第71話 盆祭りが終わった
神楽が終わり、いったん家に戻って巫女の衣装に着替えた彩音ちゃんは、
「今日の美鈴ちゃん、光がすごかった。私、その光に包まれて本当に安らいだの。あんなに安らいだ気持ちで舞えたのは初めて」
と私にそう告げてくれた。
「ありがとう。でも、私じゃなくって何か大きなものによって舞っていた気がする」
「それが神ってことなのかな?」
「琥珀とは一体になっていたんだよね。あ、そうだ。調子はどう?何か変わった?」
「いつも神楽を舞った後は気分が良くて。晴れ晴れとするんだけど、今日もそんな感じ」
「そうか」
確かに顔つきが違っているけれど、闇はすっかり浄化出来ているのかなあ。
「私、高志君のところに行ってくるね」
「うん。彩音ちゃんの素直な気持ち、伝わるといいね」
「頑張ってみる」
顔を赤くさせ、彩音ちゃんは玄関を出て行った。私はそんな彩音ちゃんの後ろ姿を見送った。
そこに琥珀がいつの間にか現れ、
「美鈴、今日はさすがだ。神の舞だったぞ」
と褒めてくれた。
「琥珀も一緒に舞っていたよね?同化した気がしたの」
「ああ。美鈴と一体となっていた」
やっぱり…。
「彩音ちゃんはもう大丈夫かな」
「邪気は浄化出来ている。それに彩音の霊力も神楽を舞い終えたと同時に消えたぞ」
「そうなの?」
「俺の力で霊力を消した。霊力を抑え込むより、消滅させたほうが今後の笹木家のためになるだろう。彩音の子も、その子孫も、もう霊力を持つことはない」
「普通の人間には霊力は必要ないんだね」
「ああ。厄介なだけだ」
「良かった。彩音ちゃん、高志さんのところに行って、気持ちを告げるんだって。ちゃんと伝わるといいなあ」
「大丈夫だ。高志とやらの思いの方が強いくらいだ。彩音の気持ちを知って大喜びするんじゃないのか」
琥珀の読みは当たっていた。彩音ちゃんの告白を聞いた高志さんは、そのあと舞い上がっているのが目に見えてわかるようだった。
良かったね、彩音ちゃん。彩音ちゃんも嬉しそうだ。
彩音ちゃんのお父さんとおばあ様は、彩音ちゃんや高志さんと一緒にお社を参拝し、社務所にもお守りを買いに来てくれた。お母さんが家に上がってゆっくりとなさって下さいと申し出て、4人は我が家の居間でしばらくのんびりとくつろいでいた。
私も午前中はバイトの子が総出でいてくれるので、家でゆっくりさせてもらった。琥珀も一緒に居間に来て、私の隣でお茶をすすっている。そこに、おじいちゃんも休憩を取りに戻ってきた。腰が痛むからと、1日に何回もおじいちゃんは居間に休みに来る。
そんなおじいちゃんに、彩音ちゃんのお父さんは頭を下げた。
「彩音はもう心配いらないんですね。これも美鈴ちゃんの神が降臨したかのような神楽と、宮司さんの祈祷のおかげです」
「いやいや。神が降臨したなら、美鈴よりもその神にお礼を言ってください。私も何もしていませんよ。神がすべてしたことです」
「それでしたら、先ほどお社にお礼をしてまいりました」
「本当にありがたいことです。龍神に感謝しきれないぐらいです」
彩音ちゃんのお父さんのあとに、おばあ様もそう言って手を合わせた。
う~~ん。その龍神はここでのんびりとお茶をすすっているんだけども…。おじいちゃんも苦笑しながら琥珀をちらっと見た。彩音ちゃんも、なんとなくソワソワして、琥珀の様子をうかがっている。
でも、琥珀の顔は無表情。黙って湯飲み茶わんをテーブルに置き、目の前にあったおせんべいに手を伸ばしている。こんな時におせんべいを食べる気なわけ?なんて暢気な…。
「本当なら、ハルは龍神を裏切ったのですから、罰が当たっても文句は言えない。それなのに、龍神はお赦し下さって、彩音のことも助けて下さいました」
「おばあ様、それは違うんです。龍神は別にハルさんのことを怒ったりしていません。だから、赦すも何も…」
私が慌ててそう言うと、
「そうだ。別に怒ったりはしていない。裏切られたとも思っていない」
と、琥珀はおばあ様に向かって偉そうに口を開き、そのあとおせんべいをバリっと食べだした。
甘いものは嫌いだけど、おせんべいは好きなの?それもゴマせんべいだと必ず食べるよね。ゴマせんべい好き?
「ですけど、龍神が怒って雷を落としたと聞いています」
「ああ、それは違う。怒ったからではない。稲妻というのは土地を元気にさせるのだ。土地を豊かにし、活力を与えたのだ。山火事が起きたのは稲妻のせいではない。あれは狐の仕業だ」
「狐?!」
彩音ちゃんのお父さんが驚いた声を上げた。おばあ様はいたって冷静。
「狐の妖ですか?」
おばあ様は冷静にそう琥珀に聞いた。
「そうだ」
琥珀は一言そう言うと、またおせんべいにかじりつき、そのあとお茶をすすった。なんだか、満足そうに見えるけど、やっぱりゴマせんべいが好きなのね?
って、私、ゴマせんべいのことはいいから、この琥珀の言葉遣いをもう少し注意しないと。
「琥珀。ちょっと言い方が偉そうなんだけど。彩音ちゃんのおばあ様に失礼だよ」
ぼそぼそっと隣で琥珀に言うと、
「は?」
と琥珀の眉間に皴が寄った。あれ?怒った?
「美鈴ちゃん、いいのよ」
彩音ちゃんが慌てたようにそう小声で言い、
「まあ、琥珀君は誰に対しても態度は変わらないから、あまり気になさらないで下さい」
と、おじいちゃんは彩音ちゃんのおばあ様にぺこっと頭を下げた。
「いやいや。別に気にしてはいないんですが…。彩音からも聞いています。琥珀さんは少しばかり人間離れしているとか。僕もお会いした時から、琥珀さんのオーラが他の人とは違うと感じていました」
「へえ。そういうのが見えるんですか」
おじいちゃんが彩音ちゃんのお父さんに聞いた。
「はい。はっきりとではないですが、オーラが強い人だなあと。今はまったく見えないですけどね」
「それは、すでに霊力を失ったからだ。彩音にあった霊力も消え失せた」
「やっぱり?私も琥珀さんの光が全く見えなくなって、どうしちゃったんだろうって思っていたんです」
「じゃあ、彩音は本当にもう、悪霊や妖に恐れなくてもいいんですね」
お父さんが琥珀に聞いた。
「そうだ。もう大丈夫だ。安心しろ」
琥珀は優しい表情になりそう告げた。彩音ちゃんのお父さんは、ほうっと安堵のため息をはいた。そして、その隣で彩音ちゃんのおばあ様はなぜか琥珀に手を合わせた。
「お母さん、何をしているんですか。琥珀さんに向かって手なんて合わせて」
「だって、琥珀さんはただものではないんでしょう?龍神の使いだったりするんじゃないかってそう思って」
「龍神の使い?」
琥珀がその言葉で、ぴくりと片眉を上げた。あ、もしや怒った?
「おばあ様、琥珀さんは龍神の使いなんかではありません」
それに気づいた彩音ちゃんが慌てておばあ様に小声でそう言い、
「ごめんなさい。琥珀さん」
と謝った。
「だったら、琥珀さんは何者?」
それまで静かに座っていた高志さんが、突然そう聞いてきた。その質問におじいちゃんが慌てたように、
「高志君っていったかな?それはその、色々と事情があってだね」
と誤魔化そうとしている。
「龍神の使いではない。その龍神だ」
うわ~~~!琥珀本人がまたばらした!なんだってそう平気で、大変なことを言っちゃうわけ?
「え?」
高志さんはキョトンとした。彩音ちゃんのお父さんは、疑いの目で琥珀を見て、おばあ様は目を丸くして琥珀を見た。
「あははは。嫌だなあ。そんなこと言われても信じられないよね?だって、こんなところで暢気におせんべい食べて、お茶を飲んでいるのが龍神だって言われてもねえ?だいたい龍神だったら、お社にも参拝者が来ているんだから、その願い事を聞くとかなんとか、もっと神様の仕事をしろよって感じだよねえ?」
そう言いながら、隣にいる琥珀の手をつっついた。そして横目で睨んで見た。
「美鈴、せんべいを食いながらでも、参拝者たちの願いは聞けるぞ。誰がどんな願いをしたか、すべてわかっている。そのくらい神ができなくてどうする?」
うわ~~~。もっととんでもないこと言い出した。
「と、とにかく!もし龍神だっていうなら、お社に戻って真面目に仕事してよね!おじいちゃんもそろそろ休憩を終わりにしたら?私も、お母さんの手伝いでもしに行かなくちゃ」
私はオタオタと立ち上がり、琥珀の腕もつかんで立たせようとした。
「ひゃっひゃっひゃ。琥珀さんは美鈴の尻にもう敷かれているのか。龍神を顎で指図するだなんて、美鈴もすごいのう」
ああ。こんな時にひいおばあちゃんがやってきた。また、わけのわかんないことを言い出しているし!
「もう!ひいおばあちゃんは余計なこと言わないでよ」
「ウメ。俺は美鈴の尻に敷かれているのか?」
琥珀がなぜか目を点にして、ひいおばあちゃんにそう聞いた。そんな琥珀の腕を持ち、
「ほら、琥珀、さっさと行くよ」
と私は居間を出て、琥珀を連れズンズンと歩き出した。そんな私と琥珀の後を追うように彩音ちゃんが来て、
「琥珀さん、美鈴ちゃん、本当にありがとう」
とぺこりとお辞儀をした。
「彩音ちゃん、高志さんとうまくいったみたいだね。良かったね」
「うん!」
私の言葉に彩音ちゃんは嬉しそうに頷いた。
「やっと彩音の笑顔は本物になったな」
琥珀はそんな彩音ちゃんの顔を見て、にこりと微笑んでそう言った。
草履を履いて玄関を出ると、
「美鈴、俺は姿を龍に変え、みんなの願い事を叶える。ここで姿を消すから、美鈴は一人で社務所に行け」
と、琥珀は龍の姿に変わった。
「願い事ってそんなにすぐに叶えられるの?」
「そうだ。まあ、実際実現するまでに時差はあるがな」
龍になった琥珀がそう言った。でも、龍が言ったというよりも私の内側から声が聞こえた感じがした。
龍の琥珀はそのまま空を舞い、すうっとお社の方に向かって飛んで行った。
ああやって、みんなの願いを聞き、叶えてきたのか。だから、時々姿が見えなくなっていたのねえ。
私には見える龍の姿。他の誰にも見えないんだろうな。もう彩音ちゃんも霊力を失っているから、けして琥珀の龍の姿を見ることもできないんだな。
彩音ちゃんたちは、お昼ご飯はどこかで食べて帰りますと、みんなでお父さんの運転する車に乗って帰って行った。
参拝客は夕方になってもなかなか引かず、社務所もいつもなら17時で閉めるところを18時まで開けて私と琥珀がお守りを売っていた。
「美鈴ちゃん、龍神さん」
参拝客がようやくいなくなった頃に、修司さんが荷物を持って社務所にやってきた。
「修司さん、もう帰るの?夕飯は食べて行かないの?」
「うん。そろそろ帰るよ。美鈴ちゃんの神楽、驚いたよ。みんな言っていたけど、まさに神が降臨したとしか思えなかったよ」
「実際、龍神と一体になり舞っていたのだからな」
琥珀がクールにそう修司さんに言った。
「あ、そうか。ははは」
修司さんはそう笑うと、
「龍神の琥珀さんには世話になったよね。ありがとう。それから、俺は9月からニュージーランドに行くから、もう美鈴ちゃんに会うのもこれが最後かな」
と、すぐに真面目な顔つきになった。
「うん。そうだね」
「神様の世界で幸せになってよ。俺も日本に帰ってきた時には、山守神社に参拝に来るからさ」
「うん。ありがとう。修司さんもニュージーランドで頑張ってね」
「おう!お守りもさっき買ったから、これ持って頑張ってくるよ」
「琥珀のパワーが入ったお守りだから、強力だよ」
「ははは。そうだね。神様直々のパワー入りだね」
修司さんは笑いながら、社務所から去っていった。
「修司は、これから海外でいろんなことを学び、神職となる」
「え?修司さん、神主になるのは嫌だって…」
「ふ…。人間とは不思議な生き物だ。色々な経験をして、本当の目的を見つけたりするのだ」
「じゃあ、もしかして修司さんは、神主になる運命なわけ?」
「神門家の人間だからな。少しばかり外国に出て、修業が必要なのだ」
「じゃあ、牧場で働かないの?」
「いいや。働く。動物に対しての愛情もしっかりと持つことになるだろう。一回りも二回りも器をでかくして戻ってくる」
「そうなんだね」
人生何が起きるかわからないんだ。今の修司さんは、自分が神主になることなんて知らない。希望を胸にニュージーランドに行くんだよね。
未来のことは誰にもわからない。わかっているのは神様だけかな。
人間だったらわからないことだらけだけど、だからこそ、もしかして人生は面白いのかもしれない。




