第85話 琥珀の温かさに包まれて
翌朝、目が覚めると窓から差し込む日の光が眩しすぎて、クラクラした。それに自然以外の音がうるさくて、耳も塞ぎたかった。
鳥のさえずりや風の音はうるさいと感じないのに、琥珀の声もすぐそばで聞こえても心地いいのに、一階で話す家族の声も、多分誰かがひげをそっている音、ドライヤーの音、扇風機の音まで聞こえてきて、そういった機械の音や、人の声がわずらわしかった。
「頭痛い」
琥珀がすぐに頭痛を治してくれるが、次の瞬間音が聞こえるとまたうるさかった。体のだるさと寒気と頭痛で、眠いのに眠れない。それに眩しすぎて目も開けられない。
「それもあって、おふくろは蔵に閉じこもったのかもなあ。あそこは日も当たらないし、そうそう人間の声や機械音もしないだろうから」
「私も蔵に行きたい」
「社に行くか。あそこのほうが全く音も光も遮断できる」
「琥珀も来てくれる?」
「もちろんだ。阿吽や山吹も時々来させよう。あいつらの声ならうるさくないはずだ」
「わかった。ここよりも静かで眠れそう…」
琥珀は瞬時に消え、私を部屋からお社に移すことを家族のみんなに伝え、また部屋に戻ってきた。
「朋子がぎゃあぎゃあ言っていたが、部屋にいるより美鈴の体調がよくなるならと、他のみんなは納得した。行くぞ」
琥珀は私を抱きかかえると、瞬時にお社のあの暗い部屋に移動した。真っ暗な中、小さい明かりを琥珀が灯した。とっても静かだ。安心する。
「琥珀、瞬間移動したの?」
「ああ。美鈴のエネルギーがもう神のエネルギーになっているから、瞬間に移動ができた」
「私、完全に神になっちゃったの?」
「そうだ。龍の子を宿したからな」
「お母さんの声、一階にいても聞こえたよ。私をお社に連れていくだなんてって、文句言っていたね。あ、布団を持っていくとか言っていたけど…」
「大丈夫だ。布団などなくても俺が温めるから」
俺が温める?うそ。もしかしてずっと抱きしめてくれるのかな。
「俺の上で寝るといい」
俺の上?え?琥珀を布団代わりにってこと?眠さでよく考えられない。琥珀の言っている意味もわからない…とボケッとしていると、琥珀がいきなり人間の姿から龍に変化した。
うわあ。空を飛んでいる龍の姿を見たことはあるけど、こんなに間近では初めて見る。大きさはどうやら空を飛んでいる時より小さくなっているみたいだけど、人間の時よりも大きい。体を覆っている鱗は硬いかと思ったらそうでもないし、そこまで冷たくもない。いつもの琥珀と同じ体温みたいだ。
琥珀は床に丸くなると、その上に乗っかれと言ってきた。私は琥珀の上に乗り丸くなった。あれれ?さっき龍になった琥珀の体に触れたら、ひんやりとしたし硬さもそれなりにあったのに、柔らかいんだけど?それも羽毛のようにふわふわしていて温かい。どうして?
「琥珀、どうしてふわふわしていて温かいの?」
「エネルギーを変えたんだ。どうだ?これなら寝やすいだろう?」
すごい。琥珀ってなんでも出来ちゃうのね!姿かたちは龍なのに、まるで羽に包まれているような気分になるよ。
私は琥珀に応える前に、すぐさま深い眠りについていた。あまりにも心地よくて気持ちよくて、それは深い眠りだった。
聞こえてきたのは赤ちゃんの心音と、ザーッという体を流れる血液の音。それから琥珀の息をする音。他の音は聞こえてこなかった。
安心で、心地よくて、まるで赤ちゃんに戻ってお母さんのお腹にいるみたいな感覚。
それから3日間、私は琥珀と一緒にその部屋にいた。目が覚めたり、また眠ったりを繰り返したが、真っ暗だから夜なのか昼なのかわからなかった。目が覚めた時、あーちゃん、うんちゃん、山吹が様子を見に来たり、闇の精霊たち、地の精霊たちも遊びに来た。
なるほど。妖たちがここに閉じ込められた時、こんな真っ暗なところに閉じ込められて嫌じゃなかったかな、逃げたくならなかったかなと思ったけれど、とても居心地はいいし、地の精霊たちが不思議な歌を歌ったり舞ったりしているから、まったく寂しいとも感じないし、龍である琥珀のエネルギーがあまりにも優しくて、邪気も何もかも消えていくのを私も感じて安心できた。
妖たちもこんな感覚だったのね。そして、今お腹にいる赤ちゃんも安心しきっているのを感じる。
本当に琥珀は優しい。ずうっと龍の姿のまま、私を包み込むように温かいエネルギーでいてくれる。このまま、ここから出たくなくなるほど気持ちがいい。お腹も空かないし、音もうるさくないし、静かなのにそれが心地いい。
何日過ぎたかもわからなかったが、なぜか目がぱっちりと冴え、体のだるさも消え、逆に体にパワーがあふれ、今までにない体の軽さを感じ、龍である琥珀の上に座り思いきり伸びをすると、
「目が覚めたか」
と龍の琥珀が聞いてきた。
「うん、目が冴えてて、すんごい元気になった」
「そうか。体の調節が整ったのだな」
琥珀は龍の姿からいきなり人の姿に戻り、私は人の姿の琥珀のあぐらの上に座っていた。
「琥珀!」
人の姿の琥珀が久しぶりな気がした。龍の時も温かくって大好きだけど、人の姿の琥珀の方がやっぱりかっこよくて好きかも。
琥珀に抱き着くと、琥珀も私を抱きしめた。
「お腹の子も元気そうだな」
「うん。とっても元気なのがわかるよ」
「そうか。美鈴も元気になったし、社から出るか」
「外に?今何時?私はいったいどのくらいここにいたの?」
「今は朝だ。丸3日はここにいた」
3日目の朝、私は久しぶりに外に出た。日の光が眩しすぎないか心配だったが、眩しいことはなかった。でも、不思議と前とは日の光も、木々も空も違って見えた。なんだろう。前よりもキラキラと輝いている。
それに、小鳥のさえずりどころか、山にいる動物たちの話声まで聞こえた。
木々の周りを舞っている精霊の声も、多分遠く離れたところで掃除をしている山吹やあーちゃん、うんちゃんの声も聞こえる。
「耳がすっごく研ぎ澄まされたみたいなんだけど、またお母さんの声や機械の音がうるさいのかな」
「大丈夫だ。確かによく聞こえるようになっているだろうが、もう調節ができるようになっている。聞こうと意識したら遠くの声や音、どんな小さな音までも聞こえるが、聞こうとしなければ、そこまで聞こえないぞ」
「そうなの?」
私は黙ってみた。すると、また山の動物の声までが聞こえてきた。
「今もいろいろと聞こえるけど」
「耳を研ぎ澄ましたからだろう?俺と話している時はどうだ?」
「そんなに聞こえないかも」
「人間も同じだが、ちゃんと聞こうとしているものだけが聞こえたり、見ようとしているものだけが見えたりするものだ。だが、研ぎ澄まし、すべてを聞きすべてを見ようとしたら、遠くの音、遠くの景色まで見えてくる」
「じゃあ、琥珀もそうやって私の声とかを聞いていたの?」
「そうだ。美鈴の声は聞こうとしていたからな」
「私もうまく調節できるのかな」
「この3日間が、その調節の時間だった。もう大丈夫だ」
琥珀は優しく微笑み、私の肩を抱いて歩き出した。
家に入り、居間に行くとちょうどみんなが朝食をとっているところだった。
「美鈴!」
みんなが一斉に私を見てそう叫んだ。声は大きかったものの、うるさいとは感じなかった。良かった。
「ただいま」
「もう大丈夫なの?」
お母さんとおばあちゃんが同時に聞いてきた。相当心配したのかな。お母さんは目が潤んでいる。
「大丈夫だよ。なんだか、すっごく元気になっちゃった」
「お腹空いていない?美鈴ちゃん」
「うん。まったくお腹空いていない。何も食べないで平気みたい」
「ずっと社の中にいたのかい?」
「うん、おじいちゃん」
「でも、社を見に行ってもどこにもいなかったぞ?」
「敬人お兄さん、お社の裏の方に部屋があるんだよ。そこにいたの」
「部屋?」
「開かずの間だよ、敬人」
悠人お兄さんが敬人お兄さんにそう教えた。
「ああ、あの部屋か。あの部屋絶対に入っちゃダメなんじゃなかったのか?」
「人間はな。あそこは龍神のエネルギーで満たされている場だ。人間が入ってもエネルギーが強すぎるし、真っ暗で気がおかしくなるだろう」
「そんなところに美鈴を閉じ込めていたの?!」
琥珀の言葉にお母さんが反応して、怒りを現した。でも、
「朋子、美鈴はもう人間ではない。龍神のエネルギーの場の方が安心できるのだ」
と琥珀はなだめるようにそう言った。
「……人間じゃないって言ったって、美鈴には変わりはないわよ」
「見た目はな。だが、エネルギーはもう人間ではない。美鈴もこの世界に未練もなくなっただろう?」
「え?」
琥珀にそう聞かれ、私はキョトンとした。前と何が変わったのかな。わからないな。未練があるかもないかも、まったくわからない。
「ごめん、その辺はまだわからないや」
「そうか」
「とりあえず、元気になったから巫女の仕事を今日から再開するよ」
そう言って私は自分の部屋に行き、巫女の衣装を着た。
「あれ?」
今、一瞬にして着替えたような気がするんだけど。
「ああ、美鈴、自分で瞬時に着替えられるようになったのだな」
「やっぱり?」
後ろから琥珀もついて来ていたみたいで、私の着替えを見てそう言った。
「すご~~い。着替えよう…と思ったら、着替えてたよ」
「そうだ。もう阿吽や精霊たちの手伝いもいらないな」
「私、本当に神のエネルギーに変わっちゃったの?」
「自分ではわからないのか?」
「うん。あんまり…。ただ、体がやけに軽いし、暑さも感じないし、外の景色が前よりも美しく見えたりする」
「神のエネルギーだからな」
「そうなんだ」
自分では、ちょっと変わったくらいにしか感じないのにな。琥珀にはわかるのかな。
「自分の娘が変わるのは確かに心配だろうな」
「え?何が?」
「朋子の話だ。お腹の子も人間じゃないのは不安でしかないかもしれないな」
「うん。そうだよね。私だって不思議だもの。龍の子がここにいるだなんて」
私はお腹をさすってみた。ほわんと温かいものを感じた。
「でもね、私にとっては龍でも人間でも神様でも関係ないの。なんだか、ここにいる存在が可愛いんだよね」
「そうだな。それは俺も同じだ」
琥珀は優しく私のお腹を触った。
「まだ目で見られぬこの存在がすでに愛しいな」
「うん」
琥珀は優しいお父さんになるんだろうな。そして、琥珀のお父さんも優しかったんだろうな…。琥珀を見ているとそう感じる。きっとお母さんも…。
生まれてくる子のことも、神の世界にいる琥珀のお父さんやお母さんのことも、早くに会いたくなってきちゃった。
どんな子が生まれるのかな。琥珀に似ているのかな。何て名前にしようかな。
向こうの世界はどんなかな。ああ、なんだか本当にわくわくするなあ。
私はこの時、すでにこの人間世界に未練がまったくもってなくなっていたことに気がついていなかった。




