第57話 目を覚ました修司さん
「ねえ、琥珀。例えば彩音ちゃんの痣も、消えたりする?」
琥珀にそんなことを聞いてみた。向こうの世界に行く前に彩音ちゃんのことも解決していきたい。
「ああ。あの痣なら美鈴の隣で神楽を舞うだけでも消えるぞ」
「だけど、彩音ちゃんの気持ちが落ちたら、また出ちゃうじゃない?」
「そうだな。彩音の中に巣くっている闇を浄化するしかないな。何か妖が潜んでいるのかもしれんな」
「彩音ちゃんの中に?」
「そうだ。神楽を舞って一時表面から消えたとしても、奥底に潜んでいるんだろうな。あんなに何度も痣が出るっていう事は、奥底に潜んでいるしか考えられん」
「それを浄化させるにはどうしたらいいの?」
「俺らの気で浄化する。龍神の力が100パーセントになったら簡単なことだ」
「…キスだけでは無理とか?」
「ああ。修司の場合はすでに邪気は消えている。エネルギーがだいぶ吸い取られ、元の気になかなか戻らないだけだ。今の俺らの気を与えていれば元気になるだろう。だが、彩音の場合は、邪気を浄化させないとならない。山吹のいる部屋に何日か捕らえれば、もしかしたら消えるかもしれんが」
「彩音ちゃんをあの部屋に入れるってこと?あんな真っ暗で何もない部屋に?邪気が消えるどころか、彩音ちゃんが恐怖でどうにかなっちゃうよ」
「だろうな。龍神のエネルギーも強いし、人間の精神の方が持つか心配だな。山吹は妖だから、特に狐の普段の寝床も暗いし、あの部屋は安心できる場所だろうが、人間には無理だな」
「なんだ。全然解決方法にならないじゃない」
「だから、龍神の力を100パーセントにするしかないのだ」
「そうか…」
私と琥珀が祝言を挙げないと、彩音ちゃんの中に潜んでいる妖を消し去ることができないってことか…。やっぱり、祝言を挙げないわけにはいかないんだなあ。
「ん…」
私たちが修司さんの前であれこれ話していると、修司さんがうるさそうに顔をしかめた。
「修司、俺らの声が聞こえているのか?」
琥珀が修司さんの耳元で、大きな声でそう聞いた。
「う~~ん。うるさい。せっかく人が気持ちよく寝ているのに」
「修司さん?!気が付いた?」
修司さんが目を開けた。そして私と琥珀の顔をぼけっと眺めている。
「修司さん、私が誰かわかる?」
「美鈴ちゃんだろ?」
「わかるんだ!良かった~~~。修司さんが目を覚ました!私、みんなに言ってくる」
「待て、美鈴。いきなりみんなを呼んだら、修司も困るだろう。とにかく美鈴も落ち着け。ここに座れ」
襖を開けて今にも飛び出していこうとしていたけれど、琥珀に言われておとなしく琥珀の隣にまた座りこんだ。
「どうだ?どこか痛むところはないか?」
「いいや。不思議とすっきりしている。あ、でも腹が減っているな」
ぐ~~っと修司さんのお腹が鳴ったのが聞こえた。
「まずはお粥とかがいいよね?おばあちゃんに作ってもらうね」
「美鈴ちゃん、俺、なんで寝ているんだ?」
「覚えていないの?」
修司さんはどうやら、自分がどうして寝込んでいるのかまったく覚えていないようだ。
「う~~~ん。ここは山守神社だろ?確か、親父に言われて嫌々仕方なく神主の修業に来たんだよな。でも、本当は俺、ニュージーランドに行きたかったんだよ。でも、思いきり親父に反対されたんだ」
「それで仕方なくここに来たのね」
「うん。俺、神主になる気はないから、伯父さんやおじいちゃんにも相談しようとしていたんだけど…。なんか思い出せないなあ」
修司さんが天井を見上げたまま、顔をしかめた。
「記憶が飛んでいるんだな?」
琥珀が聞いた。
「君、琥珀君だっけ?確か子どもの頃遊んだよね」
「なるほど。今の修司にはその記憶があるわけだ」
「うん。遠い親戚だろ?君も神主見習い?」
「いや。神主ではないが…。そうか。だいぶ前から記憶がないんだな」
「俺の?いったい何があったわけ?」
「まあ、いい。とにかく何か食べたほうがいいな。さっきから腹の虫がうるさい」
確かに、ぐーぐーと鳴りっぱなしだ。
「私、修司さんが起きたことも、お粥を作ってもらうことも言ってくる。みんなで来たらうるさいから、誰か代表して来てもらうことにするよ」
「そうだな。それがいい」
私は静かに部屋を出てから、一目散に居間にすっ飛んでいった。
「修司さんが目を覚ました!!!」
居間に入るや否や、私はそう叫んだ。居間にはひいおばあちゃんとおばあちゃん、それにお昼ご飯を食べ終わり、のんびりとテレビを見ていたお父さんがいた。
「なんだって?琥珀の力で目を覚ましたか?」
ひいおばあちゃんがそう目をひん剥いた。
「そうか!目を覚ましたか?」
寝っ転がっていたお父さんも体を起こし、おばあちゃんは目に涙を浮かべ、
「良かったわ~」
と安心したのか、逆にその場に座り込んだ。
「おばあちゃん、早速で悪いんだけど、お腹が空いているって言うからお粥作ってあげて」
「そうね。お粥ね。わかったわ。作ったらすぐに持っていくわ」
「朋子たちにも教えないとな」
「待って、お父さん。教えてもいいけど、いきなりみんなで修司さんのところに押しかけないで」
「わかってる。そうだな。特に朋子にはあとで行くように伝えよう。あいつが一番大騒ぎしそうだ。父さんにも言わないとな。あ、それから英樹にも電話しよう。それを一番先にしないとな」
お父さんも興奮しているのか、アタフタしている。
「それからね、本当は神主になる気がないってことを、お父さんやおじいちゃんに相談したかったって言ってたよ。あとで相談に乗ってあげてくれる?」
「そうか。英樹にも電話でそれを伝えよう」
「うん、お願い」
「じゃあ、ひいばあがまず様子を見に行こう」
ひいおばあちゃんが椅子から立ち上がった。私もひいおばあちゃんの歩く速さに合わせ、修司さんの部屋に戻った。
襖を開けると、とても静かに琥珀と修司さんが話をしていた。いったいどんな話をしていたのかな。
「修司」
「ひいばあちゃん。俺、心配かけたんだってね?ごめんね」
「いいんじゃ。目を覚ましてよかった」
ひいおばあちゃんも涙ぐんでいる。心配していたんだね。
「俺、神主になる気がないんだよ。今、琥珀君にも聞いてもらっていたんだ」
そんな話をしていたのか。
「嫌々来たから、邪気に憑りつかれたんじゃなあ」
「俺は覚えていないけど、色々とみんなに迷惑をかけたみたいだね。狐の妖怪?ちょっと信じられないけど、でも、なんとなく覚えている。憎いっていう気持ちとか、悲しみとか。あれが狐の気持ちだったのかな」
「そうか。その辺は覚えているんだな」
琥珀が静かにそう聞いた。
「うん。ところどころの記憶も蘇ってきた。でも、夢でも見ている感じだよ」
「そうだ。修司にとっては単なる夢だ。さっさと忘れていい。それよりもこれからは、ちゃんと自分の気持ちを大事にして、その気持ちで行動しろ。たとえ父親と意見が食い違おうとな」
「そうだね。琥珀君は今いくつなんだ?大人びているね。俺とそんなに変わんないよね」
「ずっと年上だ」
琥珀はただそう答えた。ひいおばあちゃんが横で笑っている。
「修司君、お粥を持ってきたわよ。食べられる?」
そこにおばあちゃんがやってきた。
「おばあちゃん!心配かけちゃってごめんね」
修司さんはすぐに布団から起き上がった。
「修司、無理をするではない」
「そうよ。いきなり起きたりして大丈夫?」
ひいおばあちゃんとおばあちゃんが慌ててそう聞いた。でも、
「平気だよ。なんだか元気なんだよね」
と、暢気に修司さんは答えた。
「俺と美鈴が気を与えたのだ。元気なのは当然だ」
「気を二人から?それはありがとう。でも、そんなこと美鈴ちゃんできるの?」
「私は別に手をかざしただけ。そういう能力があるのは琥珀なの」
「へえ。君、すごいんだね」
「詳しくは後で話してやるが、まあ、今はゆっくりお粥を食べるがいい。ひいばあも部屋に戻る」
ひいおばあちゃんはそう言うと、部屋から出て行った。
「一人で食べられる?」
おばあちゃんが優しく修司さんに聞くと、修司さんはにこりと微笑んで頷いた。
そうだった。修司さんはひいおばあちゃんにも懐いていたけれど、おばあちゃんが大好きだったよね。おじいちゃんやおばあちゃんにも、いつも優しく明るく接していた。確かに、ここに来たばかりの時から、ひいおばあちゃんのことも悪く言っていたし、もうすでに妖に乗っ取られた後だったのかもしれない。
おばあちゃんは割烹着の裾で涙を拭いた。
「本当に目を覚ましてよかったわ。元気になってよかった」
「おばあちゃん。ごめん」
「いいの。修司君が悪いわけじゃないんだから」
おばあちゃんは本当に優しいよなあ。思わず私も貰い涙だ。鼻水も出てきて鼻をすすると、隣にいる琥珀が優しく私を見た。
足音がして、お父さんとおじいちゃんがやってきた。
「修司、目が覚めたか」
「おじいちゃん、伯父さん。心配かけてすみません」
修司さんは、食べていたお粥のお椀をいったんお盆に置いた。
「ああ、食べているところを悪い。食べていいよ。勝手にここで話させてもらうから」
お父さんはそう言うと、布団の横に座って胡坐をかいた。おじいちゃんはなぜか突っ立ったままでいる。不思議に思いおじいちゃんを見ると、おじいちゃんは思い切り泣いていた。
「修司…。良かった。良かったよ」
泣きすぎでしょって言うくらい、嗚咽まで上げて泣いている。
「あなた…」
おばあちゃんもドン引きしながら、部屋に置いてあったティッシュの箱を渡した。おじいちゃんは思いきり鼻を噛むと、ようやくお父さんの隣に座った。
「英樹にちゃんと話をした。そんなに神主になることが嫌なら無理強いしないと言っていたよ」
お父さんが話し出した。それを聞いて、修司さんは安心したようにほほ笑んだ。
「弟の孝司君が、沢森神社を引き継いでもいいと言っているから」
「孝司が?本当ですか、伯父さん」
「ああ、本当だ」
「修司はニュージーランドに行きたかったらしいぞ」
そこに琥珀が口を挟んだ。
「修司は北海道というところで、昨年アルバイトというのをして、牧場に興味を持ったらしい。もともと農業にも興味があって、家の周辺にある畑を借りて野菜を育てていたらしいぞ」
「へえ。修司さん、そんなことをしていたんだ」
なんだか、らしくない気もするけど。でも、ただ神主が嫌っていうだけでニュージーランドに逃げたかったわけじゃないのかな。
「そうか。牧場や農業に興味があって、ニュージーランドに行きたかったのか」
そうおじいちゃんも修司さんに聞いた。
「うん。外国はいいぞって、敬人にも聞いていたし、俺も日本から離れて本当にしたいことは何か、ちゃんと見たかったんだ。北海道の牧場では牛と羊の世話をしたから、ニュージーランドでも経験をしたかった。それを活かして、日本に帰ってからも牧場で働くのもいいかなってさ」
「なるほど。ちゃんとそういう目的があってのことなんだな。それも英樹に話したのか?」
「言ったよ。でも、親父はろくに俺の話も聞こうとしないで、神主が嫌だから逃げ出すだけだろうって」
とお父さんの言葉に修司さんは答えた。
「英樹は昔から人の話を聞かないところがあるからなあ。一度こうと決めたら引かないところもある」
そうお父さんが言うと、
「そうだな。お前とは真逆の性格をしているからな」
とおじいちゃんも頷いた。
「冷めちゃうからお粥を食べなさい。それに、あんまり私たちが長くいても疲れちゃうから、そろそろ出ましょうよ」
おばあちゃんの言葉で、おじいちゃんとお父さんも部屋を出て行った。部屋に琥珀と私は残ることにした。
修司さんはまたお粥を食べだした。
「修司さん、良かったね。お父さんがちゃんと英樹叔父さんに話してくれて」
「うん。それより、二人のおかげで目が覚めたって聞いたけど、本当にありがとうね」
「ううん。修司さんが元気になって、本当に嬉しいよ」
そう言うとまた修司さんはほほ笑んだ。ああ、これが本当の修司さんなんだ。
琥珀と一緒に修司さんの部屋を出た。
「もう大丈夫そうだな」
「うん」
「まあ、これからも精霊たちに守るように頼んであるし、念のため明日も気を送ることにしよう」
「うん」
ああ、なんだか嬉しくて胸がいっぱいだ。これで修司さんは大丈夫。山吹はちゃんと修業をするかどうか、その辺はまだ怪しいところだけど、とりあえず山吹も邪気が消えて大丈夫だとして、残るは彩音ちゃんだなあ。




