第44話 みんなが反対
琥珀は、本当に嬉しそうだった。締まりのない顔になっていたら、美鈴に馬鹿にされるとか、嫌われるかもしれないから、いつもは意識して無表情になっていたのだと話してくれた。
「嫌ったりしない。それに、締まりがないって言っても、優しい表情になっているだけで、そんな顔も私は好き…」
うわ!何言ってんの?
「えっと、そうじゃなくて」
「好きではないのか?やはり、この顔は嫌いか」
「違うの。怖い顔とか無表情の琥珀は、何を考えているかわからないから、むしろ今の方がいいっていうそう言う意味!」
慌てた~~。何を好きだなんて言ってるの?私。
「そうか。じゃあ、わざと無表情にする必要はないのだな」
「うん。意地悪になる必要もないよ。っていうか、意地悪をして嫌われないとか思わなかったの?」
「意地悪?俺が?」
「うそ。自覚ないとか?」
「……?俺が何をした?」
「いつも私を怒らせるようなことを言うじゃないよ」
「ああ、あれか。美鈴は怒って顔を赤くさせ、頬を膨らませるのが可愛いからな。だから、怒らせていただけだ」
「それが意地悪なの!」
「そうなのか?」
もう~~。なんなんだ、琥珀は。わざと怒らせて喜んでいたんだ。なんて悪趣味!
「ははは。美鈴は本当にコロコロと表情が変わって面白い」
「面白がらないでよ!」
「なぜだ?退屈しないでいい。美鈴を見ているだけで、毎日が楽しいぞ?」
もう~~~!だから、そういうところ!天然だな。人を怒らせて喜ぶだなんて!
私は今みたいに、八重歯をのぞかせて笑う琥珀が好きなのに。ううん、優しい目の琥珀も好き。あ、だけど、クールな時の琥珀もかっこいい。って、どんな琥珀でも好きってことじゃない?私…。
ああ、重症だ。
「眠そうだな。もう休め」
琥珀は私の髪を撫でながら優しくそう言うと、部屋を出て行った。
キュキュン!
胸がときめいた。私はもしかして、ずうっとこうやって向こうの世界に行っても、琥珀に片思いをしているのかな。
いつの間にか私はまた寝ていた。次に目が覚めたのは、どうやら夕方だったようだ。窓の外から夕陽が入ってきていた。
部屋には誰もいなかった。もそもそと布団から起きだし、ふらふらと部屋を出ようとした。すると、
「美鈴?」
と琥珀の声が聞こえた。心配でまた見に来てくれた?
「目が覚めたか」
ん?後ろから聞こえて来たけど?
「あれ?なんで後ろにいるの?」
びっくりして後ろを振り返った。襖の向こうから声がしたかと思ったけど、部屋に琥珀はいた。
「ずうっと、目が覚めるのを待っていた。大丈夫か?」
「う、うん。でも、部屋にいた?目が覚めた時、部屋に誰もいないかと思ったんだけど」
「ああ、エネルギーだけを飛ばして護っていたのだ」
「………え?っていうことは、いきなり今姿を現した?」
「そうだ。大丈夫か?歩けそうか?」
琥珀は私をなぜか抱き寄せた。うわ!なんで?
「こ、琥珀?」
ドキドキするからやめてほしいんだけど。
「気を送っている。かなり消耗して、なかなか元のエネルギーに戻れなかったようだな」
「そうなの?」
あ、本当に体があったかくなってきた。不思議だ。琥珀の体温はきっと低い。触るとひんやりするのに、気を送ってくれると体があたたかくなる。
「ありがとう。なんか、元気出たよ」
「そうか。じゃあ、俺は狐の様子を見に行ってくるから。何かあったら俺を呼べ」
「うん。わかった」
琥珀はいきなり姿を消した。
「うわ!」
今まではちゃんと襖から出て行っていたのに。いきなり現れたり消えたり、そういうことが出来るっていうことを隠さないようになったわけ?でも、びっくりするよ。
琥珀がいなくなってから、私は一人で部屋を出た。一階に降りると居間にひいおばあちゃんがいた。その隣には悠人お兄さんと、お母さんまでが険しい顔をしていた。
「あ、美鈴、大丈夫なの?」
「うん。もう平気。お腹空いた」
「美鈴ちゃんにと思ってお粥を作っていたのよ。それをあっためるわね」
台所からおばあちゃんが顔を出して、優しくそう言ってくれた。
「ありがとう」
居間にある時計を見た。もう5時半だった。だから、お母さんもいるのか…。
「私、2日間巫女の仕事できなかったけど、大丈夫だったの?」
「大丈夫よ。昨日も今日も彩音ちゃんがいたから。彩音ちゃんもあなたのことを心配して泊ってくれていたの。さすがにさっき、お父さんが迎えに来たけどね」
「彩音ちゃんのお父さんが?」
「彩音ちゃんのお母さんが、気が気じゃなかったらしいわよ。彩音ちゃんがあなたが倒れたから、心配だからここに泊るって報告をしていたんだけど、彩音ちゃんのお母さんはこの神社と関りを持ちたくないみたいだし、お父さんもあなたが倒れたって聞いて、彩音ちゃんまでおかしくならないか心配していたわ」
「そうだ。美鈴のことを心配しているわけじゃなく、自分の娘にまで被害が及ばないように慌てて連れ帰ってしまったよ」
「被害?」
「彩音ちゃんがお父さんには、妖に襲われそうになったところを美鈴ちゃんが助けてくれたと、本当のことを話したみたいなんだよ。お母さんには内緒だそうだけどね。ただし、修司君が妖に憑りつかれていた話は隠しているけどね」
「……自分の娘が大事なのは、どの家も同じでしょ?お兄さん」
「そうね。うちだってそうよ。美鈴が大事。龍神の嫁になんてするわけないでしょ」
「お母さん、私は決めたんだってば」
「そんなこと、親が許すわけないでしょ!勝手に自分で決めたりしないでちょうだい」
「でも!」
「朋子さん。あんた、何もわかっていない」
「おばあちゃんは口出さないで下さい」
「そうだよ。ひいばあちゃんこそわかっていない」
お母さんとお兄さんが、ひいおばあちゃんをいきなり責めだした。
「まあ、まあ、まずは美鈴ちゃん、お粥を食べて元気をつけて。口論している中ではゆっくり食べることもできないでしょ。みんな静かにしましょうよ」
おばあちゃんがそう言って、私の前にお粥を置いた。他のみんなは、途端に黙り込んだ。
私がお粥を食べている間に、おじいちゃんも帰ってきた。
「琥珀君がずっと、あの妖怪を見張っているようだね。お社の前にずっと佇んでいるよ」
そう言いながら、おじいちゃんはよっこらしょと座布団に座った。
「美鈴はもう大丈夫なのかい?」
「うん。この通り」
お粥も食べ終え、にこりとおじいちゃんに笑って見せた。
「修司さんがまだ目を覚まさないねえ。大丈夫なのかしら」
おばあちゃんがおじいちゃんの前にお茶を置き、そのまま座ってぽつりとそう言った。
「そうだなあ。一応英樹のところにも連絡を入れたが、山守神社で看病をするとは伝えたんだけどね。さすがの英樹も心配していたなあ」
「英樹より、八重子さんが心配しているんじゃない?」
「そうだなあ。ちゃんと修業ができるかどうかも、とっても心配していた。八重子さんは心配性だからね。英樹は放任主義だけどねえ」
八重子さんって、修司さんのお母さんだよね。おばあちゃんもおじいちゃんも、修司さんは孫なんだもん。心配だよね。
私だって、妖が憑りついていたからずっと修司さんがおかしくなったってわかったし、修司さんが悪かったわけじゃないんだもの、修司さんが心配だ。妖に相当気を吸い取られてしまったんじゃない?もとの修司さんに戻れるんだろうか。
「大丈夫だ。山守神社は龍神がついておる」
ひいおばあちゃんはお茶をすするとそう言った。それから、ふうっとため息をつき、
「じゃがな、今の龍神は力不足だ。このままでいいわけはない。力不足だから、山守神社で修業をしている神主に妖が平気で憑りついたのじゃ」
と付け加えた。
「お母さん、そうは言っても…」
「清、そういうことだとわかっているだろう?嫁をもらっていない龍神は、力が半端なのだと琥珀も言っておった」
「それは、美鈴に早くに嫁に行けと言うことですか」
お母さんがいきなり怖い顔になった。もしかして、さっきもそんなことを言い合っていて険しい顔でいたのかな。
「いい加減にしろ。美鈴が生まれた時に聞いた鈴の音。あれは、美鈴が龍神の嫁になるから聞こえた音だということを、朋子さんもわかっているだろうに」
「いいえ!私は反対です。今は令和ですよ。昭和や大正、明治の時代と違うんです。迷信など誰も信じません。まして、神様だの龍神だの」
「神主の嫁であるお前が、神を信じないと言うのか!こりゃ驚いた。なあ、直樹」
お父さんは何も言えないでいる。
「おばあちゃんにはわからないんです。だって、娘を持ったことがないんですから」
「娘はいつか、嫁ぐものだ」
「人間にでしょ!誰が龍神に嫁いだりするの。いるかいないかもわからないし、姿かたちだってわからない。あるかどうかもわからない龍神の世界に嫁がせるだなんて、それこそバカげているわ!」
「お母さん、でも、私行かなくちゃ。龍神の力が弱まって、色んな悪いことが起きちゃうなら、私が嫁にならないと」
「娘を犠牲にはできませんよ!」
お母さんは目に涙をためて、そう叫んだ。
「僕もだ。僕も龍神になんて美鈴をやれない」
「だけど、私は琥珀と…」
「琥珀君とは結ばれないよ?それがわかっているから、龍神の嫁になるとでも言うのかい」
「それは…」
お兄さんに何も言い返せなくなった。でも、私の決意を言わなくっちゃ。
「私、琥珀が妖狐に殺されそうになって、首を噛みつかれて、琥珀の首から血が流れだしているのを見て、琥珀がいない世界では生きられないって思ったの」
「……そんなところを見たら誰だって怖くなるわよ」
お母さんがそう険しい顔をのまま言った。
「ううん。琥珀が存在しないことが怖かった。琥珀すらいてくれたらいいってそう思った。だから、私が龍神の嫁になるから、琥珀を助けてってそう思わず叫んでた」
「美鈴、琥珀君が助かったのは、あんたがそう決意したから、その責任を取ろうって思っているわけ?でも、あんたの決意とは関係ないわよ」
「ううん!お母さんわかっていない。あの時、私の力を全部あげてもいいから、琥珀を助けてって天に祈ったの。そうしたら光が飛び出して、雷になって妖狐に落ちたの。琥珀も、あれは私と龍神の力が合わさったものだったって言ってた。私の願いを天が聞いてくれたの」
「だからって、そんな約束…」
「朋子さん、その時、美鈴はもう龍神と約束を交わしたことになるんじゃ。神との約束を取り消すわけにはいかんだろうが」
「おばあさん」
「ひいばあちゃん、何か方法があるかもしれない」
「悠人、そんなものはない。もし、ハルみたいにどこかの男と逃げたとしても、不幸になるのは美鈴だ。みな、ハルが逃げてから、どんな一生を終えたと思っている?龍神から逃げて無事めでたしめでたしになったとでも思うのか」
「龍神のバチでも当たった?罰でも受けたわけ?」
お兄さんが、ひいおばあちゃんに挑むように聞き返した。
「龍神の加護を受けられなくなり、霊力の高いハルは妖に憑りつかれたり、襲われそうになったりしながら、苦しんで辛い怖い思いをして一生を過ごした。また、その子どもたちも、そのまた子どもも、彩音もだ」
「彩音ちゃんが?」
お母さんもお兄さんもびっくりしている。彩音ちゃんの痣のこととか知らないんだな。
「彩音ちゃんは、不思議な力があるらしいし、痣にも苦しんでいたようだね。それが神楽を舞ったら消えたという話は母さんから聞いているよ」
おじいちゃんは知っていたんだな。それもそうか。宮司だものね。ひいおばあちゃんがちゃんと話したんだ。
「美鈴が逃げても、同じような苦しむ運命になるのじゃぞ。それでも、朋子さんは神との約束を破れと言うのか?」
ひいおばあちゃんの言葉に、お母さんは何も言い返せなかった。うなだれたまま、テーブルに涙をぽつりと落とすと、そのまま立ち上がり部屋を出て行ってしまった。
「朋子さん」
そんなお母さんをおばあちゃんが追った。居間に残った悠人お兄さんも、くそっと一言苦しそうに言うと、拳で畳を思いきり叩いた。
「悠人、何が一番美鈴に幸せかは、わからないのじゃ。逃げればいいというものではない」
「……」
悠人お兄さんは拳をぶるぶると震わせ、勢いよく立ち上がったかと思うと無言で部屋を出て行った。




