第58話 山吹の修業
琥珀は山吹の修業の様子を見に行くと言うので、私も一緒に見に行くことにした。
「狛犬たちに頼んだんだが、ちゃんとしごいているかどうか」
「え?あーちゃんとうんちゃん、そんなこと出来るの?」
「美鈴はちゃん付けで可愛らしく呼んでいるが、あいつら俺よりも長く生きているぞ。もうこの神社に仕えて200年にはなる。親父の時にもいたからな」
「え~~。そんなに?っていうか、琥珀のお父さんの神使だったら、一緒に向こうの世界に行かなかったの?」
「狛犬たちは神社に仕えている。任期はある。それを終えれば代替わりをするが、引退をした後に神の世界に呼んで、ゆっくりと過ごす」
「へえ」
「まだ美鈴と一緒に遊ぶのが好きな、子どもの部分もあるからなあ。多分神社の使いとしては若い方だろう。他の神社には500年も仕えている神使もいると聞く」
「すごいね。びっくりだ。じゃあ、途中で狛犬の代替わりがあったっていうことか」
「そうだ。まだ若い方だから、ちゃんと山吹をしごけているかどうか心配だな」
修業って何をするのかしらと思いながら琥珀の後に続いて行くと、狛犬の石像をゴシゴシとたわしで洗っている山吹が見えた。狐ではなく人間の姿をしている。でも、耳と尻尾はある。それも、私よりも幼くも見える。
「あいつら、まずは自分の石像を磨かせているのか」
琥珀は呆れたように笑った。
「山吹」
琥珀が近づくと、
「琥珀さん!助けて下さいよ。あの狛犬ども、めっちゃ怖いですよ」
と山吹が敬語で話しかけてきた。
え~~~~。何この態度。前の偉そうな山吹はどこに行ったの?敬語まで使っているなんて。それに、目つきは狐だけど、なんだか見た目も可愛いかも。
「ふん。俺は知らん。お前の指導はあいつらに任せている。それから、狛犬どもだなんて言っているのが聞こえたら、ますますしごかれるぞ、いいのか」
「そんなのごめんだよ。それになんて呼べばいいんだかもわかりゃしない」
山吹はいきなり態度を変え、ふてくされたようにそう言い捨てた。
すると、そこにあーちゃんが走ってやってきて、
「山吹!狛犬様、もしくは先生か師匠と言え!」
と命令した。そしてうんちゃんも来ると、
「山吹、琥珀様にその言葉使いはなんだ!なってないぞ!」
と、なんと山吹に小さな稲妻を落とした。
「ギャヒン!」
小さな稲妻とはいえ、電流が体に走り、山吹は可哀そうに痛がっている。もしかして、これを朝からやられているのかしら。この雨の降る中、ずうっと掃除をさせられていたのかしら。
っていうか、これが修業?
「なるほど。ちゃんとしごいているようだな」
「はい。琥珀様、お任せください」
あーちゃんが琥珀に頭を下げた。琥珀には絶対服従なのかしら。
「まあ、励め、山吹。頑張って早くに尾を増やせ。そうすれば早くにおふくろにも会えるぞ」
琥珀が優しくそう山吹に言った。
「そ、そうだよね。山吹、大変だとは思うけど頑張ってよ。私も応援しているから」
そう言いながら、私は何気に痛がって丸くうずまっている山吹の頭を撫でてしまった。あ、しまった。こんなことをして山吹が嫌がる?
「美鈴…」
山吹は私の顔を見て、なぜか目をうるっとさせた。
「美鈴様と呼べ!山吹」
うんちゃんがまた稲妻を落としそうになった。思わず私は、
「うんちゃん!ダメ!」
と叱ってしまった。
「キュ~ン」
うんちゃんが私の前で頭を下げ、悲し気に泣いた。あちゃ。つい叱ってしまった。
「そういうのはあんまり良くないと思うの。やっぱり、褒めて育てなくっちゃ」
「はっはっは。妖に褒めて育てると言うのか。面白いなあ、美鈴は」
ああ、琥珀に笑われた。
「だって、私も怒られたり、痛い思いをしたらやる気なくすもん。お母さんにブーブー言われると、ほんと、気持ちがすさんじゃうの。でも、おばあちゃんだと優しい言葉をかけてくれるの。お父さんも褒めてくれる。そっちの方がずうっと嬉しいしやる気が出るの」
そんなことを言うと、あーちゃんもうんちゃんも困った顔をした。
「狛犬たちは褒めるなんていうことをしたことがないだろう。困っているぞ。それに今、美鈴も吽を叱ったではないか」
「あ、そうか。ごめんね、うんちゃん。うんちゃんもあーちゃんも頑張って山吹をしごいていたんだよね。でも、ちょっと方向性を変えて見たらどうかなあ?」
「じゃあ、美鈴も山吹の修業を見ることにしたらどうだ?」
「私が?何をしていいかもわからないのに?」
「何をさせるべきか、それは阿吽に任せ、一緒に山吹の修業を見守っていたらどうだ?」
山吹を見たら、尻尾をグルグルと振っていた。2個ある尻尾を両方とも振っている。あの尻尾、ふさふさしていて、顔とかうずめたら気持ちよさそう。
「そうね。あーちゃんとうんちゃんがいいなら」
「私たちでしたら、まったく問題ありません」
あーちゃんはすぐに元気に返事をし、うんちゃんも尻尾を振って喜んでいるようだ。
「わかった。山吹もいいかな?」
山吹は思いきり頷いた。
あの怖い妖狐とは思えない。なんだか、すっかり可愛い狐になっちゃったなあ。頭を撫でた時もふわふわして可愛かったし。
「美鈴は巫女の仕事もあるから、合間、合間に見に来たらどうだ?」
「そうだね。そうする。時々様子を見に来るね」
山吹は掃除を再開した。さっきよりもやる気が出ている様子だ。狛犬たちは自分の仕事があるのか、どこかに消えてしまった。
私はしばらく琥珀と一緒に山吹の働きを眺めていた。
「琥珀、勝手に山吹の頭撫でたりしてごめんね」
「なぜ謝る?山吹も嬉しそうだったぞ。なあ?山吹」
山吹は私たちを見ると、嬉しそうに尻尾を振った。
「龍神の神使ということは、龍神の嫁にとっても神使なんだぞ、美鈴」
「私にとっても?」
「そうだ。山吹もその辺はわかっているよな?美鈴のことはちゃんと美鈴様と呼んでくれよな?」
「はい」
山吹は素直に頷いた。
「そうなんだ。私の神使…」
ちょっと嬉しい気もするけど、いったい神使が何をするかもわかっていない。とりあえず、あのふさふさの尻尾とか触ってもいいのかな?今度聞いてみよう。
「精を出せ、山吹」
「はい」
山吹は真面目に掃除を始めたから、私たちはとりあえず家に戻ることにした。
居間に行き、おばあちゃんにお茶を出してもらい、私はついでにお饅頭も食べた。
「びっくりしたなあ。山吹のあの態度。そんなにあーちゃんたちは怖かったのかなあ」
「ははは」
琥珀は笑うと、
「真面目に働きだしたのは、美鈴のためだ」
と私を優しく見た。
「私のため?」
「美鈴のことが一気に好きになったのだ」
「好かれても困るよ」
「なぜだ?好きになり、信頼関係を持ち、主従関係が生まれる。狛犬たちも美鈴が大好きだろう?」
「そっか」
「何の話じゃ?美鈴」
そこにひいおばあちゃんがやってきた。
「山吹の修業の話だ。真面目にやっているから大丈夫だ」
「そうか。さすがだな、琥珀」
「もうろく婆、いい加減呼び捨てはやめろ。そのうちに狛犬や山吹に怒られることになるぞ」
「ひゃっひゃっひゃ。そんな姿も見えぬものたちに、ひいばあが怒られるのか?なぜわしが若造の琥珀を呼び捨てにしてはならんのだ?」
「俺はもうろく婆より年が上だ。これでも100歳なんでな」
「なんと!!!若作りをしているのか?」
「別に若作りをしているわけじゃない」
琥珀が思いきり顔をしかめた。ひいおばあちゃんはまだ目を丸くしている。相当びっくりしたのかな。それも琥珀はお千代さんの子で、龍神なんだよなんて言ったら、もっとびっくりするよね。
「ちょっと、部屋で休んでもいいかな」
「どうした?疲れたか?美鈴」
琥珀が心配そうに私に聞いた。
「随分と琥珀は美鈴を大事にしているのう」
「琥珀様と呼べ。それから、大事にしているのは当然だ。美鈴は龍神の嫁になるのだからな」
「琥珀!私、もう部屋に行くね。じゃあ、ひいおばあちゃん」
それ以上話をしていて、うっかり琥珀が龍神とバレては大変とそそくさと部屋を出た。琥珀もやっぱり私と一緒についてきた。
「ああ、心臓に悪い」
部屋に琥珀も連れて入ってから、ほっと溜息をついた。
「心臓に?何かあったか?」
「だから、琥珀が龍神だってバレたらと思ったら」
「いずれ話す時が来る」
「そうだけど…。うん、そうだよね。話さないといけないよね」
みんなはどう反応するのかな。反対するかな。
「はあ。お母さんには話しづらいな」
「なぜだ?朋子も言っていただろう。娘の幸せを一番に思っていると。俺と結婚を美鈴が望んでいると知れば、祝福するに決まっている」
「そうは言っても…」
理屈じゃないじゃない。そういうのって。私には子どもがいないからわからないけど、もし娘がいて、龍神と結婚するとなったら、そうそう簡単に祝福は出来ない気がする。
「まだ、美鈴の方に未練があるのだな」
「私に?」
「母親や家族と離れるのが辛いか?」
「……うん。会えなくなるのは悲しいかも」
なんだか涙が出そうになった。そうか。悲しいと思っているのは私なんだ。
「この世界は鏡のようなものになっている。自分で思っているものを引き寄せる。悲しみがあれば、母親の中の悲しみを引き寄せる」
「そうか…」
「まあ、母親の中にある悲しみも、美鈴は拾いやすい。何しろ相手の気持ちに同化しやすいからなあ」
「私が?」
「そうだ。そういう能力があるのだ。だから、人の気持ちを思いやれる」
「そんなに私、優しくないよ」
「山吹にも優しい言葉をかけたくせに。まさか、狛犬たちに褒めろと言うとは思わなかったぞ。はははは」
「だって、私だったらあんなふうに、痛い思いをさせられるのは嫌だもの。絶対にやる気なくすもん」
「そうか。人の痛みを自分の痛みと感じられるのが、美鈴の良さだ」
「そうなのかな」
「自分ではわからないかもしれないが。だが、それでいい。それが元より美鈴に備わっている愛の力だ」
「ふうん」
よくわかっていない。でも、そんなことが愛の力というのなら、おおげさに考えないでも素直になっていたらいいだけなのかな。もしかして。
「山吹も大丈夫そうだな」
「うん。あとは、彩音ちゃんだよね」
「……彩音は確か盆祭りの時に来るんだったな」
「うん」
「もうすぐだな」
「うん。7月15日が盆祭り」
「盆は霊界から霊が来る。ちゃんと境内の穢れも取り、霊にはこの世界に留まることなく還ってもらわないとな」
「ここに留まっちゃうのもいるの?」
「留まると言うか、邪気を帯びて悪霊になる可能性もある。まあ、邪気を持っていた霊は、霊界に行かず、この世界を漂うことになるから、霊界から来る霊は大丈夫だとは思うけどな」
「でも、可能性があるなら、それこそ邪気を入れないようにしないと」
「そうだ。今年が一番危ないんだ」
「なんで?!」
どうして今年に限ってなの?
「龍神の代替わりの年で、龍神の力が半減しているからだ。それこそ、そのことを知っている妖たちが、この機会にやってくる可能性がある。霊界の霊になりすますものもいるかもしれん」
「そんなあくどい妖がいるの?」
「ああ」
うわ~~。そうか。去年は琥珀のお父さん、蘇芳が護っていたから大丈夫だったのか。
「だから、美鈴。本来ならお盆までに祝言を挙げるのが一番なのだ。おふくろの時はもっと早い段階で祝言を挙げ、お盆祭の前に神の世界に行ったんだぞ」
「そうなの?すごい覚悟が早かったのね」
「いや、そうじゃなくてだな。美鈴が子どもなだけだと思うがな」
「え?私が?」
うそ。でも、お千代さんなんて、ずっと境内から出たこともなかったんでしょ?箱入り娘じゃない。それとも、精神的に大人だったの?私がガキすぎるってこと?




