第50話 妖狐とお千代さんの出会い
お風呂から上がり、一刻も早くに琥珀に話がしたくなって琥珀の部屋に向かった。
「琥珀?いる?」
し~~ん。あれ?部屋にいないのかな。でも、
「どうした?」
と襖が開いた。
「あ、琥珀、今いい?」
「いいぞ」
琥珀の部屋に入り込んだ。琥珀の部屋には何もない。いつも部屋で何をしているのかなあ。そんなことを考えながら、部屋の真ん中で突っ立っていると、
「座ったらどうだ?」
と言われ、私は胡坐をかいている琥珀の前に座った。
あれ?なんだか、琥珀の部屋に押し掛けてきたみたいで、ちょっと恥ずかしいかも。二人きりだし。
「何か用があったのか?」
「うん。えっと。修司さんのこととか、妖狐のこともなんだけどね、やっぱり私と琥珀が早くに結婚したらいいことなのかなって思って。だって、琥珀が伴侶を得てっていうことは、私と結婚するってことでしょ?そうしたら、100パーセントの力が出るんだよね?」
「そういうことだ」
「じゃあ、修司さんの為にもいいんだよね?」
「そうだな。あのまま目を覚まさないようだと、体も衰弱していく可能性もある。俺の気を分けてはいるがそれにも限界があるからな。美鈴も、俺の気を分けても、また体力がなくなる。相当あの妖狐に奪われてしまったんだな」
「私?」
「そうだ。俺と祝言を挙げれば、神となって美鈴も力が全開になる」
「そうなんだ。私も今のままだと元気になれないのね。あの妖狐はどうするの?」
「そうだな。おふくろは話がしたいと言っているが、どうにも妖の方の力がなくなって、龍神の声など届かないのだ」
「力がなくなっている?」
「ああ。姿も俺にしか見えないだろう。霊力が高いものなら見えるかもしれんが」
「妖の姿?私にも見えない?」
「今の美鈴だと見えないだろうな」
「…お千代さんはどうして話がしたいの?昔妖狐に攫われそうになったんでしょ?」
「おふくろの日記を読んだのだろう?そこに書いてあった」
「うん。若い男がやってきて、それが実は狐が化けていて、お千代さんを攫おうとしたって」
「龍神との結婚を邪魔して、連れ去ろうとしたのだ。狐がおふくろを好いていたからな」
「好いていた?!霊力が高いから、喰おうとしていたんじゃないの?」
「やはり、ちゃんと読んでいないのだな。日記は社にある。おふくろに面白いものを見つけたと、昨日の夜見せていたのだ。妖狐にも日記の中に書いてあることを聞かせたが、俺のいう事に耳を傾けやしない」
「あの妖狐のことが書いてあるの?お千代さんを攫おうとしていた妖と同じ妖なのね」
「読んでみるか?」
そう言うと、すっと一瞬琥珀が消え、次の瞬間また前に現れた。う…。こういうことをいきなりしないでほしいなあ。消えるなら前もって言ってよ。
「ほら、持ってきたぞ」
もうお社に行って、日記を持ってきたのか。一瞬の出来事なのね。
「これから消える時は言ってね。すんごいびっくりするから」
「ああ、そうか。こういうことに慣れていないか。だが、そのうち美鈴もできるようになる」
「私が?無理無理。私にそんな能力ないってば」
「神になればできる」
「神ってなんでもあり?」
「ああ。まあ、最初の内は人間の波動が残るから、すぐには無理だろうがな」
「う、うん。こっちの世界では人間のままでもいいかなあ」
「そうはいかない。神のエネルギーとなってから、祠を通るのだ。いや、神のエネルギーにならないと祠は通れない」
「そうなの?このままだと行けないの?」
「そうだ」
「神のエネルギーになるって、難しいの?」
「前にも言ったな、難しくはないぞ」
「…覚悟が必要で、心の準備もいるんだっけ?」
「そうだ」
「そうか…」
私は手元にある日記を開いた。
「これ、ゆっくりと読み返してもいい?この前はざっと読んだの。最後の方だけしっかり読んだんだけど」
「そうか。じゃあ、最初から読め。あの妖狐のこともわかると思うぞ」
「うん。じゃ、部屋に戻るね」
「戻るのか。寂しいな」
「え?何それ!琥珀も寂しいの?」
「寂しいぞ?」
うわわ。なんだか、琥珀が可愛い目をしている。ちょっと甘えている犬みたい。
「え、えっと、どうしよう。でも、えっと」
「俺があとでこっそりと美鈴の部屋に忍び込めばいいのか」
「そういうことはやめて!なんか、恥ずかしいから!いきなり来ないで襖をちゃんとノックして」
「なんだ。こっそりとではだめなのか」
あ、なんだか、今度は意地悪な目つきをしている。からかったの?
「もう~~~~、からかわないでよ。こっちはどぎまぎしているのに」
「結婚したらずっと一緒にいることになると思うんだがな?」
「そ、それは、その。その時はちゃんと覚悟するもん」
「ははは。一緒にいるのにも覚悟がいるのか。大変だな」
う…。
部屋に戻ってから、後悔した。一緒にいてと言えばよかった。一緒にいることに覚悟なんていらない。恥ずかしいからって、あんなことを言ってしまったけど、琥珀がそばにいてくれるのは、すんごい嬉しいことだもん。
気を取り直し、布団に横になってお千代さんの日記を最初から読み返した。お千代さんの子どもの頃の話から書いてあった。この辺はいいやって、そう言えば読み飛ばしたっけな。
子どもの頃から不思議なものが見えていたとか、動物とも仲良くて、社の中に来た動物とも会話ができたとか、そのようなことばかり書いてある。それは、ハルさんの時と同じような体験だった。
その中に、狐の話が出てきた。そう言えばハルさんの日記にも、狐とも仲良かったと書いてあったっけなあ。
ん?よく読んでみたら、狐ではなく尾が二つに分かれた妖と書いてある。これって、もしやお社にいる妖狐のこと?それも、最初は人間を憎み、悪さばかりをしている妖狐だって。
お社の中には龍神の結界があり入れないでいるけれど、お社の外で妖狐は悪さをしていたようだ。でも、まだそこまで力はなく、ある時山守神社に陰陽師が来て、妖狐を退治しようとしたって。
陰陽師によって力を失いかけた妖狐から、悲しい寂しい思いを感じ、お千代さんが助けてあげたらしい。お父さんや陰陽師に内緒で匿い、お千代さんだって境内から出ると危ないのに、龍神の祠近くで妖狐を手当てしてあげたと書いてある。
うわ~~。お千代さんは妖にまで優しかったのか。お千代さん自身の気も分けてあげて、妖狐は元気を取り戻したって書いてあるけど、お千代さんは大丈夫だったのかな。
あ、やっぱり具合が悪くなって床に伏せてしまったと書いてあった。お千代さんがまだ10歳の頃の話だ。まだ子どもだったんだ。だからこそ、もしかして無茶をしてしまったのかしら。
しばらくしてお千代さんは元気を取りもどしたようだけど、もう境内の外に行ってはいけないと、その時から大人たちに見張られるようになったみたいだな。
そして8年たち、ある若い男がやってきた。お千代さんにはすぐにそれが、妖狐が化けた姿だとわかっていた。お千代さんは10歳の時、その妖狐に名前をつけていた。毛の色が山吹の色だったから、「山吹」という名前だった。
お千代さんは山吹だとすぐにわかり、元気になったことも、人間に化けるくらい強さを取り戻していたことも喜んだ。だけど、山吹になんと結婚を迫られ、すでに朱雀と会っていたお千代さんは断った。私は龍神の嫁になるのだからと。
だけど、山吹は諦めなかった。妖力を使い、お千代さんを山守神社から連れ去ろうとした。だけど、朱雀の力でお千代さんは取り戻され、朱雀が蔵に結界を張り、お千代さんも自分の意志で蔵に閉じこもって、妖狐から身を護ったと。
この辺から私、ちゃんと読んだんだ。ところどころ山吹という名前があったけど、特に誰かわかんないから気にしていなかったけれど、妖狐のことだったのね。
そうか。妖狐の山吹はお千代さんが好きになって、結婚をしたいと思って山守神社に現れたのか。それで、龍神との結婚を阻止し、お千代さんを連れ去ろうとしていたんだ。
妖狐の恋だったんだ。
「もしかして、自分の恋したお千代さんを取り戻すために、祠の向こうに行きたいということ?」
わあ。お千代さんが龍神と結婚したのは100年前。100年もの間待っていたっていう事?なんて一途なんだ。
ちょっと可哀そうな気もしてきた。だけど、そもそも人間に悪さをするからいけなかったんじゃない?そんな妖狐をお千代さんは匿っただなんて、お千代さんのしたことがそもそも良くなかったっていうことなんじゃない?
それとも、それだけお千代さんの心は広いっていう事?それが天女の生まれ変わりの愛ってやつ?
だとしたら、私には理解できない。だって、人間に悪さをする妖を私は許せそうもない。
あの妖狐が修司さんに憑りついたことも、修司さんの気をすべて奪おうとしていたことも、彩音ちゃんを喰らおうとしていたことも、もしかしたら今まで人間を喰らったかもしれないのなら、絶対に許せそうもない。
悶々としながら私は眠った。その日の夢は変な夢だった。
私は狐と一緒に境内で遊んでいた。ううん、私じゃないようだ。誰かな?着物を着て髪が長い女の子、今の時代じゃない。お千代さんかな?
そして、その狐がある日、血だらけになって現れた。狐の言葉がわかった。父親も兄弟も人間に殺された。母親が一番幼い自分を口に加え逃げ出した。でも、そんな母親も殺され、母親が人間に殺された時、母の口から落ちた狐は、山の岸壁から落っこちた。
息切れ切れになりながらも、狐は山守神社にたどり着いた。女の子はすぐにお社の前で龍神にお願いした。狐を助けてと。でも、その願い虚しく狐は息を引き取った。女の子は泣いた。泣いて泣いて、悲しい思いのまま狐のお墓を境内を中に作ってあげた。
そこで私は目が覚めた。
「なんだったの?今の夢は…。まさか、あの狐が妖狐?」
でも、お千代さんが会ったのはすでに妖狐になっていた狐だよね。じゃあ、今の夢は?
夢なんだけどやけにリアルだったな。着物を着た女の子が私だったみたいな、変な感覚だ。
それに、狐の人間に対する怒りや、家族を殺された悲しみも痛いほど伝わって来たし、女の子の悲しみもわかった。現に目覚めた時泣いていたし…。
琥珀に話してみようかな。
その日は雨だった。それもかなり強い雨。こんな日は誰も参拝者が来ないこともある。
バイトは八乙女さん。午前中一人も参拝者が来なくて、お母さんに言われ八乙女さんは12時に帰って行った。
「今日は誰も来ないわね。留守番を頼んでも大丈夫?美鈴。悠人の車で買い出しに行ってくるから」
「いいよ。琥珀にも来てもらう」
「琥珀君ね…。大丈夫なの?」
「何が?」
「ひいおばあちゃんが、琥珀君は神使だとか言っていたのよ。いきなりあんたを向こうの世界に連れて行かないわよね」
「琥珀は神使じゃなくて」
「え?」
いきなり龍神なんだと言った方が、かえってお母さんが不安がる?
「えっと。大丈夫だよ。お母さん、少し心配性になっているけど、琥珀も言っていたでしょ?未練があるうちは連れて行けないって。私もまだ、こっちで気になることあるし」
「気になること?」
「修司さんのことも、彩音ちゃんのことも」
「彩音ちゃん?」
「あ、何でもないの。とにかくあの狐のことも問題は残っているんだし、すぐには行けないから安心して」
「狐と言えば、お社にいるんでしょ?姿は見えないけど、本当にいるの?琥珀君の言っていることは本当なのかしら。お父さんもおじいちゃんも、誰も疑わないけど…」
「本当だよ。私だって見たもん。狐の力が弱まって、今は見えないんだって」
「……本当に、変なことばかりに巻き込まれて嫌になるわね」
「そんなところにお母さんは嫁いだんでしょ?」
「あんたもそんなこと言うの?」
「うん。私も龍神の嫁になるために生まれたんだって、ちゃんと受け入れることにしたもの」
しっかりとお母さんの目を見てそう話したら、お母さんは相当びっくりしたようだ。
「……なんだって、あんたはそんなことを受け入れられるの?」
「わかんないけど…。もしかしたら、神門家の血とか?」
「お母さんがよそから来たから、わからないってことなの?」
「わかんないけど」
「……そうかもね。あの悠人だって、美鈴が受け入れるなら、それを認めざるを得ないとか言っていたしね」
「悠人お兄さんが?」
「そうよ。せめて自分たちが出来ることは、美鈴が向こうに行っても幸せに生きられることを願う事だって」
「………」
お母さんの目は赤かった。もしかしてずっと、泣いたりしていないよね?
「じゃあ、行ってくるから。とにかくね、美鈴。これだけは約束して。勝手に私たちが知らない間に向こうに行ったりしないでね」
「当たり前じゃない。そんなこと絶対にしない。だいいち琥珀がそんなことを許すわけないよ。私が悲しむことも、家族が悲しむこともしないから」
「そう。琥珀君のこと信頼しているのね」
「うん」
「わかった。買い物行ってくるわ」
「いってらっしゃい」
お母さんは笑ったが、力のない笑みと声だった。




