第87話 神の力を試す
今年の夏は、山守神社ですら暑いと感じるくらいの猛暑。みんなが暑くてバテだした。特に敬人お兄さんが、こんなことならカナダにいるんだったと文句を言い出し、居間にだけはエアコンをつけろと抗議をして、暑さに負けた父も同意しエアコンを取り付けた。
社務所も事務室にエアコンをつけ、休憩室にも風がいくように襖を全開にしているし、お守り売り場へ通じるドアも全開。前よりは多少涼しくなったようだ。
だけど、川中島さんは文句たらたら。暑い暑いと、巫女の衣装にも文句をつける。
前の私だったら、同じように文句を言っただろうし、社務所にある小さな扇風機の取り合いにもなっていたかもしれない。
今も扇風機の前から川中島さんは動かないで、独占している。だけど、私は暑さも感じないので、放っておいている。
「なんでそんなに涼しい顔をしているの?あたなの衣装、私と違うわけ?」
「いいえ、同じですけど」
「でも、汗もかいていないじゃないよ」
「体温が低いからかなあ?」
「体温が低いの?冷え性?それは体に悪いのよ」
「…大丈夫です。いたって元気ですから。今日も参拝客来ないみたいだから、私、他の用事で抜けますね」
「まさか、もっと涼しいところで休む気じゃないでしょうね」
「違いますよ。見回りです」
「見回り?」
「境内や山の見回りです」
「こんな暑い中を?」
「はい。じゃ、行ってきます」
川中島さんを取り残し、私は山吹に会いに行った。すっと琥珀もその場に現れた。山吹もあーちゃんもうんちゃんも、暑さとは無縁のようだ。人間だけがこの暑さにまいっているのかもなあ。私も神の波動になってから、暑さも寒さも関係なくなったみたい。
「山吹、せいがでるね」
山吹はお社の掃除をしていた。
「美鈴様。琥珀様。今日もばっちり掃除しています」
「ありがとう。本当に山吹のおかげで、境内はいつも塵一つ落ちていないね」
そう褒めると、山吹は尻尾をグルングルンと振った。
「このまま精進すれば、早くに尾も増えるかもな」
琥珀の言葉にも、山吹の尻尾は反応した。
「参拝客も朝早くに数人来るだけ。あとは社務所が閉まってからお参りに来る人もいるみたいだけど、本当に社務所は暇になっちゃってるよ」
「あの巫女はちゃんと仕事をしているのか?参拝者がいなくても、心静かにしていてほしいものだな」
「う~~~ん。ただでさえお喋りだからなあ…。最近は暑い暑いと文句ばっかり」
「涼しくしてやればいい」
「エアコンの冷気は事務室から少しだけど来ているし、扇風機も独占しているよ」
「美鈴が涼しくしてやれ」
「どうやって?扇子であおぐとか?」
「違う。その場の空気を涼しくするのだ。そのくらいできるであろう?山守神社自体が涼しいのも、俺が涼しくしているのだ。外の空気とは違う。あの鳥居をくぐれば、この空間は次元すら違っている」
「だからここはそこまで暑くなかったのね。でも、今年はいつもより猛暑続きだし、敬人お兄さんがバテてとうとうエアコンを入れたし」
「そうだなあ。日本自体おかしな気候になっているからなあ。これでも、龍神の力で山守神社は冷やしているんだがな。ああ、そうだ。美鈴の力も貸せ。さらに涼しくできると思うぞ」
「どうやって?」
「無になって、涼しい風を起こすのだ。強い風ではない。心地のよい涼しい風だ」
「無になるのに、どうやってそんなことをすればいいわけ?」
「自分が感じるのだ。涼しい心地のいい風が吹いていると感じる…。すると実際に風が吹く。山守神社全体をそのエネルギーが包んでいると感じてみる…」
「琥珀はいつもそうやっているの?」
「ああ。そうしている。だが、くそ暑い、くそ暑いと言っている敬人の思考で空気が暑くなったりするのだ。まったくあいつの思念は強くて困ったものだ。川中島という女の思念も入っているから、さらに暑さが増してしまうのだろうな」
「そう言えば、今までわりと過ごしやすかったし、文句を言う人もいなかったから、暑い、暑いっていう思念はなかったかもね」
「そうであろう?まあいい。さあ、目をつむって、山守神社全体が涼しい気で包まれていると感じてみろ」
「うん」
琥珀も目をつむったから、私もつむった。そして、涼しい風を感じてみた。すると、私の体を涼しい風が取り巻いた。その風が神社全体を取り巻いていると感じてみた。途端に木々の葉が揺れる音がした。
「強すぎだ」
琥珀がそう囁いた時、ザアッと強い風が吹き抜け私の髪もぐしゃぐしゃになった。
「難しいよ、琥珀。風を感じてみたら、こんな強い風になっちゃったよ」
「心地いい風だぞ?自分が気持ちいいなと感じてみろ」
「うん」
また目を閉じた。想像の中で緑が気持ちよさそうに風に吹かれるところを思い描いた。そのあと、ああ、涼しくて心地いいなあ…と感じてみた。すると、すうっと涼しい風が私の頬を通り抜けた。
そのエネルギーがそのまま神社を包むのをイメージした。気持ちいなあ…と感じるままに。
「上出来だ」
琥珀が隣でそう言って、私の頭をぽんぽんとしてくれた。私は目を開け、琥珀を見た。琥珀は嬉しそうに私のことを見ていた。
「ほら、木々を見てみろ。嬉しそうにそよいでいる。あの風を作りだしたのは美鈴だ」
「本当に?私が作ったの?」
「ああ。美鈴のエネルギーを感じて、風の精霊たちも手伝ってくれている」
「本当だ。キラキラと風の精霊が舞ってるね」
自分にそんな力があることに、正直驚いた。
「川中島という女のそばでも、その力を発揮してみろ。敬人の前でもだ。途端に涼しさを感じ、不思議がるだろうな。ははは」
琥珀はとっても無邪気に笑った。
「今から山に行って、山も涼しくしてきたいな」
「それは大丈夫だ。山はもとより、木々や川のエネルギーが満ち溢れ、すでに涼しく心地のいい場になっている」
「そうなんだ」
「自然というのは、本当に素晴らしいものだな」
「自然を創ったりしているのは琥珀じゃないの?」
「まさか。俺は自然を護ってはいるが、創っているのは神だ。大いなる神。俺のことも美鈴のことも創り出した神だぞ」
「そっか…」
「美鈴、この世界には余計なものなどないのだ。お互い足りないものを補うように出来ている。完璧なのだ。自然の力に任せておけばいいものを、人間はとかく自然を自分で支配しようとする。だから、おかしなズレが生じてくる」
「足りないものを補っている?」
「植物は二酸化炭素を吸い、酸素を出す。人間は酸素を吸い、二酸化炭素を出す。うまく出来ていると思わないか?」
「そうだね」
「それなのに、人間は私利私欲のため、木々を伐採したり、自然を破壊する。植物も抵抗することなく人間の意のままだ。だが、自然はきちんとバランスをとるように、時に災害を起こす。この世はすべてバランスだ。ズレが生じてひずみが出来ると、バランスを取るようなことが起きてくるのだ」
「そうだよね。人間の勝手な思いで自然って破壊されたりしているものね」
「破壊しているのは人間だけだ。動物は自然の中で生きている。昔は人間も自然と共に生きていたのにな」
「……琥珀も100年生きていて人間を見てきたんでしょ?人間ってあさはかだって、呆れなかった?嫌になったりしないの?」
「親父やおふくろ、他の神も嫌になったり呆れたりしていない。あさはかで、愚かだと知りながらも、愛しいと思っているのだ」
「すごいね、神様って」
「すごくはない。もともとそういうものだから、自分が特別だともすごいとも思わない」
「なるほどね。だからこそ、神なんだね。もし、人間だったら、そんなふうに思えた時点で自慢げになるかも」
「ははは。人間というのは本当に愚かで可愛いものだよな」
「可愛いとか思えるところがすごいなあ。私、そんなに寛大になれるのかな」
「なろうとしないでもいい。勝手にそうなってくるからな。だから、もし今はまだ、人間に対して批判したとしても、そんな自分を裁かないことだ」
「ああ、琥珀はすごいわ。そんな私のことも許してくれるのね?」
「もちろんだ。どんな美鈴も可愛いからな?」
うわ。その言葉、胸にズキュンってきちゃった。私はこの琥珀にときめいている気持ちだけは、神の世界にいっても失いたくないなあ。
琥珀の無邪気に笑うところも、クールな横顔も全部が好き。ぎゅっとまた琥珀と腕を組んだ。琥珀も嬉しそうに私を見て、
「山に散歩にでも行くか?お腹の子には自然のエネルギーがいいと思うぞ」
と言ってくれた。
「うん。琥珀とデートだね、嬉しい!」
琥珀はデートという意味がらわからないようだったけど、一緒にどこかに出かけることを言うの…と説明すると、なぜかとってもご機嫌になった。
今日はあの3匹の妖に会わなかった。昨日とは違うルートで山に入り、木々を抜け川のあるところにやってきた。動物が水を飲みに来ていて、私たちにも挨拶をしてくれた。とても心地のいい場所で、私はとっても癒された。きっとお腹の子も気持ちよさを感じているんだろうなあ。
8月も終わり、残暑が続く中、私がいつも涼しくしているからか、敬人お兄さんも川中島さんも、暑いと文句と言わなくなった。境内はいつも涼しくなり、口コミで広がったのか、山守神社は涼しくて心地いい、パワースポットだとか言われるようになり、残暑の中でも訪れる人が多くなった。
特にここのお守りは効くという、そんな噂があるらしく、龍の刺繍のしてあるお守りを買い求める人も増えた。確かに龍神直々のエネルギーが入っているのだから、効かないわけがないのだけどね。
8月が終わり、9月に入ると、敬人お兄さんは10月からアメリカに行くために支度を始めた。私が神の世界に行くことを寂しがっていたのに、最近はアメリカのどこに行くかとか、アメリカで何をしようかとか、そんなことばかりに夢中になり、私のことも段々とかまわなくなってきた。
お母さんとおばあちゃんも、私が花嫁衣裳を着ることを楽しみにしているし、悠人お兄さんは、里奈とのデートを楽しみにしている毎日だし、おじいちゃんやお父さんも、私が神の世界に行くことをあまり気にかけていないようだ。ひいおばあちゃんにいたっては、私が琥珀と幸せそうにしている様子を見ているのが嬉しいらしく、いつも「美鈴、よかったのう」と言ってくれる。
何もかも私が神の世界に行くための準備が整っていくようで、不思議な感覚すらあった。
そういえば、すっかり霊力のなくなった彩音ちゃんは、山守神社に来ることすらなくなった。きっと、家族とも、高志さんともうまくいっているんだろうな。
そうして、9月半ば過ぎ、とうとう琥珀が家族のみんなに、
「そろそろ美鈴を、神の世界に連れていく」
と申し出た。




