第70話 神楽で浄化する
彩音ちゃんは、どのくらいのものが見えているのかな。精霊たちは光が見えるって言っていた。琥珀の周りの光も見えているみたいだし。もしや、あーちゃんたちも見えるのかな。山吹は?
「ねえ、彩音ちゃんは例えば、ここにいる狛犬の姿とか見える?」
「石像の?見えるけど。どうして?あれはもしかして、他の人には見えていないの?」
「石像じゃなくって、白くてモフモフした犬みたいな…」
「見えないけど、美鈴ちゃんには見えるの?私は見えるのは、キラキラした妖精みたいなのと、琥珀さんの周りの光と…。あ、前に白っぽいものが見えたことはあるけど、あれがそうだったのかなあ?」
「ここにいるのは見えない?」
今、社務所の前に来て、
「美鈴様、ご無事で何よりです」
と騒いでいるんだけど。
「見えないけど…。いるの?」
社務所の中を彩音ちゃんはキョロキョロと見た。
「あ、社務所の外に来ているんだけど。そうか、見えないか。あ!じゃあ、あれは?」
ちょうど、山吹もやってきた。尻尾を振りながら、
「美鈴様~~~」
となんと社務所の中まで通り抜け、私に抱き着いてきた。
「美鈴様が危ないって、狛犬様のところに精霊がやってきて…。助けに行こうとしたのですが、この境内から出られないと聞いて、いてもたってもいられず!」
「わかった、わかったから。えっと、彩音ちゃん、これは見える?」
と、山吹の頭を撫でながら聞いてみた。
「何かいるの?」
見えないのか。じゃあ、やっぱり山吹の話はしないでもいいよね。
「山吹!社務所の中にまで入るとは!美鈴様の仕事の邪魔をするのではない!」
うんちゃんが山吹の尻尾に噛みついた。
「ギャヒン!」
「うんちゃん。ダメ」
「クウン。ですが…」
私は噛まれた山吹の尻尾を撫でてあげた。ああ、なんてふわふわでモフモフ!
それから、うんちゃんの頭も撫で、
「心配かけてごめんね、うんちゃんもあーちゃんも、ありがとうね」
とそう言った。私の足元にあーちゃんも来ていた。あーちゃんの頭も撫でた。
みんなは満足そうに社務所の壁を通り抜けていった。
「美鈴ちゃん。何がいたの?狛犬?うんちゃんとか、あーちゃんとか言っていたけど」
「うん。狛犬のあーちゃんとうんちゃん」
「見えるのね、美鈴ちゃん」
「うん」
「そう。もう、そんな力があるのね」
「もともとあったんだ。子どもの頃も狛犬と遊んでいたの。ただ、そのあと龍神の加護で力を封印されていて見えなくなったんだよね」
「もともと、それだけの力があったのね。それはやっぱり、龍神のお嫁さんになるから」
「うん」
彩音ちゃんは静かに俯くと、
「そうか。私ではなかったんだ」
と呟いた。
「こんなこと言うの、本当に申し訳ないと思うんだけど」
私は黙り込んだ彩音ちゃんに話しかけた。自分の願い事を勝手に聞いたってわかったら、怒るかな。だけど、ちゃんと彩音ちゃんの本心を本人からも聞きたい…。
「琥珀は龍神だから、神社でお参りに来た人の願い事が聞こえるんだよね」
「それって、私のもっていうこと?」
「うん。彩音ちゃんは、普通の生活を望んでいたって…」
そこまで言うと、彩音ちゃんは顔を上げて私を見た。
「そうだよ、美鈴ちゃん。だって私、色んなことを我慢してきたんだもの。そして諦めてきたの。もうずうっと…」
彩音ちゃんは目と鼻の頭を赤くさせ、泣くのを我慢しているようだった。
「この痣のおかげで、修学旅行に行くのもやめた。お母さんに変に思われるから、怖いものが見えても黙ってた。友達ができても、泊りに行ったり、旅行にも行けなかったし、そんなに深くは仲良くなれなかった。いつも表面だけ…」
彩音ちゃんはまた下を向いた。
「高志君は違ってた。いつも優しかったし、私の変なものが見えちゃう体質なのもわかっていた。高志君もちょっと霊感があるから、私の言う事も信じてくれたし、怖がったりもしなかったの」
「そうなんだね」
「高志君が、なんとなくだけど、私を好きなのかなって思ったことがあるけど、私は幼馴染の一線から超えないようにしてた。だって、好きになってくれても、どうしようもないんだもん。痣のことは言えなかったし見られたくなかったし、万が一付き合っても、その先の未来がなかったから」
「未来がないっていうのは、結婚とか?」
「そう。子どもを産む気はなかったから。なんだって、私をお母さんが産んだのかわからなかった。だって、お父さんだって霊感があって、怖い思いを子どもの頃はしたって言ってたから。そんな思いを子どもにもさせたくないって、どうして思わなかったんだろう」
「彩音ちゃん」
彩音ちゃんは私が思うよりもずっと辛い思いをしたんだ。私が琥珀に護られてぬくぬくとしている間ずっと。
「だから、普通が一番羨ましいの。家族に大事にしてもらっている美鈴ちゃんも羨ましかった。友達もいて、仲良くて、それに琥珀さんに護られてて…。私にないものをいっぱい持っていて…」
彩音ちゃんの目からポトッと涙が落ちた。
「結婚もできるし、子どもも産んで大丈夫だよ。琥珀が彩音ちゃんの霊力も消すし、邪気も消してくれるから」
私まで涙が出そうになった。でも、なんとかそう言って彩音ちゃんの肩を抱いた。
「本当?私、高志君の気持ちに応えていいのかな。高志君を好きになってもいいのかな」
「高志さんを好きなんだよね?もうすでに」
彩音ちゃんは私を見て頷いた。そしてまた、目から涙をポロポロと流した。
「好きになっても、どうしようもないってずっと我慢していたの」
そう言うと、とうとう声を上げて彩音ちゃんは泣き出した。
彩音ちゃん、その気持ち、痛いくらいわかるよ。
自分の気持ちをずっと抑え込んで、本当の望みも捨てて、琥珀なら護ってくれるとそう思ったんだね。
「大丈夫だよ。彩音ちゃんは、本当に望む幸せをちゃんと手に入れられる。きっとお母さんも変わるよ。友達もたくさん出来るよ。もっともっと、幸せになっていいんだから。もう我慢なんてしないでもいいんだから」
私も彩音ちゃんと一緒に泣いてしまった。
そこに里奈が戻ってきた。二人が泣いて抱き合っているのを見て、かなりびっくりしていたが、
「そんな泣いていたら参拝者がびっくりするよ。ここは私が見ているから、休憩室に二人で行ってきなよ」
と言ってくれた。
私と彩音ちゃんは、休憩室に入り込んだ。思いきり私は鼻を噛み、彩音ちゃんは懐からハンカチを出して涙を拭いた。ああ、思いきり鼻を噛んだりはしないのね。女らしいなあ。
こういうところに差が出る。私ってやっぱりガサツだ。でも、こんな私でもいいんだよねえ、琥珀は。
そんなことをボケッと思っていると、彩音ちゃんが私をじっと見て、
「私ね、本当はわかっていたの。美鈴ちゃんが龍神の嫁に選ばれるだけのオーラを持っていること」
と言い出した。
「私のオーラ?」
「うん。琥珀さんに近いの。でも、美鈴ちゃんのほうが柔らかくって、優しいの。すごく癒されるの」
「そんなオーラ出してるの?自分じゃわかんないけど」
「出ているのよ。最近じゃなくて昔から。特に天女の舞の時は、とてつもない光が出ていたの。私じゃ無理だってわかってた」
とてつもない光ってどんな?想像できないんだけど。
「なのに、今の苦しみから逃げ出したくて、琥珀さんに助けてほしくて…。だから、龍神のお嫁さんになりたいなんて思っちゃったの。でも、琥珀さんが龍神だって知らなかった時は、美鈴ちゃんが龍神の嫁にならなくちゃいけないのは、可哀そうって思っていたんだ」
「可哀そうなことじゃないよ。ちっとも…」
「そうだね。美鈴ちゃん、琥珀さんのことが大好きなんだもんね」
う。そう言われて思わず顔が火照ってしまった。
「ふふ。真っ赤になってる」
彩音ちゃんが笑った。
「でも、おばあ様から笹木ハルのことを聞いて、美鈴ちゃんのことを犠牲にはできない。なんて、なんだか正義の味方にでもなった気になっちゃった。バカだったなあ、私。そんな力もなかったのに」
「彩音ちゃんはちゃんと自分の好きな人と幸せになったら、それが一番なんだよ」
「そうだね。美鈴ちゃんも自分が大好きな人と結ばれて幸せなんだもんね」
その言葉にまた、顔が火照りまくった。結ばれたって、そういうことをしてしまったこともバレたってことかな。
「それに、琥珀さんは本当に美鈴ちゃんのことを大事に思っているもんね」
「それを言ったら高志さんだって。彩音ちゃんのことを大事にしているの、見てわかったよ」
「うん。私も気づいてた」
ああ、そうですか。惚気かな。
「その気持ちをわかっていながら、無視してたの。でも、ちゃんとその気持ちに応えるね」
「え?うん!そうだよ。高志さん、喜んじゃうよ」
「ありがとう、美鈴ちゃん。琥珀さんにもお礼を言わないと」
「うん。でも、ちゃんと霊力を消して、邪気も浄化してからでいいと思うよ?」
「そうだね。明日、ちゃんとお礼を言う」
彩音ちゃんの顔はすっきりとしていた。良かった。
さあ、あとは明日、神楽を舞って、琥珀が浄化をするだけだ。それだけで、もうすべては解決だよね。
と、その時は暢気に思っていた。里奈に任せ、彩音ちゃんとお茶をすすりながらお饅頭まで食べてのんびりしていた。
翌朝、早くにみんなは起き、静かにさっさと朝食も済ませ、お祭りの準備に取り掛かった。
掃除はまた琥珀が一気にしてくれた。あーちゃんも、うんちゃんも、山吹も張り切って掃除をした。
そして、バイトの人もみんな早めに来てくれた。今日はバイトもみんなが総出で来てくれたし、綺羅ちゃんも真由も手伝いに来てくれた。
私と彩音ちゃんは神楽を舞うため、神楽殿へと移動し、そこに彩音ちゃんのお父さんとおばあ様、そして高志さんがやってきた。
「彩音、これから神楽を踊るんだな」
「うん。お父様、おばあ様、見に来てくださってありがとう。それに高志君もありがとう」
「初めて見るから、緊張しているよ」
お父さんは見るからに緊張をしているのがわかった。その隣でおばあ様は、少し心配しているようだった。
「美鈴ちゃんは、天女の舞を舞えるのよ。それはこの山を浄化してしまうほどの力があるの。だから、私も浄化してもらえるの。おばあ様、お父様、心配しないでね」
「美鈴ちゃんにはそんな力があるのね」
おばあ様が一言そう言って、なぜか私の手を取って頭を下げた。
「あ、あの、お任せください。彩音ちゃんならもう大丈夫ですから」
私も頭を下げた。
「高志君、神楽が終わっても帰らないでね。少し話したいことがあるから」
「うん。もちろんいるよ。どうせなら、一緒に帰ろうと思っているし」
「良かった。じゃあ、もう行くから」
彩音ちゃんはみんなに手を振った。私もペコリとお辞儀をして神楽殿に入った。
準備は整った。雅楽の音が聞こえ、私と彩音ちゃんは舞を始めた。
琥珀が見えた。私を見守ってくれているだけじゃない。琥珀のエネルギーをなぜか直に感じた。ああ、一緒にエネルギーを飛ばして舞っているんだ。
考えるのをやめて、無になった。
琥珀の大きな光と同化した。
何も考えず、ただただ音に合わせて体が動いた。風になった。音になった。空になった。空を飛んでいる鳥になった。
そして私は、ただその空間そのものになった。私の姿が消え、時間が止まり、大きな意識そのものになっていた。




