第47話 目を覚まさない修司さん
あれはきっと、私の見た都合のいい夢。夢だとわかってがっかりするのも悲しいから、そう自分に言い聞かせながら社務所に行った。
社務所に琥珀はいなかった。
「おはよう、美鈴。大丈夫なの?」
元気な里奈がすでにいた。
「うん、大丈夫。今日から復帰できると思う。里奈、早いね」
「お母さんに昨日、早くに来てって頼まれたの」
「そうだったの?ごめんね」
私は里奈に謝り、椅子によっこらしょと腰を下ろした。
「具合が悪くって寝込んでいたんだってね?風邪?」
「うん。なんか、体力も落ちちゃって」
「悠人さんも心配してたよ」
「悠人お兄さん?」
「うん。この前一緒に出掛けることになったでしょ?ライン交換しておいたんだ」
「ああ、そう言えば、デートどうだった?」
「それがね!聞いてよ。最高に楽しかったの!」
うわ。いきなりテンションあがった。里奈はそのあと、デートの話を嬉しそうに話してくれた。聞いていると、里奈が盛り上がって、お兄さんがそれに合わせていた感じもしたが、まあ、悠人お兄さんも里奈が好きなんだから、さぞかし楽しかったことだろうな。
年配のおばあちゃんがお守りを買いに来た。里奈が元気に対応してくれて、私は椅子に座ったまま、ぼんやりとしていた。
おばあちゃんはすぐに社務所を去り、また暇になると里奈はあれやこれやと話し出した。里奈、相当悠人お兄さんに惚れこんじゃったんだなあ。
「悠人さんって、本当に優しいよね。色々と気遣いもできるよね」
「そうだね。悠人お兄さん、確かにきめ細やかなところまでわかってくれるかも。それに比べて敬人お兄さんは、女の気持ちもまったくわからないようなデリカシーのないやつだったけど」
「敬人お兄さんって、留学しているんだっけ?」
「そうだよ。神主になりたくないって、カナダに行きなり行っちゃったの。修司さんと気が合って、いつも二人でバカやって大笑いしてたっけなあ」
「修司さんは、前から女ったらしだった?」
「ううん。高校の頃髪の色を染めてはいたけど、あそこまでチャラい奴じゃなかったよ。陽気でひいおばあちゃんとも仲良くて…」
「大学でチャラくなったんじゃない?そういうやついるよね」
里奈の言葉に、笑うしかなかった。まさか、狐の妖が憑りついて、あんなふうになっていたとも言えないよね。
本当の修司さんはどんななのかな。私もしばらく会っていなかったからわからないな。まだ目が覚めないらしいけど、大丈夫なのかな。一回私も修司さんの様子を見に行こうかな。
それから、狐の妖も様子を見てみたい気もする。お社に閉じ込めたから、力は弱まっているって琥珀も言っていたし、覗くくらいなら大丈夫かな。
「敬人さんは帰ってこないの?会ってみたい気もする。カッコいい?」
里奈がなぜか目を輝かせて聞いてきた。
「夏休みに戻ってくるかもしれないけど、里奈は悠人お兄さんがいいんでしょ?」
「あ!別に二股かけるとか、そんなんじゃないからね」
「わかってるよ。里奈って、男が変わることはあっても、同時に二人とって無理だもんね」
「うん。無理」
「そう言う意味じゃなくって、敬人お兄さんは悠人お兄さんと真逆なタイプだから、好みじゃないと思うよってこと」
「そうなんだ」
「敬人お兄さんは、私が子どもの頃は一緒に境内の周りとか探検に行ったり、じっとしていられない行動派で、悠人お兄さんは昔から物静かだったの。境内の掃除も分担でさせられていたんだけど、敬人お兄さんはいつもさぼって、お母さんに怒られてた」
「へえ…」
「よく言えば、男らしい?悪く言えばガサツ。部屋も汚いし、格好も気にしないし。私、子どもの頃は一緒に遊びまわって楽しかったけど、中学くらいから、あのガサツさが嫌になったもん」
「それは私も無理かも。チャラいのも嫌いだけど、ガサツな人もダメだなあ」
「やっぱり?そんな感じした」
「ねえ、琥珀さんは?」
「え?」
いきなり琥珀の名前が出てきてびっくりした。
「琥珀さんもガサツ?なんか見た目怖いし、女心もわからなそうだけど、イケメンだし、どこか優雅さもあるじゃない?」
「琥珀は…」
あ、琥珀のことを考えただけで顔が火照る…。
「えっと…。よくわかんないな。意地悪なところもあるけど、いきなり優しくなったり」
今日なんて朝から、すんごく優しかったし。
「真っ赤だよ、美鈴」
里奈が笑いながらそう言ってきた。
「え?ほんと?や、やだなあ。熱あがったかな?」
誤魔化したけど、
「もしかして、何か進展でもあったんじゃないの~?」
と冷やかされた。
「進展はないけど、ちょっと都合のいい夢を見た」
「夢?琥珀さんとの?」
「う、うん。かなり、私の願望が現れていた夢」
「両想いになったとか?あ、お嫁さんになっちゃったとか~?」
かあっとまた顔が熱くなった。
「図星?!もう、美鈴ったら可愛いんだから」
里奈とそんな話をして盛り上がっていると、
「すみません」
と、参拝客が社務所に来ていたことにも気づけなかった。
「あ、お守りですか?」
「はい。お願いします」
20代くらいの女性だった。ちょっと影が薄くてわからなかった。開運のお守りを買っていったけど、もしや運でも悪いのかしら。琥珀の気の入っているお守りだから、きっと大丈夫だよ、と心の中で言ってみた。
「そう言えばさ、ライバルのあの子どうした?」
また二人きりになると、突然里奈がそう聞いてきた。
「ライバル?」
「彩音ちゃんって子」
「ああ、彩音ちゃん…。え?ライバルって?」
「あの子、琥珀さんを見る目がハートじゃない?」
「里奈にもそう見えるの?」
「うん。ライバル登場して、美鈴ウカウカしていられないって思ってたんだよね」
「そ、そうだよね。それも彩音ちゃんの方が女らしくって、琥珀の好みだし」
「そうなの?琥珀さんの好みを知ってるの?」
「うん。前にそんな話をして…。あれ?そうだよね。私なんて琥珀のタイプじゃないんだよね」
やっぱり、琥珀も私を好きだって言うのは、どう考えてもあり得ない。あれは夢だよねえ。
数人の参拝客が来ただけで、お昼になった。里奈に社務所に残ってもらい、私はお昼を食べに家に戻った。
居間には悠人お兄さんと、ひいおばあちゃんとおじいちゃんがいた。琥珀はいなかった。
琥珀に会うと胸が痛むくせに、やっぱり会いたいんだな。いないと寂しいと感じてしまうもの。
「はあ…」
ため息をつきながら座布団に座ると、
「疲れた?美鈴」
と悠人お兄さんが心配そうに声をかけてきた。
「ううん。午前中もほとんど参拝客も来なかったから、大丈夫」
「そうか」
「あ、今日は里奈が来ているの」
「う、うん。知ってるよ」
「なんで?あ、里奈とラインしているんだっけね」
「…それは、里奈ちゃんから聞いたの?」
「うん」
にこっと悠人お兄さんに、意味深にほほ笑んで見た。悠人お兄さんは少し慌てたように、顔を背けた。
「悠人お兄さん、私、応援してるからね」
小声でそう言うと、悠人お兄さんは真っ赤になって私を見た。
「な、何をいきなり…」
「へへへ」
また笑うと、悠人お兄さんは突然、
「今は僕のことより、美鈴は自分のことを考える時だよ」
と真面目な顔に変わってしまった。
ああ、本当にこういうところ、悠人お兄さんてちょっと真面目過ぎると言うか、堅いんだよなあ。
「美鈴はもう体調はいいのか」
突然、隣からそういう琥珀の声が聞こえてきて、私はびっくりしながら隣を見た。
「ま、また突然現れた。びっくりしたよ、琥珀」
「毎回驚いているようだが、ちゃんと襖を開けて入ってきているからな」
「そうなの?全然気づかなかった」
「確かに。琥珀は音もなしに入ってくるからの。びっくりして心臓が止まりそうになるわい。ひゃっひゃっひゃ」
「もうろく婆の心臓は毛も生えていそうだから大丈夫だ」
「まったく、琥珀は口が悪いのう。そんなんじゃ女に嫌われるぞ。伴侶を探しているのだろ?誰も嫁に来てくれんぞ」
「………」
琥珀の目、怖い。睨みつけてる…。それにしても、ひいおばあちゃん、琥珀の嫁の話をしないでよ。私も同時にひいおばあちゃんを睨みつけてみた。
「呼び捨てにするな。それから、もうろく婆、適当なことをあれこれ言うなよ。まったく」
琥珀はそう吐き捨てるように言うと、おばあちゃんが運んできた料理を黙々と食べだした。
私も黙って琥珀の隣で食べだした。でも、なんとなく食欲がない。琥珀が気になる。夢のことも気になる。
「あのね、琥珀」
「なんだ?」
「あとで修司さんの様子を見に行ってもいい?」
「ああ。食事が終わったら、一緒に行くか」
「うん」
琥珀の方が先に食べ終わり、お茶をすすりながら静かに待っていてくれた。私が料理を残して、
「ごちそうさま」
と言うと、
「どうした?いいんだぞ、食べ終えるまで待っているぞ」
と琥珀が優しく言ってくれた。
「お腹いっぱいなの。おばあちゃん、残してごめんね」
「いいのよ。まだ本調子じゃないのね。お粥とか、うどんとかが良かった?」
「ううん。食欲がないだけだから」
そう言いながら、私は立ち上がった。琥珀も立ち上がり、なぜか心配そうに私を見ている。
「修司さんの様子を見に行ってくるね」
誰に言うでもなくそうみんなに言うと、おじいちゃんもおばあちゃんも、悠人お兄さんも私のことを心配そうに見ていた。
「えっと、修司さんだったら、もう狐が憑りついていないんだし、会っても大丈夫だと思うから心配しないで」
「そうじゃなくて、美鈴、本当に体は大丈夫なのか?」
悠人お兄さんが聞いてきた。
「無理をしてはいけないよ」
おじいさんも優しくそう言ってくれた。
「うん、大丈夫。もし、体力回復していないようなら午後から部屋で休むよ」
「休んだ方がいい。お母さんには僕から言うよ。社務所には僕が行くから」
「ありがとう、ごめんね、悠人お兄さん」
そう謝ってから琥珀と居間を出て、ふと、里奈がいるから悠人お兄さんに任せるのが一番かも…と思い直した。
もしかして、悠人お兄さんも里奈がいるから、社務所に行きたかったのかもしれないしなあ。これは、私がいないほうがいいかもしれない。二人きりにさせてあげて、私は家で休んでいよう。
それに、本音を言えば、ちょっと体がだるい。できれば横になりたい。
修司さんは1階の一番奥の部屋に寝かされていた。前に2階から1階の部屋と移されたままになっていたんだな。
廊下を歩く時も、琥珀が私に寄り添ってくれた。琥珀が優しくて、その優しさが嬉しいやら悲しいやら、複雑だった。
部屋の前で止まり、琥珀は静かに襖を開け、部屋に入って行った。私も静かに後に続いた。修司さんは、仰向けになり寝ていた。
「髪の色…、なんで?」
黄色ががっていた髪の色が、栗色になっている。そう言えば、春に来た時はこの色だった気もする。
「狐が乗り移っていて、髪の色も変化したのだろう。もとはこの色だったはずだ」
「そうだね。途中からどんどん髪の色が黄色くなったんだね。きっと徐々にだったから、気づかなかったのかもしれない」
「それも、妖力で気づかないようにさせていたのかもな」
「そんなことできるの?」
二人で修司さんの布団の前に座りこみ、小声で話をしていた。修司さんは起きる気配がまったくしなかった。
「できる。妖力が高ければ、ある程度人間の思いも改ざんできるものもいる」
「それって、思考を勝手に変えるってこと?操っているってこと?」
「そうだ」
「こわ…。じゃあ、修司さんに憑りついていた妖もそんなことができるの?」
「そこまでは妖力が強くはない。せいぜい髪の色を徐々に変化させていくのを誤魔化す程度だろう」
「そうなんだ」
「俺は、人間の心を操ったりはしたくない。だが、やむを得ず、やることもある」
「え?何かしたの?」
もしや、私にも?




