第82話 天狗とご対面
夏の日が続く毎日、
「あ~~、くそ暑い!」
と言いながら敬人お兄さんが帰ってきた。居間に来ると扇風機の前を陣取ってしまい、私に扇風機の風が来なくなった。Tシャツまで汗でびっしょり。こんなに汗っかきだったっけ?
「敬人お兄さん、最近ちょくちょく出かけているよね」
最近、朝も早くから出て、帰ってくるのは夕方だ。
「バイトだよ。短期のバイトをしているんだ。それも、運送屋の手伝い。このくそ暑いのに、こんなバイト引き受けなきゃよかった」
「いいんじゃないのか。敬人は悠人と違って体育会系だから、そういう力仕事があっているだろ?」
やっぱり、早くに居間に戻ってきて休んでいるおじいちゃんがそう聞いた。
「そりゃ、細かい仕事とかより合っているけどさ。日本の夏は異常だな」
「山守神社は夏でも過ごしやすいぞ?」
「それはわかってるよ。エアコンなしでも過ごせるなんて、ある意味貴重な場所だよな」
「それより、敬人、汗臭いわよ。シャワー浴びてきなさいよ」
お母さんも台所から来て、嫌そうな顔をしてそう言うと、
「へいへい」
と敬人お兄さんは居間を出て行った。
「最近、敬人は美鈴に引っ付かなくなったのだな」
私の隣で暢気に冷たい麦茶を飲んでいる琥珀が聞いてきた。
「うん。暇を持て余して、大学や高校の頃の友達と遊んでいたけど、まさかバイトを始めたとは知らなかったな。でも、引っ付いてこられなくなって助かったよ」
「なぜだ?」
「なぜって、鬱陶しいんだもん」
「美鈴は男が引っ付くと鬱陶しいのか」
「男がっていうか…。まあ、そうかな?」
「兄弟でも鬱陶しいなら、夫も鬱陶しいのか?」
え?本気で聞いてる?琥珀の顔を見ると真顔だ。どうやら本気みたいだ。
「ひゃっひゃっひゃ。琥珀さんもあんまり美鈴にべったりしていると、嫌われるぞ」
「ひいおばあちゃん!また余計なことを言って面白がらないで。琥珀は別なの!どっちかって言えば、琥珀と二人の時間を敬人お兄さんに邪魔されて、それが鬱陶しかったの!」
「そうか。俺は引っ付いていても鬱陶しくないんだな?」
「当たり前じゃん…」
と言ってから、なんだか照れくさくなった。でも、琥珀は気をよくしたのか、機嫌よくところてんを食べている。
「ところてん、美味しいの?」
私は好きじゃないけど。
「うむ。なかなか面白い触感だ。これも神の世界で誰かに作らせよう」
「……ちょっと琥珀に聞きたいんだけど、神の世界に甘いものはあるかな?」
「あるぞ。果物などは甘い」
「ケーキとか、お饅頭とか、クッキーとかもある?」
「ない」
え~~~~!!!
「そんながっかりするな。作らせたらいいだけだ。それにしても、まだそんなに美鈴は食欲があるのか?」
今もアイスを食べている真っ最中で、琥珀にそう聞かれてしまった。
「うん。おかしいかな?甘いものが好きなんだもん。それに、お母さんやおばあちゃんが作った料理も食べられなくなると思うと、しっかり食べておこうって思うんだもん」
「そうか。まあ、未練が残るよりもいい。もっと食べたかったなんて未練が残ったら、食いしん坊のお化けができそうだしな。ははははは」
「ちょっと!琥珀はなんだってそう私を食いしん坊だっていうわけ?」
一緒にひいおばあちゃんもおじいちゃんまでが大笑いをしているじゃないよ!
「現にそうではないか。俺のおふくろは数日で何も食べなくなったというのにな」
「う…」
私がおかしいのかな。やっぱり、私が食いしん坊だから?
「ひゃっひゃっひゃ。面白いのう。だが美鈴、甘いものなら向こうでも作ってもらえるだろうが、朋子さんや靖子さんの料理は向こうで食べられない。こっちにいる間にしっかりと堪能していけ」
ひいおばあちゃんの言葉に、なんだかいきなりウルっと来てしまった。
そうだよね。もうお母さんやおばあちゃんの手料理食べられなくなっちゃうんだ。そんな私の気持ちを察したのか、琥珀が私の背中を優しく抱いてきた。
「こっちにいる間に、十分家族に甘えていいんだぞ。敬人も邪険にするな。後悔しないよう仲良くしておけ」
「うん」
私は不思議と素直に頷いていた。
そうだよね。鬱陶しいなんて言わないで、ちゃんとお兄さんと仲良くしよう。そう思い、夕飯のあと敬人お兄さんにゲームをしようと誘ってみた。敬人お兄さんは喜び、早速居間のテレビで久しぶりにテレビゲームをした。
子どもの頃、テレビゲームは付き合ってくれた。案外私はゲームが強くて、敬人お兄さんとどっこいどっこいの勝負をしていた。悠人お兄さんはまったくゲームに関心がなく、一緒にゲームをすることはなかったけれど。
「美鈴」
ゲームの最中、急に敬人お兄さんが真面目な顔をして、
「俺は大学卒業したら、アメリカに行く。そのあとも世界を転々と回ることにする」
と言い出した。
「うん、リュック一つで回るんでしょ?」
「うん。ここにいても美鈴はいないし、寂しいからな」
「またまた~。私がいなくなったって、なんともないんじゃないの?」
「あほか!俺も悠兄も美鈴を可愛がっていたんだよ!いなくなって寂しくないわけないだろ!」
敬人お兄さんはそう大声で言ってから、目と鼻の頭を真っ赤にさせた。うそ。泣きそうになってる?
嫌だよ、こっちまでしんみりしてくる。
「でも、海外にいたらきっと、空とか見上げてさ、向こうの世界で美鈴も元気にやっているんだろうなって、そういう風に思えるじゃん。会えないのは寂しいかもしれないけど、ここにいるよりはさ…」
そこまで言うと敬人お兄さんは黙り込み、
「ここに残される家族の方がきついかもね。昨日まではここにいた美鈴がいなくなるんだから」
とぼそっと小声で呟くように言った。
私は何も答えられなかった。笑い飛ばすこともできなかったし、そうだねって頷くこともできなかった。
向こうに行く私より、ずっと残されるみんなの方が寂しいのかもしれない。
私は新しい世界に少し不安はあるものの、わくわくすらしている。でも、みんなは同じ日が私がいなくても続くんだ…。
「大丈夫だよ。悠人お兄さんが結婚したり、子どもが生まれたら賑やかになるし」
「里奈って子だっけ?兄さんと結婚する気なんてあるの?」
「あるよ。里奈は明るいし元気だし、きっと山守神社も明るくなるよ」
「……お前、案外ポジティブなんだなあ」
敬人お兄さんはふっと笑って、
「さ、明日もバイトだからもう寝るよ。おやすみ」
とゲームを終わらせて居間を出て行った。
敬人お兄さん。だって、無理にでも明るくしていないと、私まで暗くなりそうなんだもん。
「美鈴」
隣にいきなり琥珀が現れた。
「琥珀…」
「長い夜だ。境内でも一緒に散歩するか?」
「うん」
私はもうまったく眠らなくても大丈夫になった。っていうか、寝ようと布団に入っても、眠れないのだ。だから、琥珀と境内を散歩することもあれば、あーちゃん、うんちゃん、山吹と遊ぶこともあれば、まあ、一晩中琥珀といちゃついちゃうこともあるんだけど…。
「なんだか、しんみりとしていたな」
「うん。敬人お兄さんが残されたものの方が辛いなんて言うから…」
「そうかもしれない。だが、時間が解決する。時間というものは時として癒しになる」
「そうか…」
「それに、記憶に残る。美鈴のエネルギーをちゃんと感じ取ることもできる。それに…」
「それに?」
「実はな、美鈴。夜寝た時に見る夢、あれは多次元へと繋がっているのだ」
「多次元?」
「神の世界はこことは次元が違う。ここよりも高い次元だ。そんな次元にも夢の中では行き来が出来る。夢の中でなら、簡単に会うことが出来るのだ」
「ひいおじいちゃんが夢に出てきたことがあったの。じゃあ、夢で本当に会っていたんだ!」
「そういうことだ」
「そうか。夢でならみんなに会えるのね。でも、夢って見ようと思っても見れないでしょ?」
「普通の人間ならな。だが、美鈴は神だ。みんなの夢の中に現れるのも自在だ」
「本当に?!」
「そこまで頻繁に会いに行くなよ?俺を放っておいたりするな」
「うん。…ってあれ?私、寝ないよね?じゃあ、夢見れないんじゃない?」
「だから、自由自在に夢の中にいけると言っただろう?神の世界と誰かの夢と次元を繋げるのだ」
「ふうん…。よくわかんないけど…」
「向こうに行ったら教えてやる。だが、何度も言うが、みんなの夢にばかり行ってしまって、俺を放っておくなよ?」
そんなことを言う琥珀が可愛くなってきた。
「うん。私が琥珀のそばにいられないのは寂しいから、放っておいたりしないよ。安心して。琥珀だって、私を一人にしてどっかに行ったりしないでね」
「しない。美鈴のそばにいるから安心しろ」
夜、みんなが寝静まってからの時間は長かった。家も神社もとても静か。静かというよりも静寂。もし私一人だったら、とっても寂しくて怖くて悲しくなっただろうな。
だけど、いつも琥珀がいる。それにあーちゃんやうんちゃんも、山吹も寝ることがないから一緒に遊んだりできる。時々山から来た動物とも遊べたし、闇の精霊も遊びに来てくれたから、本当に寂しいと感じることはなかった。
それどころか、夜の時間はまったくの異世界にいるようで楽しかった。時々木の精霊が現れたが、まるで蛍のような光を発していて奇麗だった。人間ではないものたちの時間。見たこともない妖たちが、境内の外で戯れているのも見えた。
「最近は妖から邪気が消えたから、ああやって夜に妖どもが宴会をするようになったな」
「宴会?!」
そう言えば、小さな提灯が並び、何匹かの妖がお酒みたいなのを呑んでいるような…。
「こんな神社の近くで宴会しているの?」
「神社の近くなら俺がいるから、安心なのだろう」
「……そうなんだ。龍神に消されるっていう不安はないわけね」
「俺はむやみに妖どもを消したりしないぞ?」
「そうだね。邪気がないのに消したりしないよね」
「妖から邪気は消すが、邪気が消えた妖までは消したりしない」
「でも、前に私の神楽で消えた妖もいるって言っていなかった?力が弱い妖だったら、消えちゃうって」
「ああ。邪気の塊みたいな妖は消えるな」
「邪気の塊?そんなのもいるの?」
「うむ。ただし、消えると言っても光に還るだけだ。光と融合される」
「闇と光が統合っていうやつ?」
「そうだ。存在そのものが消滅するわけではない。どちらかと言えば、存在そのものに還るという感じだな」
「ふうん」
ふうん…なんて相槌をうってみたものの、よくわからなかった。時々琥珀の言っていることがわからないことがある。でも、いずれわかってくるのかもしれないから、納得しようと頑張って努力するのもやめた。きっと聞いたとしても、琥珀もいずれわかるとしか答えてくれないだろうし。
「おや、客人だ」
「え?」
「ほら」
琥珀が空を指出した。空を見上げると、満月の明かりに照らされ、人型の羽の生えた何かが飛んでいるのが見えた。
「な、なに?あれ…」
「天狗だ。美鈴に会いに来たのかもな」
そのあと琥珀が何やら唱えると、私たちの前に天狗はすうっと降りてきた。
わ~~~。天狗にご対面だよ!背中から真っ黒な大きな羽根が生えているけど、顔は普通の人間と一緒。よく見る天狗の絵にあるような、高くて長細い鼻をしているわけではないんだ。それにしても体がでかい。2メートルくらいあるんじゃない?あ、足を見たら高い下駄履いてた。だから、背が高く見えるのか。
「よう、龍神さん。そこにいるのが嫁さんか?」
天狗は、琥珀の肩を抱きそう聞いてきた。うわ。とっても馴れ馴れしいんだな、この天狗。
「そうだ。美鈴という名だ」
「初めまして、美鈴ちゃん。俺は次郎坊という。ま、適当に次郎ちゃんとか、呼んでくれちゃっていいから」
「………」
なんだ、この軽い人…。見た目怖そうなのに、なんだってこんなにチャラいの?
「龍神に飽きたら、俺に乗り換えちゃってもいいよ?」
「あほ」
ポカンと琥珀が次郎坊さんの頭をこついた。
「いって~な!琥珀、嫁をもらったからっていい気になるなよ。俺だって女の一人や二人」
「そんなだから、お前はいつまでたっても一人前の天狗になれないのだ。兄貴が嘆くのもわかる」
「おい、太郎坊の名前を出すんじゃない!あんな真面目腐った頭の固い奴」
「また喧嘩したのか。ああ、それで俺に泣きつきに来たのか」
「そうじゃねえよ!お前の嫁に会わせろって言っても、なかなか会わせてくれなかったから、またこうやって来たんだろ?」
なんだか、この二人、仲がいいみたい。こんなふうに言い合えるってことはかなり古くからの友達だよね?




