第43話 ずっと見守ってくれていた
もしかして琥珀、悠人お兄さんに言っちゃったの?なんでそんな大事なこと簡単に言っちゃうの?
そりゃ、私も決心したとはいえ、まだみんなに話すのは早いよ。
「早まるな、美鈴。絶対に何か、回避できる方法はあるはずだ!」
「美鈴ちゃん、龍神の嫁になるだなんて、そんなことを言ったの?どうして?ならないんでしょ?この前はっきりと琥珀さんに、龍神の嫁にはならないって言うって、そう決めたんじゃないの?」
うわ~~~。こんな時に、彩音ちゃん、そんなことを言い出さないで。
悠人お兄さんの後ろから現れた琥珀が、今の言葉を聞いて暗い顔になったよ。
「あ、あの、私は」
嫁になるって本当に決めたの!と言おうとした時、
「琥珀さんに悪いから、ちゃんと言うって言ったよね。龍神の嫁になるために琥珀さんは護ってくれているんでしょ?ならないってちゃんと言わないとずるいって、自分でも言ったじゃない」
と、どんどん彩音ちゃんは私にそう突っ込んできた。
「やっぱり美鈴、龍神の嫁になる気はないんだろう?」
「違う。私、前から龍神の嫁になるって、ひいおばあちゃんが言うように運命に従った方がいいんだって思ってたよ」
そう言うと、琥珀の顔が和らいだ。でも、彩音ちゃんは怖い顔をしている。
「…美鈴ちゃん、考え直して。自分の人生なんだよ。なんでもっとちゃんと考えないの」
「そうだぞ、犠牲になることなんかないんだぞ」
「でも、私が逃げたって、幸せになんてなれないってこともわかっているもの」
「そんなことはない。ハルさんみたいに他の誰かと結婚して、違う場所で出直せばいいじゃないか。今の時代なら海外にだって行けるんだし」
「ハルさんが幸せになったとでも思っているの?ハルさんは龍神の加護を受けられなくなって、それで…」
あ。いけない。彩音ちゃんがいたんだ。この話は聞かせないほうがいいんだ。
「ハルって、私の祖先の笹木ハル…。神門家から笹木家に嫁いだんでしょ?」
「う、うん」
「龍神の嫁になるのを嫌がって逃げ出したんだ」
「お兄さん、その話は…」
「彩音とやらは、笹木ハルのことを知らないのか」
なんだってまた、琥珀がけしかけるようなことを言うのよ。
「知らなくたっていいよ、彩音ちゃん。もう遠い昔のことなんだから」
私はどうにか、彩音ちゃんがハルさんのことを知りたがらないように必死にそう言った。
「……。龍神と関係があるのね」
「そうだよ。ちゃんとこうやって、逃げたとしても子どもを産んで、子孫が残っているじゃないか。美鈴も好きな男性と結婚して、子どもを産んで、普通の生き方をしていいんだよ。何も犠牲になんかならなくたっていいんだ」
もう、悠人お兄さんは暢気なこと言っていないでよ。ああ、そうか。みんな彩音ちゃんの霊力を知らないし、痣のことも知らないから…。
「とにかく、私、本当に決めたの!悠人お兄さん、別に犠牲になんかならないし、ひいおばあちゃんの言うように、ちゃんと運命を受け入れるのが一番なんだと思う。だから、止めないで」
「……何が運命だ!琥珀君、俺は反対だ。絶対に反対だからな!琥珀君が何者なのか知らないが、美鈴を龍神の嫁に君はしたがっているのは知っているが、可愛い大事な妹を簡単に龍神になんて渡せるわけがないだろう!」
「……だが、美鈴は承諾したのだ」
「うるさい!!!そんな簡単に決められることじゃないんだよ!」
うわあ。温厚なお兄さんが怒っている。
「悠人、まだ美鈴は体力が回復していないようだ。ゆっくり休ませてあげよう。ここで騒いでいたら、美鈴の体にもさわるからな」
琥珀がそう言うと、悠人お兄さんはキリっと下唇を噛み、
「美鈴、ちゃんと休んで。この話は美鈴が元気になったらまたしよう」
と部屋を出て行こうとした。その後ろから彩音ちゃんも後に続いたが、琥珀だけがその場に残っていた。
「琥珀君、君も部屋を出たらどうだ?」
いったん部屋を出たお兄さんが、廊下から声をかけた。
「美鈴に話がある」
「美鈴を休ませてあげたらどうだと君が言ったんだろ?」
「悠人お兄さん、私も琥珀に話があるから」
「わかった。でも、龍神の嫁になる話を進めたりするなよ。あとで、ちゃんと家族とも話してから決めることだ。わかったな?美鈴」
「うん」
お兄さんは襖を閉めて出て行った。
「体はもう大丈夫か?」
さっきまでいつものクールな琥珀だったのに、いきなり顔も声も優しくなった。その表情にドキドキした。
「うん。丸二日も寝ていたんだよね?」
「ああ」
琥珀は私のすぐ横にあぐらをかいた。私はまだ布団から起きだす力もなく、布団に横になったままでいた。
「修司さんもまだ寝ているんでしょ?」
「ああ。ずっと妖に憑りつかれていたからな。目覚めるまでは時間がかかるだろう」
「その妖は?」
「捕らえたぞ。五尾あった尾も二つに減った」
「どうして?」
「雷が落ちたのだ。そりゃ、相当な浄化作用があったのだろう。やつの邪気が浄化され、力がなくなったのだ」
「邪気が?じゃあもう妖じゃないただの狐?」
「いや、あやつはもうただの狐にはならない。多分、一度死んで妖になったのだろう」
「じゃあ、ずっと妖のまま?」
「あの雷でも死ななかったのはしぶといな。まあ、五尾まであったほどの妖だ。簡単には死なぬのかもな」
「妖も死ぬの?」
「ああ、浄化されれば消え失せる」
「……。でも、邪気がなくなったのなら、もう前みたいな妖ではなくなった?」
「前みたいな力はなくなっただろう」
「琥珀…」
「なんだ?」
今の声も優しい。私が弱っているから優しいのかな?私を見る目もなんだか優しい。
「悠人お兄さんや彩音ちゃんが言っていたけど、私が龍神の嫁にならないとかなんとか」
「……ああ」
「私、前からちゃんと龍神の嫁になること考えていたの。なかなか決心ができなかったけど、覚悟もなかったんだけど」
「覚悟ができたのか?」
「……わからない。でも、琥珀が殺されそうになって、琥珀がいない世界では生きていけないってそう思った」
「俺は死なないけどな?」
「そういうことじゃなくって。もし、私が龍神の嫁にならないでこの世界に留まったら、琥珀は向こうに帰ってしまうでしょ?」
「嫁を連れて行かないと帰れないがな」
「そうなの?でも、前の龍神、ハルさんをお嫁さんにできなかった…」
「あ、ああ。そうだな。まあ、半人前のままだと宙ぶらりんの状態だったらしいがな」
「宙ぶらりん?」
「半人前だと、こっちの世界と向こうの世界を行き来はできるが、龍神本来の力が出せない。もう世代は代わっていたから、前の龍神の力を借りるわけにもいかないし、次の嫁が生まれて18になるまでは、半分の力でどうにか神社や山を守っていたんだ。容易ではなかっただろう」
「琥珀は、もし私が龍神の嫁にならなかったらどうなるの?ここに留まることになるの?」
「そうだな。次に嫁となる娘が生まれるまで、宙ぶらりんだな。まあ、この姿でこの世界に留まりはしないだろう。向こうの世界に一旦帰り、嫁が生まれるまで待つか…」
「じゃあ、私とも会えなくなるんだよね?」
「そうだな」
「そんなに簡単にそうだなって言わないでよっ」
「……嫁にならなければの話だ。嫁になれば、ずうっと未来永劫そばにいるけどな?」
「……」
また優しい目で見ている。ずるいよ。そんな目で言われたら、断れないし、優しい琥珀でそばにいてくれたら、それだけでいいって思っちゃうよ。
「だから、琥珀と会えなくなったり、琥珀がいない世界にはいたくないから、私も向こうの世界に行く」
「そうか。決心したのだな?」
私は思いきり頷いた。琥珀が死んだら私も生きていけない。琥珀のいない世界では生きていけないって、はっきりとわかったから。
「本当に琥珀は、向こうの世界に行っても私を護ってくれるんだよね」
「神の世界だから、特に護らなくても大丈夫だけどな。悪い妖もいないしな」
「あ、そうか。そうだった。じゃあ、そばにいてくれなくなる?」
「さっき、そばにいると言っただろう」
「本当に?お役目ごめんだとか言って、どっかに行ったりしないよね?」
「時々美鈴はわけのわからないことを言う。なんだ、そのお役目ごめんというのは…」
「ううん、いいの」
そうか。神使って、別に護る目的だけじゃなく、神に仕えるってことだもんね。
「じゃあ、琥珀は一度向こうに行ったらこっちには来ないの?私も来れないのね?」
「エネルギーとしては来ることができる。あのお社は向こうの世界とこっちの世界と繋がっている。美鈴は龍神のエネルギーとして、お社を通してこっちの世界に来ることもできるし、こっちの世界を知ることも見ることもできる。こっちの世界を護ることもできる…というか、それが使命だ」
「……。龍神としてっていうのは、どういう意味?」
「龍神と一つになると言うことだ」
「…それって」
やめた。なんだか、それ以上は聞きたくない。
「いい。いつかわかることだよね。今はまだ知らなくてもいい。っていうか、知らないままでいい」
「そうか?」
なんだか、琥珀が優しくて変な感じだ。とても嬉しいのに、琥珀じゃないみたいな。
「変なの」
「何だが」
「いつもの琥珀と違うね。いつもはもっと意地悪だし、怖い顔しているのに」
「ああ、そうか。顔がにやけていたか。しまったな」
「にやけてはいないけど、何?その、しまったなっていうのは」
「締まりのない顔になっていたのだろう?いつもは気を付けているのだ。つい、嬉しくて今日は締まりがなくなった」
「嬉しい?なんで?あ、私が目を覚ましたから…なんてそんなことで嬉しくないか」
「嬉しいぞ。まる2日寝ていたのだ。心配した」
あ、真剣な目だ。
「ありがとう」
心配してくれていたんだ。目を覚ました時、一番そばにいてほしかったのにいなかったから、ちょっとだけ悲しかったんだけど、良かった。
「嬉しくてつい、悠人にも言ってしまった」
「何を?あ、もしかして、龍神の嫁になるってこと?」
「そうだ。ようやく決心してくれたかと思ったらな」
どこまで琥珀は神思いなのよ。そんなにお仕えしている神様が大好きなわけ?
そうなのかもしれない。琥珀にとって、何よりも一番大事な存在なんだろうな。う…。なんだか、心が痛い。そりゃ、私が一番だなんて思っていないけど、でも、そうなりたいって正直思っている。
ああ、そうじゃないでしょ、私。琥珀がいたらいいって、それだけでいいってそう決めたじゃない。思い知ったじゃないよ。これ以上望んだら、バチが当たるよ。
「琥珀には、私が龍神の嫁になることがそんなにも嬉しいことなんだね…」
じゃあ、私も、ちゃんと龍神の嫁になることを受け入れないとね。琥珀が喜ぶことなんだし。
「そりゃそうだ。美鈴が生まれた時より、ずうっと待ち望んでいたことだからな」
「私が生まれた時から?」
「そうだ。生まれてこの神社に初めて美鈴が来た時、どんなに嬉しかったか。今か今かと待ちわび、美鈴をこっそりと見に行った。誰にも気づかれないようにして。美鈴は小さかった。掌なんてモミジくらいの大きさだった。俺はずうっと静かに見守っていた」
「私が赤ちゃんの時から?え?その頃、琥珀は何歳?悠人お兄さんと同じ?こっそりとって誰にも気づかれなかったの?」
「……向こうの世界とこっちでは時間の進み方が違う。俺は見た目とはだいぶ年齢が違うのだ」
「そうなんだ…」
「それに、この姿で見に来た訳でもない」
そうか!琥珀は人間じゃないんだもんね。もしかして、姿かたちを変えられるとか。っていうか、本当は人間の姿のほうが偽の姿で、人間に化けているだけかもしれないのか。じゃあ、本当の姿って?!
「霊力が高いものだけは見れる。だから、美鈴も目が見えるようになったら俺が見えるようになった。いや、気配だけはその前からわかっていたようだ。俺の方をまだ目が見えていないだろうにじいっと見ていることもあったし、俺に向かってよく笑っていた」
「うそ…。私が?」
「ああ、とっても可愛かった。そんな美鈴が、どんどんお転婆になって、境内を抜け出して迷子になった時は、泣いている美鈴の前に仕方なく人間の姿として現れたんだ」
「仕方なく?」
「いや、人間にならないでも美鈴は俺のことがわかったが、おんぶして境内に行くには、人間にならないと誰かに見られては困るしな。それに、妖に狙われていたから、龍神の加護を与えねばならなかった。それには、人間の姿になり、おでこに接吻をせねばならなかったしな」
「そうだったんだ…」
「木から落ちそうになった時も、慌てて人間になり抱き留めた。まあ、風を起こして落ちる速度を緩めてからだけどな」
ああ、そう言えば、春に木から落ちそうになった時も、風が巻き起こったような気がする。
「…じゃあ、琥珀はずうっとずうっと、私を見守っていてくれたっていうこと?」
「そうだ。まだ赤ん坊の頃からだ。大きくなるのを待ち望み、迎えに来るのも待ち望んだ。そしてようやく、美鈴が決心をしてくれたのだ。嬉しくないわけがないだろう」
「…生まれた時からっていったら、もうお父さんみたいなものなのね」
「……え?父?」
父性愛みたいなものなの?だから、今、そんな優しい目で見ているわけ?それで、これからもずっと見守ってくれるんだ。なんか、爺やみたいな感じ?年齢ももしかするともう相当いっていたりして…。
私が琥珀を思う気持ちと、琥珀が私を思う気持ちは全く違う。そこには恋愛感情なんてないんだな。
なんだか、また胸が痛くなった。




