第88話 里奈に別れを告げる
夕飯が終わり、みんなで和やかに過ごしていると、突然琥珀があぐらをかいていたのに正座をした。
「どうした?琥珀さん」
みんな琥珀に注目をしていたが、ひいおばあちゃんが最初に口を開きそう聞いた。
「色々と世話になった。そろそろ美鈴を連れ、神の世界に戻る時が来た」
そう琥珀が言うと、みんな何も言わず黙り込んだ。でも、みんなは動揺していなかった。きっと、そろそろだろうと覚悟を決めていたんだろうな。
「美鈴も神のエネルギーになり、この世界に未練もなくなった。神の力も得た。いつでも向こうの世界に行ける準備は整った。笹木家の土地も神社が再開し、山吹も修業の成果が出て今日尾が一つ増えた。神使として立派にやっていけるだろう」
「美鈴、未練は本当にないの?」
「うん、お母さん。今はこの子を元気に産むことだけを願っているの」
お腹に手を当てそう言うと、お母さんは優しく頷いた。
「そうね。その気持ちはわかるわ。私も赤ちゃんがお腹にいる時、それだけが願いだったから」
「朋子も覚悟が決まったようだな」
「…いずれ娘は嫁に行くものだから、それがちょっと早まっただけだもの。どこにも嫁に行けないよりずっといいわね」
お母さんはふふっと笑った。
「大好きな人と結婚して、大好きな人の子を産んで育てるんですもの。幸せなことよね」
「おばあちゃん、ありがとう」
「それで、いつ行くんだい?」
お父さんが聞いてきた。
「9月の終わりの日だ」
「もう半月もないのね…」
お母さんは寂しげにそう言ってから、すぐに元気ににっこりと笑い、
「天気だったらいいわね。花嫁衣裳も着るんだし」
と私に言った。
「天気になる。龍神の嫁が祠に行く時、つねに天気になる。俺や精霊たちがその日は晴れるようにするからな」
「そうなのね。そんなことができるのね」
「龍神だからな」
琥珀はにこりと笑った。
「あと半月…」
敬人お兄さんが呟き、おじいちゃんが泣きそうになった。そう言えば、一番涙もろいのっておじいちゃんだったっけなあ。
「美鈴は何かやり残したことはないの?」
「うん。別にないかなあ」
悠人お兄さんの言葉にそう答えると、
「あっさりとしたものだな」
と敬人お兄さんが呆れるようにそう言った。
「私がいなくなったら、巫女のバイトの子たちが不信がるかな?特に里奈とか、いきなりいなくなったら、心配しちゃうかな」
「そうだな…」
悠人お兄さんが首をかしてげ考えると、
「外国にでも行ったって言えばいいんじゃないか?」
と敬人お人さんが適当に答えた。
「正直に、子どもができて、俺の故郷に一緒に行くことになったと言えばいい。遠いところで、そうそう帰っては来れないと言えば、特にそれ以上は何も言わないだろう」
「そうだな。日本じゃなくて、遠い国って設定しておけば、遊びに行くとか言い出さないだろうし」
また、敬人お兄ちゃんが適当なことを言った。
「外国って言っても、どこって聞かれたらどうするの?」
「中国とでも言っておけばいいんじゃないのか?どう見たって琥珀、アメリカとかヨーロッパの顔していないんだし。中国の田舎の方って言えば、そうそう遊びに行くとか言わないだろ」
「うん。でも、嘘つくことになるね」
「じゃあ、いっそ本当のことを言うか?龍神と結婚して神様の国に行くんだって」
「敬人お兄さん、そんなこと言えるわけないじゃないよ」
「まあ、いつかは話すことになると思うけどな」
お父さんがそう話に割り込んできた。そして、
「それはもし里奈ちゃんが、うちに嫁いできたらの話だけどな」
と、悠人お兄さんの方を見ながら言葉をつづけた。
「いきなりいなくなるのは嫌だから、里奈にだけはちゃんと琥珀の故郷に一緒に行くことを話すよ」
「うん。そうだね。ほかの誰かから聞くより、美鈴本人から聞きたいと思うしね」
悠人お兄さんも賛成してくれた。
それからの日は、一瞬一瞬を大事に過ごした。川中島さんのお喋りですら、あと何日かしたら聞けなくなるのかと思うと、愛しく感じた。
参拝客一人一人も愛しかったし、事務員さんや宅配のお兄さんですら、もう会えないのかと思うと愛しくなった。
境内に来る鳥たちも精霊たちも、山に住む妖たちも、みんな愛しかった。
そしてあーちゃんとうんちゃんも、山吹も…。みんな私があとわずかの日にちで神の世界に行くとわかり、別れを惜しんだ。エネルギー体では会えるとわかっていても、あーちゃん、うんちゃんは寂しがってくれた。
山吹も、
「もう美鈴様に頭を撫でてもらえなくなる」
と泣いてしまった。
「100年もすれば、お前は神の世界に来れるんだ。あと少し辛抱すればいいだけだろ?」
「ですが、もう自分のことを見てくれる人もいなくなるんですよ」
「土地神がいる。十分に甘えたらいい。どの神も神使のことを可愛がる。なあ?阿吽。俺も時々龍の形をしてここに来る。そうだな。たまには山吹のいる神社にも遊びに行くとするか」
「本当ですか?」
「お前が怠けていないか見に行くからな」
「はいっ!ちゃんと神使として働きます」
なぜか琥珀が遊びに行くと言ったら、山吹は元気になった。結局山吹は、琥珀が好きなんだよねえ。琥珀に邪気を抜かれたくせに。あ?でも、もしかしたら邪気を抜いてくれたからこそ、琥珀を好きになったのかもしれないなあ。
最近思うんだ。邪気って、本人が本当は欲していないものなんじゃないのかって。誰かを恨んだり、倒そうとしたり、支配しようとすることって、本当は望んだりしていないんじゃないのかなって。本当は愛されたいし、愛したかったんじゃないのかなって思うんだよね。
きっと山吹も、ずっと誰かに愛されたかった。そこで愛してくれたハルさんがいなくなっちゃって、ぽっかりと心に穴が開いて、どうしようもなくなっちゃったんじゃないのかな。
そんな穴に憎しみとか、苦しみとか、悲しみが広がって、きっと自分でもどうしようもなくなっちゃって、本当は誰かに助けてほしくって、誰かに救ってほしかった。それを、琥珀が救ってあげたんじゃないのかな。琥珀が邪気から、救ってあげたんだよね。
本当はみんな、愛されたがっている。本当はみんな、癒されたがっている。満たされたらその人も、妖も、みんなが愛の存在になる...。
私だって、琥珀がいるから満たされた。だから、これからは、私がみんなを満たしてあげる番なんだ。琥珀のように、誰かの邪気を消して、愛で満たしてあげる番なんだ。
前は自信がなかった。私にそんなことができるのかって。でも今は、琥珀がいてくれていつでも私自身が満たされているから、不安もない。
あと7日でこの世界を去ることになった。今日は里奈がバイトに久しぶりに入る日だ。大学のサークルが忙しかったらしく、しばらく出てこれなかったが、ようやく里奈がバイトに来ることになり、もう、この日を逃したら、里奈にちゃんと話が出来ないなと、覚悟を決めた。
里奈には元気をいっぱいもらった。そして、これからはうちの家族を里奈に託したい。きっと、里奈の明るさで神門家も明るくなる。
そんな思いも込めて、里奈に話をすることにした。
今日はバイトは里奈だけ。川中島さんはお休みの日だ。里奈はシフトが10時から2時まで。2時に里奈が上がると、琥珀が社務所に来てくれた。
「話をするのだろう?俺がここの番をするから、話してきていいぞ」
「うん」
私は更衣室に行き、
「少し話があるんだけど、休憩室に来てもらってもいい?」
と聞いた。里奈は「相談か何か?」と聞きながら、さっさと着替えを済ませてくれた。
休憩室で私はあったかいお茶を入れた。さすがに9月も終わりになり、涼しくなってきた。あたたかいお茶も飲める時期だ。
「なあに?まさか、琥珀さんと喧嘩でもした?」
先に座布団に座った里奈が、待ちきれないという感じで私に聞いてきた。私は里奈の前に座り、
「ううん、そうじゃなくって」
と答えてからお茶を一口飲んだ。
「じゃ、なあに?」
里奈はお茶に手もつけず、話を聞きたがっている。
「あのね、実は赤ちゃんができたの」
「赤ちゃん?!うわ~~、おめでとう!いつ生まれるの?」
「えっと…」
いつなのかな?人間だったら10か月だけど、龍はどうなんだろう?
「来年のえっと~~」
「今からだと、初夏ぐらい?」
「うん、その頃かな」
「そうなんだ。おめでとう。じゃあ、つわりとかあったら、なかなか仕事できないよね。あ、私ずっと気になっていたんだけど、琥珀さんってこの神社でこれからさきも働くんだよね?」
「ううん。今は手伝いに来ていただけで、そろそろ琥珀の故郷に帰るころなんだ」
「それって、美鈴もついていくってことだよね?もちろん」
「うん」
「琥珀さんの故郷って遠いの?」
「う、うん。実はかなり遠いの。それで、赤ちゃんもそっちで産むから」
「そうなの?だけど、安定期まではこっちにいるよね?」
「ううん。先に行こうと思ってて…」
「いつ?」
「多分、9月末…」
「え?!あと1週間しかないよ?」
「うん。もっと早くに言えればよかったけど、里奈もバイトにずっと来ていなかったから」
「あと1週間じゃ、真由もすぐに呼んで送別会しないと!」
「ごめん。送別会とかはしなくてもいい。それに、里奈にだけ直接言いたかったの。真由には、その…、私が行ってから話してもらえるかな」
「そんなの…。真由に怒られちゃうよ」
「ごめん。妊娠がわかって、急に行くことになったって言ってくれる?」
「まだ安定期じゃないのに、急いで行くことないんじゃないの?」
「つわりとかがもし始まったらいけなくなるし、だから、今のうちにと思ってるの」
「そっか…」
ああ、こういう嘘をつくのが気が引けるよ。
「遠かったら、そうそう帰ってこれない?正月くらいは帰ってくる?」
「琥珀の家も多分、お正月忙しいから」
「神社なの?」
「うん。まあ、そう…」
「そうなのかあ…。じゃあ、美鈴は向こうでも巫女でいるの?」
「巫女っていうか、琥珀の仕事の手伝いをするの」
「あ、美鈴のお母さんみたいな感じ?」
「うん」
「あ~~~。まじか…。寂しくなるなあ」
下を向いて、しばらく里奈は黙り込んだ。私も何も言えず、無言でお茶をすすった。
「ごめん!赤ちゃんができたことはおめでたいことだし、いずれみんな離れていくのはしょうがないことなんだよね。ほら、大学も東京とか、色々と地元を出て行った友達もいるじゃない?だけど、美鈴や真由は地元にいるから、なんだかずっと近くにいられると思っちゃって、しんみりしちゃった」
「ううん。大丈夫。私もみんなと離れるのは悲しいよ」
嘘だ。悲しいとは思っていない。姿は見せられなくても、私はずっと里奈のことを見ていることが出来る。ううん、これからずっとこの先、里奈も含めた山守神社を護っていくことになるんだもの。悲しいだの、寂しいだの言ってられない。それがわかっているから、悲しいとも思わない。
「遠いところに一人で行くの、不安じゃない?」
里奈はお茶を飲んで落ち着くと、そう聞いてきた。
「一人じゃないよ。琥珀がいるから」
「そっか~~。美鈴は本当に琥珀さんにベタぼれだもんね。あ、琥珀さんもか。美鈴には優しいもんね」
「うん。優しい」
「うわあ。堂々と惚気られた!この、この~~」
「里奈…」
私が真面目な顔をしているからか、すぐに里奈は私をからかうのをやめた。
「これからも、山守神社をよろしくね」
「え?私?」
「うん。悠人お兄さんのこともよろしくね。ちょっと人が好過ぎるし、気が弱いところもあるけど、その辺は里奈がカバーしてあげてね」
「何それ。泣かしたくてそんなことを言うの?」
「違うよ。マジで言ってるの」
「う…。うん、わかった。任せて」
里奈は目と鼻の頭を赤くしながら笑った。
「うん。里奈なら大丈夫だとは思っているんだけどね。ヘヘ」
「よし!私が結婚する時には、さすがに来てくれるよね?」
「…。うん」
姿かたちではなくて、エネルギーで来ると思うよとは言えなかった。でも、ちゃんと神の世界から祝福するからね。




