第65話 龍神の力が全力になった
しばらくみんな黙っていたが、
「あ!こんな時間じゃないの!」
と時計を見たお母さんが驚いていた。
「社務所の掃除をしなくっちゃ。それに、悠人も美鈴も掃除をする時間よ」
「待て。慌てるな。話はまだ終わっていない。彩音の話が済んでいないのだ」
「でも、ゆっくりとしていたら参拝客が来ちゃうかもしれない。今日は雨も降っていないし」
「いいから座れ。掃除なら俺がする。俺の霊力も完全になっているから、あっという間に境内の穢れは取れる」
「穢れだけじゃなくて埃とか、チリとか…」
「その辺は精霊や、神使に任せよう。手水の掃除などは山吹がしている」
「狐が?」
「ああ。しっかりと働いているから安心しろ」
「琥珀君の力が全力になったと言うのか?」
ひいおばあちゃんが聞いた。
「そうだ。だから、彩音の闇を浄化させられる」
「今まではできなかったのか」
「ああ。痣は消えても、また彩音が暗い考えを持ったり、かつての山吹のような妖の力を帯びたりすると、また痣が現れ苦しめられることになっていた」
「痣が体にできると、苦しいの?彩音ちゃんはそんなに苦しんでいたの?」
おばあちゃんは顔をしかめて琥珀に尋ねた。
「苦しかったり、痛かったこともあるだろう」
「彩音ちゃんは今まで、一人でそれを抱えていたの?可哀そうに」
お母さんもそう言うと、下を向いて黙り込んだ。
「でも、琥珀君なら彩音ちゃんを救えるんだね?」
「そうだ、悠人。今の俺なら出来る。明日の神楽を美鈴の隣で舞うだけでも、前よりも浄化できる。それだけでも、まだ悪霊や妖が憑りついたままなら、俺が一気に浄化させる」
「琥珀君、いつ龍神の力が全力になった?」
ひいおばあちゃんは、鋭い眼光でそう聞いた。
うわ。待ってよ、琥珀。私と琥珀が昨晩結ばれたとか言い出さないでよ。そんなこと言ったら、お母さんがまた怒りだす。
「昨日だ」
ああ!あっさりと言ってくれた!!!
「ほう。それで、美鈴も狛犬が見えるのか」
「それは数日前からだ」
「それは、つまり琥珀君が一人前の龍神になったからということだな?」
「そうだ」
琥珀~~~!そんなにはっきりと言っちゃったら、みんなに二人がすでに祝言を挙げたってバレちゃうよ!
「そうだったわ。彩音ちゃんの話とか、狛犬とか狐の話ですっかり誤魔化されるところだったわ」
お母さんがまた、フルフルと震えながら琥珀を睨みつけた。
「私は大事な娘を、簡単に龍神にあげたりしませんからね」
「朋子さん、もうやめなさい。ひいばあは琥珀君が龍神で良かったと思っているぞ」
「なんでそんなこと思えるんですか。無責任ですよ」
お母さんはひいおばあちゃんにも、怒りをあらわにした。
「お母さん、僕も良かったと思っているよ。美鈴が辛い思いをしていたのを知っているから。お母さんもうすうす気が付いていたんじゃないの?」
「何をだって言うの?悠人。美鈴が辛い思いをしていたのは、龍神の嫁になるからでしょ?」
「はあ…。お母さんは知らなかったの?そんなことないよね。美鈴はずっと琥珀君のことが好きだったんだよ」
「そうじゃ。琥珀君が神使だと信じて、琥珀君とは結ばれないと言うことをずっと美鈴は嘆いていたのだ」
「それを信じ込ませたのはウメ本人だろう。まったく、余計なことを美鈴に言いやがって」
そう琥珀が言うと、ひいおばあちゃんは、さて、なんのことじゃ?とそっぽを向いた。
「もうろく婆。14年前にウメは俺と会っているからな!その時に龍神だってことも、美鈴がバラしたんだ。龍神の琥珀のお嫁さんになるのと、その場にいたウメにも美鈴が言ったのを忘れたのだろう?」
「そんなことを聞いていたわけ?ひいおばあちゃん」
悠人お兄さんがひいおばあちゃんに聞いた。他のみんなもびっくりして、ひいおばあちゃんを凝視している。
「忘れたなあ」
「あ!私は今記憶が蘇ったよ!そうだ。私、琥珀と遊んでいて、そこにひいおばあちゃんが来て、私に琥珀のことを誰だ?と聞いてきたから、龍神で私は琥珀のお嫁さんになるのって、そう紹介したんだ。ひいおばあちゃんは、目を丸くして驚いていたけど、琥珀に迎えに来るのがまだ早いと、そんなことを言っていたよね?」
「ひいばあが?そんなことをわしが言ったのか?」
「覚えていないの?」
「もうろくしているからなあ、忘れたなあ」
「ふん!こんな時だけもうろくしているなどと、調子のいいことを。まあ、仕方あるまい。もうろくしているのは事実だからな」
琥珀は呆れたように笑った。
「美鈴はそんな子どもの頃から、琥珀君のお嫁さんになることを決めていたのか?」
「うん。悠人お兄さん、その記憶は私の霊力を封印した時に、一緒に封印されたみたいで、ずっと忘れていたの」
「そうか。それでも、琥珀君に惹かれたんだね」
「当然だ。龍神の嫁になるために生まれたのだからな」
「そうか。美鈴はずっと琥珀君のことが好きで、悩んでいたのか」
お父さんが心なしか元気のない声でそう言った。
「私も美鈴が琥珀君を好きなことは知っていましたよ。最初から、修司さんよりも琥珀君に気があるんだろうなって。でも、琥珀君が冷たい態度で、まるで美鈴に興味がないように見えたし、美鈴は辛い恋をしているんだっていうこともわかっていましたよ」
「だったら、美鈴の思いが叶ったわけだから、喜んであげるべきなんじゃない?お母さん」
「悠人、それでも美鈴は誰も知っている人がいない、そんなところに行くことになるのよ。私たちとももう会えないのよ。それも、龍神は500年も生きるんでしょ?美鈴の方が先に年を取って、先に死ぬことにもなって…」
「それはない。向こうの世界では美鈴も年の取り方が変わってくるし、龍神とその嫁は、同じ年月を生きる。死も同時に来るからな」
「そうなんだ。それはずっと生涯一緒ということかい?」
「そうだ。二人で一対なのだ。おやじとおふくろも、向こうでは本当に常に一緒にいる」
お父さんの質問にそう琥珀が答えると、次に悠人お兄さんが、
「お千代さんも、向こうで幸せに暮らしているってこと?」
と聞いてきた。
「そうだ。仲のいい夫婦だ。おふくろは人間でいた時と、外見はほとんど変わっていないぞ」
「そうなんだ。へえ。じゃあ、美鈴も琥珀君と向こうに行っても、仲良く暮らしていくってことだね?お母さん、お母さんは娘の幸せを願っていたんだよね?じゃあ、美鈴が幸せになるのだから、やっぱり祝福するべきだよ」
「悠人はなぜそんなに簡単に言うの?なんでそんなに物分かりがいいわけ?」
「簡単ではないよ。美鈴に会えなくなるのは悲しいよ。でも、やっぱり僕は美鈴が幸せになることを一番に願っているんだ。美鈴が本当に琥珀君を好きなのは知っていたし…。琥珀君が龍神だったら、それが一番だと僕はずっと思っていたからね」
「そうなの?お兄さん」
「うん。ただ、琥珀君も美鈴を大事に思ってくれるという約束をしてくれるならね」
「もちろんだ。美鈴が大事だ。当然だろう?俺の嫁なのだから」
琥珀は間髪いれずそう答えた。
「そう言えば、最近の琥珀君は美鈴に優しかったのう。とっても大事にしているのを見て伺えた。美鈴が呼べばすぐに飛んできて、美鈴を護っていた」
「当然だと言っただろう、ウメ」
その言葉を聞き、
「朋子、琥珀君なら大丈夫だ。美鈴も幸せになれる」
とお父さんがお母さんに言った。
「……でも、すぐに美鈴を連れていかれても、こっちの心の準備も何も出来ていません」
お母さんはすでに涙目だ。
「大丈夫だ。まず笹木家の土地にある神社の再建までにも時間はかかるし、山吹の修業もまだ時間がかかる。あと数か月はこちらにいる」
琥珀は穏やかな表情で、お母さんにそう静かに言った。
「数か月っていつまで?」
悠人お兄さんの質問に、
「そうだな。秋ごろまでだろうな」
と琥珀は答えた。
「秋…。そんなに早く」
お母さんはまだ目を潤ませている。
私ももらい泣きをしてしまい、目をうるうるとさせてしまった。そんな私を琥珀は優しく見た。
「美鈴の未練があるうちは、向こうには行けない。無理に連れていくことはしないから安心しろ」
その言葉は私への言葉というよりも、お母さんやみんなに対しての言葉だったようだ。なんとなくみんなから、安堵ともとれるような、寂しいともとれるようなため息が聞こえた。
でも一人だけ、顔つきも目つきも違う人がいた。ひいおばあちゃんだ。ずっと黙っていたけれど、私をじいっと鋭い目で見つめていた。
あ、そうか。もう私と琥珀が結ばれたっていう事を、ひいおばあちゃんだけは気づいているんだ。
うわ!涙ぐんでいたのに、一気に涙が引っ込んだ。
「あ、そろそろ、社務所に行かなくちゃ。もう8時半だよ」
私はこれ以上ここにいたらやばい気がして、そうみんなに告げた。
「そうね。さすがに準備をしないとね」
お母さんは目を手でこすり、元気に立ち上がった。みんなも、
「本当だ。支度をしないとなあ」
と居間を出て行った。
ひいおばあちゃんが玄関までゆっくりと歩いてきたから、私はひいおばあちゃんが話しかける前に慌てて草履をはき、
「行ってきます」
と家を出た。琥珀はいつの間にかいなくなっていた。
ああ。ドキドキした。琥珀が龍神だってみんなにバレた。それも、ひいおばあちゃんは二人のことにも、きっと勘付いた。
境内を掃除をするでもなく歩いていると、琥珀が隣にいきなり現れた。
「あ、びっくりした」
「周りを見てみろ。昨日と違っていないか?」
「え?」
顔を上げ周りを見た。確かに、色鮮やかになり、遠くまで見通せた。それに、精霊以外の不思議なものまで見えたり、何やらこそこそと話をしている。
よく聞くと、
「龍神の嫁よ」
「挨拶しておく?」
という話声だった。
「あれは、何?」
私も小声で琥珀に聞いた。
「この世に遊びに来ている神もいれば、妖精もいる。妖の類は俺の結界が強くて近寄ることもできないがな」
「じゃあ、変なものではないわけね?」
「そうだ。お前と仲良くなりたいものや、挨拶を交わしたいというものが寄ってきている」
「そうなんだ」
「まあ、挨拶されたら、挨拶を返せばいい。それよりも、他に何か変わったことはないか?」
「えっと?遠くまで見えるようになった」
「きっと、耳もよくなったはずだ。もし、あまりにも音が大きく聞こえたり、話声がうるさいようなら、それも調節ができる」
「え?そんなことも出来るの?」
「最初のうちは狛犬たちか精霊たちに頼め。なんでも、聞いてくれるぞ。他には?」
琥珀がまた聞いてきた。他にって何かな。琥珀を見た。
「琥珀が前にもまして、かっこよくなった。いや、美しくなった?」
「はあ?!そんなことは聞いていないし、俺は変わらん。変わったとしたらパワーが大きくなったくらいだ」
「それでかな。琥珀がまぶしいくらいカッコいいんだけど」
あれ?琥珀が赤くなったよ?
「そ、そういうことは言わんでもいい。まあ、何か気づいたことや困ったことがあれば、俺か狛犬たちに言え。じゃあ、もう社務所に行くか」
「うん」
でも、本当に琥珀かっこよくなったんだけど。琥珀の周りに光が溢れ出していてまぶしいし、神々しさも増したし。
それとも、旦那さんになったから、私の見る目は変わったとか?なんてね。
ああ、自分で旦那さんとか言っちゃって、恥ずかしい!
照れながら社務所に行ったから、すでに巫女の衣装に着替えた里奈が、
「おはよう。どうした?真っ赤だけど。熱ある?」
と聞いてきた。
「おはよう、里奈、今日も早いね。っていうか、ほら、蒸し暑いから火照っているだけだよ」
なんとかまた、暑さで誤魔化した。
「そうだよね。今日天気良くなりそうだし、気温上がるよね。この衣装、夏場やばいよ」
「うん。水分補給だけはしっかりね」
「わかっているけど。美鈴こそ、明日お祭りで神楽舞うの?大丈夫?」
「うん。もうすっかり元気だよ」
「良かった。でも、暑いんだし無理しないでね」
「ありがとう」
さすが、里奈。ちゃんと気遣ってくれて嬉しいな。
「それから、修司さんも最近見かけないけど、まだ具合悪いの?寝込んでいたんだよね?最近、夏風邪流行ってるの?」
「修司さんも元気になったの。でも、神主になるのやめたから、今日も朝寝坊。きっとまだ寝てる」
「とうとうやめたんだ!そりゃ、あんなちゃらんぽらんじゃ務まんないよね」
「うん。最初から神主になる気もなかったし。9月にニュージーランドに行くらしいよ。お父さんにもようやくわかってもらえたみたい」
「ニュージーランドに?なんでまた」
「牧場の勉強をしに行くんだって」
「またそんな、とんでもないこと言って大丈夫?すぐに飽きるんじゃない?」
「大丈夫。本当は案外素直だし、真面目だし。ちょっと自暴自棄になっていただけだと思うよ。自分のやりたいことを親に反対されて」
「それで女遊びして、憂さ晴らししていたの?最低」
どんなに言っても、里奈から見たら最低人間に見えちゃうわけね。まさか、妖に憑りつかれていたなんて言っても信じないだろうな。
だけど、いつか里奈には私が龍神のお嫁さんになることも話す時が来るよね。神門家に嫁に来るんだもん。その時、里奈はどんな反応をする?そして、その時まで私はここにいるのだろうか。




