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第89話 彩音ちゃんに別れを告げる

 その週の土曜日、彩音ちゃんが高志さんとやってきた。どうやら、おじいちゃんが彩音ちゃんは変わりはないかと電話をした際、ポロっともうすぐ私と琥珀が神の世界に行くという話をもらしてしまったようだった。


 彩音ちゃんはちょうどお昼ご飯が終わる1時ちょっと前に来た。

「いらっしゃい。一緒にお昼を食べていく?」

 いつも、余るくらいおかずを作っているから、おばあちゃんがそう聞いた。

「いえ、さっき駅の近くのファミレスで高志さんと食べてきたから…」

 彩音ちゃんの顔は暗く、おばあちゃんに対しても笑顔を向けていない。


「美鈴ちゃん、琥珀さん」

 私も琥珀もお茶をすすりながら、居間でくつろいでいるところだった。

「なんだ?」

 琥珀が怪訝そうに聞いた。わあ、機嫌悪いの?そんなことないよね。さっきまで、おばあちゃんがつけた漬物を美味しそうに食べていたよね?


「まあ、立ち話もなんだし、ここに座って」

 おばあちゃんが琥珀の前にいたおじいさんをどかし、私たちの前に二人を座らせた。

「お茶入れてくるわね」

 居間は、12時からご飯を食べていたおじいちゃん、ひいおばあちゃん、私と琥珀がいた。13時からの人はまだ来ていない。


「おじい様から連絡をもらって、9月いっぱいで二人がいなくなるって聞いて、私…」

 彩音ちゃんがぽろっと涙を流した。

「彩音…」

 高志さんがすかさず、ハンカチをポケットから出して彩音ちゃんに渡している。


「清、なんだって、彩音に連絡を入れた?」

 琥珀がおじいちゃんに文句を言った。

「どうしてですか?もっと早くに連絡してほしいくらいです。美鈴ちゃんもひどい。なんにも言わないで行くつもりだったの?」

 う…。そうは言われてもなあ。


「そりゃ、美鈴ちゃんが琥珀さんのお嫁さんになっていつか行くとは思っていたけど、こんなに早くいくなんて」

 彩音ちゃんはしくしくと泣き出してしまった。

「湿っぽい。泣きに来たのか」

「琥珀さん、冷たい言い方したら彩音ちゃんが可哀そう。はい、あったかいお茶でも飲んで」

 おばあちゃんは優しく彩音ちゃんに声をかけ、お茶をテーブルに置いた。


「琥珀さんの言うとおりだ」

「お義母さんまで…」

「靖子だって、せっかく家族みんなが明るく美鈴を見送れるっていう時に、湿っぽくされては困るだろう?」

「ひいおばあちゃん、私はただ、もう会えないと思うと…」


「それが湿っぽいというのじゃ。やっとみんなが覚悟を決めたのじゃ。それを台無しにしに来たのか」

「母さん、そんな言い方は僕も酷いと思うぞ」

「清が余計なことを言うからこんなことになったんじゃ。なあ、琥珀さん」

「ごめんなさい。私が泣いたりしたからですよね。すみませんでした。あの、9月30日に祠に行くんですよね。私、その時はちゃんと笑顔で見送りに来ます。美鈴ちゃん、何か欲しいものはある?お餞別持ってくるから」


「いらん」

「琥珀!」

 もう~~。琥珀って、もしかして彩音ちゃんが嫌い?けっこうきついことズバズバ言うよね。

「琥珀さんには聞いていません」


「思いの入ったものは神の世界に持っては行けない。餞別など何もいらん。それから、30日見送りもいらない。だいいち、祠まで見送れるのは神門家のものだけと決まっている」

「え…。でも、せめて神社に来るくらいは…」

「彩音、遠慮をしてくれないか。我らだけで見送りたいのじゃ」


「たとえ、親戚と言えども…、昔から決まっていることなんだよ、彩音ちゃん、すまんね」

 ひいおばあちゃんのあとに、おじいしゃんもそう彩音ちゃんに謝った。

「そうなんですね」

「だから、今日が最後だ。彩音、お前の土地神はもう神社にいるし、そこには山吹という神使もいる。ちゃんと護ってくれるから安心しろ」


「……。もう琥珀さんとも会えないんですね」

 彩音ちゃん、また泣きそうになってる。

「あ、あのね、山吹ってここで修業をした狐なんだけど、真面目に修業もしていたし、もう1体の狐も琥珀のお父さんが見つけてくれたらしいし、安心してね」


 そんなことを言っても、彩音ちゃんは涙をうるうるさせたままだ。

「俺がいなくとも、高志とやらがいる。家族もいるだろう?」

「…はい。それは、もちろん」

「今後は高志に守ってもらえ」

「そうだよ、彩音。これからは僕をもっと頼って」

 高志さんが彩音ちゃんに向かって力強く言ったが、

「いや、彩音は守られる立場じゃなく、今度は人を守る側になるがいい。もう、彩音はそんなに弱くはないはずだ」

と高志さんの言葉を遮ってしまった。


 高志さんは話を遮られ、琥珀の言葉に少しうろたえている。せっかく彩音ちゃんにいいところを見せられる場面だったのに、琥珀が邪魔をしちゃったよ。でも、彩音ちゃんは高志さんよりも琥珀の話に耳を向けた。


「私が、守る側に?」

「そのくらいにならないと、今後山守神社で神楽は舞えないぞ」

「神楽…」

 彩音ちゃんは少し黙り込み、

「はい、わかりました」

と顔を引き締め、こくんと頷いた。


「高志さん」

「え?なに?」

 彩音ちゃんは引き締まった顔のまま、高志さんの方を向いた。

「私は、もっと強くなるね。家族も高志さんも守れるぐらい…」

「僕はいいんだよ。でも、みんなを一緒に守っていこうね」

「うん」


 あ、なんだか、とってもいい雰囲気かも。二人が仲良さそうにしているのに邪魔をしては悪いとは思ったものの、私はせっかく彩音ちゃんが来てくれたのだからと、

「彩音ちゃん、二人で少し話さない?」

と彩音ちゃんを誘った。


 高志さんは居間に残ってもらい、二人で境内を散歩しながら話すことにした。

「お母さんはどう?まだ厳しいの?」

「ううん。それがとっても優しくなっちゃったの。私はおばあ様の跡を継ぎたいって言ったら、賛成もしてくれたし」

「そうなんだ。良かったね」


「おばあ様も美鈴ちゃんによろしくって言ってた」

「そう。おばあ様にもお世話になったなあ。こちらこそよろしく言っておいて」

「うん」

 私は空を見上げた。さっきから光の精霊がやってきて踊っていた。


「美鈴ちゃん、変わったね」

「私?どこが?」

「なんだか、優しいっていうか、落ち着いているっていうか…。顔つきが全然変わった。まるでお母さんみたいな。あ、私のっていうんじゃなくて、聖母マリアがキリストを抱っこしている時みたいな顔」

「え~~?それは言い過ぎだと思うけど、でも、お母さんっていうのは当たってる」


「どういうこと?」

「赤ちゃんができたの」

「え?赤ちゃん?琥珀さんの赤ちゃん?だよね、もちろん」

「うん」

「だから、向こうの世界に行くの?」


「うん、それもあるの。それから、10月に出雲に行くからそれに私も連れていくんだって」

「出雲なら、わざわざ神の世界に行かなくても」

「あ、神様の集まりがあるって言ってた」

「え?そんな集まりに美鈴ちゃんも行くの?」

「驚きでしょ?私なんか行ってもいいのって感じだよね」


「ううん。そういう意味じゃない。ただ、そんなこともしないとならないんだって、大変だなって思って」

「私はただ琥珀にくっついていくだけだよ。紹介してくれるって言ってたけど、何もしないでいいんだって」

「そうなんだ。神様の仲間入りをするんだね。もう遠い存在になっちゃうんだね」


「そんなことないよ。山守神社にはエネルギーだけだけど、しょっちゅう来るだろうし、遠くには行かないよ」

「でも…」

 彩音ちゃんは黙って下を向いてから、

「霊力失わなかったら、そのエネルギーも見れたね。惜しいことしたかな」

と笑った。


「霊力なんてないほうがいいよ。あっても厄介だったでしょ?」

 私が真面目な顔をしてそう言うと、彩音ちゃんも真面目な顔をして、

「ごめん、そうだよね。琥珀さんが霊力を消してくれたんだもの。こんなこと言ったら罰当たるね」

と、そう答えた。


「琥珀は罰なんて当てない。琥珀は限りなく優しい神様だから」

「………」

 彩音ちゃんは少し驚いたように私を見た。

「ん?」

 なんで、そんなに驚いたのかな。


「美鈴ちゃんと琥珀さんの絆、深いんだなあって思って。本当に信じているんだね」

「そりゃ、神様だもの。信頼しちゃうでしょ?普通」

「ふふ…。そっか。美鈴ちゃんにとって、琥珀さんは揺るがない存在なのね。私も、そんな琥珀さんや美鈴ちゃんが神様の世界に行っても守ってくれるって信じるね」

「うん」


 私は笑って頷いた。でも、どこかで彩音ちゃんは信頼しきっていないのかもしれないと思った。だって、信じていたら、信じるねなんて言葉は出ない。でも、それでもいいと思った。


 たとえ、神様を信頼していない人も、どんな人でも琥珀は護ってあげるから。見た目はクールで、彩音ちゃんにもきついことを言う琥珀だけど、奥の奥ではちゃんと護っている。優しい琥珀がいる。


 悲しまなくてもいい。湿っぽくならなくていい。別れを惜しまなくてもいい。そんな思いもあって、きついこと言ったんだよね。


 別れを惜しんでくれたお餞別は、そこに思念が入り込むから、神様の世界には持っていけない。持っていこうとしても、この世界に留まる。思念だけが留まる可能性もある。だから、琥珀は断った。


 見送りに来て泣かれても困るし、その思念もいらない。だから、見送りも断った。


 神門家のみんなだけで、私を祠まで見送ってくれる。それだけでいい。お母さんも、お父さんも、みんなきっと泣くかもしれないけれど、私の幸せを願って見送ってくれる。その思いはきっと美しくて、キラキラ輝いて、浄化される。


 なんとなく、それはわかるんだ。それはみんなの愛だから。その輝きだけは、神の世界にも届くかもしれないって。


 そして、私も神の世界に行ったとしても、みんなへの愛は送り続けられるし、みんなのもとに届くんだろうなって…。



 夜になり、境内や山の中を散歩しながら私はそんな話を琥珀にした。琥珀は何も言わず、ただ優しく頷いた。そして、私を抱き寄せた。


 空には満天の星が光っていた。

「神様の世界でも夜は来る?」

「来るぞ」

「星が光ってる?」

「ああ。もっと多くの星が光る。星が落ちてくるんじゃないかと思えるほどに」


「わあ、楽しみだな」

「星が浮かぶ湖もある」

「星が落ちちゃって浮かんでるの?」

「ははは。そうだな。そう見えるぐらいに、星が湖面一面に映しだされているのだ」

「わあ、それも見たい」


「人間の世界も美しいが、神の世界も格別だ。美鈴が来たら、いろんなところに連れて行こう」

 琥珀の声は優しかった。

 もうすぐ人間の世界を離れるけれど、不安も悲しみも寂しさもなかった。ただ、離れる日を待つばかりだった。



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