前。もっと早くに行くことになるかもしれないな。


 ふう…。息を吐くと、

「あら、着付けが苦しい?」

と美容師さんが聞いてきた。

「いいえ、ちょっと緊張してて」

「そりゃそうよねえ。結婚式は神社で挙げるんでしょ?いいわね、家が神社って。家で式が挙げられるんですもんね。その式まで見せてもらえないかしら」


「それは、遠慮してほしい」

 私ではなく、いつの間にか部屋にやってきた琥珀がそう答えた。

「あら、びっくりした!いつ来たの?花嫁を待ちきれなくて見に来ちゃった?それにしても、本当にハンサム!」

 美容師さんがそう言うと、琥珀は一瞬たじろいで身を引いた。でも、横目で私を見て、

「ああ…。衣装が似合っているな」

と微笑んでくれた。


「でしょう?髪ももう結えるわよ。こんなに可愛らしいお嫁さんで、お婿さんも嬉しいでしょう!?」

 その声のデカさに、また琥珀が眉をしかめた。でも、

「そうだ。このかんざしをさしてあげてくれ。美鈴の親友がくれたものだ」

と、真由と里奈からもらったかんざしを懐から出した。


 いつの間に琥珀が持っていたんだろう。でも、ちゃんと忘れていなかったんだ。嬉しい!


「奇麗なかんざしね。この衣装にも似合っているわ」

 美容師さんはそのかんざしを琥珀から受け取り、私の髪にさしてくれた。

「結婚式は家族だけで挙げたい。遠慮願いたい」

 琥珀は落ち着いた声でまた美容師さんにそう言った。


「そうよね。私は可愛いお嫁さんとイケメンの旦那さんを見れただけで十分よ。さ、出来上がったわ。みんなに花嫁衣裳になったところを、見せてあげて。ほら、旦那さん、手を引いてあげてちょうだい」

 美容師さんにそうせっつかれ、椅子から立ち上がった私の手を琥珀が取った。


 美容師さんは、

「靖子さんたち、着物を着て髪が乱れていないか、チェックしてこなくっちゃ」

と、おばあちゃんたちの髪を見に、そそくさと部屋を出て行ってしまった。仕事は早いけど、なんともせわしない人だなあ。


「美鈴、花嫁衣裳、本当に似合っているぞ」

 私の姿を嬉しそうに琥珀が見た。そんな琥珀を私もまじまじと見て、

「ありがとう、琥珀もめちゃかっこいい!」

と目をハートにさせた。


「今さら言うのか。着替えた時には文句を言っていたくせに」

「あれは、ただ…。でも、かっこいいって思ってたよ。それに惚れ直したもん。私の旦那さんがこんなにかっこよくていいのかなって」

「わけのわからないことを言う。それに、イケメンだの、ハンサムだの、いったいなんのことやらだ」

「ああ、美容師さんが言ってたこと?どっちもかっこいいってことだよ」


「カッコいいかどうかなど、俺にはどうでもいいことだ」

「そうなんだ…」

「まあ、美鈴にかっこいいと言われるのは素直に嬉しいがな?」

「そうなの?なんだ。わけのわかんないことじゃないじゃない!」

「惚れ直したというのはわからん。俺はずっと美鈴が可愛いと思っていた。花嫁衣裳を着ても可愛い。だが、何を着ていても可愛い」


「わかったよ。なんだか、照れるからもうやめて」

「ははは。そういう美鈴も可愛い」

 時々琥珀はそうやって、からかっているのかわからないけれど、照れくさいことを平気で言うよね。嬉しいけどさ。


 それ、向こうの世界に行っても言ってくれるのかな。いきなり、態度が変わったりしないよね?

 って、そんなふうに不安になるのもやめよう。琥珀は琥珀だよ。


 私と琥珀が居間に行くと、そこにいた男性陣はみんな「おお!」と声を上げた。

「美鈴、見違えたぞ!」

「美鈴、花嫁衣裳が似合っている」

 敬人お兄さんと悠人お兄さんが、ほぼ同時に声を上げた。


「美鈴…、本当に嫁に行くんだなあ」

 しみじみとそう言ったのはお父さんだ。その言葉に、

「もうすでに嫁だ」

と琥珀がツッコミを入れたが、そんなのかまわず泣きだしたのはおじいちゃんだった。


「あなた…」

 そこに着替えを済ませたおばあちゃんがきて、呆れたっていう顔でおじいちゃんに近寄ってティッシュを渡してあげた。

「今から泣いたりして、どうするんです」

「もう泣かない。ただ、感動して感極まっただけだ。美鈴があまりにも可愛くて」


「可愛いと感動しても泣くんですか。まったくもう」

 ティッシュで鼻を噛んだおじいちゃんの涙を、おばあちゃんは自分のハンカチを出して拭いてあげている。いまだに仲のいい夫婦だよなあ。


「父さんが泣き出すから、自分が泣かないで済みますよ。ちょっとドン引きしますから…」

 お父さんがおじいちゃんにそう言うと、

「お前もな、徐々に年を取ると涙腺が緩むんだぞ」

と返していた。


「美鈴ちゃんは泣かないでね。せっかくのお化粧が崩れちゃうから」

「うん、大丈夫だよ、おばあちゃん」

 にこっとほほ笑むと、おばあちゃんはなぜか、

「美鈴ちゃん、強くなったのねえ」

と、目を潤ませた。


 実は、悲しいとか、寂しいというよりも、ずうっと私はみんなが愛しかった。今までの感謝の気持ちがこみ上げてくるものの、別れを悲しむということはまったくない。


 みんなが今のまんま、仲のいい家族であるよう、みんながずうっとこの先も幸せであるよう、私はみんなを見守っていこう…。そんなことばかりが浮かんでいた。


 そして、みんながどれだけ私にとってかけがえのない人だったのか、そんなことも同時に感じていた。



 

 

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