第86話 心配性の母親
今日のバイトは川中島さんだった。相変わらずお喋りで、参拝客が来ない間ずっと隣で話をつづけた。琥珀は川中島さんが苦手なのか、まったく社務所に顔を出さない。私はなんとなく川中島さんの話を聞いて、相槌をうっていたが、耳を遠くに合わせて、あーちゃん、うんちゃんと山吹のやり取り、鳥のさえずり、時々山に帰って行ったふさちゃん、つるちゃん、クマちゃんの声を聞いた。あの3匹の妖は仲いいみたいで、時々遊んでいる声が聞こえてきた。
ああ、あの3匹に会いたくなっちゃった。琥珀も山に一緒に行ってくれないかな。
「聞いてる?」
「え?ごめんなさい、今ちょっと別のことを考えてて…」
「また具合でも悪くなった?しばらく具合が悪くて寝込んでいたんでしょ?お母さんが心配してらしたわよ」
「え?母が何か言っていました?」
「うん。いつ元気になるかもわからないって」
「そんなことを?」
やっぱり、心配かけたんだな。
「だけど、もうこの通り元気になりました。で、午後から用事があるので、午後は参拝客も少ないだろうし、また一人で留守番をお願いします」
「また?一人だと本当に暇ですることないのよねえ」
川中島さんはつまらなそうな顔をしたが、12時になり、私はさっさと社務所を出て家に戻った。
川中島さんがお昼を食べている間は、どうやら事務員さんだったり、お母さんだったり、たまに悠人お兄さんが社務所で留守番をしてくれるらしい。まあ、そうそう夏の真昼間に、参拝客は来ないよね。来ても朝早くだったり、夕方だったり、日が昇っていない時間帯だ。
お昼ご飯は食べないでも全然大丈夫だが、向こうの世界に行くまではおばあちゃんの手料理が食べたくて、琥珀と一緒にご飯を食べることにした。人間の食べ物を食べたとしても、お腹の子にも特に影響はないらしい。
「食欲も失せて、だるかったって言っていたけれど、つわりみたいなものだったのか?」
お昼を食べているとひいおばあちゃんが聞いてきた。
「う~~ん、そうなのかな?体が龍のエネルギーに合うように調節していたってことよね?琥珀」
琥珀は私の隣でただ頷いた。
「ほう~~。なるほどなあ。それで、龍の姿で赤ん坊は生まれるのか?琥珀さん」
「いや、生まれたら人の形になる」
「お腹にいる時は龍ってことなの?」
おばあちゃんも不思議そうにそう聞いた。
「いや。正確に言えば、何の形もしていないのだ」
「どういうことなんだい?」
ご飯を終えて新聞を読んでいたおじいちゃんまでが、話に加わってきた。
「俺らはもともとエネルギー体で、自由に姿を変えられるのだ。美鈴のお腹には龍神のエネルギーがいる。人間のようにお腹の中で細胞分裂をして大きくなるわけではない。だが、確実に今お腹の中で成長をしている。不思議なことだが、ちゃんと心音も聞こえる」
「ほ~~。じゃあ、美鈴のお腹が大きくなることもないっていうことか?」
「そうだ。美鈴のエネルギーを取り組みながら、成長はしているがな」
「良かったな、美鈴。お腹が大きいのに花嫁衣裳を着て祠に行くとなると大変だからなあ」
「おじいちゃん、私白無垢なんて着ないよ」
「あら、じゃあ何を着るの?やっぱり祠に行くのは白無垢だと昔から決まっていたみたいだけど…」
「おばあちゃん、それは勝手に人間が着るようになったらしいよ。別に白無垢なんて着なくたっていいんだって」
「色の入った花嫁衣裳でもいいの?」
「そうじゃなくって、花嫁衣裳も着ないでもいいんだって」
「それはダメよ!朋子さんとちゃんと花嫁衣裳をそろえましょうって言っているんだから。美鈴ちゃん、おばあちゃんにも花嫁衣裳を見せて頂戴。それが楽しみなんだから」
まじで?おばあちゃんの楽しみって言われたって…。
「そうか。白無垢と決まりがないなら、美鈴に似合いそうな赤の花嫁衣裳でもいいんじゃないのか?なあ、琥珀さん」
ひいおばあちゃんが琥珀に聞くと、琥珀はほほ笑みを浮かべ、
「そうだな。美鈴には赤の着物が似合いそうだ」
と私の方に向かって言ってきた。
「花嫁衣装は着ないって言ったじゃない。絶対に似合わないよ」
「似合うかどうかは着て見ないとわからないじゃない?じゃあ、早速朋子さんと相談して着物を用意しなくっちゃ」
おばあちゃんが嬉しそうにそう言うので、もう何も言えなくなってしまった。それに、隣にいる琥珀も急にご機嫌になったのがわかった。ああ、琥珀まで喜んでる。
「じゃあ、琥珀も紋付き袴を着るのね?」
「俺は龍のエネルギーになるから、隣にいることもない」
「え~~?それ、おかしいでしょ。私だけ花嫁衣裳を着るって絶対に変だよ。琥珀が隣に並ばないなら、私も花嫁衣裳を着ない。普通の恰好で祠に一人で行く」
「龍神の嫁が祠に行く時は、血の繋がりのあるが神門家のものも付き添ってくるのだ。その時だけは祠までのけもの道も、ちゃんと人間が通れるように開かれる」
「……仰々しいのは嫌なんだけど…」
「美鈴、これは昔からの習わしなんじゃ。白無垢で龍神の嫁は嫁入りをした。家族が見送りに行った。それは昔から決まっていた」
「でも…、ひいおばあちゃん…」
なんだか、かしこまってそんなことをされられたら、泣いちゃうかもしれないし、未練が残るかも…とは言えなかった。
「仕方ない。俺もみんなに人の姿をずっと見せて来た訳だし、祠の前までは人の姿で一緒に行こう」
「ほんと?琥珀も紋付き袴を着る?」
「…。したかあるまい」
琥珀は小さなため息をついたがそう言った。
「そうか。琥珀さんの分も作らなければのう」
ひいおばあちゃんがそう言った時、ちょうどお母さんが居間にやってきた。おばあちゃんが花嫁衣装と紋付き袴の話をして、お母さんまでが張り切りだした。
あれ?お母さんは花嫁衣裳の話なんかしたら、寂しがったり嫌がったりするかと思っていたのに。
「ちゃんと美鈴の花嫁姿を見れるのね!良かったわ」
お母さん、嬉しそうだ…。
「写真屋さんも呼んで、家族写真も撮りましょうね」
おばあちゃんの言葉に、お母さんは頷いた。
「琥珀、今日は山に遊びに行きたいの。一緒に行ってくれる?」
「ああ、いいぞ」
「山に行くの?あんまり奥深くに入っちゃだめよ、危ないから」
私の話を聞き、すかさずお母さんが私に注意をしてきた。
「大丈夫だ。俺がついている。それに、美鈴は神だ。何事も起きることはないぞ」
「そうは言っても…」
「心配はいらないから、お母さん。なんたって龍神がついているんだよ?」
「そ、それもそうね」
お母さんは、ようやく安心したらしい。顔がほころんだ。
山に琥珀と一緒にのんびりと歩いて行った。誰も見ていないし!と思い、思い切って琥珀と腕を組んでみた。すると琥珀は一瞬私を見たが、何も言わずそのまま歩いてくれた。なんだか、幸せだなあ。これ、デートだよね?
塗装もされていないような小道を進んだ。そのうちに道も途切れたが、琥珀はそのまま木々の間をぬって歩き出した。すると、その先から妖たちが遊んでいる声が聞こえてきた。
ふさちゃんたちだ。鬼ごっこかかくれんぼでもしているようだ。
「ふさちゃん!つるちゃん!クマちゃん!」
そう大きな声で呼ぶと、
「美鈴だ~~~!」
と、どこからともなく3匹が私と琥珀めがけて飛んできた。走ってきたというよりも、思いっきり空中を本当に飛んできた。
ドスン。私に体当たりしそうになったのを、琥珀が私を後ろに隠し、3匹とも琥珀の背中に体当たりした。
「琥珀だ~~!」
「体当たりをするな、痛いだろう」
琥珀がそう言って3匹に注意をしたが、3匹は私たちの周りをグルグルと駆け回り喜びまくっていて、話なんて聞いていないようだ。
「久しぶりだね。みんな元気そう」
「元気だぞ!美鈴も元気だな。あれ?」
つるちゃんが私のお腹に手を当てた。
「誰かここにいるのか?」
「わかるの?赤ちゃんがいるの」
「美鈴の子?!」
つるちゃんがびっくりしている。横からふさちゃんとクマちゃんもお腹に手を当ててきた。
「これは琥珀と同じだ。もしかして龍の子か?」
「そうだよ、クマちゃん、わかるんだね」
「いつ生まれるの?一緒に遊びたい!」
「ふさちゃん、生まれる時にはここにいないの。ごめんね、一緒には遊べないんだ」
「どこで生まれるの」
「神の世界だ。お前たちは行けない場所だ」
「え~~~!一緒に行きたいよ」
「クマちゃん、ごめんね。でも、みんなはずっとこの山で遊べるし、この山は琥珀が護ってくれるから安心だよ?」
「あれ?狛犬と狐はどうしたの?」
「狛犬たちは、境内から出ることが出来ないのだ」
「ふうん。な~んだ。また追いかけっこしたかったなあ」
みんな本当に子どもみたい…。いや、子どもなんだねえ。もし、ここで私の赤ちゃんを産んだとしたら、この子たちと遊んだりしたのかしら。
3匹に手を引かれ、山の奥に行くと広い野原のようなところが現れ、3匹はそこで追いかけっこをし始めた。私は琥珀と一緒にその光景を見ていた。
不思議なことに、燦燦と降り注ぐ日の光の下でも暑いと感じなかった。それは琥珀もだった。
それに、妖たちもまた、昼間の光の中でも元気に遊び回っている。
「妖は夜行動するんじゃないの?」
「普通はな。この3匹は無邪気な子どもだ。昼間でも動けるようだな」
「うん、すんごい元気」
そんな3匹の上を、楽しそうに光や木々の精霊たちが飛んでいる。風の精霊も歌ったり踊ったり、山はなんて楽しくて居心地のいいところなんだろう。
自然っていいなあ...。琥珀にもそう言うと、
「もう多分美鈴は人の多い場所には行けないだろうな」
とそんなことを言われてしまった。
「なんで?」
「人のエネルギーに酔ってしまうかもしれん。どうしても、自然の方が気持ちがいいと感じるのだ。俺もそうだ。人里の中に行きたいとも思わない」
「人里?っていうか、街だよね。きっと、駅付近は人の声や車の音とかでうるさいかもね」
「そうだな」
「あ、鳥のさえずり…。いい声だなあ」
琥珀に体を寄せると、琥珀は私の肩を抱き、
「本当にこの山は浄化され、気持ちのいい場になったな」
と呟くようにそう言った。
「お母さん、心配してたね。琥珀がいるから大丈夫なのに」
「俺がいなくても、美鈴はもう神だから大丈夫なんだがな。だが、いつまでたっても、朋子にとって美鈴は子どもなのだ。心配なんだろうな」
「うん」
「これからは、美鈴の方が朋子や靖子、いいや、家族のみんなを護っていくことになるのにな」
「そうだよね。心配なんてしてもらわないでもいいのにね」
「ふ…。そんな朋子のことも受け入れてやれ。人間の親心というものだ」
「神様の親心は?」
「神は子の心配などしないな。なにしろ、神だからな。まあ、あたたかく見守るっていう感じだろうな」
「ふうん。じゃあ、この子も産まれたら、琥珀も私も温かく見守るんだよね?」
「そうだ」
「ねえ、この子には遊んでくれる友達はいるのかな?」
「友達?」
「琥珀は子どもの頃、友達はいた?」
「いたぞ」
「いたの!?」
「ああ、同じくらいの年の神の子もいたし、精霊たちともよく遊んだし、親父の神使も遊んでくれたものだ」
「へえ…。同じくらいの神様の子どもとかいたんだ」
「神は龍神だけではないからなあ。それに、違う山や海を護っている龍神もいて、そこの龍神たちと集う時があったのだ。子どももみんな連れてきていたから、子ども同志で遊んだものだ」
「へえ!じゃあ、この子にも友達出来るね?」
「そんな心配を今からしているのか?ははは。さすが、朋子の娘だな」
「心配じゃなくって、素朴な疑問だよ。妖たちを見ていたら、一緒に遊ぶ子がいたら楽しいだろうなって思ったの」
「そうだな。あの3匹も神の世界に遊びに来れたら面白いのにな」
「出来るの?」
「無理だ。波動が違い過ぎる」
「そうか…」
「がっかりするな。神の世界にも、この子の友達はいる」
琥珀は私のお腹に手を当てて優しくそう言った。




