第40話 七夕祭
結局、修司さんは戻らぬまま、七夕祭りがやってきた。
七夕祭りも人手がすごい。バイトの子も増やし、私と彩音ちゃんは神楽を舞うこととなった。
「琥珀さん、あの、お守りにまた念を入れ直してもらってもいいですか?」
神楽殿で支度をしていると琥珀が様子を見に来た。その時にすかさず彩音ちゃんが、琥珀にお守りを渡していた。
「わかった」
琥珀はすごくクールにそれを受け取り、小声で何やら唱え、またお守りを彩音ちゃんに手渡した。
「何かあったのか」
彩音ちゃんと指が触れた途端、琥珀が彩音ちゃんにそう声をかけた。
「え?」
「気が乱れている」
「………」
「修司にでも出くわしたか?」
修司さん?!
「いいえ。そういうわけじゃなくて…。母にもう神社に行くのも神楽を舞うのもやめろって言われてしまったので」
「わからん」
「母はきっと私のことが心配なんです」
「そうじゃない。母の言いなりになっている彩音とやらが理解できんと言っているのだ」
「私?!」
彩音ちゃんは驚いたように声を上げた。
「だって、母のいう事は聞かないと」
「なぜだ?自分でなんでも決めたらいい。どうしたいかは、自分だけがわかることだろう?」
「……で、でも…」
「どうしたい?神楽を舞うのをやめたいのか、ここに来るのもやめたいのか」
「嫌です。私、山守神社に来ると安心します。神楽を舞うと、痣も消えるし…」
「もしかして、また痣が出たのか」
「……はい」
「お守りを持ってもダメだったということか。それで念を入れ直せと言ったのか」
「琥珀さんの入れてくれた、気の力が弱まってとかではないと思うんです。ただ、きっと私がダメなんです。ネガティブな気を引き寄せているんです」
「だろうな」
うわ。琥珀のクールな一言、彩音ちゃんの顔も引きつったよ。きっと今、琥珀に励ましてもらいたかったか、否定してもらいたかったんじゃないの?彩音ちゃんのせいじゃないとか言ってほしかったんじゃないの?
「無になって今日は舞うんだぞ、彩音とやらも。まあ、隣で美鈴が舞うんだ。彩音の中にある闇のエネルギーも浄化される」
「…美鈴ちゃんの舞で?天女の舞でですか?」
「そうだ」
「はい。私も無になって、ちゃんと舞います」
「うむ」
琥珀は頷き、神楽殿から出て行った。
「……美鈴ちゃん、今日は高志君が車で送ってくれたの」
「高志さんが?じゃあ、神楽も見ていくのかな」
「うん。朝、出かけにばったり会って、私の様子がおかしいから送ってくれたの」
「彩音ちゃんの様子がおかしいって?」
「また胸に痣が出ちゃって、そこがシクシクと痛むんだ。それに母から今日ここに来ることも反対されて、おばあ様が行ってきなさいと言ってくれたから、なんとか来れたんだけど」
そう言えば、彩音ちゃんの気が弱まっている気がする。
「大丈夫だよ。私と一緒に舞えば、元気になれるから」
「うん、そうだね」
あれ?私ったら、なんでそんなこと言ったんだろう。前は彩音ちゃんの舞と比較して落ち込んでいたっていうのに。
だけど、無になって舞う。琥珀が教えてくれたことに自信が持てたから。
参拝客も、お祭りに来た人たちも、家族も彩音ちゃんも、悪い妖の気にやられないよう、しっかりと守る。皆の中に巣くっている闇も浄化する。そんな気持ちにどんどんなってくる。
なんだろう。変な感じだ。前は神楽を舞うのも嫌だった。でも今は、何かの使命みたいなものすら感じている。
神楽の時間になった。私は琥珀の顔を見た。琥珀はとっても静かな目で私を見つめていた。その静かな穏やかな気で、私も無になれた。
私が広がる。宇宙と一体になる感覚。そして、私という存在そのものが消えていく…。
舞が終わった。彩音ちゃんと神楽殿を出ると、高志さんが彩音ちゃんが出てくるのを待っていた。
「彩音、すごいね!」
高志さんは彩音ちゃんの神楽を初めて見たんだろうな。興奮している。
「高志さんも良かったら家の方にどうぞ。母か祖母がお茶でも用意してくれるので」
「いや、それは悪いですよ」
「いいのよ、高志君。ここまで車で送ってくれたんだから、遠慮しないで。って私がそんなことを言ったらずうずうしいかしら、美鈴ちゃん」
「ううん。そんなことないよ。家に上がってもらわなかったら、母に私怒られちゃうよ」
そこまで言うと、ようやく高志さんも家の方に来てくれた。
「すみません、お邪魔します」
遠慮がちに高志さんは家にあがり、彩音ちゃんと一緒に居間に入った。ちょうどおばあちゃんとひいおばあちゃんが居間で休んでいた。
「彩音ちゃん、美鈴ちゃんもご苦労様」
「彩音ちゃんの隣に住む幼馴染の高志さんです。車で送ってくれたらしくって、おばあちゃん、お茶やお菓子を用意してもらってもいいかな」
「いいわよ。さあ、どうぞ」
おばあちゃんはにこやかにそう言うと、台所にお茶の用意をしに行った。
「すみません、あの、おかまいなく」
恐縮そうに高志さんは座布団に正座した。
「足を崩してもいいぞ、高志君だったかな?」
「あ、は、はい。すみません」
ひいおばあちゃんにそう言われ、足を崩したものの高志さんはカチンコチンに固まっている。
「くすくす」
それを見た彩音ちゃんが笑った。あ、なんだか彩音ちゃんのオーラが変わった。とても穏やかだ。
「美鈴、今日も天女の舞だったな」
「うん、無になって踊れたの」
「境内が明るくなったし、浄化されたぞ」
「ひいおばあちゃんもわかるの?」
「そりゃあ、わかる。ああ、彩音も来た時と全然顔色も変わったな。元気そうだ」
「はい。元気になりました」
「彩音、神楽を舞うと元気になるんだね?」
高志さんはそう言って、彩音ちゃんに優しく微笑んだ。
高志さん、本当に彩音ちゃんが心配だったんだな。もしかして、高志さんの方は単なる幼馴染とは思っていないのかな。彩音ちゃんはどうなんだろう。
と、そこに琥珀がやってきた。彩音ちゃんの瞳が明らかに輝いたのが分かった。
そうか。彩音ちゃんは高志さんよりも今は琥珀のことが気になるんだ。琥珀のことが好きなんだ。
それは琥珀が護ってくれるという、そんな安心感から来るのかもしれない。でも、明らかに琥珀を好いているというのが伝わってくる。琥珀を見る目も違う。本当に嬉しそうだ。そして、高志さんはそんな彩音ちゃんの目つきに気が付いたらしい。
「この人は誰?彩音」
こそっと高志さんが彩音ちゃんに聞いているのがわかった。
「あ、琥珀さんと言って、不思議な力を持っている神主さんなの」
「俺は神主ではない」
琥珀はすんごくクールにそう告げた。そのクールさに、高志さんが少しびっくりしている。
「琥珀、この人は高志さん。彩音ちゃんの幼馴染でお隣さんなんだよ」
「幼馴染…?」
「えっと~~、子どもの頃からの仲っていうのかなあ?」
「そうか」
琥珀、まったく関心がないみたい。私の隣に腰かけ、おばあちゃんが淹れてくれた渋そうなお茶を飲んでいる。
「甘いお饅頭と、おせんべいもどうぞ」
そう言うおばあちゃんに高志さんは丁寧にお礼を言って、お饅頭を一つ手にした。高志さんは本当に物腰も柔らかいし、誰に対しても礼儀正しい。彩音ちゃんのお母さんも、高志さんのことは気に入っていると、彩音ちゃんのお父さんが言っていたっけね。
確か頭もよくて優秀だとか。真面目そうだし、こんな人と結婚したら、安定した生活を得られるんだろうなあ。彩音ちゃんのことも大事に思っていそうだよなあ。
ふと、そんなことを考えている自分に気が付いた。どこかで、琥珀をさっさと諦めて、高志さんとくっついちゃえばいいのに。そんなことも考えている自分に正直嫌気がさす。
隣にいる琥珀は、もしかすると今の私のぐちゃぐちゃな気持ちに気が付いているんだろうな。前にも気づいていたもの。はあ、嫌になる。どんな私も悪くないとか言ってくれるけど、本当に嫌ったり呆れたりしないのだろうか。
まあさ、嫌われたとしても、琥珀は私を護らなきゃならないお役目なんだろうけどさ。
「琥珀、やはり修司は来なかったな」
「来れないだろうな。美鈴の舞は浄化の力がすごい。山にいる弱小の妖は吹き飛んだんじゃないか?」
「そんなに美鈴の舞は力があるか」
「ある。なにしろ、龍神の力を得ているからな」
「……そうか。その力なら、修司に憑いている妖も消せるか?」
「消せるかもしれないが、ここに修司がいなかったら意味がない。どうせ、どこかに隠れている」
「そのうちに、戻ってくると思うか?」
「必ず戻ってくる」
ボソボソと二人はそんな話をしている。その声が高志さんに届いているのかいないのか、高志さんはさっきから暢気にお饅頭を食べ、そして食べ終えると、彩音ちゃんに話しかけている。
「高志君、私、まだ琥珀さんに用があるから、もしよかったら先に帰ってて」
「いいよ、待っているよ。また車で家まで送っていくよ」
「遅くなるかもしれないから、帰っていていいよ。今日は本当にありがとう。私だったら元気になったから、電車でも帰れるし、もし遅くなるようなら泊めてもらうから」
なんだって?彩音ちゃん、また泊る気でいるの?どこまで琥珀のことが気に入っているの?
もう、琥珀は実は人間じゃない。神使なんだってことを彩音ちゃんにも話したほうがいい?琥珀は多分狐のお嫁さんをもらうんだよって、話したほうがいいのかもしれない。
だけど、私の判断では決められないから、ひいおばあちゃんに相談してみようかな。
お茶を飲み終え、高志さんは帰って行った。玄関まで私と彩音ちゃん、おばあちゃんも見送りに行った。ちょうどそこに母が戻ってきて、
「ちょっと美鈴、いつまで油売ってんのよ。社務所が忙しいんだから、早く手伝いに来てよ」
と私を叱った。
「疲れていたんだから、ちょっとくらい休んでもいいでしょ」
「バイトの子たちも休んでいないの!あんたが来ないと里奈ちゃんも休憩に行けないのよ」
「わかったよ。今から行くよ」
「私も手伝います」
彩音ちゃんも元気にそう言って、靴を履いて玄関を出た。私も慌てて、彩音ちゃんのあとに続いた。
「彩音ちゃんは本当に偉いわねえ。彩音ちゃんがうちの子だったらよかった…。あ、今のはホンの冗談よ」
お母さんはそう引きつりながら笑って、そのあと失敗したというような顔をした。ああ、彩音ちゃんがうちの子になっちゃったら、彩音ちゃんが龍神の嫁にならないといけないもんね。
「彩音ちゃんは、笹木家に生まれて良かったんだよ」
私がぼそっとそう言うと、母は真顔になって私を見た。
「私が神門家で…。で、彩音ちゃんにはこれからも、山守神社に手伝いに来てもらったり、神楽を舞ってほしいな。できたら、毎年。来年からもずうっと」
「美鈴ちゃん…」
彩音ちゃんはうなづかず、憐れむような目で私を見た。そしてお母さんは、顔を背け足早に社務所に行ってしまった。
ごめん。お母さんに悪いことをした。こんなことを言って、お母さんが悲しまないわけないのに。
だけど、私は来年から神楽を舞えない。巫女の手伝いだってできない。彩音ちゃんにしてもらうしかない。
もう来年には、神門家の娘はいなくなってしまう。
向こうの世界に行ったら、もうこっちの世界には二度と戻れないんだよね。
神門家からどこかに嫁いだとしても、お正月くらい戻ってくれるかもしれないし、その時には忙しい神社の手伝いもできるかもしれない。もし、万が一、どこか遠くの国に行ってしまったとしても、生きていたらいつか会える。会える望みはある。
だけど、龍神に嫁いでしまったら、二度と里帰りなんてできないんだ…。




