第74話 みんなに琥珀が頭を下げた
しばらくしてドタバタという何人かの足音が聞こえてきた。
「うわ~~、来ちゃったよ」
琥珀は平然とした顔で、布団の横であぐらをかいている。私は布団から出るか、布団に頭までもぐりこんで隠れるか、どうしたらいいかオタオタとしていたが、襖が開く前に琥珀の隣に正座をした。
襖を開けたのは、鬼のような形相のお母さんだった。顔を見ただけでも超怖い。鬼の妖かと思えるほどに怖い。
「琥珀さん!!!!」
そう叫んだあと、慌ててきたからなのか、息切れをしてゼーゼーしだした。
「美鈴!どういうことだ!」
お母さんの後ろから顔を出したのは、真っ青になったお父さんだった。
「龍神の野郎が勝手に部屋に上がり込んでんだよ。ほら!父さん、母さん、俺の言ったとおりだろ?」
お父さんの後ろからは敬人お兄さんが顔を出した。
「敬人、俺らはすでに夫婦なのだ。夜を共に過ごして何が悪い?」
「はあ?!夫婦だと?!」
敬人お兄さんの呆れた声とほぼ同時に、
「結婚もしていないくせに!」
とお母さんが怒鳴り声をあげた。
「嫁入り前の娘の部屋に、それも布団にもぐり込んでいたそうだが、どういうつもりなんだ、琥珀君。そんな男だとは思わなかったぞ」
「男というより俺は龍神だ」
「龍神だからって、何をしても許されるわけじゃないですからね!美鈴に手を出すって言うのなら、責任取ってもらいますよ!!」
ゼーゼー。
まだ息が上がっているのか、興奮して大声を出したからなのか、またお母さんが息を切らしている。
「責任を取る?どういうことだ?美鈴」
琥珀がキョトンとしている。ああ、お母さんの怒りをまるでわかっていないのか、感じていないのか動じる様子もない。
「人間世界ではね、琥珀君、結婚前に手を出したりしたら、責任取って結婚をしないといけないんだよ」
わざと冷静を保とうとしているのか、お父さんがわざとらしく落ち着いた口調でそう言った。
「結婚をすることが責任を取ると言う事なのか?だったら、何も問題はない。美鈴は俺の嫁になるのだから。なんの問題があるというのだ?」
「ですけどね!結婚前じゃないですか。ちゃんと祝言を挙げ、夫婦になってからこういうことはするもんですよ」
お母さんも少し落ち着いてきたのか、声がさっきよりも落ち着いている。
「神門家の人間は祝言を何だと思っている。結婚の儀とは人間がするように神の前で式を挙げるわけではない。だいたい俺が神なのだからな」
「そ、それはまあ、そうでしょうけど」
「祠に花嫁衣裳を着ていくことが結婚の儀でもない。婚儀とは、契りを結ぶことを言う」
「契り?っていうことはつまり…、体が結ばれるってことか?」
敬人お兄さんが、眉間にしわを寄せながら念を押すように聞いてきた。
「そういうことだ。そして契りを結ばなければ、美鈴は神のエネルギーになれず、祠の向こうの神の国に行くことはできない」
「お千代さんが蔵に閉じ込められた時、毎晩蘇芳が一緒にいたようだけど、その時に契りを結んだってことなんだね」
誰よりも冷静に、敬人お兄さんの後ろから悠人お兄さんが現れ、そう言った。
「そうだ。そして俺を宿し、おふくろは親父と一緒に祠に入って行ったのだ」
「なんだ?そのお千代だとか蘇芳だとかって」
「敬人、琥珀君のお父さんとお母さんだよ」
「じゃあ、美鈴にも妊娠させるってことなわけ?」
お母さんはまたおっかない顔をしている。
「子を宿せば、この世界の未練を断ち切り、子を産むために神の世界に行けるようになる。この世界では龍神の子は産めないからな」
「そうだったのか。お千代さんの覚悟は、赤ちゃんが出来てからのものだったのか」
悠人お兄さんが、納得したというように声を上げた。
「そういうことだ」
「まだ、美鈴は18なのよ。高校卒業したばかりなのに」
「俺のおふくろも同じ年だった」
「それは昔の話じゃないよ」
「朋子、今も昔も関係はない」
「あなたは、なんでそんなに冷静なの?」
お母さんがお父さんに責めるように言った。
「嫁に出すと決めたからには、覚悟をしないとならないんだぞ、朋子」
「……でも、まさか祠に行く前にそんな…。まさか、祝言を挙げるっていう事がそんなことだなんて…」
「そんなに嘆くな。だいたいもう俺と美鈴は結ばれている。だから、俺の力は完全になった」
「え?」
みんなが目を点にした。そしてしばらく黙り込んだあと、
「もう結ばれているだと?」
「なんですって?」
と、敬人お兄さんとお母さんが同時に叫んだ。
「順番がなっていないわよ!普通はまず結婚する前に親に、娘さんをくださいと挨拶に来るのよ」
「順番?ふむ…。そうか。挨拶が先だったのだな、それはすまなかった」
琥珀はそう言うと、立ち上がりみんなの前まで進み出て、そこにまた座ると、
「娘さんを嫁にもらいます」
と一言言ってから頭を下げた。
お母さんはまた何か言おうと息を吸い込んだが、
「朋子!悠人も敬人もここに座りなさい」
と、お父さんの方が先に口を開き、琥珀の前に正座した。
「はい」
悠人お兄さんも、すぐにお父さんの左側に正座をしてお父さんと同時に頭を下げた。
「なんで頭下げてんの、父さんも兄さんも」
敬人お兄さんは座りもしない。お母さんは仕方ないという感じで、お父さんの右隣に正座した。
「さすがだな、直樹、山守神社の宮司になろうとしているだけのことがあるな。悠人も宮司になる素質を備えている」
「どういうことだ?」
敬人お兄さんは疑いのまなざしで見ているが、お母さんの隣にとりあえず座ったようだった。
「敬人も朋子も失礼だぞ。琥珀君は神なんだからな。神様が頭を下げたんだぞ」
お父さんの言葉に、お母さんは少したじろいだ。そして、
「私、もしかして何かとんでもないことをやらかした?つい頭に血が上って」
とボソボソと青い顔をしてお父さんに聞いている。
「母さん、大丈夫だよ。だいたい龍神って言ったって、本当かどうかもわからないんだし」
「敬人、いいかげんにしなさい。これ以上神様に失礼な態度をとると、父さんが許さないぞ」
「いいのだ、直樹」
琥珀はすでに頭を上げ、みんなのことを優しい目で見ていた。
「直樹、朋子、龍神の嫁をここまで育ててくれたこと感謝する」
琥珀はまたみんなに頭を下げた。私も慌てて琥珀の隣に正座をして、みんなに頭を下げた。
「頭を上げて下さい」
お父さんが慌ててそう言った。お母さんと悠人お兄さんは、琥珀に向かって頭を下げ、敬人お兄さんだけは、ただその光景を眺めている。
「直樹、俺は美鈴と共に力を合わせ、この神社も山も護ることを約束する。安心していいぞ」
お父さんは「はい」と答え頭を下げた。
「朋子、美鈴には俺と一緒にみなを護っていくという大切な役目があった。一度人間として生まれ、家族に愛され、人と人の繋がりの大切さを味わうという体験が必要だったのだ。ここの家族は皆、美鈴を愛している。そのおかげで美鈴は愛を育む力を得た。礼を言う」
「………」
お母さんは感極まったのか、無言で涙を流した。私も勝手に涙が溢れてきた。
「もう数か月ある。美鈴、その間は家族との時間を大事にしろ」
琥珀は、私に向かってそう優しく言ってほほ笑んだ。私は涙を流しながら頷いた。
「なんだよ、立派な神様じゃないかよ。くそ」
立派だと何が悔しいのかわからないけれど、敬人お兄さんはそう吐き捨て、必死に涙をこらえているようだった。そして、悠人お兄さんが頬に伝わる涙を拭き、
「さ、もう二人の邪魔をするのはよそう。さすがに夜は夫婦の時間を僕らが割いては申し訳ない」
と立ち上がると、他のみんなも立ち上がり、黙って部屋を出て行った。
私は、足がしびれてすぐには立てなかった。
「足しびれた。ああ、緊張した~~~」
とその場でゴロンと横になった。
「緊張したのか?」
「そりゃそうだよ。お母さんなんて鬼の妖より怖い顔でやってきたし」
「ははは、そうだな」
「琥珀は緊張しなかったの?まったく動じていなかったよね」
「なぜ緊張をしなくてはならない?」
「そうだね。琥珀は神様だもんね」
「まだ足がしびれて動けないのか?」
そう言ってから、琥珀が私をお姫様抱っこした。
「うわ!何?」
「布団まで連れていく。さっきの続きをするんだ。もう邪魔も入らぬからな」
「え?」
うわ。違う意味での緊張が!いきなりドキドキしてきたよ!
「美鈴」
琥珀が優しく私の頬を撫でてきた。キュキュン!
「琥珀、ありがとうね」
胸の高鳴りにこらえきれず、思わず話をし始めてしまった。
「ん?何がだ?」
「龍神なのに、人間に頭を下げて娘をくださいなんて、そんなことしてくれてありがとう」
「そのことか。気にするな。俺もちゃんと許しを得なければならなかったと反省した」
「琥珀でも反省するの?」
「ああ。反省すればちゃんと、その場で詫びる」
そうか。琥珀が特別?神様はみんなそう?素直というか、正直なのね。
「敬人お兄さんも、失礼なこと言ってごめんね」
「美鈴が謝ることはない。それに、俺は怒ってもいない。なかなか元気でまっすぐな男だ。悠人とは真逆だ。だからいいのだ」
「真逆だといいの?」
「そうだ。正反対の二人がいて、ちょうどいいのだ。前にも言ったが、そうやってバランスはとられているからな。悠人が静なら、敬人は動だ」
「この世界はすべてバランスなの?」
「ああ。バランスが崩れそうになると、ちゃんとバランスがとれるようになっているんだ。俺が美鈴と結ばれることでバランスがとれる。俺一人の時は、バランスがうまくとれていなかった」
「うん」
琥珀も布団にもぐり込み、私に腕枕をしてくれた。すっかり、お話モードになったようだ。私も胸の高鳴りが収まってきて、琥珀の話に耳を傾けていた。
「この世界はみな表裏一体だ。どちらが良くてどちらが悪いというものではない。朝が良くて夜が悪いというものではないだろう?」
「うん」
「光が良くて闇が悪いというわけでもない。闇を抱えている人間は闇を嫌うし消そうとする。だが、闇があってもいいのだ。その闇も自分の一部として愛しんでいたら、光と闇が一つになり、バランスがとれて一体となる」
「一体?」
「宇宙そのものといってもいいし、愛そのものといってもいいだろう。この宇宙、おおいなる神というものは、すべてを包み込んでいる。闇を嫌ったり排除したりしない。その闇も光もおおいなる神に内包されているものだ」
「……だから琥珀はどんな私でもいいって言うの?」
「そうだ」
「でも、彩音ちゃんの中の闇は浄化したし、闇があるから妖を引き寄せていたんでしょ?」
「そうだ。浄化した。彩音に憑りついていた闇をな」
「それも彩音ちゃんがちゃんと受け入れていたらどうなったの?」
「彩音にはそんな力はない。闇がどんどん広がり、光が薄くなり苦しむことになる」
「光が弱いからっていう事?」
「光と闇のバランスを取れるだけの力がないんだ。闇に取り込まれてしまうことになる」
「……そうか。怖いね」
「そうだ。人間には恐怖という感情がある。怖いと思えば思うほど、闇に取り込まれていく。だが、安心していれば、闇は怖くないと気づく。ただそこに闇の感情や思考、エネルギーがあるだけだと気づける。恐怖は闇を倍増させるからな」
「安心していればって言うけど、どう安心したらいいの?自分の中に妖がいるってわかったら、怖いでしょ?」
「そうだなあ。普通は怖いのだろうな。美鈴もそのうちにわかると思うが神になれば、別に怖くもない。闇の妖も可愛いものだ…と思えてしまうぞ」
「まじで?!あ、そうか、神のほうが強いからなの?」
「強い弱いの問題ではない。闇に対する認識が違うとでも言えばいいのか?」
「認識?う~~~ん?」
「悪いとかいいの判断がないのだ。人間を護るために闇の妖は浄化させるが、人間に悪さをしないのであれば、特に妖を浄化させなくてもいいしな。妖の中の闇の部分が消えてしまえば、山吹のように可愛い妖になるだろ?」
「うん。そうか。じゃあ、闇の妖といえども内側に闇を抱えているだけで、妖そのものは悪くないってこと?闇が悪いってこと?」
「う~~~む。難しいな。その抱えている闇も別に悪くはないのだ。美鈴だって山吹を赦したではないか。山吹の中にあったものは、人間を憎む心だったが、そもそもはハルを失ったことの悲しさから出来上がっていた。それを知ったハルも美鈴もその闇の心も赦しただろう?」
「そうか…。赦してしまえば、闇は消えるの?」
「そうだ。嫌ったり悪者にするからいつまでたっても、闇というエネルギーはバランスが取れず、バランスの取れない状態のままあり続けるのだ。だが、その闇も赦せば、闇と光がバランスを取り、一つになる。だから、闇だけが留まり続けることがなくなるのだ」
「それが、闇が浄化されるっていうことなのね?つまり、闇をこの世から排除したわけではなくて、包み込んだ…みたいな感じ?」
「そうだな」
「琥珀が邪悪な妖に、消滅!とか、闇を浄化!って言っているのは、消し去るっていうより、包み込むって感じなの?」
「光に還すというようなことだ。闇を光と統合させる…。一つにしているのだ」
「そうなんだ…」
すごいなあ、琥珀って。やっぱり神様は違うんだね。おじいちゃんが昔見ていた時代劇の勧善懲悪とは違うんだ。闇も赦して浄化しているんだ。




